『半 身』


「三成」
書見台の前で正座していた三成は、吉継の声に身体ごとふりむいた。
「どうした刑部」
「夜も更けたゆえな、そろそろ」
「ああ、これを片づけたら休む」
「さようか」
吉継は三成が広げていたものをのぞき込もうと、そっと身をのばす。
「気になるか」
「ぬしがいったい、なにをそんなに熱心に読んでおるのかと」
「読み物ではない。先日の検地の報告をまとめていた。こういうものは記録しておかないとな」
そういって吉継の前に、墨の香りも新しい巻紙をいくつも広げる。
「これが、ぬしの仕事……」
大谷刑部吉継は、そこで絶句してしまった。
明確な測量。新たな開墾による農作物の増収。農閑期における工業の展開と指導。
真面目に働くものが損をしないよう、律も整えられている。
計算の正確さに加えて、民にも平等に利がでるようになっており、なおかつ、領地の田畑で養える職業兵士が、土地と民を余裕をもって守れる数、揃えられている。
そのすべてが一目でわかるよう、彼の字で簡潔に記されていた。
これが、従五位下・治部少輔の位に恥じぬ、石田三成、本来の姿――。
開けた土地に商売人が多く住む近江、その土地柄ゆえに、武将もおおむね計数に明るいといわれるが、三成もその例にもれないようだ。なにしろ小規模ながらも、太閤の理想を実現している。戦場を生きる場とした竹中半兵衛とは違う種類の悟性だが、新興の豊臣軍に必須である、鋭利な頭脳の働きがみてとれた。
太閤の死によって、三成はいちど死んだ。
そして関ヶ原で、二度目の死を遂げた。
それは事実だ、と今さら吉継は思う。
なにしろ、凶王と恐れられ、己の絶望をまき散らしていた頃の面影はかけらもない。
憎しみの枷から解放されたために、良い領主としての素質が、こうして開花したのだ。
正直で約束を違えぬ男だ。治世が続けば、民からよく慕われるようになろう。
ただ、三成は世界を目指すことはできても、天下をおさめることはできまい。
とにかく我欲がなさすぎるのだ。多くの者の上にたつには、己をつきあげる強い飢えと、他者をまきこんでも足らぬほどの欲望がなければならない。なおかつ平気で人を裏切る肝がなければならぬが、三成にはそのどれももっていない。
受けた恩を決して忘れず、仇討ちのために寝食を忘れて走り続けるような男には、天下とりなど最初から無理な話で、つまり三成は清廉な領主として、この地をこのまま長く治めてゆけばよい。そうすれば誰も不幸にならぬ。
だとしたら。
「どうした? どこかおかしなところがあったら教えてくれ、刑部」
吉継は、広げられたものをクルクルと巻いてしまうと、
「充分よ。ここまでできているものなら、ぬしもあわてる必要はなかろう」
「そうか、ならばいい」
三成がうなずく。その微笑につりこまれるように、吉継の身体は三成に近づき、薄い胸へと倒れ込んだ。
「三成……」
「刑部?」
三成の着物の襟を掴んで、吉継は震えていた。
「どうした、どこか痛むのか」
三成がそっと抱き寄せると、吉継は三成の胸に己の身を押しつける。
こんな心細げな仕草をみたことがないので、三成の心臓は激しく打ち始めた。
「刑部。ほんとうに、どうした」
かすれた声で問う三成に、吉継は低く笑って、
「なに、ぬしを誘っておるのよ」
「なら、顔をあげて私を見ろ、刑部」
いわれて見上げる吉継の瞳は、うっすら潤んでいた。
「われを疑うか、三成」
「疑ってなどいるものか」
三成は吉継の口唇を、己の口唇で塞いだ。
「だが、そんな瞳で見られたら、刑部を少し、つらくしてしまうかもしれない……」
そう囁くと、吉継を夜具へと運んだ。

「ヒャアッ」
愛撫の激しさに、思わず妙な声がでてしまう。
「いい声だ」
そう囁きながら三成は、吉継の胸まで戻ってきて、包帯越しに強く噛む。もう片方は指で押しつぶす。
「ヒッ」
いい。たまらない。
三成は、閨での仕事もうまくなった。
己の見栄など考えないので、吉継の教えた手業を素直に習得し、そのまま実践した。経験の少なさゆえか余計な癖もなく、技術の大切さを飲みこんでしまうと、焦らすことすら余裕をもってできるようになった。吉継に触れるのがさらに面白くなったようで、こうして夢中で撫で回す。
「もっときかせてくれ、刑部」
濡れた声で求められて、吉継は切なげに喘いだ。
「みつ、な……」
これは憐れみではない。
まちがいなく、この身を愛されている。
熱い肌、一途な眼差し、真剣な愛撫。
吉継を腕に抱いただけで、胸をとどろかせる初々しさを残しつつ、三成は情人としても申し分のない男になりつつある。
そのことがかえって、吉継の心を締めつけた。
自分が三成に教えることは、もう何もない。
この男にはもう、汚れた謀略など必要ない。手練れの剣士として、戦場にも慣れてきている。どんな夜にも独り寝をかこつことはないだろう。このすっきりとした美貌と純粋な心、閨での巧みさがあれば、どんな相手でも意のままに落とせるはずだからだ。
つまり、われはもう、必要ない――。
声もなくして身悶える吉継の敏感な部分に、三成が吐息をかける。
「もうよいなら、ねだってくれ。刑部が乱れるのが見たい」
「は、はよう、入……」
反射的に呻いて、羞恥に身がすくむ。
かなしいのに、欲しい。
己が望むよりも、三成に愛しく望まれたい。
もっとむさぼられたい、三成になら食い尽くされてもいい。
ああ、なんという浅ましい心根か。
「わかった。ゆっくり、する」
「三成!」
「まだなにか、余計なことを考える余裕がありそうだからな」
吉継は反射的に首をふった。
「ぬしのことしか考えておらぬわ」
「刑部」
三成は深い息をついた。吉継の脚を開くと、熱く硬い己をあてがい、
「……私もだ」

三成はようやく息を整えると、吉継を静かに抱きなおした。
吉継は細い腕の中で、トロトロにとろけたまま、甘い余韻にひたっていた。
そしてぼんやり、星が見たいと考えていた。
三成が、吉継の背を撫ではじめる。
「私にすべて委ねてくれて、嬉しい……嬉しいが……」
そのかすれ声に、吉継は思わず顔をあげた。
なぜか三成が、泣きそうな顔をしている。
「やれ、どうした三成」
「関ヶ原にゆく前、刑部はこういった。《絆など、一つの不幸で容易く崩れる》と」
「ゆうたなァ」
「心に刺さるようだった。秀吉様が亡くならずとも、私はそれを、とうに知っていたのに。武将ならば、いくさばで命を落とすことなど、覚悟するのが当たり前だ」
「そうよの」
「私は腹がくくれていない、情けないと思った。その日をあらかじめ心していれば、もう空漠は欲しくないなどと、嘆かずにすむかもしれないと」
「三成?」
「何度も自分にいいきかせてきたのだ。いつか刑部も、私の元から去ると思えと。去らずとも、いつまでも甘えてはいられまい。むしろ私は、刑部に甘えてもらえる男になりたい。そう考えて日々鍛錬してきた。それなのに」
三成は深く息を吐いた。
「……覚悟ができない。失うことなど、到底できない」
抱きしめる腕に力をこめて、
「私を置いてゆくな。星になるな。私のよりどころは、いつも貴様なのだ」
吉継は小さく息をのんだが、すぐにいつもの声を取り戻した。
「今さら何を心配するやら。われはここにおろ?」
「消えてしまいそうな顔を、するからだ」
吉継は三成の背に腕をまわし、あやすように軽く叩いた。
「怖いか、三成」
三成はうなずいた。
「人は魂と魄とでできているというが、私の魂は最初から、半分刑部のものだ。こうして身をつなげたからは、魄も刑部のものだ」
「最初から、とな」
吉継はその言葉を噛みしめる。
なぜ自分が、三成のために動いてきたか。
乱世を生き抜いてゆくには、三成は清らかすぎるからだ。
己が淀みとなり影となり、汚れ仕事を引き受けてきたからこそ、まぶしいほど三成は美しく育ち、その生をながらえてきたのは、たしかな事実だ。
それを三成が半身とよぶなら、今でもわれが必要、ということか。
「刑部。刑部は私の不幸を望むのか」
「まあ、望みはせぬなァ」
「ならばこれ以上、心を苦しませるな。刑部の不幸は私の不幸だ」
吉継はため息をもらした。
ぬしはわれの屈託を知らぬ、その深さも歪みもわかりえぬ。
「われはなにも不幸でない。ぬしが愛いから、胸苦しいのよ」
そう口走って、吉継は自分が本音をこたえたことに気づいた。
「そうか」
三成はほっと安堵した顔で、
「ならいい。それなら私も、同じだからな」

(2011.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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