『弱 点』


前田慶次が、秀吉に謁見している。
出奔の身のままでは会わせてももらえないと判断し、怪我で動けぬ犬千代のかわりに、前田家当主として挨拶にきたようだ。そして中立を条件に、同盟の破棄を申し出にきたらしい。
慶次は古い友人として語りあおうとしたが、秀吉にすげなくあしらわれた。
肩を落として門を出ようとする寸前、外からふらりと戻ってきた半兵衛と対した。
「半兵衛……!」
すれ違いざま、半兵衛は冷笑で応えた。
「君は、秀吉のことをわかっていない」
「わからないさ。今のアイツを、わかりたいとも思わない。じゃあおまえはなんなんだよ、秀吉にとってさ?」
半兵衛はいいよどみもせず、だがその声は低く、
「僕は彼の軍師だよ」
「その前に、友達なんじゃないのか」
半兵衛はゆるぎない微笑を浮かべた。慶次が何をいおうとしているか、わかりきっているとでもいう風に、
「フ、秀吉は強い。僕を失う覚悟など、元より常にできている」
「なんで、そんな風に割り切れるんだよ」
「強い組織とは合理的なものだ。強い者が明日をつくる、それこそが真理だよ」
「そんなの、人が住める明日じゃない。必ずアイツを止めてみせる。今のアイツが、尾張の魔王さんとは違うっていうんなら、もしもおまえを失うようなことがあれば、涙を流すはずだ」
半兵衛は背中で笑った。
「秀吉がもしそんな男だったとしたら、今の豊臣の姿はありえない。そうだろう?」
慶次は言葉を失った。
なにかいいたげな風情を残しながら、城下へ出て行った。
半兵衛はその背を見送ってから歩き出した。
前田慶次を、彼は半ば憎んでいた。
秀吉がどれだけ慶次に対して寛大であるか、彼はわかっていない。そして慶次は、秀吉とすごした若き日の想い出を、彼との友情を、いまも純粋に信じている。ゆるしがたい無垢だ。ほんとうなら、二度と秀吉に近づけたくはない。秀吉の心を、少しでもゆるがせてもらっては困る。
しかも慶次は、半兵衛の気持ちを、知っている。

《我には貴様がいればよい》
じっと見つめられるだけで、半兵衛の心は震える。
視線をそらして平気な顔をつくろっても、泣きだしたいほど嬉しい。
もちろん秀吉が、こじゅうとのような片倉小十郎を好まないのはしっている。そして彼を拉致してきたのは、伊達軍の戦力を削ぐのが第一の目的だ。軍師としては役にたつまいということは、半兵衛もよくわかっている。
それでも、おまえだけでよいといわれることの、なんというありがたさか。
そう、たしかに、今の秀吉のかたわらにいられるのは、自分だけだ。
《だって僕は、ねねと違って、秀吉の弱点になりえないからだ。力がある。知恵もある。どんな場面もひとりで切り抜けられる。誰にも操られたりしない。人質にもならない。犯されて孕むこともない。情に訴えて秀吉の足をひっぱったりしない。僕は彼を、絶対に裏切らない》
だが。
半兵衛自身の唯一の弱点が、秀吉であること――慶次はそれを、見抜いている。
だからこそ半兵衛は、慶次をそしるのだった。

最近の秀吉は、半兵衛の寝所をたずねると、二言三言話をし、半兵衛をしずかに抱きしめる。胸元をくつろがせて、そこに耳をあてる。半兵衛の心音を、肺の雑音をさぐるように。
そのまま帰ってしまう時もあるし、半兵衛が眠りに落ちるまで、黙って添い寝をしてゆく夜もある。
半兵衛は秀吉に触れられて拒めず、そのたびに自制心を失いかけた。
君の大きな掌で触ってほしい。寛い胸であたためて欲しい。あの太い指先で、優しくいらってほしい。一緒に達きたい。
すがりつきたくてたまらず、半兵衛が思わず息を詰めると、秀吉は幼い子にでもするように、そっと髪を撫でてくる。意外なほど繊細な指の動きに、身体からすっかり力が抜けてしまい、淫らなことをされたいと思っても、半兵衛はねだることができない。
なぜなら秀吉は、半兵衛の命を、一日でも長くもたせようとしているからだ。だからこそ、少しでも消耗させまいとしている。
それは、二人で誓った夢のため。
この国の内乱をおさめ、世界に比肩する国をつくるため。
今それをしなければ、ひのもとは滅びてしまう。
そう、秀吉が寝所にやってくるのは、彼の思いやりでなく、夢のためなのだ。
その瞬間、半兵衛は、激しく咳きこんだ。
「竹中様!」
異変を察して駆け寄ってきた門番兵を、半兵衛は片手で制し、さがらせた。
そして、黄昏の天守閣をあおぎみる。
《……そう、秀吉は強い。僕と秀吉のすべてをかけた夢は、君のように脆弱ではないんだよ、慶次くん》
そう、秀吉の弱さは、僕が封じたんだ。
なぜなら僕を失っても、ひとりで行ってもらわなければならないのだから――。

(2010.10脱稿)

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Written by Narihara Akira
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