『覆 面』


その夜、秀吉が半兵衛の寝所をおとなうと、彼は寝着で窓辺に寄り、空を見上げていた。
月は欠けはじめていたが、まだ明るい。
「半兵衛……?」
すでに布団は敷かれていた。もうすぐ寝るつもりだったのだろう。
しかしその口元を、紫色の厚手の布がすっぽり覆っていた。形のいい鼻も小さな口唇も、ただシルエットをおとしているだけだ。
「こんな時まで、顔を隠さずともよかろう」
「ああ、秀吉」
振り返った半兵衛の声は、布越しで少しくぐもっていた。
「隠しているわけじゃないよ。ただ、冷たい空気は喉によくないというから試してみているだけさ。軍師として、指示する声が通らないのは困るからね」
ならば窓など開けておくものではない。鎧戸を引き襖も閉じ、衝立もひきまわして風を遮ればよい。
つまり、自室で顔を覆っている理由はひとつ。寝ている間、咳を散らさぬためだ。
秀吉の胸をつきあげるものがあった。
おまえはどれだけ苦しいのか。どれだけひとりで耐えてきたのか。
秀吉は半兵衛ににじりよった。
「眠らぬと翌朝、声が出ぬぞ」
「そうだね。失礼して寝かせてもらうよ、秀吉」
半兵衛は灯明をつけ、戸をたてきってあたりを薄闇にした。
それから、あ、と小さな声をあげた。
「布団、もう一枚敷いた方が、いいのかな? いや、それじゃ足りないか」
秀吉は胸がつまって、半兵衛を腕の中にさらいこんだ。布越しに口唇を重ねる。半兵衛は小さく身を震わせ、秀吉の顔を押し返した。
「だめだよぅ、秀吉……」
半兵衛が秀吉の口づけに感じているのは、その呻きの甘さで明らかだった。それでも、口唇だけはこれ以上ゆるすつもりがないらしく、秀吉の腕の中でもがきながら、
「ねぇ、お願い、他は、何してもいいから、そこ、だけは」
そんなことをかすれた声で、とぎれとぎれに呟くが、その肌は熱い。
秀吉はさらに深く半兵衛を抱え込んだ。
「離さぬ。そのような覆面をつけているならばこそ、夜じゅう我といられるであろうが」
半兵衛はだが、身を縮めて顔を覆ってしまう。
その拒絶の仕草が、かえって秀吉に火をつけた。半兵衛の帯をほどき、下半身を露わにして激しい愛撫を始める。
無体をするつもりで来たのではなかった、二言三言話して、身を寄り添わせるぐらいのことができればよいと思っていた。おそらく半兵衛は、死ぬほど犯されたとしても、こときれる瞬間まで己の苦しみを見せまいから。
しかし半兵衛は、布いちまいで己を鎧い、鎧いながらも闇の中で誘惑してきた。
なんという魔性。人心を操る者ゆえなのか。
半兵衛の下半身は、秀吉の愛撫にすこしずつ応え始めた。秀吉はようやく力をゆるめ、半兵衛の股間に顔を埋める。
「あ、だめっ」
悲鳴にも似た声が半兵衛の喉をついて出る。秀吉はいったん顔をあげ、指で半兵衛の輪郭をなぞりあげる。
「他は何をしてもよいのであろう? ここも吸ってはだめだというのか」
半兵衛は秀吉の手に己の手を重ね、
「そんなこと、されたら、死んでしまう、よ……」
「そんなにつらいか、半兵衛」
「つらいんじゃ、なくて……君に、そんなこと、させるの、は……」
半兵衛の声が羞じらいに染まる。それ以上は言えないという風に、秀吉の視線をさけ、目を伏せる。
「嫌でないなら、我の舌で果てるがよい」
そう囁かれた瞬間、半兵衛のものはそそりたった。
いかせて欲しそうに、細い腰がうねる。
半兵衛が喜びの瞬間をひそかに待っていたのに気づき、愛おしさがいっそう募ったが、秀吉は愛撫をゆるめて、解放を先にのばした。
焦らされて、半兵衛は思わず息を荒くした。それも胸には悪かろうと、秀吉は薄い胸をさすってやる。半兵衛の息はさらに乱れた。肌は微熱を帯びており、全身すっかり敏感になって、どこを触られてもすぐ達ってしまいそうなぐらい、感じているようだ。
「我にはおまえだけだ、半兵衛」
そういいながら、再び半兵衛を口に含む。半兵衛は身体を突っ張らせた。
「ひでよしぃ……」
半兵衛の瞳から涙が溢れおちた。
秀吉は半兵衛が放ったものを口に含み、のみくだす。
半兵衛の身体は、まだかすかに震えている。
「きみと、いっしょに、いきたい……よ……」
秀吉は半兵衛の涙を指先でぬぐった。
「まだゆけるか、半兵衛」
「うん」
秀吉は半兵衛の脚を割り開くと、おのれの剛直を半兵衛の秘所にあてがった。
半兵衛は緊張し、秀吉の熱をきゅうっと絞り上げる。
それ以上深く犯しては半兵衛を壊してしまうだろうことを察して、秀吉は浅く埋めただけの状態で、ゆるゆると腰をまわした。そして少し身をひいては、半兵衛の反応を見る。
達ったばかりというのに、入り口だけで感じるのか、半兵衛も勃ちあがりかけていた。
ゆっくりと愛しんでやりたいが、時間をかけすぎては半兵衛の身がもたぬだろう。秀吉も半兵衛の初々しい乱れ方に煽られて、いつ達ってもいい状態になっている。
秀吉は半兵衛から抜き、己のもので蟻の戸渡りと呼ばれるところをなぞりだした。半兵衛は、新たな刺激に低く呻く。くすぐったがっているのか、それとも焦れているのかわからない。だが秀吉が腰を動かし始めると、半兵衛の息は切なげに乱れた。これでよいと判断した秀吉は、半兵衛の脚を閉じさせてまとめて抱き、その隙き間に己を挟んでこすり始めた。
「共にゆこうぞ、半兵衛」
秀吉の声もかすれていた。滑らかな半兵衛の腿の感触と、ひくひくと反応する半兵衛そのものに興奮していた。半兵衛もまた、大きすぎる秀吉のものに未だ濡れている自身をつきあげられ、こすられ、たまらなくなる。
「秀吉……君も一緒に……ああっ」
二人分の体液が半兵衛の白い肌に飛び散る。それどころか秀吉は、立て続けに放った。
半兵衛の身体から力が抜けた。死んだようにぐったりと身を投げ出す。
今なら覆面をとりはずして口唇を奪っても拒むまい、と思いながらも、秀吉はそっと後始末を始めた。
すると半兵衛の細い指が、秀吉の胸板にあてられた。押し返すでもなく、ねだるでもなく、むしろ愛しい人の鼓動を確かめるような動きだ。
「どうした、半兵衛」
「あんまり優しくしないで、秀吉」
「何をいう」
「君は強い。けど、ほんとうは情の深い人だから……哀れみでも嬉しいけれど、そういう優しさは、いくさばでは命取りになってしまうよ。ひのもとを一つにするまで、封印しておいて欲しいんだ。君の夢は、その先にあるんだから」
「哀れみではない」
「だって、君の欲望はそんなものじゃないだろう。抑えつけてるんだ、僕のために」
秀吉は思わず、半兵衛をかき抱いた。
「そうではない。我はおまえを慈しみたいのだ」
「それは、僕の時間が、あまり残されていないからだよね」
「半兵衛」
「秀吉はわかってない。君に求められるのがどんなに嬉しいか。それなのに、応えきれない自分が、どんなに悔しいか」
「これ以上、どう応えるというのだ。我はおまえが共にありさえすればよいのだ」
「僕は君と、身も心もひとつにとけあってしまいたい、のに……うっ」
切ない願いをしぼりだすように叫んでから、半兵衛は咳こんだ。秀吉はどうしてよいかわからず、ただ半兵衛の背を撫でる。
「今宵はもう休め、半兵衛」
咳がおさまると、半兵衛はこくんとうなずいた。
「ごめんね、秀吉」
「なにを謝る」
「君に、甘えてる」
半兵衛は秀吉の胸によりそう。
「もっと甘えるがよい。すがりついても、泣いてもよいのだ。もっとせがんでも、乱れても構わぬ。苦しめるために抱いているのではない」
「うん。明日から、君が居やすいようにこの部屋を整えておくよ。君用の脇息も」
晴れやかな顔でうなずく半兵衛に、秀吉は眉をしかめた。
「それでは貴様は、閨でも軍議を始めかねぬな」
「君がいいならそうするよ。伝えたいことは、たくさんあるから。授けたい策も、それに、それから……」
半兵衛は続きをのんだ。この想いは、夜を徹して語り続けても伝えきれるものじゃない、と。そして秀吉の頬に掌をあてて、
「少し待ってて、秀吉」
「どうしたのだ」
「朝まで君の腕の中にいたいから、手巾をとりかえてくる」
半兵衛は、すらりと秀吉の腕を逃れると寝着を羽織りなおし、隣室へ滑り込んだ。己の顔と手を、用意してあった湯と塩で清める。汚れたものを畳んで炭にくべ、新たな布を顔にまく。
こんなことは、気休めにしか過ぎない。
それでも、秀吉にうつしてしまって、後悔するよりは――。
「半兵衛」
隣室へも踏み込んできた秀吉を、半兵衛は振り返った。
「なに?」
「いま一度、顔を見せよ」
「いつも見ているじゃないか。昼でも、それこそ夜でも」
「おまえの本当の顔だ」
半兵衛は笑った。冗談めかした声で、
「いっぱい見たよね、さっき? はずかしかったよ、本当に。それに、これから君に、寝顔まで見られてしまうんだからね?」
「それでもだ」
秀吉は鎧戸を開けて、月光を入れる。
半兵衛はしかたなく、顔を覆っていたものをとりさった。
秀吉の赤い瞳が、じっと半兵衛の顔を見つめた。
「おまえのつらさは、我にはわからぬ。だが、おまえに置いてゆかれる我のつらさも、おまえにはわかるまい……おまえの代わりは、おらぬのだ」
半兵衛は、まばたきもせずに答えた。
「軍師の代わりは探しておくよ。世界へうってでるなら、どのみち一人では足りないんだから」
「そうではない」
「君を慕う者はたくさんいるよ。これからも、優れた者を選んで友とすればいい」
「半兵衛。もし我が先に逝ったら、おまえはそうするのか」
「僕は秀吉以外の人間に仕える気はない」
「ならば」
半兵衛は首を振った。
「ごめん、秀吉。もう、その話は……君を苦しませるのは本意じゃないけど、つらいのは病だけで充分だ。この命の続く限り、君の忠実な友人でいるから、もう、ゆるしてくれないか」
秀吉は口を閉ざした。そして半兵衛の、しろい口唇を見つめ続ける。
「……秀吉?」
先ほどまで半兵衛の顔を覆っていたものは、半兵衛の気持ちそのもの。
その哀しみと苦しみと妥協の産物。
けして己を鎧うものでも、相手を誘うものでもなく。
「もうよい。先ほどの布をあてよ」
半兵衛はおとなしく再び顔を覆った。
するとその華奢な身体を、秀吉はさっと抱き上げた。
「な、なにをするんだ、秀吉」
「おまえを休ませる。今宵は我の寝所でだ」
「そんな」
「それも嫌か」
咳がふたたび出る可能性がある、秀吉の寝所に行くのはためらわれた。ここで寝かせるのも秀吉にとっていいことではないが、彼の寝る場所を汚したくないし、十分な手当てもできまい。
半兵衛は、いいにくそうに切り出した。
「すっかりいいそびれてたんだけど、君の寝具は用意してあるんだ。敷けばいいだけだから、ここで休んでいって欲しい」
最初にとぼけた言い方をしたのは、誘っているようで恥ずかしかっただけなので、それを思い出して半兵衛は、そっと頬を染めてしまう。
「貴様らしい、手回しのよいことだ」
「だから、降ろして」
「うむ。では、床をのべようぞ」
だが、秀吉があらためて寝仕度を調える姿を見ながら、半兵衛の心に一瞬、暗い翳がきざしていた。
それは胸の痛みでなく、「逝く時も、君と一緒だったらいいのに」という、決して願ってはならない、だが、どこか甘美な空想で――。

(2010.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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