『墓には何と名を刻む』

1.

これは、佐倉忍の遺言と幽霊の話である。

★ ★ ★

平成九年九月十五日、午後五時三十分頃、JR東海道線横浜駅のホームで、人身事故が発生した。電車が構内に入ろうとした瞬間、若い女性が線路に落ちたのを運転手が発見、急ブレーキをかけ警笛を鳴らしたが間に合わなかった。
彼女がわざと飛び込んだのか、それともよろけて転落したのか、誰かに突き飛ばされたのか――頼れる目撃者もおらず、そこは不明のままで事後処理が開始された。
身元の方は、線路内に落ちていた死者の鞄の内容物と血液型で、《H市在住の佐倉忍・三十歳》と判明した。遺体はあまり原型をとどめていないものの、一応遺族に確認されて、遺品は本人の妹に渡された。
その際、初老の鉄道警察官が、こんな質問をした。
「お姉さんは自殺したと思いますか?」
「どうしてですか」
「こんなものが鞄の中に入っていたんです」
妹が渡されたのは、彼女の思いもよらないものだった。よく見覚えのあるまずい字で、それは綴られていた――遺言状だった。


■ 遺 言 書 ■

一、私・佐倉忍(さくら・しのぶ)は、H市○町××番地にある私所有の墓と墓地を、H市△町××番地の篠原碧里(しのはら・みどり)に相続させる。彼女は長年の友人であり、常に実の家族以上に親身になってくれたことに感謝してのことである。なお、永代供養料その他諸雑費は、すでに菩提寺であるY寺に納めてある。また、墓地は特殊な財産(祭祀財産)となるため、相続税がかからないことを念のため付記しておく。

二、私・佐倉忍のそれ以外の財産(預貯金他、保険金等を含む)は、私の葬儀その他、後始末に必要なものを使った後、残りを妹である佐倉初菜(さくら・はつな)に遺す。ただし借金が残るような場合には、相続放棄をして欲しい。

三、私・佐倉忍の両親は、私が成年に達して後、親の義務を果たしたとして、数年にわたって精神的虐待を繰り返した。よって、相続人廃除とする。

四、以上の遺言の執行者を、以下の三人に指定する。
※佐倉初菜(遺言者実妹)
※福澤路(ふくざわ・みち/遺言者友人・F市在住/S法律事務所弁護士)
※志村龍子(しむら・りゅうこ/遺言者友人・墓地隣接カフェ「ベルビウ・ド・テ」主人)

・もし、以上の執行者のすべてがなんらかの都合で執行できない場合は、法にしたがって家庭裁判所で新たに選任してもらうこと。

平成九年九月九日
K県H市□町一丁目一番地S荘二○一号 佐倉 忍 印


「はあ、これが遺書だっていうことですか?」
「いや、これは遺書でなく遺言状ですから。本人に死ぬ意思があったかどうかははっきりわかりません。ですから教えていただきたいのです」
鉄道警察官は別の封筒を取り出し、妹・佐倉初菜に渡した。


初菜へ

不吉なものを持ち歩いているので、本当に死んだ時のことを考えて、一つ伝言。私のアパートの机の一番下の引き出しに、四通手紙が入っています。それは全部、相続人と遺言執行人宛てなので、私が死んだら投函してください。封をして切手も貼ってあるので、そのまま出せます。
シャレになんない、なんて怒らないでね(笑)。

姉より。


警察官は目を伏せて、
「ふざけている文面にも見えますが、この、アパートに置いてあるという手紙に、忍さんの本当の心情が書かれているかもしれないと思うんです。できれば、その手紙を、見せていただきたいのですが」
一拍間をおいて、初菜は答えた。
「姉は、自殺じゃないと思います」
「これだけで判りますか?」
「あの、本当に死ぬ気だったら、私信の投函を頼む手紙なんか、書かないんじゃないでしょうか」
それも道理だ。警察官は納得した。出してから飛び込めばいいのだから。
初菜はのろのろと自分の鞄をかきまわして、ボールペンとメモ帳を取り出した。
「手紙の方は、一応そちらへお送りします。ご住所を教えて下さい」

それから、一つの封筒に入った、合計四通の手紙が、鉄道警察官の元に届けられた。コピーではあったが、それぞれホチキスで綴じられて、誰が誰のものかわからなくなるようなことはなかった。妹の添え書きがついていて、投函前に一度封を開いてコピーした、とある。手紙にはそれぞれ、遺言状のコピーがついていた、とも書いてある。
以下は、その手紙である。書き慣れているのかいないのか、文章は話し言葉そのままのようで、読みながら警察官は、切断された女性の遺体が目の前に蘇って、しゃべり出しているような気がした。

★ ★ ★


碧里へ

この遺言を見て、貴女が驚くか怒るかすら、もう私にはわからない。
ううん、貴女はいつも私の予想の二歩も三歩も先にいたから、ちゃんとわかったことなんかなかったのかもしれない。
今までは、そんな貴女についていくのが楽しかった。しんどくても、一生懸命でいられた。報われた時の喜びはあたりの景色すら変え、失敗した時の失望は息もできなくなるほど。それぐらい貴女が大切で、貴女なしでは生きられなかった。
でも、疲れちゃったんだ。
想いを打ちあけてから四年間、本当に幸せだった。
永遠に好きで、永遠に支えられると思ってた。
貴女は誓いや大げさな台詞が嫌いだから、言わなかったけど。
本当は私は言いたかった。貴女を一生愛するって。私は貴女のものだし、貴女は私のものだってことをいつでも何度でも言いたかった。いつかそれが嘘になっても、その時の本当の気持ちだったんだから。
でも今、別れを考えて、心が楽になってる。
十代初めから二十代まで、貴女に片恋をしていた頃は、今より辛くなかった。この恋が露見して絆を失うだろうと覚悟していた頃は、どんな結果でも耐えられた。
でも、今は。
二度と逢わずにいたい。

恋人でなくなっても、友人としてつきあい続けることができると思う。けど、私が貴女の一挙一動に舞い上がったり、落ち込んだりを繰り返すのは目に見えている。嫌いになったり憎んだりしてるんじゃないから。側にいたままじゃ、この辛さは変わらない。
でも、私は卑怯者だから、自分からは絶対《別れよう》って言うつもりはないんだ。それだけの気力と体力がないし。貴女より軽い相手の時でさえ、別れの瞬間はおそろしいエネルギーを必要としたんだから。今はとても無理。
だからこんな遺言を書きました。
貴女に私の墓守りをしてもらうように。
二十年を越える付き合いだもの、貴女の嫌うことは熟知してるつもり。貴女は○○な人ねとレッテルを貼られること、値踏みされ試されること、金品をただでもらうこと、貴女は私のもの、と言われること。
この遺言には、それが全部入っています。
こちらから別れようとしないで、相手に嫌われ、軽蔑されることをすれば、自然に切れる、捨てられる筈だって算段です。

貴女が馬鹿馬鹿しいってあきれるか、ふざけるなって怒るか、私にはわからないけど。
でも、この手紙を貴女が見る時には私は死んでる筈なので、わからないのが当たり前か。
死んでから嫌われても意味がないだろ、なんて言わないでね。
これは私のお守りなんです。

追伸

遺骨はともかく、墓所は売っても構わないし、名義変更して自分のお墓にしてもいいし、とにかく貴女の好きにしてください。相続放棄してくれてもいいけど、あれは私個人の墓なんで、誰もお参りしてくれなくなります。妹は実家か、婚家(これから結婚するかもしれないから)のお墓に入るだろうから。

平成九年九月九日
佐倉 忍 拝


★ ★ ★


初菜へ

遺言執行人には君も含まれているので、こうして別の手紙にした。なんで遺言を作ったかってことでも書いとこう。考えてみれば、妹宛てにわざわざ手紙を書いたことなんかなかったし。だからと言ってあらたまってもっともらしい文章にするのも、ちょっと照れるし。
とにかく、事情報告だけ、しておこう。

この夏、体重が九キロ減った。
ダイエットした訳じゃない、夏痩せという奴。大学を出たての夏、胃を壊して二週間まともに食べられなかった時でさえ、二ケタ近く体重が落ちたことはなかったのに。
当然、朝、起きられない。
起きられなくてもいいんだけどね。
七年勤めたタイピストの仕事をクビになって、この春から失業手当てでごろごろ暮らしてるいい身分。今までの貯金もあるし、文章で少々金をもらえるようになったので、急いで外へ働きに出てもなあ、と思って。大したキャリアもない三十女にろくな仕事がある筈もなし、手当てがもらえるうちはのんびりやろうと思ってた。
さて、貧しい一人暮らし、外で働かない、一日中アパートにこもってワープロをぱちぱち打つ生活が続いて。
これが身体にいい訳がない。
しかも、目的のない貧しい毎日だ。
主にしていた仕事は、大学の頃の知り合いがまわしてくれたリライト作業で、素人が書いた文章を、ある程度読めるものに直すというもの。ただ、これが一枚千円の仕事で、月に一度、数十枚しかこない。普通のアルバイトの方がまだましで、失業手当てがなきゃ干上がっちまうという。
しかも、それも最近、とんとこなくなった。人手が足りちゃってさ、と言われたんだが、つまりは出版界も不況ということらしい。
頼まれ仕事もなくなって、その上自分で何か小説をものしたいという情熱も急に消えてきた。こつこつと書き溜めてきた小品もくだらなく見えてきて、投稿しなよ、と文章仲間に言われてもピンとこない。
四年越しの恋人とも、あまり逢わなくなってた。一年前なら、どんなに互いが忙しくとも、一ヶ月に一度は顔をあわせていたのに、今年は手紙や電話でごまかして、もう五カ月もご無沙汰という始末。
あ、恋人ってのが誰か、ここで一応はっきりさせとこう。
薄々気付いてるとは思うけど(君の前で「この世で一番大切な人が誰かってきかれたら、答に一秒だって迷わない――なんてしょっちゅう泣いてたからな)――篠原碧里のこと。
手紙でカミング・アウトなあたり、インチキですまん。

いや、ここんとこ、碧里の方も調子悪くてさ。娘が学校にあがったんで、それまでやってた資格の勉強やお稽古ごとを全部やめて(ほら、保育園なら遅くまで預かってくれるじゃん、学校あがっちゃうとかえって大変なんだよ)、おかげで寂しいんだか、ひどく煮詰まってるっていうかさ。せっかく向こうから逢いたいっていわれても、「ちょっと体調悪くて無理」なんて答えちゃうから、喧嘩になっちゃったりしてさ。おかげで悪い体調がさらに悪くなって、悪循環。
で、具合いが悪い、やるべき仕事もない、恋人ともうまくいかないってことになって。
ぽつっと、死んじまうかな、って思ったんだ。

本当に死ぬ訳じゃないよ。
自殺って根性いるしさ。
うんとこさ長い時間思いつめてて、ある程度体力知力が残ってて、手段が用意できてて、なおかつきっかけがあれば出来るだろうけど、そうでなきゃ難しい。
で、ホントに死んだりしないで物事を整理するにはどうすりゃいいかって考えて、あ、《遺言》だなって思った。
推理小説なんかだと、遺言なんてのがもっともらしくよく出てくるけど、小説中のは結構インチキなのが多いから(遺言は財産管理のためのものだから、一定の形式を満たしてないと無効なんだよ。だからフィクションを参考にしちゃ駄目)、図書館行って十冊ぐらい遺言の本とその周辺を借りてきて、自分なりに書いてみた。
それが、同封したあれ。
本当はさ、福澤さんがせっかく弁護士してるんだから相談しようかとも思ったんだけど、あの人、友達のよしみとか言ってタダで教えてくれそうだからさ。東京の弁護士事務所ってよろず大変らしいし、あんまり手間をかけさせたくなくてさ。後で、どうして相談してくれなかったんだ、って、怒られそうだけど。
ま、そういう訳で。

君に、私のお墓以外の全財産を遺すことにしたけど、それ以外の人間には受け取る権利がない、もしくは嫌がると思うからで。生命保険の名義は、最初から君にしてあるし(ほんのちょっぴりだけどね)。
あ、私の死に方いかんによっては(雪山で遭難したとか、大事故の原因になったとか)、賠償問題とかでものすごい金が必要になるかもしれない。その時、私の遺産を受け取ることがマイナスになるようだったら、相続放棄して。このあたりこそ、福澤さんに相談するといいことかも。とにかく、面倒なことは、手数料払って、彼女に全部頼みなさい。いろいろ整理しても、多少は残ると思うから。
こういうことも遺言に書いとくべきなのかもしれないんだけど、物の本には、なるべく誰に何をやるってこと以外は書かない方がいい、親族の感情を害するからって書いてあったんで、別項ってことでここに記す。
あ、親どもは、最初から私のちっぽけな財産なんぞいらんと言うと思うけども、一応相続廃除にしといた。連中本当に鈍感だから、もしかして「私達の何が悪い」とか言って、遺留分図々しく請求してくるかもしれないけど、そしたらそれも福澤さんに相談して。面倒だったら(雀の涙だと思うけど)、多少やっちゃってもいいよ。いまさら喧嘩するのもイヤでしょ。死んだ後のことは私にはどうしようもないし、遺言で意地悪されたってことで、ちょっと彼らにこたえてもらいたいだけだから。
君は馬鹿馬鹿しいってあきれるかもしれないけど、俺はあいつらにはそんぐらいのことしていいんじゃないかと思ってるから。君だって、あまりいい子供時代じゃ、なかった筈だ。だから今は、連中を許せない。
……てな訳でよろしくたのむ。では。

平成九年九月九日
テキトーな君の姉・佐倉 忍 拝


★ ★ ★


福澤 路様

この手紙は、福澤さんに遺言の封筒を預けてきた日に書いています。封をしたあれの中身は、同封した遺言書と同じです。こっちはコピーだけど。私と福澤さんだけが肉筆を持っています。信頼して預けました。なにせ弁護士様、いずれ適切な処理をとってくれると思うから。
福澤さんはどんな職業についても福澤さんだけど、とってもふさわしいお仕事についたと思うけど、でもやっぱり偉くなっちゃったよね。本当だったらもう口もきけない身分です……なんて書くと、おおげさな、司法試験通っただけなのにって言うだろうけど、でもいったん大学出てから法学部に入り直すなんてやっぱり凄いよ。同じガッコ出てても、私の方はプーだもんね。

私が死ぬと、篠原の方と妹の方にいろいろ起こると思うので、特に妹の方から金をとって処理をして下さい。篠原は別れた旦那から養育費もらってなくて、だから実家で娘を育ててるから(篠原の今の戸籍上の名字は旧旦那のなんだけどさ。娘が可哀相だから、彼女が産まれた時の名前ぐらいは、せめて変えないでやろうと思ったんだって)、あんまり余計な金を払わせたくないんです。
あ、でも、あの人あまのじゃくというか、なんでも頭ごなしに押し付けられると、絶対に逆らう人なんで、どうしても金を払うって主張したら、受け取って下さい。ヘソ曲げさせちゃしょうがないから。

この墓地というのは、もうおわかりだと思いますが、去年福澤さんに登記の処理を手伝ってもらった、大叔母にもらったやつです。
あの時、なんで墓なんてもらったのか、きかないでくれて有難う。福澤さんならわかってくれると思いますが、ここ十年近く、精神的に親と完全絶交状態で。いろいろあったんです。内孫だってのに、死んだじいちゃんのものも、一つもくれなかったし。
で、じいちゃんの三回忌の時、彼の姉である大叔母が、ひどく気の毒がってくれて、忍ちゃんに私から何かあげる、何を遺して欲しいってきかれたんで、冗談で、私個人の墓がいいですって答えたら、本当にそれを遺言で書いてくれてたの。それであんなのがあった訳です。親のと同じ敷地内なのが、ちょっとやだけど。まあ、反対側の隅だから、いいけど。でも、あの連中と同じ墓に入らずにすむのは嬉しいから、お寺のほうには念入りに頼んでおきました。誰もお参りしなくても、きれいにしといてくれって。

どうして先の遺言を、福澤さんに相談もせず書いたかというと、好きな相手に墓を遺すなんて縁起でもないって言われたら嫌だからです。気がひけたってのもあるけど。篠原は貸し借りのある生活が嫌いなんで、お金なんか遺しても受け取ってくれそうにないし、でもなんか遺したいな、と思ってのことです。単に。
それに、もし篠原が私の墓を使ってくれたら、実家でもなく婚家でもないお墓に一緒に入れるのにな、なんて考えたりもしてて。
恥ずかしいことを臆面もなく書くなあと自分でも思うけど、福澤さんには片恋時代から恥ずかしいことをもう散々話してきちゃったし、これはまあお守りみたいなもんなんで、おそらく福澤さんの目には触れないだろうし(時間がたてば書き直すと思う)、と思って、書きました。

友達の中では、福澤さんを一番大事に、頼りに思っています。

平成九年九月九日
佐倉 忍 拝


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志村龍子様

前々から幾度も尋ねよう、尋ねようと思っていたのですが、おそらく志村さんは、久生十蘭の『墓地展望亭』という小説を御存知なのではないでしょうか。それとも、志村さんにあのカフェを遺して亡くなった方しか、それは知らないことなのでしょうか。
その十蘭の小説では、《Belle-vue de Tombeau/ベル・ビュウ・ド・トンボウ》、訳すと《墓地展望亭》となるカフェがあって、訳ありげな男女が、毎月決まった日にその店にやってきて、幸せそうに墓を眺めるというシーンから始まります。女は実は、政変のあった国の王女様で、クーデターのままに殺されるか修道院に幽閉されるかというところだったのですが、彼女を愛する日本人青年が、必死の思いでさらって助けたのです。二人は無事に逃げのび、王女は自分が死んだことにして墓をたてました。彼らはその墓を見ることによって、現在の幸福を喜んでいるのでした、という物語です。つまり、本来なら身分違いだし、今もおおっぴらに出来る関係ではないけれど、墓をつくることによって、表向き死んだことによって、かえって幸せを掴む、という展開のロマンスな訳です。
以前私が、志村さんがこのカフェを始められたのですか、墓地の隣なんて面白い所に開きましたね、とお尋ねした時、志村さんは、昔は女二人でこの店をやっていたけれど、始めた方は先に死んでしまって、そこの墓地に眠っています、って言われましたよね。
《ベルビウ・ド・テ》の名の意味に気付いたのはその時です。《テ》は、Tombeau(墓地)のTのフランス発音――偶然じゃないだろう、と思いました。
そりゃあ、お墓の脇の店って、意外にお客さんが多いとは思います。年に一度、命日ぐらいは誰でも墓参りにくるだろうし、お盆やお彼岸はただでさえ人が多いだろうし、墓の掃除を終えて疲れたお客さんが、一息いれるためにカフェに入るのは自然ですから。かくいう私も、その一人でしたし。
でも、ベルビウTの本当の意味はたぶん、生き残った方が先に逝った方の墓を守り続けるということ、そして、二人の関係はあまり世間に広めたくないものだったということ、つまり、亡くなられた方は志村さんと恋仲だった――ということではないのですか? 違いますか?

同封の遺言、ご覧になったと思います。勝手に遺言執行人に指定して申し訳ありません。断わって、他の二人にまかせてくださって結構です。私はただ、この遺言を、志村さんに見ていただきたかっただけなのです。
あれは私が、具合いの悪い時に書いたものです。恋人とちょっとこじれていて、生きる気力がなくなっていた時に、ショック療法にならないかと思って、遺言などしたためてみました。最悪の事態を想定していつもイメージトレーニングをしておけば、辛いこともなんとか乗り越えられる筈で、今の私に想像できる最悪の事態は、死、だからです。
志村さんは、いつも熱心ですね、とおっしゃりながら、誰の墓を訪ねているかは一度もおききになりませんでした。その、私が月末日曜に、必ず通ってきていたのは、私自身の墓でした。私が死んだら誰もお参りしてくれないだろうと思ったからです。あの墓所が手に入り、御影石に自分の名を刻んだ日から、毎月かかさず通っていました。
本当は、篠原と一緒にお参りしたかったんですが、未だあの墓所のことは話していません。田舎に山を三つ持っていた大叔母が、きまぐれのように遺言で譲ってくれたものですが、私は真剣に夢みていました。最愛の人と、同じ場所に眠ることを。願わくば、二人の名が、並んで墓石に刻まれますように、と(そう考えて、私の名前は、石の正面の真ん中に彫っていません。ずらしてあります)。

失礼を承知で申し上げますが。
志村さんは、順当に寿命がくれば、私より十数年は早く、亡くなられますよね。
その時、墓にはなんと名を刻みますか?

平成九年九月九日
佐倉 忍 拝


★ ★ ★

四つの手紙を読み終えた鉄道警察官は、ひとつため息をついた。
年配の男性である彼には、佐倉忍と篠原碧里の二人の関係はあまり理解できなかったが、気のあう相手と同じ墓に入りたいということは、贅沢な、とは思いつつ、なんとなくわかる気がした。婚家の墓に入りたくない嫁の話はよくきかされていたし、彼の先妻も、実家が遠いという理由で、彼の家と実家の墓に分骨されている。だが、実家の方は全部引き取りたがっていた。そういうことを考えれば。

この警察官は、佐倉忍の死を事故と考え、一時間横浜駅の一ホームを不通にした損害賠償額については、その点を考慮して不問にすべきだと提案した。そしてその足で夕刻の墓地を訪れ、先妻の墓に線香をあげて家に帰った。二度目の妻にこの話をしたら、なんと言うだろうと考えながら。

2.

平成九年九月最後の日曜、二十八日正午。
ベルビウ・ド・テの窓際のテーブルを、四人の女が四辺をぐるりと囲んで、おし黙っている。
うっすらと瞳を潤ませてうつむいている線の細いのが妹の佐倉初菜、全体的にがっしりとして難しい顔をしているのが弁護士の福澤路、無表情というか、むしろ透き通ったような顔で背筋を伸ばしているのが墓地相続人の篠原碧里、その三人を店に呼んで貸切り状態にしたのが、このカフェの主人、ほっそりと痩せてやや年配の志村龍子。
彼女達は自分に宛てられた手紙をそれぞれ開き、互いに見せあい、読みあっていた。
読み終えて最初に、女主人の志村が口火を切った。
「篠原さんは、あの墓地をどうなさるおつもりですか? 維持するのか、それとも売って家計の足しにするつもりなんでしょうか」
「志村さん、相続人の全員が揃わないと、遺産わけの話はできないんですよ」
と、弁護士である福澤が口を挟んだ。
「たとえ相続廃除になったとしても、佐倉さんの両親には遺留分があって、一年以内に訴えでれば、彼らにも取り分があるんです。だから、彼らのいない場所で、遺産問題の検討はできません。もちろん、篠原さんがこの墓地を相続することには何の問題もないし、その後をどう処理しても構わないというのは、本当ですが」
「姉の墓を、私が譲ってもらう訳にはいかないんですか」
すでに目の赤い佐倉初菜が、やっと顔をあげてそれだけ言った。その質問は弁護士がひきとって、
「もちろん篠原さんがあなたに譲ることにすれば、それは可能です。でも、それにはいったん、篠原さんがあの墓所を取得しなければ、それは無理です」
志村が顔をしかめて、
「では、篠原さんが墓所を放棄したら」
「そのまま放棄するのは難しいでしょう。遺言に指定がある訳ですし、他に適当な継承者がいるものでもないですから。佐倉さんの御両親にはすでに墓所がある訳ですし。菩提寺に供養料が払ってあるとすれば、あすこはしばらくそのままで残されるでしょうから、持ち主のない土地となるのは、具合いが悪いんです」
とにもかくにもあの墓は、篠原碧里のものにならなければ、法律上はおさまりがつかないらしい。
皆は黙って碧里を見つめた。
彼女は相変わらずの無表情だったが、ふと眉をあげて呟いた。
「もし、佐倉さんが死んでいるのなら、私があの場所を受け取ってもいいんでしょう。でも、あそこに幽霊がいる」
残りの三人は仰天した。
碧里の視線の先、店のガラス扉の前で、準備中の札を眺めているのは、佐倉忍その人であったからである。
しかも、幽霊は扉を押して入ってきた。
「あの……どうも皆さんおそろいで。どうしたの?」

もう葬式もすんじゃったんだよ、どうして生きてるんだ、今までどこで何してたんだ、と、遺言執行者達は口々に責めた。
佐倉忍は、ええと、と頭をかいて、
「私、一度も死んでないんだけど……なんで? 黙って留守にしてたから?」
いつもどおりに墓参りにきただけなんだけどな、と。
その話によると、彼女は九月十五日、友人の一人に会うためにちょっと遠出をした帰り、横浜駅で鞄をひったくられたのだという。現金とカードの類は服のポケットに入れてあって無事だったが、鞄がなくなったおかげで身分証明書の類が全滅してしまった。
それで、アパートへ帰るのもなんだか馬鹿馬鹿しくなり、カードで六ケタの現金をおろして、飛び込みでも泊めてくれる所を探し、そのまま快適なホテル住まいに入った。身分証明書はサラ金などに悪用される可能性もあったが、それは警察に届けても防げまいし、使われるほどの資産も仕事もない。鞄には現金が入っていなかったから、そのまま道端に捨てられて、運よく誰かが拾ってくれる可能性もあったが、せちがらい世の中だ、それがすんなり警察に届けられるとも限らない。
そんな訳で、そのままのんびり、横浜周辺をぶらぶらしていたのだという。何もかも変わらないなら、何にももっていない名無しの状態で、ふだん出来ない贅沢をして暮らすのも面白かろうと思ったのだ、と。
話をききながら、みんなはさーっと青くなった。
佐倉忍という奴は実は推理小説マニアで、悪戯事も大好きである。自分の身代りをこしらえるために、誰かをつきとばして殺すような大きなことはすまいが、ひったくりにあった、などととぼけて、偶然いあわせた人身事故の現場に、自分の鞄を放り出して行方をくらませることぐらいはやりかねない女だ。そうして皆を驚かせたり悲しませたり、しづらい告白をすませたりしても、少しもおかしくないのだ。
バラバラになった遺体を本人かどうか確かめるには、血液型の他に歯医者に問い合わせて歯型を照合する方法があって、それが一番確実なのだが、佐倉忍の場合は永久歯に虫歯がなく、成人してから歯医者の世話になったことが一度もなかったため、その方法がとれなかった。おおまかな血液型が一致する可能性は十割中二、三割だし、その上虫歯のない死体にいきあわせるのは難しいかもしれないが、死体の側に鞄を落として捜査を撹乱するだけならたいした罪ではないから、彼女のこと、とっさに試してみたのではないか――。
みんな茫然としていたが、忍が話をほぼ終えた瞬間、一人青ざめていなかった碧里が、いきなり店をツカツカと出ていってしまった。
慌てて忍が追いかけると、碧里はくだんの墓にいた。花が飾られ、水盤に水がたたえられているのを見、追いかけてきた忍の頬を、いきなり平手でぴしゃりと叩いた。
「碧里」
それから水盤に指をひたし、墓石に何か書き始めた。なんどか指を水につけ、やっと文字を書き終えた。
み・ど・り、と。
「これぐらいの反応なら予想できるでしょう」
そう言うなり、忍の胸に顔を押しあて、声をあげて泣き始めた。
遅れてやってきた三人は、目をあわせてうなずきあい、足音を殺してその場を離れた。それぞれが、将来の自分の墓所のことに、思いを馳せながら。

これが、佐倉忍の遺言と幽霊の話である。

(1997.10脱稿/初出「XX(くすくす)VOL.6」1997.12発行)

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