『写 真』 -- Kubernes / Gram River --

その手配写真はすでに電柱から剥がれかかっていたので、キュベルネスは灰いろの瞳を細めた。紙の端をもって、彼の義手はそれを丁寧にとりはずす。
左下隅に写っている若い男は、間違いなくこの間の“新入り”だ。
先日『夜明けの船』が軍倉庫を襲って乾燥剤を盗みだしたというから、その時の監視カメラの映像からプリントしたものだろう。
しかし、よくうつっている。
すっきりした頬、青い大きな瞳、場数を踏んでいるらしい、落ち着いた表情。
賞金額はエリザベス・リアティ艦長の百分の一、せいぜい缶詰百個分という情けないものだが、それが示されたということは、政府筋からはっきり海賊と認識されたということだ。
キュベルネスは人相書きを片手に、アデナの下町をゆっくり歩き出した。
建前上お尋ね者にせざるをえないのだろうが、地球軍も無駄金をつかうものだ。いくら火星の住人が総じて貧しいとはいえ、これっぽっちの金で、義賊と呼ばれる『夜明けの船』のクルーを密告する者はいない。たとえばオレがこの手配写真を誰かに示し、この男の名はなんというんだと尋ねたところで、皆ニヤニヤしてみせるだけだろう。
それは彼らが道義を重んじているからではない。むろん、仲間を売るぐらいなら配給の列に並ぶ人間が多い訳だが、実際彼女らを敵に回せば、船の修理代だけでも賞金総額のざっと百倍かかる計算になるからだ。個人的に恨みをもつ者はともかく、それでも攻撃を仕掛けようとするのは、相当無謀な連中といっていいだろう。駐留している地球軍でさえ、連中だけは目の前には現れてくれるな、と思っているのだ。まあ、海賊としての強さはキュベルネスの方が上な訳だが。
コートの襟に深く頬を埋めて、キュベルネスは下町の店をのぞき込む。難破船から引き上げられたものだろうか、時々思わぬ掘り出し物が転がっていたりするからだ。海賊のくせに金を出して商品を買うのは、それが仕事のきっかけになることもあるからで、普段は無茶せず一市民らしくふるまっている。
まあ彼の場合、海賊といっても傭兵海賊なので、お尋ね者扱いすらされていないというのが本当のところだ。そうでなくとも、彼を指さすものはいないだろう。この星では誰も、相手の生い立ちなど詮索しない。例えば、キュベルネスは何故ネーバル・ウィッチのテクノロジーを所有しているのか、誰から生まれて何処からきたのか、いったい年齢は幾つなのか、その右腕は何時どうして失くしたのか、なぜ常に一匹狼でいるのか……気楽といえば気楽だ。
だから彼も、誰かに固執することはない。
いつもなら、だ。
「どうせこの“新入り”も、孤児か何かだろうが」
キュベルネスはひとりごちた。
曲芸団にいたという自己紹介が嘘か本当かはともかく、あの鮮やかな身のこなしは一朝一夕で身につくものではない。盗みのひとつもしないでは飢えをしのげなかったのだろう。一目でこちらの技量を見抜いて逃げ出したのは、本能的な勘が働いてのことか。つまりはそこらの甘ちゃんと一緒にするな、ということだ。
しかし、一応下心あってのことにしろ、せっかく助けてやったのにああも鮮やかに姿を消されると、ちょっと追いかけたいような気持ちになる。しかも、あのペンダント……なんの因果で『夜明けの船』に乗ることになったか知らないが、エリザベスは結構な拾いものをしたという訳だ。
「あんた、何でそんな紙切れ、後生大事に持ってるんだね」
古物店主にふいにそう声をかけられて、キュベルネスは物思いにふけっていた自分に気付いた。
キュベルネスは素直に返事をした。
「この写真の男を知っているんだが、実は名前もよく知らなかったと思ってな」
「ワシも名前なんぞは知らんが、顔はよく知っとるさ。ほれ」
店主が指さした先にある巨大モニターには、空に向かって目を閉じ、深呼吸をする若い男の顔が映し出されていた。
確かにあの“新入り”だった。
「なんでもこないだ地上に出た時、静止軌道衛星のカメラに撮られたそうだよ。あんな目立つRBと一緒じゃあ無理もないが、こう日に何度も見せられると、知り合いのような気がしてくるもんだなあ」
「そうだな」
キュベルネスはうなずいて、
「それならば、政府筋は名前も把握しているだろうな」
「そりゃあまあ、そうだろうが」
店主は肩をすくめた。
「お偉いさんはそんなチンピラなんぞ、どうでもいいだろうさ。ここんとこ、ローレン・カンパニーの豪華客船が来るってんで大騒ぎだ。地球軍だって、準備と警備で大わらわだろう。治外法権の船で舞踏会とは恐れ入るが、アンナ主席も呼ばれてるって話だからなあ。あれはたしか、オリンポス号とかいったかね」
ははん、こないだのナイアル・ポーのアジテーションは、そういう意味だったか、とキュベルネスは気付いた。『夜明けの船』のクルーも、オリンポス号の舞踏会にやって来いということだったか。あの男のことだ、“新入り”のペンダントに気付いて、さっそく自分のものにしようと企んでいるに違いない。それではつまらないことになる。神の石を発見し、ローレンに売るのはこのオレだ。
キュベルネスは薄く笑った。
「それはつまり、招かれざる客も参加していいということだな。どんな花が見られることやら、楽しみなことだ」
「おいおい、流氷の海を泳いでくつもりかね」
「なるほど、それも面白い」
キュベルネスはちょっと考え込んでその場を去ろうとしたが、店主に呼び止められた。
「おい、あんた」
「掘り出し物はまた今度だ」
店主は首を振って、
「手配写真なら、この道の先にプリントできる場所がある。その男を本気で訪ねたいなら、そんなボロボロの紙切れはよしときな」
キュベルネスはホウ、と眉を上げた。
「地球軍も、本当に無駄金を使っているものだな」
「せめてポーズぐらいつけとかんと、上に報告もできんのだろうさ。連中だってやりたくてやってる訳でもあるまいよ。そりゃ海賊だって、おんなじだろうが」
キュベルネスは店主に背を向けた。
「さあ、それはどうだろうな」
淡い微笑みを浮かべると、その場から歩み去った。

★ ★ ★

「こんな失敗は、はじめてか……」
キュベルネスは口唇を噛んだ。
「両手に花としゃれ込もうと思ったのに、絢爛舞踏会の幕引きが、オレの敗北とはな」
わざわざ流氷の海をかきわけていった。目的の二人も首尾良く発見した。あの“新入り”がナイアル・ポーにスカウトされるのも阻止した。
だのに空手で戻る羽目になろうとは。
元々気の乗らなかったエノラ・タフトの奪還はともかくとして、あの“新入り”は手に入れるつもりだった。希望号とかいうRBごと、ひっさらってくるつもりだった。
それなのに。
「あの男、なかなかやる」
こちらが水上に出たところで重い錨を投げつけてくるあたり、海賊にふさわしい乱暴さだ。
二度も直撃を受けたマーメイドの修理は、ロボット副長に命じて部下のほとんどを使うようにしてあるので、ここは静かだ。そうでなくとも主の私室に、声もかけずに彼らが入り込んでくることはないのだが。
舞踏会で着た藤色のスーツを取りかたづけて、キュベルネスはコートの隠しからホログラフを取り出した。例の店主に教わったところでダウンロードしてきた画像だ。アンナ・グレースに詰め寄って、やっと名前も聞きだしてきた。
そう、あの“お兄ちゃん”の名は、グラム・リバー。
「ふむ」
本気を出せば、あの場で反撃できなくもなかった。マーメイドのパワーは並でない。三度目をくらう前に、もう一度海へひきずりこんでしまうこともできた。
しかし、それは得策でなかったろう。
自分なりに順を追ってプロポーズをしたつもりだが、すげなく断られてしまった。
あの様子では、今すぐ拉致してきたところで、こちらの意のままにはなるまい。
どうせ『夜明けの船』も神の石を追う、行き着く先は変わらんだろう。しばらくは、つかず離れず様子をみよう。追いかけっこもまた一興だ。
そう、今はいい。
その名だけで。挑むような青い瞳と、あの威勢のいい声だけで。
キュベルネスは、新しい写真をじっと見つめた。
吐息とともに呟く。
「グラム・リバー」

その右手は、コートの裾を割ってゴソ、と動きはじめて……。

(2004.11脱稿)

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Written by Narihara Akira
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