『本 気』

1.

しまった、今日はやりすぎたか、とさすがのガデスも少し焦った。
気を失ったまま、刹那が目覚めない。
襟首に手をかけて、揺さぶってみる。
「おい」
基地内での私闘はかたく禁じられている。軍の規律などくそくらえだし、誰に何を言われようと気にするガデスではないが、自分が手を下した死体を施設内へ転がしておくのは、あまりいいやり方とはいえない。もし死んでいるのなら、何処か目立たない処へ動かしておくにかぎる。
だが、あの刹那が、こんなに簡単に死ぬとも思えない。打撲による内出血はあるかもしれないが、特に大きな外傷もないのだ。
「だらしねえな、これっぽっちでくたばりやがったのか」
「う……」
そこで、ふっと刹那の口唇が開いた。苦しげに息をついて、
「誰……だ?」
なんだ、ちゃんと生きてるじゃねえか。ならさっさと返事をしやがれ。
それにしてもふざけた野郎だ。いまさら誰だもねえもんだ。殴られすぎで視界がよくきかないらしいが、先に喧嘩を売ってきたのはそっちの方じゃねえか。
ガデスはだが、ニヤリと大人の笑みを笑ってみせた。
「俺か? 俺様は悪い奴だ。……いじめてやろうか」
「ふ」
刹那はかすかに微笑んで、
「いじめて、やろうか、なんて……わざわざ言う奴に、悪い奴なんか……いるもんか」
安心したのか、それだけ言って刹那はまた気を失ってしまった。
ガデスは掴んでいた襟首をドサ、と落とした。ふう、と太い息をついて、
「いったい、なんなんだぁ、こいつは?」
実際、刹那の気持ちがよくわからない。
この男、絶対的な力が欲しくて人工サイキッカーになったらしいが、結局ウォンや軍の上層部に、おとなしく使われてやがる。
こいつは、馬鹿だ。
俺なら、新しい力を持ったなら、黙って他人にいいようになんかされねえ。もうちっと頭を使って、要領よく立ち回ってやる。
しかもこの野郎、軍の中でやりたいことが見つからないんだか分からないんだか知らないが、腕だめしと称して、この俺様にやたらに喧嘩を売ってきやがる。
こいつは本当に、単なる馬鹿なのかもしれねえ。
元からサイキッカーの俺様とは、格が違うってこともわからねえんだからな。
ガデスは苦笑した。
「まあ、馬鹿は馬鹿だから、仕方ねえな」
ガデスはひょい、と刹那の身体を肩にかけた。こんな痩せた男一人、ただ運ぶだけなら、サイキックを使うまでもない。
「しっかし、本当にふざけた野郎だぜ……何が、そんなことをわざわざ言うヤツに悪い奴はいねえ、だよ」

医務室のベッドで目覚めて、刹那はア、と小さな声をあげた。
誰がここまで運んでくれたのか、すぐにわかったからだ。
ガデスだ。
研究開発スタッフの一人が、困ったような表情で刹那の顔をのぞき込む。
「あまり無茶をしないで下さい。確かに私達は超能力の開発をしていますが、決して死なない保証をしている訳ではないんですよ。もちろん万全のケアをする用意がありますが、ただでさえ、あなたは元からサイキッカーでないんですから、脳に多くの負荷がかかっているんです。それに、軍規や周囲を無視して、ああいうことをされると、その……」
「わかってます」
うるさいな、と露骨に眉を寄せながら刹那は答えた。
まったく、どいつもこいつも。
かつての同僚、下級兵士達は、もう怖がって寄ってこない。すっかり化物扱いだ。
サイキック開発スタッフは俺が実験体だと思って小言しか言わないし、それを怒れば暴走とみて、すうっとひいていく。おかげで逆らう気も起きない。
少佐は確かに自分に目をかけ、大事にしてはくれるが、決して対等には扱ってくれない。
エミリオのように、その才だけを鼻にかけているような子供はつまらない。
だが、ガデスは。
口でこそおまえとは格が違う、だの、てめえはにわかづくりの偽者野郎だ、だのと蔑むが、実際問題として一番俺をちゃんと認めてくれているのは、ガデスだ。
しかも、言うだけの力は持っている。
「それにしても、いじめてやろうか、なんてな……」
悪ぶっているが、意外に優しいんじゃないか、あの男。
頭部へのダメージが大きくて失神したとはいえ、そんなに大怪我をした訳じゃないんだから、俺なんか部屋に放り込んでおけば良かった筈だ。それで騒ぎも起きないだろう。
「え、なんですって?」
スタッフの声が半オクターヴ上がる。カンに触る高さだ。
刹那はむっとしながら身体を起こし、
「何でもありません。特に異常がないのなら、俺は部屋に戻ります」
「あのですね、そんなに簡単に異常が発生したら、それこそ困るんです。あなた自身はともかく、もしサイキックだけが暴走するようなことにでもなったら……」
また、小言が始まった。
刹那は黙ってそれを聞き流した。
じっと彼が考えているのは、自分の力の事。
そして、自分の事を本当に考えていてくれるのは誰か、ということだった。
それは、たぶん。

2.

その朝、あてがいぶちの食事を終え、食堂で葉巻をくわえてくつろいでいたガデスに、刹那がすうっと近づいていって、一言。
「勝負だ」
ガデスは目を見張った。
馬鹿の上に、マゾかこいつは。
この間こてんぱんにされたばかりなのに、どうしてまた向かってくる。
しかもそんな、嬉しそうな顔しやがって。
なんで、こんなに俺ばかりを。
力のある者と戦いたいという気持ちは男としてわからないでもない、そういう意味での選択肢としては確かに正しい。
だが、最初から力量が違いすぎるということが、どうしてわからないんだコイツは。
「てめえ、本気で言ってんのか?」
刹那は大真面目だった。
「ああ、本気さ。今すぐ始めてもいい。それとも、俺が怖いのか?」
ガデスは心の中で、ち、面倒な、と舌打ちした。
私闘が禁止だっていうのを、誰かコイツに言いきかせやがれ。いいかげん、くじけてもらいてえもんだ。刹那なんぞ怖いことは少しもないが、今日は適当に追っぱらってせいせいしたい。
ふと、彼の中に悪戯心がきざした。
「……なあ、おい」
「なんだ?」
刹那がつりこまれて顔を寄せてくる。ガデスはニヤ、と笑って、
「ずいぶん自信ありげだがよ、俺は毎回おまえの勝負を受けなきゃなんねえ義理はねえんだぜ?」
刹那の頬がさっと強張った。
「逃げるのか? おまえは自信がないのか?」
ガデスは肩をすくめて、
「そうじゃねえ。受けてやるからよ、賭けをしようぜ。負けた方は丸一日、勝った方の言うことをなんでもきくってのはどうだ?」
「えっ」
さすがに刹那は答に詰まった。
よしよし、とガデスはほくそえんだ。
軍にいると悪い想像力が発達する。何でも言うことをきかされる、というのがどんな酷い目に遭わされることと同義か、いくら馬鹿でも想像がつく筈だ。
自分の勝ち目が薄い時、思いきって撤退するのも兵士の勇気だ。
さて、どんな言い訳でひいていくか、見せてもらおうか。
すると刹那は、菫いろの瞳を昏くひからせながら、呟くようにこう言った。
「その賭け、のる。……そのかわり、俺が勝ったら、俺のいうことをきくんだな?」
ガデスは背中がすうっと寒くなるのを感じた。
ちきしょう。
裏付けのない自信のある馬鹿は、おっかねえ。
それとも、新しい超能力でも身につけてきたか。
まあいい。見せてもらおうじゃねえか。おまえの意地をな。
ガデスはふん、と笑い返した。
「ああ、もちろんだ。……もし、おめえが勝てるもんならな」

「賭けは、俺の勝ちだな?」
仰向けに倒れたまま、悔しそうにガデスを見上げる刹那。
残念だが、今日は彼の負けである。
何故だ。
超能力だけで言えば、圧倒的な力の差などない筈なのに。
「俺の言うことを、何でもきくんだな?」
重ねて問われて、刹那は顔を背けた。
「……賭け、だからな」
「よし」
ガデスはいやらしい笑いを浮かべて、低く囁いた。
「今晩、俺の部屋に来い。ベッドで一晩、俺のいいなりになれ」
「!」
刹那は瞬間、はっと身を強張らせた。
ガデスは薄ら笑った。
別に刹那を抱きたいという訳ではない。
戦いの最中に小綺麗な顔が苦痛に歪むのを見ているうちに、ふと湧いた連想で口にしたに過ぎない。
だが、そういう種類の屈辱を味あわせておけば、さすがに懲りるだろうと考えたのだ。
これでもう、面倒な喧嘩をふっかけられずにすむだろう、と。
「わかるか? 俺の下になれって言ってんだ。……まあ、せいぜい優しくしてやるがな」
そこで間を置く。
そんなのはゴメンだ、と相手が怒り出すのを待つために。
実際、刹那の瞳にあるのは憤怒のいろだった。
しかし、次に彼の口唇から出た言葉は、ガデスの予想を完全に裏切っていた。
「……人に、言うなよ」
ガデスは眉を寄せた。
どういう意味だ。
「別にわざわざ言って回りゃしねえが、何故だ?」
ウォンに知られたくないということか?
あえて誰かに言うつもりなどなかった。二人の喧嘩はほぼ公然に行われているが、賭けの話などを知られるのはガデスにとっても面倒な事だからだ。
すると刹那はじっとガデスをにらみつけ、
「賭けは賭けだ。今晩はおまえに従う。だが、言い触らされると、今夜一晩のことではすまなくなる。それでは、約束と違う」
「ほう」
一理ある。
あいつはガデスに負けて、ベッドでも泣いたんだぜ、と噂されては、軍内での尊敬が失われる。そういう意味で、刹那が狙われる状況も出て来るかもしれない。
それにガデスも、何度も刹那を抱く気などなかった。
「わかった。誰にも言わねえでおこう。そのかわり、夕飯の時間がすんで一時間したら、俺の部屋にちゃあんと来るんだぜ」
「……わかった」

刹那は大人しく、時間通りにガデスの部屋にやってきた。
「ほう、逃げずに来たな」
「当たり前だ」
「今晩中、俺様の言うことに逆らえねえんだぞ? それでもいいんだな?」
「ああ」
刹那は胸を張る。
変なところで律儀でやがる、とガデスはあきれた。
こいつはちょっと、仕置きが必要かもしれねえ。せいぜい意地悪をしてやるか。
「よし。じゃあ、脱ぎな」
「えっ」
刹那が一瞬言葉に詰まると、ガデスは口唇を歪めて、
「ただ脱ぐんじゃねえぜ。ベッドの前に行って、一枚ずつ、ゆっくり、自分で脱ぐんだ。俺がいい、というまで、自分で脱いでいけ。せいぜい、色っぽくな」
脱がせる楽しみというのもあるが、屈辱感を与えるには自分で脱がせた方がいい。
「……わかった」
刹那は手袋を外し、パサ、と足元に落とした。
ガデスを見つめたまま、胸のファスナーを降ろしてゆく。
部屋の灯りに、白い裸身が少しずつ露わになっていく。
これでいいのか、と探るような瞳。
インナースーツが取り去られ、下着もためらうことなく降ろされる。
最後に腕輪を外して床に置き、脱ぎ捨てた服の海から足を抜いて、ガデスの方へ一歩踏み出す。
胸を張ったまま、昂然と頭を上げたまま。
「全部、脱いだが?」
「……おう」
実は、刹那に声をかけられるまで、その裸身に見とれていた。
こいつ、綺麗じゃねえか。
男だが、そこらの女なんかよりよっぽど綺麗だ。
おまえは馬鹿だ、軍になんか来やがって。
そんな肌に、わざわざ傷を負わせることもねえだろう。
ああ、あの腹んトコの大きなあざは、今朝俺がつけたやつだ。
馬鹿だ、おまえは。
「じゃあ、ベッドに横になりな」
「ああ」
ガデスは灯りを少し絞ると、ベッドに身を横たえた刹那に近づいた。
普段と違っておとなしいので、少々痛々しい感じさえする。
全部脱がせなければよかったか、と思いながら、その上にのしかかろうとすると、刹那はふっと口唇を開いた。
「……おまえは、脱がないのか?」
ガデスは眉を寄せた。
「別に、俺が脱ぐ必要はねえだろう?」
すると刹那は菫いろの瞳でじっとガデスを見上げて、
「丸裸になると、さすがに俺が怖いか?」
ガデスは苦笑した。
それは俺の台詞だ。普段でさえ脅威でないのに、超能力の源である両の腕輪まで外してしまった刹那など、恐れる訳もない。
「なら、見せてやるさ。本当の男の身体を、な」

きれいな肌をしてやがる。
この年の男が、傭兵として軍に流れてくるまでには、いろいろあったろうに、なんでこんなにしっとり白い肌をしてやがんだ? 例の超能力の手術の時に、ついでに何かやったのか?
しかし、肌触りがこんなに滑らかだと、まるで女を抱いてるみてえな気がしてくるな。
まあ、男も、女を抱くのとたいして変わりゃしねえ。女はちょっとばかり優しくしてやんなきゃなんねえが……こいつは怪我人だから、女と同じ扱いでいいだろう。
ちいっと気分を出すか、とガデスは刹那の首筋に舌を這わせた。
「ん……」
なんだ、いい顔しやがって。
なあに、そんなに歯を食いしばらなくても、とって喰ったりしやしねえよ。
胸をまさぐると、刹那はかるく身悶える。
例のあざが近いせいだ。痛みを感じているのかもしれない。
「ここには触らねえ。安心しな」
だが、刹那は妙に悲しげな顔でガデスを見上げた。
物いいたげに口唇を開き、そしてまた口をつぐむ。
哀れみなんかいらない、とでも言いたかったのだろうか。
別に哀れんでる訳じゃねえ、こんなところをベッドでまでいたぶって楽しむ趣味がねえだけだ。
まったくこいつは、素直だか、素直でないんだか。
こんな屈辱を、と怒るか泣くかすれば、許してやらねえでもねえのによ。
すると刹那は、やっと小さな声を出した。
「……おまえ、熱い……」
おい。
おまえ、まさか。
何かを探るような刹那の瞳。
その瞳ににじんでいる気持ちは、もしや。
それじゃあおまえ、屈辱どころか、俺が欲しくてここへ来たのか。
人に言うなよ、なんてわざわざ言ったのは、あれはそういう意味だったのか。
俺様の方がはめられてるってのか?
まあ、いい。
それならそれで、こっちも楽しませてもらおうじゃねえか。
「これからもっと熱くなるぜ。覚悟しな」

ガデスは、なんでこんなに優しくするんだろう。
いやらしさのない、キス。
静かに触れてくる、乾いた大きな掌。
必要以上に体重をかけないようにしながら、ぐっと抱きしめるようにして。
理不尽な暴力は何度も受けてきた。犯される、いたぶられるというのがどんなことか、刹那はよく知っている。
ガデスの抱き方は、それらからあまりに遠かった。
言葉づかいこそ乱暴だが、言っていることも思いやりに満ちて。
心が揺れる。
ガデス、もしかして俺が厭じゃないのか?
だから、ベッドでいいなりになれ、だなんて言い出したのか?
俺は、どうしたらいいんだ。
抵抗はできない、約束は約束だ。
だが、すっかり信じてまかせてしまうのも、やはり怖い。
でも、どうしたら。
ああ、どうして俺、寒いんだ。
こんなに熱い身体に組み敷かれているのに、鳥肌なんかたてて。
違う。
寒いんじゃない。
俺……感じてるんだ。

カアッと赤くなる刹那。
急に肌を火照らせ、顔を背けたので、ガデスは刹那の耳に口唇を寄せ、低く囁いた。
「どうした? ここがいいのか、え?」
「な……なんでもない」
つとめて平静を装おうとするが、刹那がその気になっているのは明らかだった。
こいつ、なかなか可愛いじゃねえか。
ガデスは刹那の腰を軽く撫で回しながら、
「そろそろ、声を出しな」
「声?」
刹那が薄く瞳を潤ませながら尋ねる。ガデスは笑って、
「だからよ、芝居でいいから、感じてる声を出せっていってんだよ。そうでねえと、面白くねえだろう? せいぜいそそってみせろや。……それに、その方が、おめえも結局具合いがよくなるんだぜ」
最後の台詞で、刹那はさらに赤くなった。
やっぱり、ガデスは、俺を。
答えられないでいるうちに、ガデスの指が微妙なところを探り出した。
「誰にも言わねえ約束をしたろう? 安心して声を出しな」
「う」
「出せっていってんだよ、ほら」
急所を撫でられ、軽く耳を咬まれて、刹那はびくんと震えた。
「あっ」
「そうだ、そういう声だ。身体の力を抜いて、もっと声を出してみな」
「あ……ん……」
どうしよう。
本当に、感じてる。
俺、いったい、どうしたんだ。
「や……だ……あ!」

よしよし、なかなかいいじゃねえか。
ガデスは刹那の反応にだいぶ満足していた。
まったく、綺麗な面しやがって。
ここのくびれなんか本当に女みてえだしな。
中の具合いはどうなんだ?
刹那の瑞々しい腰のふくらみを掌で掴み、押し開いてみる。
なんだ、ここも随分きれいじゃねえか。
まさか、初めてじゃねえだろうな?
ウォンの奴が手をつけてると思ったが……いや、あいつが手をつけてるからこそ、こんな風にきれいにしてるのかもしれねえな。
刹那の蕾に指をあて、軽く撫でてみると、ひくん、と蠢く。
大丈夫そうだな。これは、入れられることを知ってる反応だ。
ガデスは、寝酒用に置いておいた小さな壜をとり、利き手に少し垂らした。
「少し濡らすぜ。……大人しくしてな」
二本指を突き入れられて、刹那はあっと息を飲む。
塗り込まれたアルコールは、一瞬冷感を与えるが、その後じわじわと中を熱くする。
刹那は思わず、相手の背に腕を回した。
「俺は……もう……」
すがりつくような細い声。
ガデスは指をズル、と抜いて、刹那の腰を持ち上げた。
「前からがいいのか? なら、足を上げな……そう、俺の肩にかけるんだ」

ア、ア、と洩れる短い悲鳴。
だが、苦しくてあげている声ではないらしい。
激しく揺さぶられながら、巧みに締めつけてくる。自分も快楽をむさぼっているのだ。
やっぱりウォンに仕込まれてやがるな。これだけでこんなに感じるってことは。
ち、下手な女なんかよりよっぽど具合いがいいじゃねえか。
ガデスはもっと良くしようとして、刹那の前に掌をのばした。
刹那の解放の瞬間に、自分も出してしまおうと。
「やっ」
刹那が身を強張らせる。敏感になっているので、強く触れられるのが厭なのだ。
「良くしてやるんだ、もう少し我慢しろ」
前と後ろを両方刺激され、責めたてられて、刹那の瞳から涙が溢れ出した。
もう駄目だ。
もう。
達く……!

★ ★ ★

「ん……」
ガデスのベッドの上で、刹那はすっかり放心していた。
相手と自分の体液にまみれたまま、身体を投げ出していた。
終わった後、ガデスは急に怖い顔をして刹那の額に掌をあてた。
そして何を思ったか、そのままベッドを出ていった。
それから、なかなか戻ってこない。
シャワーを浴びにでもいったのだろうか。
だが、それらしい水音はしない。
むしろ、何かをごそごそ探しているような物音が続いている。
何をしようというんだろう。
まさか、責めの道具でも持ち出してくるんじゃないだろうな。
まだ、夜は終わっていない。この身体を好きにする権利は、まだガデスのものだ。一度で終わりにしてやる、とも言われていないし。
ふと、刹那は頬が熱くなるのを感じた。
もしかして俺は、もう一度欲しいのか――ガデスを?
そう考えた瞬間、ガデスが戻ってきた。腕にいろいろと布のようなものを抱えている。
「動けるか?」
「え?」
ガデスは熱いタオルを手にし、刹那の下半身をさっと拭い始めた。
「な、なにを……?」
刹那がとまどっているとベッドを降ろされた。シーツを新しいのに替えると、ガデスはもう一度刹那を横たわらせ、上から毛布をかけてやる。
「おめえは熱を出してんだ。わかってるか? 朝の怪我のせいだ」
「え」
確かに身体は熱っぽい。だが、それは行為の余韻だと思っていた。
怪我は一応、医療スタッフに看てもらってあるのだし。
しかしガデスは、温湿布を刹那のあざにあて、布にくるんだ冷たいものを、刹那の脇の下に抱かせた。ゴツゴツする。うんと硬く凍らせた氷だ。ガデスが自分の酒にいれるために用意しておいたものを、ビニール袋に入れて持ってきたらしい。
「俺は、熱なんか……」
「そういう怪我を甘く見るんじゃねえ。こういう熱のある時に下手に動いて死んだ兵隊を、俺は何人も見てるんだ」
あ、と刹那は小さな声をあげた。
そうか、ガデスは傭兵だから、手当て慣れをしているのだ。
だからこれは、仲間に対する思いやりなのだ。新兵の面倒をみる古参兵の優しさなのだ。
「いいか、朝までそこでじっと寝てろ。それから、もう一度医者共んところへ行け。おめえをやり殺したなんて噂されちゃ、俺もかなわねえからな」
「でも、そんな」
刹那が言いかけようとするのを遮って、
「今晩は俺の言いなりになれと言ったろう。寝てろ」
言い捨てて、ガデスはもう一つの部屋の方に去っていった。ソファで寝るつもりらしい。
「ガデス……」
刹那は大人しく目を閉じた。
やっぱり、ガデスは。

翌朝刹那は、葉巻の香りで目を覚ました。
「ん……?」
額に、乾いた掌があてられる。
「いい顔色だ。熱も下がったみてえだな。この分なら、あまり心配はねえだろう」
葉巻をくわえたまま、ガデスはニヤ、と笑った。
「昨日は、結構良かったぜ」
刹那が毛布の下ではっと身を堅くすると、ガデスはさらに大声で笑った。
「こっちが損かと思ったが、たまには賭もいいもんだな。またやるか?」
刹那が答に詰まって頬を赤くしていると、ガデスはふと真剣な顔になった。じっと刹那の菫いろの瞳をのぞきこみ、
「万が一、の話だが……おめえ、もし、自分が勝てたら、いったいどんな条件を持ち出すつもりだったんだ?」
刹那はあ、と大きく瞳を見開いた。
ガデスが期待している答は、もしかして。
やっぱりガデスは、俺のことを。
でも、俺は。
俺は、そんな意味でおまえに勝負を申し込んだ訳じゃない。
確かにおまえが好きだが、こんな風に優しくされたい訳じゃないんだ。
手加減されたら、かえって嫌だ。
刹那はわざと皮肉っぽく口唇を歪めてみせた。
「俺が勝てたら、言うことは一つだ。……《明日、もう一度勝負だ》に決まってる」
「なんだって?」
ガデスが目を丸くすると、刹那は憎々しく、
「おまえはやられたら、やられっぱなしの男じゃないだろう? かならず相手にやり返すだろう? だが、おまえに闇打ちされるのは俺もごめんだ。だから、翌日、もう一度正式に勝負するのさ。……おまえは俺を失望させないよな、ガデス?」
ガデスはあきれて吐息をついた。
くじけていない。
まるで、くじけていない。
駄目だ。
本当に馬鹿なんだ、こいつは。
こりゃあ、どんな小細工をしたって無駄だ。
根気よくつきあってやるしか、ねえんだな。
「どうした、ガデス。俺の勝負をもう受けられないっていうのか?」
ガデスは苦笑いし、大きく肩をすくめた。
「わかったよ。……それにしても、あんまり、マジになるなよ」

(1998.9脱稿/初出・恋人と時限爆弾『ついてきな(ARE YOU GOING WITH ME?)』1998.12)

「ラマン」へ行く

(下記の注を参照)

『ESCAPE』

(注意:この小説は、この本と同時発行した『L'AMANT』という本に収録した「ラマン」という小説の続きの形になっています。このまま読みすすめる事も可能ですが、不明な点はそちらをご参照いただけますと幸いです)

1.

パーン、と軽やかにプールの水面を打つ青年が一人。
滑るように潜った瞬間、全身の熱がすうっと冷える。水分を与えらえた体細胞が、不思議な覚醒の感覚をもたらす。
金の髪がふわりと揺れて後ろへ流れる。光ゆらめく水底。透き通った菫いろの瞳にも淡い輝きが散って。そのまま抜き手をきって泳ぎだす姿の優美さ――しかもそのスタイルには、子供の頃近所の河で無茶苦茶に泳いだ時の野生味も残っていて。
ホテルの他の客達は、白亜のプールを水浴びの場所と考えているらしく、浅い場所で物憂く身を沈めているか、軽く水をかけあうかで、青年のように泳いでいる者はいない。
作法を守らぬ者――そういう視線を感じて、青年は水から上がった。弾力のあるゴム張りの白いデッキチェアに身を横たえて、果物を添えた青いカクテルを注文する。
パラソルの下で、少しずつ乾いていく肌。タオルをかけない場所が、照り返しで薄く日焼けをしはじめている。彼は本当はサングラスをかけたいところなのだが、男性モデルに間違われて声をかけられたりするので、あえて素面をさらしている。
そう思われてもしかたないぐらい、この青年は美しいプロポーションの持ち主だった。うぶ毛がけぶるような白い肌。筋肉のしっかりついた腕と脚。すらりと伸びた背。広くて薄い胸板。くびれたウェスト。新品の紺の水着に包まれている、女性よりも滑らかなラインを持つ腰まわり。
その秀麗さに見とれて、遠まきにため息をついている者もいる。簡単なシャツとパンツの組みあわせですうっと歩いているだけで様になっているからだ。整った顔立ちに刷かれた憂愁の色のせいか、直接声をかけてくる人間は少ないのだが。
まあ、実際声をかけないのが正解だろう。今の彼は、気持ちが荒れてささくれだっている。下手に慣れ慣れしくされたら、相手を怒鳴るか殴りつけるかもしれない。相手が女子供だろうと容赦せず。
しかも、青年はカクテルの次に、少し強い酒を注文した。そして、みるみるうちにグラスを重ねていく。
「……昼からこんなに酔っぱらうなんて、人間のクズのやることだな」
そう呟いて、皮肉な笑みを浮かべる。
ふ。
結局俺は、クズなのか。

少佐の愛の言葉が全部まがいものだったと知り、「あなたは必要ないんです!」と罵られたショックでめくらめっぽうに軍を飛び出してみたものの、彼――過去も名前も捨ててしまった刹那に行く場所はなかった。
ただ金だけは持っていた。少佐が以前、「外での任務に必要な時もあるでしょうから」と秘密口座のカードを渡してくれていたからだ。
それを使うのもシャクに触るといえば触るのだが、かといってこの状況で真面目に汗を流して働く気にもなれず、幸いなことに口座が止められている様子もないので、絶えず移動しながら刹那は一週間ほど遊び暮らしていた。
そして、ふと思い立って訪ねたのは、かつて彼が育った片田舎だった。
「……こんな、馬鹿な」
そこは、畑と河と小さな森のある静かな町の筈だった。
だが、彼を迎えたのは、ギラギラとガラスの輝く背の高いリゾートホテルと、広い駐車場を持ったレジャーランドだった。
刹那がそこを離れてから十年近い歳月が流れていた、様変わりしていてもおかしくないといえば言えた。どうして刹那の父親の狭い貧しい土地が、あんなに強引にだまし盗られたのかも、こんなものが出来る予定であったというなら合点がいく。
「ふん」
それならそれでいい。
ならば、ここに客として入ってやろう、と刹那は考えた。
あの時、この故郷から大勢が追い散らされた。ホテルの中にもこの近所にも、俺の顔を覚えている者などほとんど残っていまい。いたとしても、金を持っている彼に逆らう者はいるまい。目立つ嫌がらせでもしない限り、追い出すこともできはしまい。
刹那は例のカードを取り出し、リチャード・ウォンの名前でホテルにチェックインした。
そして、中で受けられるありとあらゆるサービスを試してみることにしたのだった。贅沢な食事、小ぎれいな施設、高価な買物や遊戯場やその他もろもろを。

「こんなことして、みんな何が面白いんだ」
低く呟くと、溢れるような札束をベッドにぶちまけて、刹那はその上に身を投げ出した。
一ドル札ではない、ほとんど全部が高額紙幣である。
「……なんにも……面白くなんか……」
泳ぐのにも酒にも飽き、日が暮れてから刹那は、ホテルの中にあるカジノでギャンブルをやってみた。
カードもスロットマシンもルーレットも一通り、それでかなりの金を得た。札束に変えてもらっても浴びるほどある。
どうしてこんなに稼げてしまったのだろう。超能力を使った訳ではない。いろんな要因が重なっただけだ。ビギナーズ・ラック。金をかければそれだけ多く戻ってくる確率が高いのがギャンブルで、今の刹那は賭ける金があり余るほどあるということ。しかも、ギラギラとした欲がないので、目が曇っていない。その上、デタラメな賭け方をした方がいいカードゲームに、知らず無雑作に大金を賭けたりした。それで、全部でこれだけの大金になってしまったのだった。
だが、深く空しい。
彼の金を見てすりよってくる女もいた。詐欺師めいた男も。意味ありげな目配せをしてくるボンボンや、苦々しい一瞥を投げてくる年寄りもいた。
それらすべてが疎ましかった。
金というのは生活に必要なだけあればいいんだ、という父親の言葉が耳に蘇る。思いだしたくもない声だが、それがひしひしと身に迫る。子供の頃は、親が小さい金を必死でやりくりし、来年の収穫に備えてちびちびと貯めているのを嫌な気持ちで見ていた。うちには必要なだけないじゃないか、貧しいと心まで貧しくなるというのは本当だなと思った。作物を狙ってやってくる獣を追い払う銃の弾丸すら用意できず、他人の落とした鉛弾や廃材を拾って、それを溶かしてつくるしか道がなく、その惨めさといったらなかった。
だが、今となってはそれも懐かしい。悪天候に悩まされ、害虫害獣と戦いながら、自分の土地と作物を守りきる。収穫期の充実感と解放感は忘れられない。その年その年に生きていく希望があった。打ち倒されてもその度に立ち上がろうとする百姓の根性は、泥くさくともどんなに人間らしかったか。
若い男は誰もが虚飾の都に憧れる、金や力を生きる目的に出来ると思う。
しかし、今の刹那にとっては、大金も超能力も意味のないものだった。無理もない、やりたいこと、守りたいもの、なすべきことがあってこそ、それらは役に立つのだから。
「いっそ……死んでしまおうか……」
札束の海が、彼の下でカサカサと音をたてる。
なんだか枯葉の寝床か、ちぎった新聞紙の上にいるみたいな感じだ――新品の札というのは寝心地が良くない――こんな面倒なものは部屋にぶちまけたまま、何処かへ消えてしまおうか。
刹那はゆっくり起き上がった。
あえてチェックアウトする必要もあるまい。
ホテル代は、ここにある札束で足りて釣りがありあまる筈だ。
簡単に身支度を整えると、刹那はろくな荷物も持たずに部屋を出た。
夜は俺の時間だ。
このまま、再び行方をくらましてしまおう。

だが、ふらりとホテルの敷地外へ出た瞬間、刹那は妙な気配を感じた。
鋭い、殺気にも似たもの。
「誰だ!」
闇の中、漆黒の短剣がパパッと飛ぶ。
それがタタン、と打ち返されて。
「増幅装置を使わないおまえの超能力なんぞ、素手でもガードできちまうぜ」
暗がりから響く低い声。
「おまえ、ガデスか!」
「よう、刹那。……探したぜ」
すうっと姿を現して、ニヤリと笑うガデス。
「貴様、俺に何の用だ!」
刹那の声が必要以上にはね上がる。
ここに立ち寄るのは誰でも予想出来たろう。軍から追っ手がかかるのも覚悟していた。だがガデスは、いま一番会いたくない相手だった。昔の仲間、かつて力を競った男に、少佐との愛に破れて逃げだした自分を、そして故郷からもう一度逃げようとしている自分を見られたくはなかった。
ガデスは葉巻に火をつけて、ふうと一服する。
「何の用だ、じゃねえだろう。いくら新米でも、軍を脱走したらタダじゃすまねえってことぐらいは、わかってんだろう? それにおめえは、一応軍の最高機密だ。外で勝手に力を使われちゃあかなわねえし、ヨソの連中と妙な取り引きをされても困るしなあ」
脱走、の一言が胸に刺さって、刹那はぐっとガデスをにらみすえた。
「それがどうした。そんなこと、おまえに関係ないだろう」
ガデスは軽く肩をすくめて、
「関係はあるさ。連れ戻すよう、命令を受けてるからな」
「少佐の命令か」
思わずそう口走って、刹那は口唇を噛んだ。この後に及んで、俺は何を期待してるんだ。少佐をもう愛さない、あの人にはもう少しも期待しないんだ、とあれだけ心に決めたのに。
ガデスはそんな刹那の表情に気付いていないかのように、いつもの涼しい口調で、
「軍の命令だ。帰るよな? 連れ帰ることが出来なければ、殺せと言われちまっててなあ」
「ふ」
刹那の瞳が光り、そしてすっと伏せられた。
「……俺を殺すなら殺せ。おまえにならできるだろう」
とたん、刹那は頬を強く張り飛ばされていた。
「馬鹿野郎!」
地面にぽたりと落ちる葉巻。
ヘタリ、とくずおれた刹那の上に、怒鳴り声が降ってきた。
「どうして俺様が、わざわざおまえを迎えに来てやったと思ってるんだ!」
刹那ははっとガデスを見上げた。
ああ、そうなのか。
ガデスは対等な人間として、俺を《迎え》にきてくれたんだ。
考えてみれば、他人の命令で動く男ではなかった。
自分で考えて、こうして追ってきてくれたんだ。
それはたぶん、余計な犠牲者を出させないため。そして、俺を少しでも傷つけないため。死なせないため。
どうしてそんな思いやりを。
俺は本当に脱走者なのに。クズなのに。
「どれ」
皮のグローブを填めた掌が、負傷の具合いを確かめるように刹那の頬に押し付けられる。刹那が痛、と顔をしかめると、ガデスは低く囁くように、
「とにかく、いったん基地に帰るんだ。わかったな?」
刹那は、大人しくうなずくしかなかった。
「……わかった」

小さな灯火しかない夜道を、疾走し続けるジープ。
助手席の刹那は無言だ。
ガデスも黙ってハンドルを握っている。というか、刹那の落ち込みぶりがあまりに痛々しくて、うかつに声をかけられないでいるのだった。
ウォンとのいきさつは薄々察していた。あの中国人野郎、キースへの未練を結局捨てきれなかったんだろう。キースも確かに面白味はあるが、所詮理想をふりかざすしか能のない若造だ、いつまでも食いついていくだけの価値はないだろうに。あんな甘ちゃんにずっと魅かされているということは、ウォンもつまりは甘い男なんだ。そのくせこんな世間知らずに手を出してその気にさせて、結局泣かせるようなつまらねえ真似をしやがって。見損なったぜ。そんなに一人寝が寂しいなら、キースを捨てなけりゃあ良かったんだ。キースの方もまんざらでなさそうだったのに、何を考えて軍になんか来やがったんだ。
すると刹那が、ようやく薄く口唇を開いた。
「俺は……弱くて……クズだな……」
車の音でほとんどかき消されるほどの小さい声だったが、ガデスはちゃんと聞き取って首を振った。
「確かに、今のおめえは強くはねえ。だが、クズじゃねえぜ」
「え」
刹那ははっとガデスの横顔を見つめたが、彼は前を見たままいつも通りの声で、
「弱い者がクズだってことはねえ。強いも弱いも関係ねえ、筋を通さねえ連中のことをクズというんだ。だから、おめえは違うだろう」
ガデスは別に刹那を慰めるためにそう言ったのではなかった。ガデスの考える正義は首尾一貫していることで、どんな犯罪者だろうと馬鹿だろうと、己の生き方に誇りを持つ人間、信念を曲げない根性には一応の敬意を払うことにしていた。刹那もまた自分の生き方を探して懸命になっていたのだ、馬鹿だし強くもないが、だからといって蔑むつもりはなかった。
しかし、刹那は再びうなだれた。
「よく、わからない……自分では……」
「そうか」
ガデスはそれ以上言葉を継がなかった。
刹那は彼の予想をはるかに越えたダメージを受けているらしい。何を言っても傷口に塩をすりこんでしまいそうなので、黙っていることに決めたのだった。
そうか。
いっそ、基地に連れ帰らない方が、刹那のためにはいいのかもしれねえな。
だが、だからといって放っておくのも心配だ。この様子じゃあ、ふとした瞬間に自殺でもしかねない。
まあ結局、俺が迎えにきて良かったんだ、とガデスは自らに言いきかせた。
刹那の脱走が知れると緊急に会議が開かれて、すぐに追っ手を、いっそ殺すべきでは、増幅装置は置いていったのですから誰でも対応できるのでは、などという話が出た時に、ガデスは真っ先に「俺が行く」と名乗り出ていた。
自分でも驚く早さだった。俺はそんなに刹那の心配をしてやってたのか、と。
リチャード・ウォンは眼鏡の奥で目を細め、疑り深そうな声を出した。
「それで、あなたの条件はなんです」
豪放磊落に見えるガデスの意外な計算高さを知っているウォンは、これを一種の取り引きと見たらしい。それならそれで構わない、とガデスは身を乗り出して、
「一つ、軍の他の人間にはいっさい手を出させるな。俺は群れるのが嫌いだ。一人で行かせてもらいてえ」
「いいでしょう。それ以外の条件は?」
「もう一つ。刹那の逃亡はウォン少佐殿に一番の責任がある筈だ。報酬は直接少佐殿からもらいてえな。……で、俺の希望をどこまでのむ気がある?」
ウォンは目を伏せ、少し考えてから返答した。
「本当に連れ戻してくれるのなら、全権をあなたに委任します。報酬はあなたの望みのままに」
「望みのまま、か。安請け合いをして後悔しねえか」
「あなたは頭のいい人です。分不相応な報酬は望まないでしょう」
「喰えねえ奴だな、相変わらず。約束は守ってくれよ」
「ええ、もちろん」
ガデスはクルリと身を翻し、片手を上げた。
「いいか、俺の自由にやらせてもらうからな」
「どうぞ。その代わり、必ず刹那を連れてきてください」
「わかってる」
知っている、ウォンはウォンなりに刹那の心配をしているのだということは。保身だけを考えているのなら、実験体など始末してしまえばよい。自らの手を汚すことにも抵抗のない男だ、刹那を死なせたいのなら難しいことなど何もないだろう。
だが。
どの面下げて、いまさら刹那がウォンに会えるというのだ。
逃げだした実験体が。
もうあなたの愛情になど期待しない、と飛び出した者が。
殴られた方の頬を青ずませて、うつむき沈み込んでいる刹那の肩を、ガデスはぐっと抱き寄せてやりたかった。そんなにしょげるな、俺がいるだろうと言ってやりたかった。
せめて、少しでもかばってやりたい。
さて、どうするか。
アクセルをさらに踏み込みながら、ガデスの思案は続く。
面倒な策をめぐらせると、かえってウォンに足元をすくわれる可能性が高い。
ここはいっそ正攻法か。
ガデスの口元にいつもの薄い笑みが戻って来る。
そうしよう。こっちが最初に攻めてやれ、と。

「よう、大将」
ウォンの私室にふらりと入ってくるガデス。後ろに痩せたシルエットを従えて。
「約束通り、ちゃんと刹那を連れて帰ってきたぜ」
仕事中らしく、ウォンは書類から顔も上げずに答えた。
「お帰りなさい。だいぶ時間がかかりましたね、ガデス」
「ほう、期日の指定をされた覚えはねえが?」
ウォンは無表情のまま新しい報告書をめくり、
「そうでしたね。ご苦労様でした、ガデス」
「言うことはそれだけかい、大将?」
ガデスの声のトーンが微妙に上がって、そこでやっとウォンは視線を上げた。
「では、あなたの望みの報酬を言って下さい」
冷たい声。ガデスの後ろにいる刹那をまるで見ていない瞳。
ガデスはピンときた。
実はウォンの方も、刹那と顔をあわせづらいのだ。だからことさら平気なふりをしているのだ。
なら、話は早い。
ガデスはふふんと鼻を鳴らして、
「俺の望みは、この件で刹那にいっさい罰を与えないことだ。誰からもだ。誰であろうと、失踪中のことを刹那に聞きたいなら、俺を通せ。尋問の際は必ず同席させろ」
「なんですって」
ガデスはニヤ、と不敵に笑って刹那の肩に腕を回し、グイとその首を抱き寄せた。
「いいか。今日からこいつは俺のもんだ。今後、おまえが手を出すことは許さねえ」
ウォンは探る瞳でガデスを見つめた。その真意は何だ、と。
「それは刹那が、これからはあなたの言葉だけをきき、軍の命令に背くことがあるかもしれないということですか」
「おいおい大将、俺がそういう意味で言ってるんじゃねえってことは判ってるだろう?」
ガデスの笑みは揺るがない。ウォンはすうっと目を伏せて、
「わかりました。私から刹那に手を出すことはしません。今度のことで刹那を罰するつもりは、最初からありませんでしたし」
「商談成立だな。じゃあ、刹那をもらっていくぜ」
ガデスは刹那の肩を抱いたまま、ウォンの私室を出ていった。
それから、大股で刹那の部屋のある方へ歩いていく。
「ガデス、俺は……」
歩きながら何か言いかける刹那に、ガデスは早口で押しかぶせるように、
「いいか、これは《貸し》なんかじゃねえぞ。俺が勝手にやったことだからな」
「でも……」
「そんな哀れっぽい声を出すんじゃねえ。あんな男は、おまえから捨てて正解なんだ。それだけ覚えとけ」
部屋の前まで来ると、ガデスは腕をほどき、刹那をしゃんと立たせた。
「今日はもう休め。ウォン以外の連中がうるさく何か言ってくる可能性もあるから、誰が来ても応対するな。なるべく部屋でじっとしてろ」
刹那は薄く涙を浮かべてガデスを見つめている。
こんなところで泣き出されてはかなわないので、無理矢理ガデスは刹那を部屋に押し込んだ。
「いいか、何があっても我慢しろ。どうしても困ったら俺のとこへ来い。わかったな?」
刹那は小さくうなずいた。
ガデスはほっとしてドアを閉めた。
弱い。あんな顔をされると。
しかも、あの刹那が。
もっと優しくしてやりたくなって、困る。
「ち、何を考えてんだ、俺は」
いつの間にか、俺は、刹那を――?
脳裏に浮かんだあらぬ考えを振り散らすと、ガデスは足早に自分の部屋へ戻っていった。

インターフォンの音。
ソファに沈んでグラスを傾けて始めていたガデスは、こんな夜更けに誰が来やがった、と眉をひそめた。無視してやろうか、と一瞬思ったが、ドアの向こうから聞こえてきた声に、トン、とグラスを置いた。
「……少し、いいか?」
刹那だ。
何かあったのか。
ガデスはドアを開けてやりにいく。
「どうした、ん?」
「入っても構わないか?」
洗いたてのようなこざっぱりとした顔。やはり少し泣いたのか、菫いろの瞳がうっすら赤い。いつもの白いスーツ姿だが、腕の増幅装置は二つとも外されている。まだ返してもらえていないのだろう。
「別に構やしねえが……飲るか?」
ガデスは低いテーブルの方に顎をしゃくった。
「ああ。すまない」
新しいグラスに大きな氷。ほんの少しだけ注がれた琥珀のいろの酒。
角を挟むように座った刹那は、それを両手で包みこむようにして、上目づかいに小さな声で、
「あの、さっき、俺のものって、言ってたろう……それで……」
ガデスは肩をすくめた。
なんだこいつ、そんなことを考えてやがったのか。
「あれは言葉の綾ってやつだ。気にするな」
刹那はグラスに口をつけた。それからそっぽを向くようにガデスから目をそらし、
「……もし俺が女だったら、おまえの嫁になれるのにな」
ガッハッハとガデスは大笑いした。
「嫁になってどうする気だ。おまえが俺の部屋を片付けて、飯でもつくってちんまり待ってるってのか? 気味が悪いぜ。それに、飯の腕前だって、俺のが上だろう」
そう言われると刹那も返す言葉がない。実戦部隊にいると身のまわりのことは一通り身につく。ガデスのように軍生活の長いものは、刹那よりなんでも上手いだろう。
ガデスはふと真面目な顔になって、
「それに俺は、惚れた女をどっかへ閉じ込めておくのは好かねえ。一人で待たせとくようなことはしたくねえ。俺の女は、いつも一緒に闘えるような強い女じゃねえとな。側にいて、互いの背中を守れるようなやつじゃなけりゃ」
どこか、遠い目。
「……そうか」
刹那は気付いた。
そういう思い出がガデスにもあるのだ。
三十余年も生きていれば、忘れられないひとの一人や二人、いても何の不思議もないが。
刹那はグラスを置いた。
すうっと立ち上がり、ガデスの後ろに行くと、その肩に両手をかけた。
「……抱いて……くれないか」
刹那は最悪の状況に思いを巡らせた。くだらない冗談を、と笑い飛ばされるか、軽蔑されて突き放されるか。それとも何を唐突に、と単純に驚かれるか。
ガデスはもう一口を啜りこむと、グラスを置いた。声をぐっと低くして、
「……抱いてもいいが、忘れさせてはやれねえぜ」
「え」
ガデスもすっと立ち上がって、刹那の瞳をじっとのぞき込んだ。
「本気で惚れてたら、そんなに簡単に忘れられるもんじゃねえだろう。それでも、俺が欲しいか?」
「ガデス」
ふっと涙ぐむ刹那。
「ち、泣くんじゃねえよ」
ガデスは刹那の顎を捕らえて、ぐっと引き寄せた。
「ふ、可愛い顔しやがって……もっと泣かせたくなるじゃねえか」
優しい愛情に満ちた声。
すがりつきたい。
「泣かせても、構わない……」
声が震える。
立っていられなくなりそうだ。
いっそキスでも何でもすぐにしてくれればいいのに、と思いながら刹那が口唇を噛むと、ガデスは苦笑を浮かべて、
「馬鹿、そんなことぬかすと、嫌だと言ってもやめてやらねえぞ。俺様は、本気になるとしつこいぜ?」
「いいんだ。もし、おまえが俺を嫌でないなら、それで……」
「馬鹿だなおめえは。後悔しても、知らねえぞ」

ベッドの上に投げ出されてから、やだあ、と何度子供のようにもがいただろう。
変な声が洩れて止まらない。
ふとした瞬間に悲しみが突き上げて涙がこぼれるのだが、ガデスの熱い掌がぬぐってくれる。そして、顔から首筋にかけてキスの雨を降らされる。慰められて苦しみが和らぐと、また腰を引き寄せられて。
「そんなに色っぽい声を出すなよ。簡単には終わらせてやらねえぞ」
「だ……駄目……あっ」
「やめねえと言ったろう? 何を言っても遅いぜ」
「違……そうじゃ……な……」
しがみつこうとしても、ぎゅっときつく抱きしめられてしがみつけない。離れた、と思うと凄い場所に舌を這わされ咬みつかれて、ふっと力が抜ける。口の中に滑りこまされた指を嘗めると、それだけで急所が熱くなってくる。恥ずかしいと思いながら、柔らかな舌の動きでガデスの指先を誘っている自分がいる。
「なんだ、もう結構イイんじゃねえか。中も濡らすか?」
「う……ふ……っ」
「いいんだな?」
足を開かされ、指をもぐりこまされて。
「あ、そこ、は……っ!」
身体の隅々まで撫でまわされ締め付けられ揺さぶられて、刹那は幾度も気が遠くなった。ガデスがこんなに情熱的に自分を抱いてくれるとは思わなかった。同情で触れてくるのだから、前の時より優しくしてもらえる、と心のどこかで思い込んでいた。
でも、どうしてだ?
どうしてそんなにしてくれるんだ。
もしかして、つけこまれてるんだろうか。俺が弱っているから何でも思い通りにできると思って、それで抱くことにしたのか。
それは違う。ガデスの顔は弄ぶ者の顔じゃない。自分だけ快楽をむさぼっているのでもない。
そういえばさっき、「忘れさせてはやれねえぜ」と言っていた。でも、こんな風にして、少しでも忘れさせようとしてくれてるんじゃないのか。
それともこれは、同情なんかじゃなくて?
駄目だ。
また達きそうだ。
「ふうっ……」
目頭が熱くなってくる。達きたいと悶えながら、もっと焦らして欲しいと思う。
何を考えてるんだ、俺は。身も心も愛されたいのか。ガデスにか。甘えたいのか。もうこんなに甘えてるくせに。もっと優しくされたいというのか。
何を今さら。
どうして俺は、ガデスの部屋を夜遅く訪ねてきた?
独りで寝るのがどうしても嫌だったからだ。そして、ガデスに、身体ごと慰めてもらいたかったからだろう?
俺はもう、二度とガデスに本気の勝負を挑めないだろう。こんな風に抱かれたら、闘いの最中に思いだしてしまうに決まってる。
ああ。
駄目だ。
俺を好きでないのなら、もうそんなにしないでくれ。
でないと、俺は……。
激しく責めたてられて頭の中が空っぽになる。前が熱くてたまらず、身体の奥が何度もきゅうっと引き締まる感覚に襲われて。声はほとんど悲鳴に近く、
「や……もうっ……あ!」

シーツの海の中、快楽の余韻にまだ震えている刹那を堅く抱きしめて、ガデスは熱く囁く。
「馬鹿だおめえは……馬鹿だぜ、本当に」
ガデスの首筋に頬を埋めた刹那は、小さく低く、
「……うん……」
その呟きを聞いたとたん、ガデスはギョッとしたように身体を離した。
そして、刹那が泣いているのでないことを確認すると、簡単に後始末を始めた。
「ガデス……?」
されるままボンヤリ見上げていると、ガデスは真面目な顔で、真面目な声で、
「少しは落ち着いたか?」
「え」
「眠れるなら、少し眠っておけ。俺は寝る」
刹那と自分を清め終えると、クルリと背を向けてしまった。
規則正しい呼吸。
ガデスは本当に眠ってしまったらしい。疲れているようだし、酒のせいもあるだろう。
刹那もこのまま、ここで寝ることにした。
脚の一部が、まだ少しだけ触れている。
そこだけ、熱い。
でも、その熱さが心地よくて、安らかな気持ちが胸に満ちる。
呼吸をあわせて、目を閉じた。

「おう」
目覚めた時、ベッドに腰掛けていたガデスの笑顔はいつも通りのものだった。
「よく眠ってたじゃねえか。何処でもぐっすり眠れるのはいい兵隊の資質だが、あんまり寝汚ねえと、眠ったままであの世行きってなことになっちまうぜ」
「あ」
よほど安心して眠りこけていたらしい。刹那が頬を赤らめると、ガデスはヘッドボードの脇に置かれた刹那の服を指さして、
「着替えはねえが、シャワーぐらいは使ってけ。俺はもう済ませたからな」
服はちゃんと畳まれていた。
その、心配り。
優しい。
そう、いつもガデスはこうだ。きっと、誰に対してもそうなんだろう。
でも。
刹那はそっと身を起こした。
「……あの、俺……」
「昨日はどうかしてたって云うんだろ? わかってる。ああいうのはおまえらしくねえ。それをどうこうクサす気はねえよ」
ガデスはさっぱりと笑って、
「あんまり気に病むんじゃねえぜ。誰でも、弱ってる時はあんなもんだ」
やっぱり、優しい。
刹那は薄く微笑み返した。
今、俺のこの胸の中に生まれた暖かい感情はなんだろう。
俺はどうして、あんなに深く絶望してたんだろう。
何故、あんなにむやみに少佐に愛されたかったんだろう。
必要とされなければもう生きていけない、とまで思ってたんだろう。
俺はガデスが好きだ。ガデスが俺を愛してなくても、惚れてなくとも構わない。仲間としてしか見てなくても。どのみちガデスは、あまり物にこだわらない男だ。友情と恋愛の境目など、ほとんどないに違いない。俺の欲しい愛情は激しく切ないものだが、ガデスの思いやりはそれよりずっと心地良い。ガデスはちゃんと俺のことを考えていてくれる。大事にしてくれる。
こういうのも、悪くない。
「ガデス。前からおまえにききたいと思ってたことがあるんだ」
リラックスした刹那の表情につりこまれて、ガデスは身を乗り出す。
「ん、何だ?」
「ガデスはどうしてわざわざ傭兵なんかやってるんだ? おまえは強力なサイキッカーなんだから、人に使われることなんかないんじゃないか?」
ガデスはホウ、と眉を上げた。刹那もそんなことを考えていたのか、と。
「まあ、俺もサイキックが発動する前から傭兵だったからだな。あとは、戦場の高揚感に魅かれてるってのもあるな。何のために生きるかなんて考えるヒマはねえ、殺られる前に殺る、味方が殺られたら殺りかえすって単純な理屈しかねえのがいい。自分がどれだけの力があるか試せるしな。一人だけ助かるのも、一個小隊を率いて全員生き延びさせるのも、テクニックと運だけじゃどうにもならねえ。それがいろいろと面白れえから、軍隊なんぞに居ついてるんだな」
刹那はじっとガデスを見つめた。
ありったけの思いをこめて、一言。
「俺、いつか、おまえと一緒に行っていいか?」
ガデスは一瞬ハッとしたように刹那を見返したが、すぐにふん、と鼻で笑った。
「……ついてきたけりゃ、ついてこいよ」

(1998.10脱稿/初出・恋人と時限爆弾『ついてきな(ARE YOU GOING WITH ME?)』1998.12)

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All stories written by Narihara Akira
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