『幻 視』


大谷刑部吉継が、御文庫に籠もって何やら調べている。
「やれ、こんなものしか出てこぬか」
《かまどの煙たなびけば雨》《煤が落ちると雨》《鱗雲の出た明くる日は雨風》《東風吹けば雨》《出雲は天気、入雲は雨》《四方に雲なくば三日の雨》《日がさ月がさ出ると雨》《三味、太鼓の音が濁るは雨の兆し》《星がちらつくと雨》
観天望気の類だが、陰陽道をかじっている吉継は、みな知っていることばかりである。
「ふむ、まあ、これはよいな」
《月色きわめて赤きは干天の兆し》
通常、月が赤くなるのは湿り気の多さからくるが、夏の場合、赤い月は乾いた砂が舞い上がるためにおこるので日照りになる、ということわざだ。凶事の先触れではあるが、悪くはない。
なにしろ石田三成は、雨のいくさが不得手である。
むろん、荒天が得意な武将などいない。だが、石田軍の強さは、あの驚異の進軍速度あってこそ。その足が鈍るのは、誠によろしくない。
そもそも太閤が斃れた日も、篠突く雨の日であった――。
とにかく、三成が仇敵を倒す日は、晴れておらねばならぬ。
むろん、雨なら雨の策をたてねばならぬが、いくさを雨の日にもちこまぬようにするのが肝要だ。
さて、どうすれば。
「いや、そもそもどうして、われがこのようなことを考えねばならぬのよ」
豊臣に見いだされた恩はある。主君秀吉に「おまえに百万の兵を与え、思うままのいくさをさせたいものよ」と言わしめるほどの悟性を買われて、早々に出世してきた。そのため、病を得て武功をたてられなくなっても、従五位下・刑部少輔として重んじられてきた。
なので家康が専横する世は、彼にとっても面白くはない。
太閤が亡くなった今、豊臣の世を守り、忠義を尽くそうとするのは、あの痩せっぽちの才槌頭だけだ。
「そう、われが三成に助力する理由は、ただそれだけよ」
なにしろ板輿に乗らねばいくさばを見渡すことすらできぬこの身で、献策の他、何ができよう。
雷に打たれたような激痛に襲われる日は、この世を呪いながらのたうち回る。
身体が麻痺して動かぬ日は、何もかもが面倒で、誰が何をしようが、どうでもよかろうと呻く。
そんな中、唯一の希望となるのは……。
書物をたぐる吉継の手が、ふと止まった。
「ほうきぼし、か」
出てきたのは、大きな帚星を描いた木版画であった。長い尾を引いて空を横切る白い星。七十年ほど前に飛来した時の記録のようだ。陰陽師達が言うには、あと数年もすると、再び姿を現すらしい。
「ふむ、雨の代わりに、星を降らすか」
帚星も凶事の先触れといわれる。これが降れば面白いが、もはやそう長くは待てまい。
だが、一晩中、晴れた空を見上げていれば、星のひとつやふたつ、落ちてくるものだ。
こんな大きな星でなくとも、流星雨が降り注ぐような夜であれば、こちらに勝機があるやもしれぬ。
星を呼び寄せるほどの呪術は持ち合わせていないが、天文の記録をじっくり調べれば、星降る夜がいつ来るかぐらい、わかるのではないのか。
徳川の進軍速度は不明だが、上杉や真田の助力を得られれば、すこしは時も稼げるだろう。その他の武将も調略次第で、加勢してくれるかもしれぬ。
できればどこかの支城であの男を迎え撃ちたいが、もし野戦に持ち込まれるとしたら、天然の要害である関ヶ原あたりで決戦か……霧が出るかもしれぬな……。
吉継は書物に埋もれるようにして読み始めた。病のせいで霞んでいる目をこらしているうち、日は傾いた。
「うむ、この夜であれば」
長月の半ばあたりに、星が降る日があるかもしれない。
吉継は痛む目を閉じた。
あまたの屍の中に、主君から賜った陣羽織姿の三成がたたずんでいるのが見えた。
曇ひとつない夜空から、死者の魂のごとく、無数の星が落ちてくる。
その足元に転がっているのは、家康の骸だ。
三成はこちらを向くと、白すぎる頬に微笑を浮かべた。
「刑部。貴様のおかげで、私は」
吉継の声はかすれた。
「われは何もしておらぬ。なしたのはぬしよ。ぬしこそが豊臣の一番星よ」
「刑部。しっかりしろ。こんなところで倒れている場合か」
……ん?
目の前に身を屈めた三成の顔があった。
いつの間にか、御文庫の棚にもたれて眠ってしまっていたようだ。
あまりにも鮮やかな幻であったので、今、目の前にいる三成も夢のようだ。
「身体を冷やして良いことはない。板の間でなく部屋で寝ろ」
ぶっきら棒な物言いだが、月が明るい夜なので表情は見える。
ひどく心配そうな顔だ。
三成の声が低くなる。
「そうか、貴様は星を読むのだったな。いくさの段取りを考えていたのか」
「いや、われは何も」
愚にもつかぬ調べ物をしていたとは言えず、吉継は言葉を失った。
もう、己ができることは、ほとんどない。
だからこそ、まじないの類に頼ろうと思っている。
なぜそんなことをするかと言えば、おそらく、先まで見ていた夢のように、この男にありがたがってもらいたいがため――
吉継は全身が火照る思いがした。
しかし三成は何も気づかない様子で、すうっと身を起こした。
「身体をいとえ、刑部。貴様のすることに間違いがあるはずもないが、貴様なしでは立ちゆかぬ。何もかも任せきりですまないが、あの男を討つまでは、よろしく頼む」
そう呟くと、白い頬に微笑を浮かべた。


その時、吉継の心に、無数の星が降ってきた――。



(2021.7脱稿。あまぶん企画・星空印刷参加作品)

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Written by Narihara Akira
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