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掛札悠子『「レズビアン」である、ということ』(河出書房新社)復刊をめざして!
Narihara Akira です。
皆さんは、掛札悠子さんの『「レズビアン」である、ということ』の復刊投票の動きをご存じでしょうか。
論文の資料のために読み返そうと思い、地元図書館に借り出しにいったところ(掛札さんのサイン入りを自分でも持っているはずなんだけれども、資料の山に埋もれ…それとも誰かに貸したまま?)、すでに廃棄されていて、A市の書庫にあったのをやっと貸してもらえて、読み返してみました。
読んだ当時(すでに発売から一年近くたっていたはず。地元図書館の心理学の棚の下の方に押し込まれていて、手にとったのが最初)、物凄い衝撃を受けました。
「世の中にはこんなに頭のいい人がいるんだ!」
その本を書いたのが、自分とそんなに年の違わない(しかも書くのに二年かかってるんだから上梓の年月日よりさらに若い時から書き始めている訳です)人であることも驚きでした。今読んでも驚く。この本の中に詰め込まれた内容の濃さと手際よさ、明晰さに。これだけ年月を重ねても私はまだおいついていません(もちろん当時の風俗を織り込んでいる以上、内容は多少古くなってはいる訳ですが)。きっと追い抜けない。
二十代の女として、社会的にも個人的な生活においても袋小路に入り込んでいた私に、一つの突破口を開いてくれた本でした。「私にとってもっとも大切な人は○○さんという女性である」――その関係がレズビアンである、ということなんだと掛札さんは言う。奇妙な性行為を行う、ポルノのイメージに汚染された幻想の女性ではないんだと。それはとてもわかりやすかった。言われてみれば当たり前のことだった。そしてこの本は、私の中にあった女性差別(女性として女性を差別、嫌悪することね)を少しずつ打ち壊しはじめたのです。
論文で引用しようと思って、ネットで検索してみたところ、すでに絶版になっているとのことなんですが、以下の【復刊ドットコム】のアドレスにこの本が登録されています。投票が100票に至ると復刊交渉が始まるそうですので、ご友人も誘ってぜひ投票して下さい。社会学的にも女性運動的にも意義がある本なんだけれども、それよりなにより、今生きている人生になんらかの違和感を感じている女の人には、広く読んでもらいたいのです。図書館の片隅にはまだ生き残っているはずですが、それだけでは決して足りないでしょう。「読んでみたい」の一言でいいのです、ぜひ。
投票はここへ→ 【http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=6529】
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