『遠 慮』


マズった、と左近は思った。
戦というほどでもない、ほんの小競り合いに駆り出されたのだと思って油断していた。
なのに敵の数は予想より多く、左近隊と混戦になった。
自分が斬り込んでいっても、すぐに劣勢は挽回できそうにない。
どう動けば、と迷った瞬間。
「何をしている」
低い囁きが聞こえた次の瞬間、見慣れた白い陣羽織の背が、人が団子になっているところへ飛び込んだ。
ハッとして左近もすぐに続いたが、三成一人が飛び込んだだけで、戦況は完全に変わった。ほどなく敵は殲滅された。
小さな鍔鳴りの音が響く。三成はすらりと振り返った。
「引き上げるぞ、左近」
息もきらさず、羽織に血しぶきすらついていない。
誰でもためらうような乱戦に迷わず突っ込んで、見事に敵だけ仕留める、その技量と目配り。
マジで凄えや、と左近はため息をついた。
「三成様って、怖いもの、ないっすよね」
「あるぞ」
左近は首をすくめた。
「すんません。訊いた俺が馬鹿でした」
大谷刑部吉継に決まっている。
実際、吉継を敵に回さない方がいいのは、言うまでもない。
ただ、これが念の入った惚気だったりするので、始末が悪い。
三成は簡単に後始末を指示すると、自分の隊へ引き返していく。
あわてて左近は後を追った。
「すんません、俺、モタモタしてて、三成様をわずらせちまって」
「いや、戦況を見誤ったのは、むしろ私だ。だから様子を見に来たのだ。だが、貴様の隊は、少し鍛錬が足らぬようだな。半兵衛様に新たなご教示を受けたか?」
「ま、まだです」
「では、調練を見てもらえ」
「了解っす」
それでも左近がついてくるので、三成は歩く速度をゆるめた。
「なんだ。何か訊きたいことでもあるのか」
「いや、あの」
三成は目を細めた。
「もしや貴様、刑部に何か言ったか」
思わず左近の背筋が伸びた。
「刑部さん、なんかいってましたか」
「思っていたほど、貴様は愚かではない、と……二人して何を隠している」
「いや、別に隠し事じゃ」
「左近。刑部は何でもこなせるが、身体は一つしかないのだ、あまり迷惑をかけるな」
「いや、迷惑とか、そんな」
「では、なんだ」
「たまに俺、刑部さんに殺されるんじゃないかって思う時、あって」
三成はついに足を止めた。
「貴様ごときを、刑部がか?」
左近は震え上がった。三成の背中から、闇色の殺気が立ちのぼっている。
「貴様が刑部の相手になると、いや、相手にされるとでも思っているのか」
下手なことを言うと、この場で斬られてしまいそうな勢いだ。
「お、思ってません、思ってませんよ!」
三成はムッとした顔のまま、
「何をおびえている。私も貴様を殺す気などない。刑部が頼もうとだ」
「は、ハイッ、わかってます」
「では、なんだ」
左近は頭をかきながら、
「ここんとこ、イイ気になってるって、ちょっと、叱られちまいまして」
「事実だな。珍しいことだが、刑部も貴様を甘やかしすぎたと思ったのだろう」
「み、三成様ァ」
「変な声を出すな。私の左にいたいのなら、しっかりしろ。あまり油断があるようなら、先駆けなど任せられん」
「そ、そっすよね」
「刑部は難しい男といったろう。人当たりがいいからといって、甘えすぎるな」
「ういっす」
「わかったなら、いい」
三成はようやく表情を戻すと、左近の髪をクシャリと撫でた。
「あの、三成様、それ」
左近は視線をさまよわせながら、
「俺は、めっちゃ嬉しいんすけど、髪、人前で、その……」
三成は、ハッとして左近を見つめた。
「そういうことか、刑部」


頭に触れるのは、本来は非礼なことである。それぐらいは三成も知っている。子どもや親しい相手に対してならともかく、普通はさわらない。まして吉継は病人だ。肌の手入れがしやすいよう、剃りあげはしないものの、髪を短くしている。なので三成は、あまり吉継の髪をどうこうすることはなかった。吉継もまた、三成の硬い髪を愛撫することは、ほとんどなかった。
なのに昨夜は、ずいぶんと執拗に、三成の髪を撫でた。
「刑部」
「ん」
「悪くない」
互いの口を吸い合って、とろりとしてきたところで、吉継は三成の髪に指を入れて、丁寧に梳いた。軽く髪をひかれる感じが心地よく、三成も吉継の頭皮に触れる。爛れている様子もなく、痛みを感じているようでもないので、自分と同じく心地よいのかと思いながら、優しく髪を乱す。
「みつなり……」
吉継がもう、甘えた声を出している。さらに髪の奥へ指を入れ、顔じゅうに唇を押す。くすぐったいのではないのかと思うが、されるままだし、なにやら嬉しそうだ。機嫌のいい時の吉継は反応が敏感なので、触りがいがある。感じやすい場所を指でなぞり、肌でなぞり、一番熱い場所をすりあわせる。すると、吉継が三成の胸を押した。自分が上になると、三成の肩に頭を預け、身をすりつける。
三成は驚いた。こういう可憐な仕草は、終わった後のご褒美のようなもので、まだすっかり始まってもいないうちから、吉継がぺったりと甘えてくることなど、めったにない。これからどうしたらいいのか迷いながらも、髪を撫で、背中を撫で、あやすように吉継の身を軽く揺する。満足げなため息が漏れたので、これで正解だったようだ。もうしばらく、よしよしと抱いていると、吉継の方からまた、口を吸ってきた。
「われから、してもよいか」
「いいに決まっている」
吉継は薄笑って、
「後悔するやもしれぬぞ」
「何をされても本望だ」
「左様か」
吉継は三成の胸元を撫でながら、
「ぬし、いつも、してもよいか、とわれの顔色をうかがっておる」
「うん?」
「病人のわれを、いたわってくれているのであろ。やれ、嬉しや」
「刑部」
三成は目を細めた。
「病人だからではない。ただ、刑部が良いようにしたいだけだ」
「今更そんな、隔てをおかずともよい」
「へだて?」
「ぬしに触れられるは心地よい。ほんにほしるなら、迷わず抱けばよい」
「ああ」
三成は吉継の背に腕をまわして、
「本当に欲しい」
そのまま強く抱きしめると、吉継の身体がふたたび柔らかくなる。
好きだから、大事にしたい。
それは伝わっていると思っていたし、吉継の矜持をくすぐってきたはずだが、それでは物足りない夜もあるのだろう。普段の可憐さについ忘れてしまうが、三成よりずっと欲の深い男だ。
熱く硬い己を、あらためて吉継の腰にすりつけながら、
「だから刑部も、欲しいだけ、私を……!」


三成はたっぷり満たされて目が覚めたが、翌朝の吉継はけだるげで、やはり辛かったのではないか、と不安になった。自ら留守居を申し出ることもまれなので、本当に具合が悪かったのではと、後ろ髪ひかれる思いで出陣してきたのだ。
「私に隙があったな」
三成は目を伏せた。
「左近」
「はい」
「私は貴様に、すまない、と思っているのかもしれない」
「え。え?」
「貴様が悲しそうな顔をしていると、慰めたくなる。喜ぶ顔が見たいと思う。それを、刑部に見抜かれていた。そういうことなのだろう」
思わぬ告白に、左近は動揺した。
三成様が、俺が喜ぶ顔が見たい?
マジでゆってんですか、三成様?
髪を撫でてくれようとしたのも、そういうこと?
「私は刑部に頼まれても、貴様を殺したりはしない」
「え、は、ハイ」
「だが、もし刑部を害そうとしたら、問答無用で貴様を殺す」
「そんなん、ありえないっすよ! 理由もなんもないし、第一、今の俺の腕で、刑部さんを殺れるわけ、ねえっしょ!」
「理由はないな?」
「ねっす!」
「ならいい」
三成は左近に背を向けた。
「わかっているなら訊くな、とは、いわないが」
え、と左近が首をかしげると、
「私の命は秀吉様のものだが、魂は刑部のものだ。それを何度も、いわせるな」
そのまま足早に去って行った。
左近はその背中を、ぼんやり見送った。
「あー、そら、そっすよね……」
ふらふらと歩き出しながら、左近は今の会話を反芻した。
三成様に、隙なんてあったか?
ってか、すまないと思ってるってことは、俺ってマジで特別扱いされてて、だっから、刑部さんの反感、かったのか……。
「すんません。今度から、もちっと遠慮しときます、三成様」
俺が刑部さんに殺られちゃたりしたら、まあ、俺は自業自得とかかもしんねーけど、三成様がキッツイもんな。
「マジで、殺られ、るんかな?」
左近は首をすくめた。
《俺がいなくても、三成様は生きられるもんな。でも、刑部さんがいなかったら――》
ヤベ、余計なこと考えてるヒマあったら、半兵衛様のとこでもいって、調練の方法でも聞いた方がマシだ。
左近は急いで三成の後を追った。
今はまだ守れなくても、もしかして、その日が来るかもしれない。
その時のために、俺は、たぶん、ここにいるんだから――。


(2016.6脱稿)

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Written by Narihara Akira
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