『約 束』
「紀之介、なぜ離して敷く」
大谷紀之介が、わざわざ布団を離れた場所に広げたので、石田佐吉は不審げな顔をした。
紀之介は苦笑して、
「いや、あの噂が、ちとなァ」
「気になるのか」
「いや、今さらわれは気にせぬが、ぬしは気にならぬのか」
「紀之介が気にしなければ、私が気にする必要はないだろう。それに」
佐吉は首を傾げて、
「そんな敷き方をしたら、かえって不自然ではないか。布団を離しておいたからといって、何の証がたつ? 誰に見せるつもりなのだ」
「やれ、別の部屋でも願い出るしかないか」
佐吉はふん、と鼻を鳴らして、
「いくら布団を離そうが、別の部屋をもらおうが、噂そのものはかわらないだろう。どうせ最後は、ひとつ布団で寝ているのだ」
「佐吉、それを外でいってはいまいな?」
「隠すようなことではないだろう。噂といってもほんとうのことだ」
佐吉と紀之介が共寝しているということは、小姓たちの誰もが知っている。
紀之介が豊臣の軍に仕官してきた時、気むずかしくて朋輩にうちとけない子どもと思われていた佐吉が、いきなり懐いた。どうしてそこまで気に入ったかわからないが、用事がある時はもちろん、ない時でさえ、やや年長の紀之介に寄り添って、難しい話も柔らかな話も何でもかまわず語りかける。若い二人はまだ、ひとりずつの部屋を与えられてはおらず、つまり同室で寝ているので、「佐吉が口説いて紀之介がおちた」という話になるのは当然の結果だった。ただ、いくさが常態化しているこの時代、男同士で寝るのはなにも珍しい話ではない。主君の手がついているなら話は別だが、やりたい盛りの少年が、手近な者とくっついたからといって、わざわざ指さしたりはしないものだ。
だが、最初は紀之介は、佐吉と寝るのを拒否していたのである。
同じ部屋で寝支度をする紀之介を佐吉は何度も口説き続けて、紀之介はそれを、のらりくらりとかわしていたのだが――。
ある夜、まっすぐに自分を見つめる佐吉から顔を背けることができなくなり、紀之介はついに、こう宣言した。
「期待にそえぬ。ぬしとは寝ない」
「私が嫌なのか」
「ぬしのことは好きよ。それゆえな」
佐吉は眉を寄せた。
「意味がわからない」
「われは清くないゆえ」
「清くないとはどういう意味だ」
「すでに花を散らしているということよ」
佐吉はますます眉間の皺を深くして、
「気にしなければいけないことか? しかも豊臣に来る前の話なのだろう? もし秀吉様が紀之介の念者というなら、私も潔くあきらめるが、それはありえない話だからな」
「いや、だからぬしは清いのであろ? 誰とも寝たことはなかろ」
「私が初めて抱くのが紀之介では、なにかまずいのか」
紀之介はため息をついた。
「われはもともと淫乱な性なのよ。気に入れば誰とでも寝る。だからぬしの相手にはふさわしくなかろ、とゆうておる」
佐吉はそれがどうしたという顔をして、
「紀之介は情が深いからな、慕ってくる者を無下にできないのだろう。それは淫乱とはいわない。仕方のないことだ」
意外な度量をみせるので、紀之介の方が顔をしかめて、
「仕方がないですませてよいのか」
「紀之介ほど優れた男なら、好く者は少なくないだろう。その中には、紀之介が愛いと思う者もいるだろう。面倒をみれば情も湧くはず、それをいちいち咎めだてする気などない。むりやり手籠めにされたというなら、私が相手を切り刻んでやるが、不逞の輩に紀之介が、そうやすやすと身をゆるすわけもないからな」
「佐吉……」
紀之介は困りはてた。佐吉のことが好きで、気に入れば誰とでもといった以上、紀之介が拒む理由は、ほぼなくなってしまっている。
しかも「自分だけとしてくれ、自分だけを見てくれ」とはいわぬ、というのだ。
しかし、紀之介の佐吉への気持ちというのは、危なかしいところがあって放っておけないという保護欲が一番強いので、可愛く思っているが、欲情の対象にはしたくない。
ところが佐吉はその気持ちを知ってか知らずか、
「どうしても紀之介が寝てくれないというなら、不本意だが、どこかですませてくるしかないのか」
真顔で言い出したので、紀之介は目をむいた。
「そのようなことをゆうておるのではない」
「私の身体が、いやなのか」
佐吉はするりと帯をといて、白い肌を淡い灯火のもとにさらした。
ほっそりとした少年の身体は、成長途中ではあるものの、日々の鍛錬のおかげで均整がとれている。みずみずしく清潔な肌は、紀之介の目にも美しかった。
「ぬしはな、ほんにキレイよ」
「私が綺麗だというなら、紀之介もだ」
紀之介はため息をついた。
「やれ、根負けした。もうぬしの好きにしやれ」
「いいのか」
佐吉の瞳が輝いた。
「ヨイヨイ。この身をくれてやろ」
初めてで何も知らないのなら、むしろ手ほどきぐらいしてやってもよいではないか。他の面倒もみているのだ、これもそのひとつと思えばよいと、紀之介はようやく割り切った。
佐吉が他の者を求めてみて、結果がよければそれでよいが、初回というのは何かといろいろあるものだ。佐吉がいいかげんな相手を選んで嫌な思いをするのは見たくない、いっそ自分が抱かせてやったほうがよいかもしれぬ、と。
佐吉は頬を染めながらも、するりと紀之介を抱きしめた。
かすれた声で、低く囁く。
「初心ゆえ、よろしく頼む」
佐吉が眠りに落ちてからも紀之介は眠れず、しばらく茫然としていた。
《これは、いったい……》
誰の肌にも触れたことのないはずの佐吉が、どうして口吸いの作法やら、感じやすい部分の触れ方やらを知っているのか。
もちろん動きはぎこちなく、手慣れた様子はない。実地で学んだのではないだろう。
《われに隠れて、どれだけ艶本を読んできたのやら》
紀之介はため息をついた。
佐吉をなだめつつ、教えてやろうと思っていたことが、何ひとつできなかった。
それどころか、初々しい佐吉の手つきが、かえって紀之介の心を乱した。いくら経験が豊富とはいえ、紀之介も若い。敏感な場所をさすられれば、甘い声もでてしまう。佐吉はいかにも嬉しそうに紀之介の身体に触れ、口唇をはわせ、身をからませて己を昂ぶらせてゆく。紀之介も切なさが募って、すりあわせられるだけで堪らなくなり、佐吉が達くのとほぼ同時に、自分も溢れさせてしまった。
佐吉相手にこんな、と恥ずかしさに身をすくめていると、溢れたものを佐吉が嘗めはじめた。
「やめやれ、口にするものでない」
あわてて制止しても佐吉はやめず、すっかり嘗めきってしまうと、
「きれいになった」
自分のものも懐紙で始末すると、佐吉は再び横になった。
「すまない、眠くなった。やすむ」
そのまま紀之介に身をよせると、コトンと寝てしまった。
「佐吉」
呼びかけてももう、目を開かない。
昼の疲れが出たのだろう、本当に寝てしまったようだ。
《ぬしはまさか、知らぬのか……それとも、知っていても犯る気はないのか》
われを清い身ではないと知っているから、最後までしなかったのか。
それともただ、自分もよくなったので気が済んだか。
これで「した」と思わせておいてよいのか?
《それでもまあ、構わぬがな》
身体の相性が悪いということもなさそうだ。
また佐吉が誘ってきたら、よりそってやればよい。したければするだろうし、したくなければしないだろう。男女問わず、相手に不自由しない自分が、うぶな佐吉に何かを期待する方が間違っている。
そう思って、その宵は紀之介も佐吉と静かに息をあわせて眠った。
のだが。
それから何度寝ても、佐吉は最後までしなかった。
ひとつ布団で寝ていると触れまわっていながら、実際にやっていることは幼子の戯れとさして変わらぬということに、紀之介の方が焦れてきていた。
「ひとにいうのは感心せぬなァ。共寝というのは、ぬしが思うていることと、いささか違うものゆえな」
佐吉は首を傾げた。
「違う?」
「もうちと、先がある」
「ああ」
佐吉はうなずいた。
「あるな」
「知っておるのか」
「まだ知らぬが、あることだけは」
「知っていて、それでもせぬのか」
佐吉は急に頬を染めて、
「ほんとうに紀之介と、ひとつになってもよいのか」
その顔に、ほんとうはしたい、と書いてある。
これはかわゆい、と紀之介は思った。ツンと澄まして道理ばかり唱えている佐吉が、情らしい情を見せ、甘えるような瞳で自分を見ている。しかも初めての晩ではみられなかった、やや慣れたふうの媚態だ。
「好きにしやれというのは、そういうことよ」
佐吉はいよいよ赤くなりながら、
「それは元服して、新しい名をいただいてから、と思っていた」
紀之介はハア、とため息をついた。
「われは初めてではない、とゆうたであろ」
佐吉と寝るようになってから、朝帰りの日数が減った。
誰かと遊んできた日には、佐吉にけどらせまいと、どれだけ疲れていようと、すっかり奥まで清めてから部屋へ戻った。
なのに当人ときたら、大人になってからと思っていただなどと。
佐吉は喉を鳴らし、口唇を嘗めながら、
「紀之介も、欲しいのか」
その瞬間、紀之介の身体が震えた。
そう、欲しいのだった。
海千山千のはずの自分が、目の前にいる童子のような佐吉に犯され、むさぼりつくされたいと思っている。
「焦らされるのは、あまり好まぬゆえなァ」
こたえる声がかすれてしまい、紀之介の頬にも血がのぼった。
「わかった」
佐吉は文道具をいれた小箱を引き寄せ、中から白い塊を取り出した。
それが何なのかわかって、紀之介は思わず、ヒヒ、と力の抜けた笑い声をあげた。
練り木と呼ばれる、トロロアオイの花からとった潤滑剤である。水分を含ませてから中へ塗り込むと、ほどよい粘度となって相手を傷つけずにすむ。この時代にはまだ一般的ではないのだが、頭でっかちな佐吉らしく、いろいろ調べて用意だけはしてあったらしい。
「佐吉」
「なんだ」
「使い方を知っておるのか」
「だいたいは」
「いったいどこで、そのようなものを手にいれてくるのやら。うぶだと思うておったが、閨のことにかけては、ずいぶん熱心よの」
佐吉は目元を赤くして、
「そうでもしなければ、いつまでたっても紀之介とつりあわぬ。私は紀之介が初めてなのだから、追いつくのにどれだけかかることか。待っていてもらうわけにもいかない」
そういいながら、紀之介の掌をとって己の薄い胸におしつけ、
「紀之介に、してよいといわれただけで、私は、こんなだ……」
鼓動の早さを確かめさせる。
「佐吉」
かわゆい。
普段が普段なだけに、そんな仕草もたまらなくかわゆい。
こみあげてきた愛しさのままに、紀之介は佐吉の柔らかな頬にくちづけ、
「ぬしはわれのトクベツゆえな。そんなもので慣らさずとも、ぬしのものなら、われがよく、濡らしてやるゆえな」
「紀之介」
「ぬしは良い子よ、優しい子よ。われはぬしに抱かれるのが好きよ。つりあわぬなどと恥じることなど、なにもないのよ」
紀之介はようやく自覚した。
弄んではならぬ相手だからこそ、いろいろと言い訳をして佐吉を回避しようとしていたことを。
もう噂などどうでもよい。われは佐吉が好きで、佐吉がわれを好きで、それになんの悪いことがあろうか。
「瑣末が気になるならば、われが知っていることは、みな教えるゆえな。ぬしが生涯、忘れられぬ夜にしてやろ」
「紀之介ぇ」
甘えるように倒れ込んでくる佐吉を、包みこむように受け止めながら、紀之介は微笑んだ。
噂をする者どもは、こんな可憐な佐吉を想像することすらできまい。
われしか知らぬとは、まこと愉快なことよなァ、と。
* * *
少数精鋭といえば聞こえはいいが、初期の豊臣軍は他軍に比べて人員すくなく、なかなかに忙しかった。
小姓として仕えれば、文字通り奔走しなければならない。いくさばであれば秀吉を身をもって守り、平時であれば情報収集をし、同盟相手とこまめに行き来をして繋ぎをつけ、必要とあれば頭の中ですかさず算盤をはじき、客人がくればもてなし、仕官希望者がくればその対応をするなど、やることなすこと山のようにある。夜中であっても城を訪なう者がくれば、飛び出していって主君の足元を照らすようなこともせねばならず、近くにいればいるほど気が休まらない。
成人すれば、なおさら仕事は増える。
つまり、大谷刑部吉継の帰れぬ夜は増えていた。
石田治部少輔三成も同様だったが、帰ってきた夜はたびたび吉継の寝室へいき、そこでずっと待ち続けることがあった。周囲もそれを知っているので、何かあると吉継の部屋に、遠慮がちに声をかけにくるほどだった。
つまり、佐吉・紀之介二人の仲は思春期の戯れに終わらず、元服をおえ、三成と吉継と新たな名をもらい、二十歳をこえた今も、恋仲として続いていると思われていた。
実際、三成が求めれば吉継はその身を開いて応えていたから、間違った認識というわけでもない。
三成はすっかり背がのびて、キリリと涼やかな容貌の青年になった。剣の腕前もなかなかのものとあって、男女問わず憧れる者が増えてきていた。吉継も美丈夫となり、そのまろやかな性格ゆえに、あいかわらずあちこちで袖をひかれていた。
そんなある夜。
「いたか、三成」
「ああ。遅かったな、刑部」
笑顔で迎えようとして、三成は凍りついた。
吉継が笑っていない。
「ぬしに大事な話がある」
「なんだ」
「耳を貸しやれ」
「ああ」
吉継はようやく聞き取れるほどの小声で、
「これからいうことは、誰にもゆうてはならぬ。けぶりほども匂わせてはならぬ。ぬしを信じていうのだから、けっしてもらさぬと約束しやれ」
三成はうなずいた。
「約束する」
吉継はさらに声を低めた。
「御医がいうには、われは……になった」
「なに!」
三成が大声をあげそうになったので、吉継はその口を塞いだ。
「やれ、外に聞こえてしまうであろ」
「すまない」
三成が目を伏せて謝ると、吉継は続けた。
「七日の後に、その道に詳しい御典医にあらためて看てもらうことにしたが、ほぼ間違いなかろうとのことよ。どこでうつったものか、よくわからぬのだが」
「わかった。もらさない」
真偽がはっきりせぬもの、しかも病の話だ、よくない噂がたってはいけない。
しかし、身を縮めてゆく病にとりつかれるなど、闊達な吉継におよそふさわしからぬことで、三成は胸がしめつけられる思いがした。
「すこし養生して様子を見ていよという話ゆえ、ぬしと触れあうこともできぬ」
「わかった」
「いずれは報告もせねばならぬ、知れてゆくことであろ。だがそれまでは、頼む、三成」
三成はうなずくしかなかった。
だが。
「せめて刑部のかたわらで寝ることはできないか。布団などいらない、ここで」
「すまぬが今宵は、ひとりで寝たい」
「わかった」
すっかり打ちしおれて、三成は吉継の部屋を出た。
その夜は己の冷たい布団に身を横たえても、なかなか眠ることができなかった。
数日後。
三成は旅支度を調えて出ようとしている吉継と廊下で出くわし、目を剥いた。
「どこへゆく」
「太閤のつかいでな、ちと出かける。ナニ、近場よ、二日もあれば戻れるゆえな」
こともなげにいうので、三成は思わず、
「養生していなくていいのか」
「むろん馬でゆくのよ。心配せずともよい」
「私がかわりにゆく。だめなら一緒にゆく」
「ぬしにはぬしのつとめがあろ。危険のないしごとゆえ、つきそいもいらぬ」
「だが」
「なんといって、われといくつもりよ」
「それは秀吉様に、刑部のからだのことを……」
と、いいかけて三成は口をおさえた。
折悪しく、そこへ小姓がやってきて、
「大谷様、馬の用意がととのいました」
「すぐにゆく」
吉継は鷹揚にうなずいて、小姓をさがらせた。
「三成」
冷たい声がその場に響いた。
「ぬしはそんなにもたやすく、約をやぶる男であったか」
吉継の瞳がこれほどまでの怒りに燃えているのを、三成は初めてみた。
けぶりほどにも匂わせるなといったはず、それなのに、人がきくだろう廊下で、いったい何をいいだそうとしたのか、と。
「われはぬしを心から信じておった。だが、信じられぬのであれば、ぬしには何も話さぬ。二度と話さぬ」
返事を待たずにその場を去った。
それから十日ばかりすぎた頃、三成が倒れた。
ただでさえ、吉継の病変に気づけなかったという悔しさがある上に、口もきいてもらえなくなったのだ。食事どころか水さえまともに喉を通らなくなり、夜もよく眠れなくなった。もともと脂肪の少ない身体だ、いくら若くて体力があろうと、仕事をしながらの断食状態は、そう長くもちはしない。もう涙もでないような有様になった。
「あまり無理をしてはいけないよ、三成くん」
なんと軍師の竹中半兵衛が見舞ってくれた。申し訳なさに思わず身を起こそうとしたが、やはりすぐに起きられない。
「いいんだよ、そのまま寝ておいで。あとで粥を運ばせるから、少しでも食べるんだよ」
三成は枯れた喉を鳴らして謝った。
「まことに申し訳ありません、半兵衛様」
「君の気持ちは、わからなくないよ。大切な人が苦しんでいるのに、何もできないというのはつらいことさ。だが、君が元気でいなければ、さらに彼を苦しめてしまうだろう?」
「半兵衛様」
そうか、御典医から半兵衛様に報告があったか、と三成は気づいた。
報告などなくても、いずれハッキリしてしまう病なのだ。進行すれば容貌が崩れ、他人の目から隠しようがない。うつることはまれにも関わらず、奇異の目で見られるのをさけるために頭巾や面で覆い、人をさけて過す者が多いときく。足が動かなくなり、目の光を失い、だからといってすぐに死にいたるわけでもなく、長い年月を苦しまねばならない。人はそれを業と名づけるのだろうが、コツコツと豊臣のために尽くしてきた大谷吉継に、罰を受けねばならないほどの非があるわけもない、と三成は思う。
「彼のことを思うなら、君は今までどおり、友人として当たり前につきあえばいい。病人にとって、それが一番の薬だよ。心の支えになるからね」
三成は弱々しく首を振った。
「私は刑部を傷つけてしまいました。刑部とした約束をやぶり、責めるようなこともいってしまいました……友人の資格など、もう、ないのでは……」
「それはどうかなあ。喧嘩ぐらい、どんなに仲が良い相手とだって、一度や二度はするものだよ」
「それは」
「このまま身をひいてしまったら、君は彼を守れなくなる。君が誰よりも彼を思っているということは、彼が一番よく知ってるはずだよ。仲直り、できるとも」
半兵衛は三成の額に冷たい掌をあてると、
「熱はないようだね。秀吉も心配しているから、元気になってもらわなければ困るよ」
「はい、申し訳ありませんでした」
すこし心が落ち着いて、三成はやっとウトウトした。
粥が届いて、それをゆっくりすすっていると、すこしだけ頬に赤みがさした。
病気ではないのだから、ふつうに食べて寝れば、すぐに体力は戻ってくるだろうと。
その夜。
ふたたびウトウトとしていた三成は、人の気配を感じて目をさました。
枕元に、吉継が座っている。
「すまぬ、三成」
暗くて表情がよく見えないが、その声に怒りはない。
三成は驚いて身を起こした。
「なぜ謝る、刑部」
「われはぬしを試してしもうた」
「試した?」
「ぬしだけは決してわれを裏切らぬ、それを確かめたかったのよ」
三成は枕元をさがし、あかりを灯した。
吉継の瞳が潤んでいた。
「われが悪いのよ。ぬしは豊臣で一番の正直者、隠し事などできるわけもなかった。その口が滑らずとも、顔にすべて出てしまう。それを知っていながら、われは無理をいった。ゆえにこうして、謝りに来たのよ」
「刑部」
三成の瞳も潤んだ。
己の情けなさにだ。
いったい吉継に何をいわせているのかと。
「私が不用意だったのだ。謝らないでくれ。私を信じてくれたからこそ、私にだけ打ち明けてくれたのだろう? その期待を裏切ったのは私で、謝るべきは私だ。すまなかった」
「三成」
「もう刑部に信じてもらえないのだと思うと、身を切られるほどつらかった。話すこともできないのかと思うと、何も手につかなくなった。あげくの果てに、こんな情けないていたらくだ。あわせる顔がないというのはこのことだ。愛想をつかされて当然だ、なのにわざわざ、見舞いに来てくれるとは」
目をまたたかせて、涙がこぼれないようこらえている三成の肩に、吉継はそっと手をおいた。
「いや、先にぬしを裏切ったのはわれの方よ。ほんとうに信じておるなら、試す必要などないゆえな。いずれ皆に知られることを、秘密めかして打ち明けずとも、よかったのよ」
三成は首を振った。
「なんでも話してくれとはもう言わないが、刑部が己の胸だけに秘めておけないほどのつらさなら、打ち明けられない方が、よほど苦しい」
「なに、今はまだ、さしてつらくもないゆえな、そう心配せずともよい。沈黙の賢人からも、今後もよく勤めよといわれたゆえな。ぬしもわれを病人扱い、せぬことよ」
「刑部」
思わず三成は、吉継にすがりついた。
「わかった。しない」
「ただな、三成」
薄い背をポンポンと叩いてあやしながら、吉継は囁いた。
「もうわれを抱くでないぞ」
「なぜだ」
「万が一にも、ぬしにうつすわけにはいかぬゆえ」
三成は即答した。
「拒否する」
吉継は苦笑した。
「やれ、そういうな。いい機会であろ。ぬしはもう童子ではない。そろそろ嫁でももらって子を残すことも考えよ。どうしてもおなごが苦手というなら、ぬしに憧れている小姓たちの相手をしてやればよいではないか」
「いやだ。刑部以外を知りたくない」
「試してみてから考えても、遅くはないであろ」
「試したくない」
「三成」
「では昔、私が《よそですませてこなければならないか》といった時、なぜ抱かせてくれた」
吉継は目をみはった。三成は言いつのった。
「私が他の者と寝ると思うと、すこしは嫌だったのではないのか? それは自惚れか」
「いや、それは」
「私は刑部の生き方を曲げることはしたくない。だが、それでも誰かと寝てきたかと思えば、その夜はやはり落ちつかなかった。それは、私の心が狭いからか」
三成は吉継の背に回した腕に力をこめ、
「だいたい、まだつらくないというのが真なら、病人扱いするなというのなら、なぜ抱かせない。刑部が苦しいなら無理強いはしたくないが、そうでないなら、おかしいだろう」
「やれ、理詰めのぬしには、かなわぬなァ」
吉継はため息をついた。
「だがまあ、離れとうないのは、われも同じよ。身近にぬしがおらぬだけで、これほどさみしくなるものとは、思わなんだ」
「刑部……」
「まあ、今宵はやすめ。夜が明けたら飯を食って、はよう元の身体に戻しやれ。今のぬしでは、どちらが病人かわからぬわ。骨ばかりの身を押しつけてくるでない」
「なに、元に戻るなどたやすいことだ」
「約束できるか」
「嫌われたのでないとわかれば、それだけで力が満ちてくる。だからすぐだ」
「ほんにぬしは、やや子のままよな」
幼子にするように三成の髪を撫でながら、吉継はため息をついた。
「約束しやれ、二度と己が身を粗末にせぬと。ぬしのためだけでない、われのため、豊臣のためよ。忘れるでない」
三成は首をふった。
「拒否する。刑部が生涯、私から離れないと、約束してくれなければ」
吉継は苦笑した。
「やれ、死ぬのを待ちながら暮らすのも面白かろうと思うておる身に、あまり無理をいうでない」
「では、約束などしない」
「三成」
「守れぬならば意味がない。それに、あんな怖い思いは、もう二度と……」
「あい、わかった」
吉継は三成の額に口唇を押した。
「われの命の続く限り、ぬしと一緒にいてやろ」
そのまま二人の身体は押し重なり、もつれ、いつしかあかりも消えて、その影も安らかな闇の中へ溶けこんで――。
(2012.2脱稿)
《よろずパロディ》のページへ戻る
Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/
|