『最後の敵』


実験、のつもりだった。最初はね。


今住んでいる家は、昭和のほぼ最後に建て直したものだが、その時、親から「お前の部屋、冷房はどうする」と訊かれた。
私は「要らない」と答えた。
扇風機で充分だった。冷房が苦手で、エアコンの効いた部屋でうたた寝して、肺炎になったことすらある。昼はともかく、夜に気温が三十度を超えることもないだろう。
そう思っていた。
そんなわけで、他の寝室にはエアコンがついたが、私の部屋にはない。今でもだ。


新しい家にはルーフバルコニーがついた。その照り返しが予想以上にひどい。打ち水するにも限度がある。
地球温暖化の影響で、真夜中に三十五度を超える日も現れた。体温と同じ温度の空気をかきまわしても涼しくはならない。氷枕をあてて寝ていても死にそうになる。しかたなく、異常な気温の日は、エアコンのある部屋の隣にマットレスをもってきて、冷気のおこぼれにあずかって寝ている。
それにしても、自室も少しでもなんとかならぬものか。
「そうだ、植物だ」と思った。
グリーンカーテンが流行りだしていた。しかし天気の悪い日には、バルコニーの軒下にも洗濯物を干す。綱をはって窓を覆うことはできない。
それで、芝を、買った。


あらかじめ芝が植えられた三十センチ四方のプランターを五個、自室の窓外にずらりと並べた。
そこに打ち水した。
植物に水を保持してもらうわけだ。
夏は芝刈りが面倒だが、週に一度のことだし、たいした広さでないので園芸用のハサミで刈れる。
刈り取った芝もたいした量ではないので、ちりとりで集めて捨てられる。
これは丈夫な高麗芝で、ホームセンターの肥料と、雑な芝刈りで青々と茂った。
冬になったら枯れるので手入れは要らない。枯れたところを刈りこんで、時々水をやっておけば、翌年の春にはまた緑の芝に戻る。
そんな気軽な園芸のはずだった。


最初の敵は、アリだった。


水をやると土は少しずつ流れ出ていく。そこに水はけのよい土を足していくと、だんだんとグラウンドレベルが上がってくる。つまり、プランターより上に土がはみ出る状態になる。
すると、アリが来た。
室内までこられては困るので、アリが苦手だという、輪ゴムやホウ酸をまいてみた。
効果がなかった。


アリはなぜこんなに大量にくるのだろう。芝でアブラムシを育てるためか?
そうではなかった。
プランターの中に巣を作っていたのである。
それに気づいた私は、プランターを少し持ち上げ、ドスンと落とした。
アリの姿は消えた。
自分たちの家が可動式で、一瞬にして破壊されることを理解したのだった。
違うアリが来たこともあったが、同じくプランターを持ち上げると、姿を消した。


次の敵は、ネコだった。


我が家にネコがいなくなって久しい。そもそも今の家が建ってからは飼っていない。
そのため、近所のネコがベランダを通っていくこともある。
たまに芝を寝床にすることぐらいなら、なんら問題ないのだが、ある日、芝を掘り返された。しかもそこに糞があった。
私は逆上した。
このままではぜんぶ、枯らされる。
私は汚れた土をぜんぶ取りのけ、土を入れ替えた。そして、芝の上に、ネコが匂いを嫌がるというミカンの皮を並べた。カビが生えたら皮を捨て、を繰り返した。
そのうちネコは来なくなった。ネコも学習するのだ。


次の敵は、台風だった。


皆さんの記憶にもまだ新しいと思うが、あの年、ひどい台風が立て続けにやってきた。
仕事が休みになるレベルの台風も到来した。
台風でなくても連日雨で、バルコニーに出られないので、芝に水をやることができなかった。
すると、芝は、枯れた。
翌年、まったく生えてこなかったので気づいた。枯れた芝をひっぱると、ズルズルと根っこごと抜けてきた。
軒下なので、必要なだけ、雨があたらなかったのだ。


ここでやめてしまえばよかったのだが、土の入ったプランターの処分を考えるのは気が重かった。
実際に重たいし、ひとつひとつ階下まで降ろして捨てるのか、と思うと。
そして私は考えた。
この上に新しい芝を植えよう、と。


最初に芝を買った会社はなくなっていた。買ってから八年が経過していたので無理もない。それで私は南国の芝を通販で買った。ものすごく安かった。プランターつきの五分の一ぐらいだったろうか。
その芝には南国の雑草もついてきたが、それさえ処理してしまえば、あまり手入れの要らない芝で、肥料も一年に二度だけでよかった。
私は体調を崩し、芝の世話どころでなかったりしたが、土が少なめのせいか、せっせと刈るほども伸びず、そして無事に年越しした。
翌年も、芝は普通に生えてきた。


次の敵は、カラスだった。


ある朝、バルコニーに、大きなカラスが五羽ほど集合して騒いでいた。
初めての光景に驚き、「おまえらうるせえぞ!」と怒鳴ってしまった。
カラスたちはその剣幕に逃げた。
翌日、洗濯物を干そうとして、バルコニーの排水口に、見慣れない、小さな木の実のようなものが積まれているのに気づいた。この時期に実をつける木はないし、そもそもバルコニーより枝が高いところに育つ木は、柿をのぞいて、実がなる木ではない。
カラスが騒いでいたのは、これを集めて食べようとしていたせいか。ビニール袋を裏返して包み、生ゴミとして始末した。
ところが、翌朝もカラスは来た。
騒ぐどころか、芝に穴を開けている。小さいフワフワした白い物が散っている。糞も落ちている。ここで何かを食べたのは明白だ。
これはいったいなんだ、とネットで検索すると、コガネムシが芝の根に卵を産んで、幼虫の餌にするという事例を発見した。それを食べるために、カラスが芝をつつくことがあると。実際、コガネムシの成虫が一匹、カラスにつつかれたらしく、絶命していた。そして、例の、見慣れない木の実も、二つあった。フワフワした物は繭のようなもので、すべて空だった。
つまり、あれは木の実ではなく、コガネムシの……?
殺虫剤か農薬をまくという手はなくもないが、部屋のすぐ外には散布したくない。
というか問題はまず、コガネムシでなくてカラスである。
直接の被害はこちらの方が大きい。
カラスよけが急務だ。


もうイベントに出なくなって久しく、売らなくなったデータCDが何枚か残っている。
私はタコ糸をCDに通し、軒下に二枚つるした。
翌朝もカラスの声はしたが、私の窓から見える範囲にはやってこなかった。
その翌日は、さらに声が遠くなった。


カラスよけには風車も効果があるという。
CDが効かなくなったら試してみようかとも思う。


コガネムシの幼虫駆除は、鉢を水に沈める方法があるときいた。根を食べている幼虫が、苦しくなって浮かんでくると。根腐れに気をつけないといけないが、ひとつの鉢は十五分も水につければいいという。
なるほど、それなら難しくない。プランターを切り離して水につければいいだろう。 私はプランターを入れられる容器をネットで探し、小さなトロ舟を買った。セメントなどをこねるための頑丈な容器なので、土の入ったプランターを一ついれるぐらいなら大丈夫だろう。
私はそれぞれのプランターを、水を入れたトロ舟に二十分ほどつけた。
特に幼虫は浮かび上がってこなかった。
時期が過ぎていたのか、それともすべて、カラスに食べられてしまったのだろうか。
幸い、芝はその後も根腐れを起こした様子はなく、むしろ元気に茂っている。


よし、これでコガネムシは解決した。
心配ならトロ舟作戦を定期的に繰り返せばいい。


果たしてこれが、最後の敵になってくれるのだろうか?


いや違う。


実験と称して置いた芝を、十年もそのままにしている、私の怠惰が最後の敵だ。




(初出・おうちdeちょこ文折本フェア・2021.8)


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#おうちdeちょこ文 #折本フェア テンポ感がよくて、いったいこれどういう展開になるんだ、次の敵はいったいなんだ、と引き込まれて読みました。最後の敵!確かに。一番の強敵ですね。



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Narihara Akira
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