『永 土』

自分の目が信じられない。
水をかけてから半日もたつのに、まだ水がたまっている。つまりデコボコになっているということだ。水平なら水はたまらないんだから。
砂の袋を悲鳴を上げながら運び、草を削り、三時間も苦闘した結果がこれか。
泣き出したかった。
日差しが照る。雨が降る。当然、雑草はどんどん伸びる。勝負をかけるなら春までだ。六月では手遅れだ。
どうすればいいんだ?

*   *   *

「大型連休に浜砂に帰る予定なんだけど、久しぶりに二人で飲まない?」
学生時代の友人から電話がかかってきた。結婚して東京に住んでいるが、片親が亡くなってから、時々実家に戻っているらしい。
「んー、今、ドクターストップでお酒が飲めないんだけど、それでもよければ」
「お酒も飲めないんだ」
「うん。まあ、適当なお店をみつくろっておくけど」
「浜砂もすっかりキレイになったよね。ショッピングモールもできたし、市役所も新しくなったらしいし」
「モールに入ってるのは小さい店だけで駅ビルより品揃えが悪いし、駅前商店街もパチンコ屋と飲み屋しかなくなっちゃったし、今の市役所は一階にトイレもないんだよ。あの市長、ほんと駄目だわ。やめてほしいわ。新幹線の駅前の土地を買い占めとか、ああいうのって汚職スレスレじゃないの?」
「そんなに悪くも見えないけどね、まあ、いずみの家に行ってもいいし」
「あー、家の中が片付いてないから、中はちょっと見せられないわ。左腕がまだまともに使えないから」
「事故だの病気だの、ほんとについてないね。お祓いでもしてもらった方がいいのかも」
「それは考えてなかったわ。まあお守りは家族がもたせてくれてるんだけどね」
「じゃ、また近づいたら連絡する」
「予約の都合があるから何時頃がいいかだけ、早めに知らせといて。メールでいいから」
「好きな時間でいいよ」
「そう? じゃあ、また、連絡待ってる」

*   *   *

最初は裏庭を砂利で埋めた。放っておくとジャングルになるからだ。
今の家を建て替える時、空き家になっていた隣家に間借りさせてもらったのだが、裏庭には私の身長より高い草が生い茂り、「塀の向こうはこんなだったのか」と驚愕した。しかしそれはつまり、我が家も一夏、放置することはできないということだ。防草シートと防犯砂利を通販で買って、少しずつ裏庭を埋めていった。道路から見通せない場所に砂利を敷くのは、まずまず正解だろう。庭先のエアコンの室外機を盗む連中もいるのだから。ガラス製の砂利は、踏むとちゃんとイイ音がする。粉々になっても買い足してまけばいいので、そう絶望する必要はない。シートも買い直せばいい。完全に埋めきっていない部分もあるが、親が植えたものがあるので、その部分は自力で抜いてもらったっていい。抜けないのなら私が抜くしかないが、猫の額なのでそれはなんとかなるだろう。

次に玄関前を整えた。自転車置き場は新調したが、玄関前は土のままだった。男親が何枚も古い毛布を敷いてごまかしていたが、みすぼらしいし、雑草は防ぎきれない。老母も膝が弱り、数日おきに雑草抜きをさせるのも心配な状況だ。エクステリアの業者に頼み、六桁の金額を投入、舗道に敷くブロックと雑草の生えない土で、すっかり埋めてもらった。家には車がないので、ガチガチに固める必要は本当はないのだが、工事業者が来た時に家の前に車がおける。自然な色にしたので照り返しもなく、犬のフン害もやんだ。これで家の前も、ジャングル化はまぬがれた。家の前が草ぼうぼうの家は、防犯上もよろしくない。人の家の玄関前で粗相する犬を飼い主が放っておいたのも、人が住んでいないと思われていたが、留守がちでバレないと思っていたのではないか。連日やられた時は本気で腹がたって、一時的に玄関前に防犯砂利を敷き、役所でもらってきた看板を立て、罰金二万円の部分を強調しておいたが、もう不要かもしれない。

残る問題は、砂利を敷けない部分だ。家の前は共有の私道だが、塀をたてると車が通れない狭さになるため、前庭と道路が地続きなのだ。私道は砂利がしいてあるが、防犯砂利は敷きにくい。もちろん敷けなくはないが、車が踏むところはいろんな意味で避けた方がいい。道路なんだからアスファルトで埋める手もあるが、隣家がそれをやって、豪雨の日に雨が流れ込んで大変なことになったのを見た後ではためらわれる。そもそも、不在がちのお向かいと相談しなければ、埋められまい。
親も気にしているので、そこをどう埋めるか考えたが、何にしても積まれている古いブロックをどかさないといけない。動かす力は、今の私には、ない。

*   *   *

「いずみちゃん、その後どうなの?」
叔父から電話がかかってきた。
「あ、だいぶ前に葉書で退院のお知らせをしたんですが、届いてませんでしたか?」
「いや、それはもらってるけれど、その後、体調はどうなのかと思って」
「おかげさまで順調に回復してます。先日は皆さんで来てくださって、ありがとうございました」
「家の前、すっかりキレイになってたから、びっくりしたよ。一郎も次に来る時は家の前に車を置かせてもらおうって言ってた」
「そのためにインターロッキングにしたんで、次はぜひ」
「なかなか会う機会もないし、今年はよかったって路子も言ってたよ。元気ならいいんだ。急に電話して悪かったね」
「いいええ、路子ちゃんにも一郎くんにも、よろしくお伝えください」
正月に叔父といとこたちが来たが、もてなす体力も食事をつくる気力もない。開いている店もないので、スーパーまで寿司のパックを買いに行ったが、時期が時期なので数がそろわない。普段使わない大皿を無理矢理引っ張り出して洗いあげ、一つ一つ菜箸で並べ直した。お吸い物はインスタントでごまかしたが、三人ともおいしいおいしいと食べてくれた。これが元気な頃なら、手料理の一つや二つや三つを並べられたのにと思うが、事故にあってから腕に力が入らず、フライパンひとつ持ち上げるのにも神経を使う有様だ。ひっくり返したら大やけどで、つくれるものが限られる。電子レンジ料理の本も買ったが、生肉をレンジで調理するのは、どうにも抵抗があって踏み切れない。親が料理が出来なくなる前に、私はどこまで回復できるのか。

*   *   *

家の前の道路の境目には、前に買って置いた「永土」という砂を敷いた。雑草を抜いた後に砂をまき、上から水をかけると固まるというタイプの物だ。ブロックの隙間から生える雑草が、家庭用の火炎放射器で防ぐのが厳しくなってきたので、それを埋めようと思っていたものだが、本当に使えるかどうか、本格的に試していなかった。砂袋の一つ一つはたいした重さではないので、今の体力でも運べると思った。悲鳴をあげても、基本的に妹は助けてくれない。家の手入れは自分のすることではない、と完全に知らん顔だ。つまり親も私もしなければ、あそこは草ぼうぼうのままだ。それでは何のために玄関前を整えたかわからない。たいした広さではないが放置はできない。夏前になんとかしなければ。なんとか。
しかし砂袋は重かった。抜ききったつもりの雑草が砂の隙間から少し顔を出した。なんとか平らに整えて、じょうろで水をかけた。水はどんどん染みていった。少なくとも固めてしまえば、なんとかなるはずだ。男親がうちの墓地に自分で固まる土を入れた時、その手際と仕上がりの悪さに家族全員がため息をついたが(なぜ業者を頼まなかったんだ)、私は彼を笑えない。平らにしたはずで水もそっとかけているのに、どういうわけかデコボコしてくる。それをならす道具も気力もないまま、水をかけ続けた。水はすぐに乾くはずで、乾けばなんとかなるはずだ。
乾けば。

翌日になっても、水はたまったままだった。
そして、隙間に残った雑草は伸びてきた。
これを切るのは可能だろうが、抜けば土は崩れるだろう。
火で焼く方法も、使えるかどうかわからない。

詰んだ。

*   *   *

友人と久しぶりに外食をした。友人だけ飲ませて、私はノンアルだ。
「おいしかったね、牛タン屋」
「めっちゃ混んでたけどね。前に人に連れられていったら良いお店だったからさ。予約しといてよかったよ」
「いずみ、だいぶ元気になってるじゃん」
「いや、休みの日は半日ぐらい寝てるよ。体力ないから。家のことがぜんぜんできない」
「いずみさ、家の前が荒れてるって言ってたけど、さっき見たけど、言うほどじゃなくない?」
「今のところはね。夏になると一週間ほっとくのがきつい」
「そこまで必死に殲滅する必要、なくない?」
「いや、家の中もアレな状態だから、せめて外側はちゃんとしてないと」
「それで具合わるくするの、本末転倒じゃないの」
「親も少しずつ弱ってくし、いつまでも頼れないし、そろそろヘルパーさんも頼まないといけないレベルだし。死んだらそれこそ、大がかりに片付けなきゃいけないし」
「それはわかる。家の片付け、大変だよね」
「だから、やれることは今のうちにやっとかないとさ。できれば死ぬまで、あの家に住みたいし」
「でも、永遠に綺麗な家なんてないよ」
「それはわかってるんだけどね」
「身体を治すことに専念した方がいいよ」
「でも、仕事しないと治療費もでないからさ。保険で全部まかなえるわけじゃないし」
正直、二時間も外食する体力すら惜しいのに、とは言わなかった。
「いずみさ、今、なんのために生きてんの」
「それを考える体力もないんだわ」
「休みなよ。寝られる時は寝なよ」
「寝られればね」
「うん、まあ、今日は会えて良かったよ。私も仕事辞めたら、浜砂に戻ってこようかと思ってるし、それまで元気でいてよ」
「うん、まあね」

*   *   *

数日たつと水たまりは乾いた。
永土を敷いていない部分はだいぶ草が伸びたが、とりあえず地面は割れていない。
私に会えて良かったと言ってくれる人間は、まだいる。

たぶんまだ、私は、生きていていいのだ。


(初出・ペーパーウェル02・2019.6)


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★いただいた感想など。

https://twitter.com/kiyonya3/status/1137353301198950400

家に生えた雑草を殲滅する、闘病後間もない女性。冒頭、これまでの説明を会話でこなしているところが、とても読みやすく頭に入ってきました。雑草や犬のフンとの戦いで火炎放射器や、防犯砂利、「永土」など、色んな物を投入し、必死に家を守る彼女。「積んだ」の使い方がピッタリでした!

そうでしたか…! ドンマイです。とても印象に残るシーンです、あと、最後の「生きていていいのだ」も良かったです!

https://twitter.com/ico_0712/status/1138428998529179648

鳴原あきらさんの「永土」拝読しました。日常のことを淡々と描いてますが、だからこそ考えさせられる物語。事故だの病気だのの話がなかったら、あれこれ自分の話か?と錯覚しそうになる。いずれ来る未来への備えは元気な内に。分かっていても、果たして自分は実行できるだろうか→

タイトルの「永土」がまた秀逸だなと思いました。作中に出てくるアイテムの名前なのですが、この物語を象徴してるものだなと感じたので。永土と水たまりと雑草と、そこから主人公が抱いた答え。メッセージ性の強い作品だったと思います。いやもう、しみじみ考えさせられました。奥深し。

こういう話をさらっと書ける文才とセンスが本当に凄いと思いました。自分ではなかなか書けないので……現実感があるからこそ、気付かされると言いますか、心に刺さると言いますか。こちらこそ、奥深い作品を本当にありがとうございました!



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