『瀕死の探偵』


「満潮音。起きてるか」
門馬知恵蔵は一瞬、眩しさに目を細めた。
隅から隅まで純白の病室。横になっている満潮音純の寝間着までもだ。
弱々しい声が応える。
「意識はあるよ。話もできる」
年齢を超越した美貌が、今日はいささかやつれている。額にかかった淡いいろの髪も乱れていて、知恵蔵は一瞬、手を伸ばしかけたが、
「痛みは?」
「もう、あんまり。麻痺が残らなきゃ、近いうちに退院できるって」
「そうか」
知恵蔵はベッド脇に椅子を引き寄せて座った。声も低く、
「興信所の方は当分、閉めておくことにした。落ち着かないし、仕事にならない」
「それでいいよ。この状態じゃ僕が何も出来ないし、変なのに押しかけられても困るし」
「この病室にくるのも大変だった。ボディーチェックもされたし」
「完全看護、部外者立ち入り禁止だからね」
知恵蔵は広めの病室を見回して、
「現役大臣の一人息子なのに、見舞いの花のひとつ、ないんだな」
「あるわけないだろ」
「そうだな。花を使って人を襲う連中がいるんだから」
先日、母の墓参りに行った満潮音は、同じ墓地にいた男から突然、花束を投げつけられた。
男は警護の人間に取り押さえられたが、満潮音は手にかすかな痛みを感じた。次の瞬間、敷石に落ちたクモを見つけ、即座に踏みつぶした。ハンカチでざっとすくいとると、駆け寄ってきた親の秘書に向かって、
「クモ毒の血清を用意できる病院を頼む。あと、他にも似たようなクモがいないか、確認してくれ……くそ、テロリストめ、僕以外の人間にも危険が及ぶようなことを!」
彼を噛んだのは、黒い足長の姿から《悪魔の足》とあだ名されるゴケクモの一種で、日本にいない種類のものだった。花束に忍び込ませていたものらしい。すぐ血清を使用すれば死ぬことはないが、気づかなければ数時間後、痛みと痺れに襲われ、呼吸困難に陥る。噛まれた場所が壊死することもある。
「知……門馬くんに、僕が襲われたことを伝えてくれ。彼にも何かあるといけないから、事務所から一歩も出ないようにってね。落ち着いたら連絡する、こちらの心配はしないでくれって」
手当てが早かったため、臓器へのダメージは最低限ですんだが、身動きできないほどの痛みに襲われ、満潮音は数日、面会謝絶状態となった。
そして今日、ようやく知恵蔵は面会をゆるされた訳だが。
「おまえを襲った犯人、カルト系保守のシンパらしいが、言ってる動機が支離滅裂だそうだ」
「あの雑な実行犯はそうだろうね。一種の洗脳状態で、自分が何をしたか、わかってないのさ。けど、特殊なクモを入手できるバックがついてるんだから、当分は用心しなきゃ。何が目的なのか、誰に対する威嚇なのかも、まだわからないし。今、そんな変な依頼は受けてないはずだし」
満潮音は天井を見上げて、
「ああ、あの程度のものも避けきれないなんて、僕も年をとったよ。砂利に足をとられたわけでも、雨で滑ったわけでもないのに。探偵もそろそろ廃業時かな」
「やめてどうする。いよいよ政界に殴り込みか」
「誰に担がれても絶対やらないよ。今から政治家になっても何の意味もない。システムを変えるには時間がかかるんだ、これからもう、そんなに長くは生きていられないよ。美人薄命っていうしね」
「自分で言うな」
「世間には僕みたいのを気にいらない連中は沢山いる。親は保守の成金大臣、息子はリベラルのゲイで道楽探偵……よく、半世紀も無事できたもんだ。結局、温室の花みたいに甘やかされてたってことだね」
「それはおまえのせいじゃないし、攻撃の理由にならない。いや、どんな罪のある人間でも、襲われていいわけがないだろう」
「まあ、親の力も弱ってきつつあるってことだね。でも、あの人だって、こんな風になめられちゃあ困るだろうから、根っこを見つけたら、まとめてぜんぶ焼き払うだろうさ」
「そういえば、親父さんは?」
「来るわけないだろ。面会は君が初めてだ。昨日まで本当に身体が痛くて、口を開くのも苦痛だったんだ。見舞いの類はぜんぶ断った」
「そうか。とにかく、命に別状がなくてよかった」
「うん。でも入院なんて初めてだから、痛みがひいてきたら退屈で仕方がなくてね。でも、何を読んでも、何を見ても面白くないから、ぜんぶ片づけてもらった」
「具合がよくないからだ。無理をしないで寝ていろ」
「まあ、起きてられはしないんだけど」
「ん?」
「君にここに居て欲しい」
「何をすればいい? 気の利いた芸も、楽しめそうなネタも持ってないが」
「ただ居てくれればいいよ。ここは泊まり込みできなかったはずだし、ずっと居なくていいからさ」
「じゃあ、おまえが寝るまで、ここにいよう」
「そうしてくれると嬉しい」
満潮音は目を閉じた。
「なんにしても、君が無事で良かったよ。もし君にまで害が及んでたら、あちこちに顔向けできない」
「いくらおまえの助手でも、私はただの幼なじみ、一般人だからな。テロの犠牲になったところで、いい意味でも悪い意味でも、影響がなさすぎるんだろう」
「いや、どういう意味でもだめだよ。僕が困る」
「私だって、突然おまえに死なれたら」
「困らないよう、各所の手配はしてあるよ」
「いや、まだ、おまえの墓参りをする準備ができてない」
「厭かい」
「厭に決まってる」
「そっか」
満潮音は目をあけ、天井を見つめた。
「時々、自分は何で生きてるんだろう、誰のためにもならないのに、なんで死んじゃわないんだろうって思うんだ。若い頃の感傷じゃなくて、今も、ね」
「おい」
「でも、ふっと闇に飲まれそうになると、君の顔が思い浮かぶ。何の得にもならないのに、血縁でもないのに、待っててくれる人が、僕にはいるんだって」
「満潮音」
「君、目が赤いし、腫れぼったいけど、もしかして、僕が心配で泣いてた?」
「え」
「ごめんよ、ほんとに。僕の方は、熱に浮かされてる間、君に触りたい、君の蜜を味わいたいって、いやらしいことばっかり考えてたのに」
「それだけ身体が辛かったんだろう」
知恵蔵は満潮音の髪をかきあげ、額に掌をあてた。
「私だって、触れたかった」
「ほんと?」
「ああ。痛くないか」
「うん。気持ちいい。君の掌のあたたかさが丁度よくて、よく眠れそうだ」
「そうか」
知恵蔵は手をずらし、満潮音のまぶたを閉じさせた。
満潮音はため息をついた。
「生きててよかった……見舞いの花束より、君の方が、ずっといい」


満潮音が寝息をたてはじめると、知恵蔵はそっと病室を抜け出した。
《何だ、この違和感は?》
確かにクモ毒は、重篤な障害を引き起こす可能性があるが、死に至ることはまれだ。そもそも、花束を投げつけるというのも変な話だ。クモに衝撃を与えて攻撃させるためか。それにしても「私もお墓参りをさせてください」とそっと近づくべきではないのか。明るいところを好まない種類のクモらしいから、いつも白装束の満潮音に対して、軽くぶつけるだけでも噛んだ可能性は高い。雑な実行犯、と満潮音は言ったが、彼の父親に対しても、たいした威嚇になるとも思えない。殺人事件に発展すれば、話は別だろうが……。
物思いにふけっていると、トレイに注射器をのせた看護師とすれ違った。
《待てよ。ゴケグモの抗毒素にはウマ由来の血清を使うから、血清の追加時にアナフィキラシーショックを起こす可能性があるとか……間違って静脈注射されると、死ぬ可能性も……いや、悪意ある人間なら、それを装って別の何かを注射することだって、ありえる》
反射的に身を翻すと、怪しい看護師は満潮音の病室に入っていくところだった。
「満潮音!」
思わず声を上げて飛び込んだ瞬間、知恵蔵は我が目を疑った。
「皆さんは……どこから?」
偽看護師はすでに、数名の白衣の男に取り押さえられていた。布をかまされ後ろ手に縛られており、持っていた注射器も回収されている。満潮音はベッドの上で身を起こし、鋭い声で、
「本当に雑な実行犯だ。何か吐くとも思えないが、ここで自害させるなよ。念のため、爆発物も所持してないか、すぐに調べてくれ」
「ハッ」
医者の扮装のボディーガード達がザッと足並み揃えて出ていくのを、知恵蔵は茫然と眺めていた。
「驚かせてごめんよ。何かあると困るから、クローゼットの中で見はっててもらったんだ。でも、このタイミングで来るとは思わなくてさ」
「じゃあ、私とおまえの話も」
「ぜんぶ筒抜け。いや、君、そんなに恥ずかしいこと言ってなかったよ。たぶんセーフ」
「おーまーえーはー!」
「でも、さすがだね。看護師とすれ違っただけで危険に気づいたってことは、僕の留守中に、悪魔の足について調べてたってことだろう。医者じゃないけど、君は立派なワトスンだ」
「クモに噛まれたっていうのも、嘘じゃないだろうな」
「それは仮病じゃないよ。まだ、よく動けない」
「本当だな?」
知恵蔵は満潮音に近づき、その頬を掌で包んで引き寄せた。
二人の顔はしばらく重なっていたが、満潮音はされるまま、まったく抵抗しなかった。
「……本当、なんだな」
自分から口唇を奪ったのに、瞳を潤ませているのは知恵蔵の方だった。
「だから、本当だって言ったのに」
満潮音はうすく頬を染めて、
「君がこんなに積極的なの、初めてだから、すごく、嬉しいんだけどさ」
「ん?」
「ここ、監視カメラがついてるから。あと、さっき出てった人たちで、全員じゃないから」
「あ?」
「そういう映像は、後で消してもらうように頼んでおくけど。君のあんな様子を、他の誰かに見られたくないしね。だから、ここから先は、帰ってからで」
言葉にならない声をあげる、知恵蔵の耳元に口を寄せて、
「そんな、死にそうな顔、しなくても……我を忘れるほど、心配してくれたんだよね。ほんと、ありがとう」



(2018.11脱稿、「美少年興信所」番外編・テキレボアンソロ「花」用書き下ろし)

●注:美少年興信所シリーズ、満潮音(みしおね)所長と知恵蔵叔父さんのお話で、ホームズの二次創作的なアレでもあります。2019年1月発表予定のウェブアンソロジーのために書きましたが、2018年11月の文学フリマ東京で、折り本として先行頒布しました。なお、ゴケグモ系はたしかに毒をもちますが、「悪魔の足」は架空の蜘蛛です、よろしくご了承ください。

*折り本のデータはこちら。ダウンロードしてA3でプリントすると、本の形にできます。末尾の絵は「いらすとや」さんです。

*折り本の折り方などはこちらをご参照下さい。

*フロマージュさんで委託販売している『美少年興信所〜所長の蜜月〜Between the Sheets』にオマケとしてつけています。この機会に関連作品なども購入していただけると嬉しいです。

*以下、なりはらの本が購入できる通販サイトさん等です。ご利用いただけると嬉しいです。

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