殺戮 怠惰 殺戮 怠惰 殺戮 怠惰。
どう足掻こうが、それがお前だ。
アズライト


『JUST THE WAY YOU WERE.』

扉の鍵をおろし、清潔なシーツを敷いて眼鏡を外し、アズライトは黒の普段着のままでベッドへもぐり込む。
二人がとりあえず寄宿している、郊外の小さな家の寝室。
聞こえるのは、窓の外を流れる風の音だけだ。
レティシアはさっき、町場へ買い物に出かけてしまった。しばらく戻らないけど心配しないでね、と言って。どうやらひとりで考えたい事があるらしい。彼女の身の安全を考えれば一緒に出かけるべきなのだが、あんな風にきっぱり言い渡されてしまうと、ついていくことは出来ない。この近所には凶暴な凶(まがき)もいないようだし、年頃の彼女をいつまでも子供扱いする訳にもいかない。
「レティ」
最近、彼女はすっかり沈んでしまっている。沈んでいるのも無理はない、あまりにいろんな事がありすぎた。多くの人が死んだ。親しい人々と離れねばならなかった。人とデアボリカのこぜりあいはずっと続いている。滅びた街もある。そして徐々に現れている土地土地の荒廃――。
でも、悪いことばかり考えて欲しくない。芯が強くて、どんな辛い目に遭っても穏やかな笑顔を見せてくれたレティシアが、悲しみでやつれてしまうようになるなんて。もう見たくない、あんなに暗い表情は。
「どうしたらいいんだろう」
二人で何もかもわかちあえば、それで幸せになれると思っていた。
でも、それだけじゃ駄目なんだ。
僕もレティシアも、今すっかり幸せという訳じゃない。
どうしたら、もう悲しい思いをしなくてすむようになるんだろう。
僕に何ができるんだろう。何をしなければならないんだろう。
駄目だ。何も考えられない。
アズライトは子供のようにその長身を丸める。レティが編んでくれた長い三つ編みを腕の中に抱き込んで。
寂しい。
僕はひとりは寂しい。
やっぱり君についていけば良かった。寂しくて、何もやる気がしない。何も考えられない。君と一緒にいたい。君といられる時間をもっと惜しむべきなんだ、僕は。どうせそんなに長くはないんだもの。そして、また、うんと長い時間を待たなければならないんだから。
僕の望みはそんなにだいそれているのかな。
毎晩君をそっと抱きしめて、毎朝その笑顔を見て暮らせたら、それだけで幸せなのに。たったそれだけの事が、どうしてできないんだろう。こんなに難しくなってしまうんだろう。
僕に不可能な事はない、って昔だれかが言っていた気がする。
そんなの嘘だ。
できない事ばっかりだ。
僕には何にも――。
その時、ゴトリ、という音がして、アズライトはぱっと飛び起きた。
扉にかけた鍵が、いや、鍵全体の金属が溶け、そのまま外れて床に落ちていた。
「誰だっ!」
静かに扉を押し開けて入ってきたのは、右肩を緋色のマントで覆った、白い背広姿の男。
「か……えん……おう?」
それは、いつものように人間に変装してきた火炎王だった。アズライトが潰した右の瞳の上に白い髪を垂らした彼。はらりとマントが落ちて、そこに何本もの女の右腕が現れる。アズライトが切り落とした腕のかわりにとりつけられた、鋭い爪をもつ腕。
「久しぶりだな、アズライト」
その顔にいつもの笑みはない。声も冷たい。
アズライトはじっと火炎王を見つめ返した。
「まさか君は、もう一度、僕に選べって言いにきたのか?」
このまま人間のレティシアと暮らす生活を選ぶか、それともロードデアボリカの時の記憶を受け取って昔の生活に戻るか――三年前、四人全員にあの選択を迫られた時、本当のことを言えば、アズライトも一瞬迷ったのだ。昔の仲間を嫌っている訳ではない。昔の記憶は曖昧だけど、新参者のゴルドーを含めて、僕達五人はそれぞれうまく仲良くやっていた筈なんだ。レティシアを側に置けるのなら、ロードデアボリカとしてもう一度暮らしてもいいんじゃないか、とかけらも思わなかったと言ったら嘘になる。
でも、僕はレティシアを選んだ。人として生き、人として死に、そしてまた人として生まれてくるレティシアを。だって彼女は僕を選んでくれたんだから。命を削っても自らの魂の形を守りぬいて、僕に純粋な愛情を注ぎ続けてくれたレティシア。その彼女を、凶にだけはしたくない。結局僕のいいなりになってしまう人形には――いつも自分の意思で僕を選んでくれたレティに血のくちづけをするなんて、そんなにひどい侮辱はない。
「僕の気持ちは変わらない。記憶は受け取らないよ」
火炎王の口唇が歪んだ。
「なにを寝ぼけた事を。俺は、おまえを強姦しにきたのさ」
次の瞬間、アズライトは服を引き裂かれ、ベッドへ押し伏せられていた。
「か……っ!」
口唇を奪われてもがくアズライト。火炎王の手は素早く動いて、残っている服を引き剥がし、豊かな腰がアズライトの足を割り開く。
「どうした、本気になれ、アズライト」
火炎王の体重から逃れようと身悶えしてはいるが、アズライトは本気で抵抗してはいなかった。だいだい、今までの彼ならば、おとなしく火炎王に押し倒されたりしない。口唇を奪われたりもしない。そうされる前に、彼の瞳はぱあっと黄金に輝いて、最強のデアボリカに戻っていた。いったん理性の鎖の切れたアズライトの前では、同じロードデアボリカでさえ深い手傷を負わされる。凶や家畜である人間など、ひとたまりもなく血の海に沈む。どんなに多数でかかっても、本気のアズライトを倒せはしない。
怠惰な殺戮の王、ありとあらゆる者が恐れひれ伏す存在、闇の属性の底にさらなる闇をひそめた孤高のデアボリカ――それがおまえだ、アズライト。
だのになんだ、このザマは。
「どうした、それしか抵抗しないのか。レティシアに操だてしてるんじゃなかったのか。俺に犯されてもいいんだな?」
アズライトはぐったりと力を抜き、哀しげな黒の瞳で火炎王を見上げる。
「だって今日は火炎王、争いに来たんじゃ、ないんだろう? 戻れっていうんじゃないんだろう? それなら……」
「俺を馬鹿にするのか、アズライト」
「馬鹿になんか」
弱々しく首を振るアズライト。火炎王は憤怒の瞳で射抜くように、
「抵抗しないからって気をそがれたりしない。このまま犯してやる」
「あ!」
火炎王はアズライトの腰を抱え上げ、自分のものを突き立てた。それは巨大すぎ、アズライトが抵抗しなくても、そう簡単に入るものではなかった。引き裂かれるような痛みに、アズライトは悲鳴をあげていた。
「あっ……痛……」
火炎王は構わず突き進める。
おまえの痛みなんか。
月姫がおまえの凶に斬られた時、どんなに苦しかったと思う。
桜姫がどんなに悲しんだと思う、どんな気持ちでおまえに殺されに行ったと思う。
そして、俺がどんなに……!
火炎王は乱暴に腰を使い続ける。彼だとて、相手が人間でも凶でも、こんなに思いやりのない愛撫をしたことはない。それは強姦か凌辱としか呼べない犯し方だった。
アズライトはほとんど抵抗していなかった。片足を火炎王に抱えられたままの姿勢で薄く目を閉じ、痛みを堪えるための浅い呼吸を繰り返して、されるままになっていた。アズライトが少しも感じていないのは、彼自身のものが柔らかく眠ってしまっているので明らかだ。ここはもう、レティシアしか奮い立たせることが出来ないのだ。それに気付いた火炎王は、怒りの興奮でなおさら自分のものを大きく硬くし、秘孔を深く貫いた。
落花狼藉。
乱れた長い黒髪がシーツの上に広がって、無惨さを増す。
アズライト。
アズライト。
俺の……大事な……。

火炎王の身体がやっと離れると、アズライトは手近な布を引き寄せて、濡れた場所をぬぐった。千切れた服を集めてまとめ、部屋の奥の炉の火へくべた。
新しい服をつけ、ベッド脇へ戻る。
そこへうつ伏せ、声を出さずに泣いているのは火炎王の方だった。
「……なんで、抵抗しなかった」
「したよ。今日は君の想いの方が強かっただけだ」
火炎王の傍らに腰を降ろし、アズライトは低く呟く。
「嘘をつけ」
火炎王の胸は後悔でいっぱいだった。
アズライトを犯せなかった。
知っていた、入れて出しただけでは犯したことにはならないことを。
わかっていた、どうやってもおまえを犯せないということは。
おまえは俺を見ない。昔からだ。狩りや遊びにつきあってくれても、退屈な一瞥すら投げてくれたことはない。
おまえが俺の手に入らない相手だという事は知っていた。別に、俺のものにならなくてもいいと思っていた。おまえは誰にも興味を示さなかったんだから――レティシアが現れるまでは。
冷たいおまえが好きだったんだ。残酷で、誰も振り向こうとしないおまえが。
違う、レティシアに嫉妬してる訳じゃない。
あの女は――あのふわふわと子供じみたあの外見からは想像もつかないが――おまえを魅きつけるだけの何かを持っている。人間にしちゃあ恐ろしく賢い。おまえがレティシアを側に置きたい気持ちはわかる。
だが、俺の気持ちはどうなる。
呼びかけても戻ってきてもらえない、一時の遊び友達としてさえ選んでもらえないこの俺はなんなんだ。
俺の位置は、おまえの中にかけらもないのか。
俺はこんなに惨めな存在だったのか――力で犯しても憎んでももらえないとは。
「火炎王」
アズライトは眼鏡をかけなおし、乱れた髪を直すと、おもむろに呟いた。
「今更だけど、月姫と、それから桜姫のこと……ごめん」
「同情で俺に抱かれたのか」
「違うよ。これは別の話」
うつむいたアズライトの瞳に透明な滴が浮かぶ。
「月姫のことも、それから桜姫のことも、嫌いじゃなかった。でも、僕の処にいても、彼女達は幸せになれないから……恨まれてもしかたないと思うけど、僕はどうしても凶を愛せないから。でも、火炎王なら、たとえ凶でも君の処にいられるんなら、二人とも少しでも幸せになれるだろうと思ったんだ。大事にしてくれるってわかってたから……君なら優しいから」
「アズライト」
「僕はやっぱり残酷なんだよ。そういう意味では、たぶん昔とちっとも変わってないんだよ。たぶんね」
アズライトは上半身をひねって、火炎王の髪に触れる。
「火炎王。つらくさせるだけだから、僕の事を忘れて、と言ったら、忘れられる?」
ドキン、と火炎王の胸が大きく波うつ。
何を言ってるんだアズライト。
どういう意味だ。
俺は今まで、仲間としての気持ち、ライバルとしての気持ちしか、おまえに見せたことがない筈だ。
おまえは何を言ってるんだ。
アズライトの囁きは続く。
「僕はね、火炎王が時々会いにきてくれるのが嬉しかったんだ。力の制御ができなくて、君を傷つけてしまったけど、俺はおまえを忘れてない、戻って来いって言われるたびに、とても気持ちが良かったんだよ。僕はずるいから、君に応えないのに、君に嫌われたくなかった。君という友達を失いたくなかった。君は大事な仲間だ。だから、君が僕を求めてくれるのが、心地良かった……意地が悪いよね」
アズライトの声音が少し変わった。
「我が儘だってわかってる。でも、僕はどうしてもレティシアが好きなんだ。レティしか欲しくないんだ。今のままの彼女が。……それにね、レティを好きになってから気付いたんだ、君にひどい事をしてるって。《好き》って気持ちは、つらくて、とても苦しいことなんだよね。僕は君を苦しませるつもりなんかないのに、苦しませてるんだ。忘れて、なんて言う資格も、ないんだよね」
その声には、言っている内容とはうらはらに、奇妙な自信が籠っていた。
こんな扱いをしても、まだ君は僕が好きだよね、だって、僕が君を好きなんだから――そういう声。
火炎王はアズライトの手を逃れた。ベッドから降り、アズライトをにらみつける。
ゆるがない、アズライトの眼差し。
確かに、おまえは昔と変わらない。
昔ながらの残酷な王だ。他の女に心をうつしながら、まだなお俺を弄ぼうとする闇の王。
だが、そんなおまえが好きなんだ、この俺という男は。
俺の心に君臨できるのは、おまえだけなんだ。
おまえの心に君臨できるのが、レティシアだけなのと同じように。
いや。
おまえの想いの方が、もっと強いんだ。
だからおまえは選ばれるんだ。だから俺は、すごすごとおまえの前から去るしかないんだ。
ふん。
おまえなんかに何も教えてやるものか。
最後の最後の瞬間まで、少しでも意地悪をしてやる。
火炎王は身仕舞いを整え、アズライトをキリ、とにらみつける。
「アズライト、俺はおまえを許さない。絶対におまえをデアボリカの宿命に従わせてやる。最後には、おまえは必ず選ばなければいけないんだからな」
「そう」
アズライトは弱々しく微笑んだ。
「それなら、また会いに来てくれるんだ」
「ふざけるな!」
火炎王は大きな音を立てて扉を閉めた。足音高く去っていく。
アズライトはひとつため息をついた。
「落ち着いちゃったな、火炎王」
以前の彼なら、この家を半壊、いやすっかり全壊させていたろうに。
いや、僕も力を使わなかったから……レティシアに、僕らが会った事を知られたくなくて、大人しくしてたからな。
アズライトは予備の鍵を探し、手早く扉につけかえた。古い鍵は、目立たぬように裏庭へ埋めた。
そろそろこの街を離れるべき時期が来たのかもしれない。
次は何処へ行こうか。
何処まで行ったら、僕の望みはかなうんだろうか。
まだ、レティシアの戻ってくる気配はない。
「シャワー、浴びとこう」
僕が犯されたことを知ってもレティシアは責めないだろうけれど、争った事を知ったら悲しむだろう。全部綺麗にして、少しでも知られないようにしておかなきゃ。
ああ。火炎王も、わざとレティシアの留守を狙ってきたんだ。
あいかわらずウブだな。
きっと、レティシアの前だと、僕を犯せないと思ったんだろう。
僕が強いからじゃなくて、レティに見られなくなかったんだ。年頃の娘を育てている男だ、つい若い娘にそういう気の使い方をしてしまうんだろう。
「少しうらやましい時もあるんだよ、それが」
アズライトは服を脱ぎ捨て、シャワーの下に立つ。火炎王がつけた愛咬の痕を一つずつ消しながら、淡く微笑む。
甘いかもしれないが、君は理想の父親になれる。僕にはない優しさで。
君が僕みたいになれないように、僕も君にはなれないんだ。
アズライトは熱い湯を浴びながら、心の中で小さく呟いた。
「……好きだよ、火炎王」

(1999.4脱稿)

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Written by Narihara Akira
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