『揚羽蝶』


吉継は、ずっと待ち望んでいたものに手を伸ばした。
すぐに熱く、硬くなる。掌にまいたザラリとした包帯が、強く刺激するのだろう。
仰向けのまま、抵抗もしない三成の上に、吉継はそっと腰を下ろし、ゆっくりとのみこんでゆく。
「ぎょう、ぶ」
三成が小さく喘ぐ。吉継の体内になじみ始めたものが、さらに硬く、大きくなる。すっかり深く収めてから、三成の掌に掌をあわせ、腰を前後に動かし始めた。
「ああ……!」
三成が、からんだ指を握りしめる。久しぶりの交合に、ひどく興奮しているのが伝わってくる。
吉継は腰を上下に突き上げ始めた。三成の喉が鳴る。
「刑部、すごく、いい、ぎょうぶ、は」
「われもよい。たまらぬ」
互いに感じるところは熟知している。病になって思うように動かなくなった身体が、今日はよく動く。抜けないところまでギリギリ腰を上げては落とす。それを繰り返すうち、ついに堪えきれなくなった三成が、一度精を溢れさせた。こぼれないようにギュッと締めつけ、たっぷりとその熱を堪能する。
それから手を解き、濡れたところを拭くと、ぐるりと三成に背中を向けたので、
「刑部、まだだ、まだ欲しい」
「ヒヒ、われもよ」
背を向けたまま、再び深く、くわえ込む。
三成も、もう、復活している。
吉継はその質量に満足感を覚えながら、三成の足の間の感じやすいところを探る。焦れた三成が、吉継の腰に手を添えてゆすり始めた。深く突かれて、吉継も達ってしまった。出たものもだいぶ濃い。頭の芯がしびれて、思わず動きを止めてしまうと、三成がかすれた声で、
「刑部、もっと」
「ぬし、それほどまでに、われをほしるか」
「欲しいに決まっている。私が欲しいのは刑部だけだ!」
吉継は再び向きを変え、三成の胸に寄り添った。三成のものが、さらに質量を増す。再び腰を揺すりながら、三成の体温に溶け込むように身を沿わす。
「われもよ。われも、ぬしが……!」

《だが、これは夢よ、われの欲が溜まっているだけのこと、三成は何も知らぬ、われがここまで感じておっても、三成は……》

*      *      *

「刑部さんって、蝶が好きなんですかね」
私室で武具の手入れをしていた三成の脇に、左近がすっと寄ってきた。三成は表情すら動かさずに、静かな声で、
「なんだ、やぶからぼうに」
「だって、あんな大きな蝶を頭につけてるじゃないすか」
「対い蝶は刑部の家紋だ。立物にして何がおかしい」
「刑部さん、病気のこと考えると、かぶり物があんまり重いの、よくないんじゃないすか」
「あれは軽くて丈夫だ。錣の方がよほど重いぐらいだ」
「さすが三成様。刑部さんのことなら何でも知ってんですね。着替えの手伝いまでしてんですか」
「刑部はなんでも自分でやる。兜ひとつに私の手など借りるものか」
「そっすか」
じゃあなんで知ってんです、とは左近は訊かず、
「なんてゆーか、蝶って、ちょっと、不吉かなって」
三成は薄笑った。
「不吉なことなどあるか、蝶は吉祥紋だぞ。長命と再生の象徴だ。歴史ある美しい紋で、刑部がつけるにふさわしい。だからこそ選んだのだろう」
「選んだ?」
「豊臣に来た頃は違う紋をつけていた。鷹の羽だ」
「途中で変えたってことっすか」
「そうだ。山から戻ってきた後だったな。新しい羽織り物に、対い蝶をつけているのを見たのは」
「山?」
「貴様は知らなかったか。刑部がいくさばで数珠を使うようになったのは、山で修行してきたからだ」
「ああ、その山すか」
病のせいで馬に乗れぬのは致命的と、吉継が金峰山で一人、修験道を極めてきたという話は左近もきいていた。板輿を自在に操るようになったのは、それからなのだと。
「山伏系の術を身につけてきたんすよね。天狗も空を飛ぶっていいますもんね」
「ああ。最初は邪法と蔑むものもいたが、いくさ働きでみな黙らせてしまった。なかなか痛快だったぞ」
「刑部さん、マジ強いっすからね、しんがりとか独壇場だし」
「それで蝶の、何が不吉だ」
三成の言うとおり、蝶は長命と再生の象徴――動かない足で走ることをやめ、新たに身につけた術で戦場を駆け巡る決意が込められているというなら、それを不吉と呼ぶことはできない。
が。
「なんつーか、蝶って、死んだ人間の魂、みたいな?」
すると三成はふっと笑った。なぜか頬をほんのり染めて、
「まあ、魂の象徴ではあるかもしれん」
「え、なんすかそれ」
三成は左近から顔を背けた。
「左近、そろそろ下がれ。私は明日の支度がある。おまえも手入れをしなければならないものがあるだろう」
「すんません、じゃ、俺、戻ります」
「ああ」
部屋を出てから、左近が首をひねった。
《三成様、なんか隠してる? 珍しいよな、ああいう反応って》

「刑部さん」
と、声をかけようとして、左近は足をとめた。
吉継は珍しく縁側でくつろいでいる。その前にひらりと白い蝶が飛んできた。吉継が包帯の指を伸ばすと、それに止まる。
揚羽蝶だ。
この時代、蝶も蛾もあまり区別しない。蝶そのものの名前もあまりこだわったりしない。
羽を立てている状態を揚羽蝶とよぶだけだ(対い蝶は羽を開いているので、伏せ蝶である)。
蝶はすぐに飛びたっていったが、吉継の口元は微笑に緩んでいた。
左近はすうっとそばに近づいていって、
「刑部さんって、ホントすげーすね。蝶も操れるんすか」
吉継は片頬だけを左近に向け、
「なに、今のはただの戯れよ。気配を消すとな、ああいうものは自然と寄ってくるものよ」
「ええー、前田さんちは奥さんも慶次さんも獣を使ってますけど、気配がないどころじゃないすよ」
「われは生き物を使役したりはできぬ、動かせるのは、血が通わぬもののみよ」
「はあ、そうなんすか。そうすっと、蝶の方は、刑部さんが好きで寄ってくるわけですね」
吉継は天を仰いで、
「包帯の白と膏薬の匂いにつられたのであろ。蝶は光にひかれるものときく。白や黄色の花が多いのは、蝶を招き寄せるためよ」
「はー、なるほど」
左近はすとんと吉継の脇に腰を下ろした。
「三成様って、蝶が好きなんすかね」
「やれ、そのような話はきいたことがないがなァ」
「蝶は魂の象徴だって」
「別に好むものでなくとも、それぐらいのことは言うであろ」
「でも、そう言いながら三成様、顔を赤くしてたんすよ。で、刑部さんなら、そのワケを知ってんのかなって」
「あれがか?」
次の瞬間、吉継はびくりと身を震わせた。
思い当たることがある様子だ。
「刑部さん?」
吉継は深く息を吐いた。
「やれ、少し時がとまった」
「大丈夫すか」
「うむ、何やら眩暈がしてきたわ。長く陽に当たりすぎたか」
「ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないすか。横になります?」
「ぬしの手を煩わせるほとではない、だがまあ、少し休むか」
そう言ってよろりと腰を浮かせ、近くの部屋に這い込むと、ぴしゃりと障子を閉めてしまった。
「え、なんなん、これ……」
左近は首をかしげた。
蝶はもしかして、閨の合図か何かなのか。
立ち上がって左近は縁側を再び歩き出した。
「……なんにしても、どっちからも、理由は教えてもらえなさそうだよな」

明るいうちから、吉継は布団をかぶって目を閉じていた。
《まさか三成が、あの夢を見ておったとは》
金峰山での修行は厳しいものだった。
吉継の病は、雷に打たれたような激しい痛みを引き起こすこともあれば、突然、皮膚の感覚を失って何も感じなくなることもある。どちらも行者の修行を耐えるには辛すぎる。
自然、堂に籠もって瞑想する時間が長くなった。
小さい灯明の炎をじっと見つめていると、意識が浮遊する。
本当はここで神でも幻視できれば、なんらかの力が目覚めるのかもしれないと思ったが、吉継はそこまで神仏を信じていない。信心をして治るものなら、とっくに治っていると思うからだ。さて、自分がよくよく思い出せるものとは何かと考えた時、銀の髪の朋友が眼前に浮かんだ。
《……見えた》
夜である。三成は布団で仰向けに寝ていた。月明かりでもわかるほど、ひどく顔色が悪かった。寝ているだけマシだが、相変わらず食べていないのに違いない。着ている物の細部までもが、驚くほどありありと目に浮かんだ。
吉継はもっと近寄ってみようとした。
すると、三成の胸の上に、白い蝶がふわりと止まった。
こんな夜中に蝶が……いや、飛ぶこともあるか……と思って見ていると、その姿はふいに、吉継本人に変わった。
自分の分身が、三成の上に覆い被さっている。
三成はうすく目を開き、腕を伸ばして吉継を抱き寄せた。
しっかり筋肉のついた腕の感触に、吉継は震えた。
《行を極めると、このようなことまでできるか。いや》
これは単に、人肌恋しさにこのように感じているだけに違いない。これは夢のようなものだ。だとしたら、何をしてもよいではないか。己の欲のままに、この男をむさぼってしまおう。
ぬしが、ほし。
そう囁いて、くちびるを重ねた。
三成は誘われるまま、吉継の秘孔に、熱い己をあてがって……。

翌朝、吉継の目覚めはさっぱりしたものだった。新たな服に着替え、精神を統一すると、子どもの頭ほどもある数珠を、手も触れずに、すっと空中に浮かべることができた。
彼の異能はこの日、すっかり花開いた。板輿に乗った己を自在に浮かせ、動かるようになった。術を使って敵を打ち倒すことができるようになるまで、十日もかからなかった。
そして毎晩、下界の三成の寝間を蝶の姿でおとない、その精をむさぼった。
《みつなり》
見目麗しい小姓や乙女たちに、どんなに慕われても見向きもせず、ひたすら吉継だけを求める男。
主君に対してはもちろん、吉継を裏切ることなどありえない男。
離れていると、三成の美しさ、清らかさばかりが思い出されて、なんとも切なくなる。
吉継の病を知った時の落ち込みようときたらなかった。本人はどうやら隠しているつもりらしいが、朋友の痛みを我が身に感じているような沈痛な面持ち、鉛でものんだような様子で、毎日フラフラ歩いている。
それが、夢の中とはいえ、吉継の無事を喜び、短い逢瀬を喜び、常にもまして激しく愛してくれる。
身も心も満たされて目覚め、修行にも身が入った。
本来は精進潔斎で行わねばならぬものなのだろうが、三成と交合した翌朝から、身体に力がみなぎっている。病の苦しみもずいぶんと和らいだ。
本物の三成が恋しい。
早く戻れるよう、技を極めなければ。

下山した吉継を迎えた三成の顔は、喜びに輝いていた。板輿を操る姿をいぶかしむこともなく、
「刑部、よく戻った」
「うむ。太閤に挨拶をせねばな」
「ああ、秀吉様もお待ちかねだ。修行の成果を見たがっていることだろう」
「ぬしは見ずともよいのか?」
「貴様がどれだけ研鑽を積んだか、か。むろん秀吉様と共に見せてもらう。なんなら私が手合わせするか?」
吉継はニヤリとした。
「楽に勝てると思いなさんな」
三成はふっと笑って、
「そんなことはわかっている。私が刑部に簡単に勝ったことなどない」
いつもどおりの三成に、吉継は心底安堵した。夢でその身を穢していたことなど、つゆほども気づいていないに違いない。蝶の姿で現れたことなど、かけらも知らないのだ。
この、清らかさ。
それこそが吉継が三成に求めていることで、だからこそ三成が、吉継の中で果てるのが楽しいのだ。
「行くか」
「うむ」
吉継の輿はつるりと宙を滑り、先に歩き出した三成の背中を追って動き出した。
《さて、今晩からでも本物をむさぼってやろ》
美しい姿をしながら、毒の粉をまき散らす蝶は、己にふさわしいと思った。
それで吉継は自分の兜に蝶の立物をつけ、紋を対い蝶に変えた。
しかし三成は、特別な反応をしなかった。
そう、何も知らぬのだから当たり前だ、と吉継は思った。
思っていた、のだが――。

「刑部。具合はどうだ」
日が傾いた頃、吉継の寝ている部屋に三成がやってきた。
「具合、とは」
「昼から伏せっているときいた」
「いやなに、たいしたことはない」
「そうか。少し蒸すな。風を通すか」
三成は障子を少し開けたまま、吉継の脇に座り込んだ。吉継が顔まで上掛けで覆っているので、
「寒いか?」
「いや」
「熱は」
「ない」
「どれ」
三成は布団の中に手を入れ、吉継の額を触った。
「たしかになさそうだ。身体がどこか痛むか」
「胸のあたりが少し」
「それはよくない」
「いやなに、じきに落ち着くであろ」
三成の体温を感じたとたん、吉継の気持ちは落ち着いてきた。顔を出して、
「ぬし、夕餉は」
「まだだ。刑部がよければここへ運ばせるが」
「いや、われもそろそろ起きようと思っておった」
「そうか」
吉継が身を起こすと、柔らかい風が吹き込んできた。
その風は白い蝶を運んできた。
三成はそれを見上げて、
「ああ、まだ蝶の季節なのだな」
蝶は部屋に差し込む夕陽と戯れていたが、入ってきた時と同じく、ひらひらと軽やかに部屋を出て行った。
「ぬし……」
その先の言葉がでなかった。
三成はつと立ち上がり、障子の外へ出た。
「左近、そこにいるか。人払いしろ。刑部に話がある」
「へ、あ、すんません、わっかりました!」
ドタドタと足音が遠ざかっていくと、三成は障子を閉じた。
「どうも立ち聞きの癖が抜けないようだな、どうするか」
思案顔でいたが、再び吉継の脇に座り込んだ。
「……貴様が山で修行していた頃、夢を見た」
吉継はヒィ、と身をすくめた。
「夜中だというのに、白い蝶が飛んできた。そして私の胸に止まった。どこから入ってきたかもわからなかったが、ああ、これは刑部の魂だ、と思った瞬間、貴様の姿になった」
三成は懐かしげに目を細めた。
「離れてつらいのは私だけではなかったか、と、心底嬉しかった。修行の最中は、行い澄ましていなければならないはずなのに、刑部の魂はこんなにも私を求めてくれていたのかと思うと、自分をとめられなかった。淫らに貴様をむさぼりつくした。夢でも何でも、刑部が欲しかった」
「みつな、り」
「貴様が山から戻ってきた時、何も無かったような涼しい顔をしていたので、やはりあれは夢だったかとも思った。夢でなくとも、貴様が何も言わないのに、私から何か問うのもはばかられた。だが、今のその様子からみるに、あれは夢ではなかったのだな」
「三成、それを、誰にも」
「言ったことはない。これからも言わない」
三成は吉継の頬に手を触れた。
「そんな風に羞じらって……誇るべき力だろう」
「われに、誇り、など」
「なら、なぜ、蝶を家紋にした?」
吉継は目をそらした。
「われは歩行(かち)では戦えぬゆえ、それを、蝶に、なぞらえて……」
「そうか。何にしても恥じることのないものだ」
「それは」
三成は吉継にそっと顔を重ねた。くちびるが離れるか離れないの距離で、
「誰にも言わないと言ったろう」
吉継は瞳を潤ませて、
「それでも身のうちが焦げるようよ」
三成はため息をついた。
「そんな顔をされると、明るいうちから、欲しくなってしまう……」
「ぬしは、もう」
「だめか」
「夕餉もすませぬうちにか」
「わかった。では、続きは後だ」
三成は吉継を抱き寄せた。
「蝶は、夜も、飛ぶからな……」   


(2020.11脱稿 2020年12月発行『花蝶風月』用書き下ろし)

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Written by Narihara Akira
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