『夢の行方』


明日も活躍する自分をイメージして目を閉じたはずなのに、なぜか、腕の中に赤葦がいた。
「木兎さん」
「どうした赤葦?」
赤葦は裸で、しかも泣いていた。
「行かないで、ください、木兎さん……」

*      *      *

「あー」
木兎光太郎は、薄闇の中で目をあけて、思わずため息をついた。
「泣かせるつもりじゃなかったんだけどな」
ウトウトし始めた瞬間、試合後のあの姿を思い出してしまったのだろう。
だからこんな夢を見る。
赤葦が泣くとは思っていなかったからだ。


新入生の頃から、赤葦京治は冷静で優秀なセッターだった。
バレーに熱心な中学から推薦で梟谷に入ってきたのだから、うまいだろうとは思ったが、予想以上だった。
スパイク練習につきあってくれというと、本当に打ちやすい、正確なトスをあげてくる。
気持ちよく打てるのが楽しくてたまらず、「お前のトス、最高だぜ」と全力で褒めたが、あまり嬉しそうな顔をしない。正直がっかりしたが、つきあっていくうちに、大げさな感情表現をしないタイプなのだとわかった。だからほんのり微笑んでいる時は、心の底から喜んでいるのだというのもわかるようになった。
おとなしいわけではなく、上級生に対しても言うべきことは言うし、時に策士だ。かといって、頭でっかちでもキツい性格でもなく、真面目すぎて、ちょっと《天然入ってる》というか、とぼけた男であったりもする。
そんな赤葦が二年で副キャプテンになった時、誰も異論をはさまなかった。
情緒の安定しないキャプテンのおもりができるのが、赤葦だけだったというのもある。
言っていることが妥当で、やるべきことをやっているので、生意気な、と思われないのもある。
だが、なにより、メンバー全員の信頼に足る実力があったからだ。
もちろん、一番信頼しているのは、木兎本人だ。
セッターに必須の状況判断力。何よりも安定した丁寧なトス。試合で常に百パーセントの力を出せるフィジカルとメンタル。
浮き沈みの激しい人間にとって、赤葦以上のパートナーはいない。
時に赤葦は、他のセッターと比べて、自分の技術の足りなさを呟く時もあるが、木兎はどんな天才セッターよりも、彼のトスを打ちたい。いつも最後までつきあってくれるのは赤葦だ。自分に期待しているからこそ、あのトスをあげてくれる。
それをどんなにありがたいと思っているか、赤葦本人は、たぶん、知らない。
《だから、泣くなんて思ってなかった》
試合中、赤葦が常になく緊張しているのは気づいていた。
いつもならあの程度の挑発に、顔色を変えたりしない。
赤葦のプレイに大きなミスはなかった。ただ相手に攻撃パターンを読まれただけのことで、そんなものはいくらでも取り返せるし、対策もとれる。いつもの赤葦なら、さっと切り替えていたはずだ。
それができないでいるということは、余計なことを考えている、と思った。
例えば、ここから先は未知の世界だとか、三年生はこれで最後だから負けられない、とか。
動揺を見てとった監督がメンバーチェンジの指示を出したぐらい、いつもの様子ではなかった。
ただ、赤葦は赤葦なので、ベンチに下げられたらすぐに冷静になるだろうと思っていたし、実際、次のセットでは物の見事に復活したから、そこまで深刻に悩んだわけではないだろうとも考えていた。
だから試合後、一人で落ち込んでいる姿を見た時は驚いたし、思わず赤葦に近づいていったのもそのせいで(他のメンバーが気を利かせて二人だけにしてくれた)、気持ちを引き立てようと、いつも以上に明るく声をかけたつもりだったが、赤葦は涙を流し始めた。そんなに後悔しているのか、不安や愚痴を吐き出すのかと思いきや、泣きじゃくりながら今度は、試合前の木兎のルーティンについて説教を始めた。
可愛い、と思った。
こんな時まで、先輩の将来を心配している。
正直な話、誰も見ていなかったら、肩でも抱き寄せていたかもしれない。
だが、今の赤葦に触れてはいけない、とも思った。
人前で出来ないことまで、してしまいそうで。
《赤葦は、俺がそんな目で見てたりするの、想像したこともないだろうけど》
合宿や大きな大会では、メンバーと一緒に風呂に入ることもよくある。
木兎は赤葦の全身を知っている。
無駄なく筋肉のついた、いい身体だ。あの安定したトスは、豊かな腰回りが産んでいる。時に怪我をすることがあっても、いつも綺麗な白い肌だ。
だから、ほんのりと笑みを浮かべる赤葦に、ふらりと引き寄せられそうになる時がある。
ごまかすためにスパイク練習に打ち込んだ日もあった。
ただ。
《好かれてるのは、間違いないけど》
赤葦は自分より、ずっと純真なのだと思う。彼の熱いまなざしは、先輩のプレイに対する憧れや尊敬を示すものであって、それ以上でもそれ以下でもない。
それが少し、寂しくもあり。
《そういや、夢で裸の赤葦って、初めてか》
試合中に変な気持ちにならないよう、たまったものを処理する時、赤葦を思い浮かべることはない。常に別の何かを使うようにしている。だから今まで、夢でも抱いたことはなかった。
なのになんだろう、あんな姿を思い浮かべたのは。
それが彼の本心だったら、と願ってる?
「赤葦、まだ起きてたりしないかな」
木兎はそっと起き出して、上着を羽織った。
夢の中だけじゃなく、「行かないで」って思ってくれてるんだろうか。
そんなそぶりは見せないようにしてるけど。
俺もおまえと離れたくないって、本当は、言いたいんだ――。


二年生の寝ている部屋の前でためらっていると、「木兎さん」と呼ばれた気がした。
聞き間違いかと思っていると、練習着に防寒着を羽織った赤葦が出てきた。
「木兎さん?」
「ちょっと眠れないでいたら、赤葦に呼ばれた気がしてさ」
らしくない、と言われるかと思いきや、赤葦は真顔で応えた。
「俺の寝言が聞こえたんですか? それで、こっちの部屋まで見に来たんですか」
ということは、本当に呼ばれたのか。
「いや。赤葦、もしかして俺に、なんか言いたいことがあるかな、と」
赤葦は複雑な表情で見つめてくる。急に心配になってきて、
「なんか赤葦、顔色よくないな。目も潤んでるし、熱でもある?」
「いえ、大丈夫です」
「休憩室に行く? 今、誰もいないし」
赤葦は小さくうなずく。並んで歩き始めた。
「木兎さん」
「ん?」
「今日の試合で、木兎さん、皆のおかげのエースじゃなくて、ただのエースになるよ、って言いましたよね」
「うん」
「どうしてあんなことを言ったんですか」
「え、かっこよくない?」
「かっこつけるためですか」
「それもある」
「他にも何かあるんですね」
「自分に言い聞かせてた」
「自己暗示?」
木兎は上を向いた。赤葦の表情を見るのが怖かった。
「だって春高が終わったら、俺はもう、赤葦のトスを打てないんだから」
「木兎さん」
「俺は先に卒業するんだから、赤葦がいなくても勝てる自分にならなきゃいけない。そのことはずっと前からわかってたのに、今まで腹がくくれてなかった」
「それは」
ついに言ってしまった、と思っていると、赤葦はいつもの冷静な声で、
「らしくないことを言いますね。卒業は喜ばしいことですし、これからも木兎さんは、ずっと勝ちますよ。どんなセッターがあげたトスでも、完璧なスパイクを決めて」
赤葦。
それは。
他の誰かにまかせていいってこと?
おまえはエースが俺じゃなくても、いいの?
「でも、赤葦のトス、いつもドンピシャだからなあ。他のセッターで、気持ちよくスパイクを決められるかどうか……俺は、桐生みたいにはなれないし」
「木兎さんは木兎さんです。そのままでいてください」
「そっか」
木兎は視線を赤葦に戻した。思っているだけでは伝わらない。
「あとさ、俺からも訊きたいことがある」
「なんです」
「次の春、俺のいる学校に、いや、俺のいるチームに、来るつもりはある?」
赤葦は目を瞬かせた。
「周回遅れの自分を待っていてはくれないでしょう、木兎さんは」
木兎は微笑んだ。
「赤葦が? 周回遅れ? 離れてるうちに、俺が抜かれる可能性だってあるよ」
「ご冗談を」
「赤葦は推薦で梟谷にきたけど、俺よりいい学校に進める成績をとってるから、誘うのは駄目だろうと思ってた。でも、赤葦が、一緒にプレイできるのはあと少しだ、みたいな思い詰めた顔してるのを見てたら、来てくれたら嬉しいって言ってもいいのかなって」
赤葦は目を丸くしている。
らしくないことを、とまた言われるのかと覚悟していると、さらりとこう返してきた。
「行きますよ。絶好調の木兎さんは、いつ見ても気持ちがいいですから」
「じゃあ、明日も安心して打てるな」
木兎はほっとした顔を隠すように、休憩室の給湯器に向かった。
白湯をついで、けげんそうな赤葦に差し出す。
「もし、これから走ってくるなら、すこし身体あっためてからの方がいいし」
赤葦はそれを受け取って、ほんのり頬をそめた。
「いえ、もう大丈夫です。寝られると思います。ありがとうございます」
木兎はうなずいた。
もし本当に、赤葦が次の春、俺のところに来てくれたら。
今の気持ちが、その時になっても変わってなかったら。
言ってしまおうか。
本当にそういう関係になれたら、赤葦が主導権を握って、こっちが翻弄されてしまうのかもしれないけど。
あ、それってホンローでいいんだっけか?
いや、それ以前にフラれたらどうするんだ。
「木兎さん?」
ああ。
今もこんな熱っぽい瞳で見てくれるのに、いったい何が不満なんだ。
「明日も赤葦の百二十パーセントが欲しい」
赤葦は目を瞬き、そして、ゆっくりうなずいた。
「ええ。俺にできることなら、ぜんぶ……」
湯呑みを渡してよかった、と木兎は思った。抱きしめてしまいたい、という気持ちをなんとかこらえることができたのは、火傷なんかさせたくないからで――



「夢の理由」の、木兎さんサイドからの視点話です。


(2019.7脱稿)

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Written by Narihara Akira
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