『夢の理由』
「赤葦、ほんとに大丈夫?」
「ええ」
「んー、やっぱつらそうだよな。俺、練習してくるよ。赤葦が気持ちよくないとだめだろ」
「練習なら俺でしてください、木兎さん」
* * *
赤葦京治はそこで目覚めた。
春高の宿泊施設の布団の中で。
「なんだ、今のは」
木兎さんに抱かれる夢を見ていた。
しかも、うまく反応できず、木兎さんを失望させていた。
最後にすがりつくようなことまで……。
「そんなに疲れを残すようなことをしたか?」
木兎さん――梟谷学園のバレーボール部は全員ポテンシャルが高く、特に今の三年は優れているが、その中でもキャプテンの木兎光太郎は、全国でも五本の指に入るといっても過言でないエーススパイカーだ。
この二年、セッターとして、そして副将として彼の補佐をしてきたが、正直、そういう目で見たことはないので、今の夢は意外だった。
ただ、「赤葦、練習つきあって」から「練習」が抜けたところで、応じることはできるとも思っている。そういう意味でも、信頼されて、いるのなら。
未だに木兎さんをすっかり理解できているとはいえないし、急落する感情の激しさについていけない時もある。迷言にあきれることもある。しかし、基本的には立ててやれば、ひときわ高い能力を発揮してくれるエースだ。彼から「赤葦、おまえのトス、最高だぜ」と満面の笑みで褒められる時、心の底から嬉しいと思う。もちろん勝つためには誰にでもあげる。しかし、あの人の期待に応えたい、あの裏表のない賞賛を浴びたい、という気持ちは、常にある。自分にはないスター性に憧れてもいる。普通ならめんどくさいやつだと敬遠されるはずなのに、天真爛漫な性格は、誰からもゆるされ、愛されている。
体育会系の上下関係をバレーに持ち込まないのも好ましく思っている。赤葦は直裁に物を言うほうだが、「下級生のくせに生意気な」と叱られたこともない。強くなるための努力を惜しまず、何でも吸収しようとする。自分の技術をわけあうこともいとわず、他校の生徒相手でも親身に教えたりする。純粋にバレーがうまくなりたい人なのだと思う。そこは尊敬している。
だから、もし、木兎さんの方に、そういう気持ちがあるのなら――
赤葦は首を振った。
木兎さんがあんなことを言うわけがない。
意味のない仮定より、今日の試合だ。
幸い、今の木兎さんは絶好調だ。前回のインターハイではベスト8、今さら全国大会に怖じる人ではないし、メンタルも安定している。
いつも通りのトスを上げるのが自分の仕事で、淫夢に惑わされている場合ではない。
「でも、なぜ」
特にたまっていたということもない、赤葦はそういうことも常にコントロールするようにしている。実際、身体は特に強い反応を示していない。
三年生は最後の大会だ、余計なことを考えている暇はない。
他の二年生たちはまだ眠っている。変な寝言を言っていなければいいが、と思いながら、赤葦は身支度を調えた。
木兎さんは常にそばで見張っていないと。また他の試合に影響されて、しょぼくれモードに入られでもしたら……寒いのに夜に出歩いて、体調を崩されでもしたら……すぐに頭はバレー以外のことでもフル活動し始めた。
赤葦も伊達に、梟谷学園の正セッターではない。
* * *
「赤葦。俺、もう駄目かな」
自分の先を走っていたはずの木兎さんが、血まみれになって倒れていた。
事故か。それとも誰かに襲われた?
「すぐに救急車を呼びます」
「うん。でも、もう、俺、バレーが……」
抱き起こすと、その身体には両腕がなかった。
思わず悲鳴をあげた。
「木兎さん……!」
* * *
赤葦は飛び起きた。
「なぜ」
全国で三本の指に入るエースを抱えた大分の強豪チームを倒した夜というのに、なんで不吉な夢を見る?
自分は何が不安なんだ。
試合後、二人きりになった時、自分の動揺を木兎さんに指摘されて泣いた。叱られたわけでないからこそ泣いた。他のメンバーの前でも、みっともないと思いながらも、涙がとまらなかった。
しかし、泣いた後はすっきりしたつもりだった。
なのに、いったい何が、まだ自分の中にわだかまっているのか。
あの人に永遠に追いつけないという焦りか。
応えきれる資質がないかもしれないという恐怖か。
確かに木兎さんは試合中も成長し続けていて、その背中を遠く感じることはある。
だが、今さら、そんな?
赤葦は布団を抜け出した。
夜はまだ浅い。少し走ってすっきりしようと思った。
あたたかい服に着替えて、あてがわれた寝室を出ると、なぜかそこに上着を羽織った木兎光太郎が立っていた。
「木兎さん?」
「ちょっと眠れないでいたら、赤葦に呼ばれた気がしてさ」
「俺の寝言が聞こえたんですか? それで、こっちの部屋まで見に来たんですか」
「いや」
木兎は常にない真顔で、
「赤葦、もしかして俺に、なんか言いたいことがあるかな、と」
まさか、これも夢か? 夢なのか?
「なんか赤葦、顔色よくないな。目も潤んでるし、熱でもある?」
「いえ、大丈夫です」
「休憩室に行く? 今、誰もいないし」
うながされて、赤葦は木兎と並んで歩き始めた。
「木兎さん」
「ん?」
「今日の試合で、木兎さん、皆のおかげのエースじゃなくて、ただのエースになるよ、って言いましたよね」
「うん」
「どうしてあんなことを言ったんですか」
「え、かっこよくない?」
「かっこつけるためですか」
「それもある」
「他にも何かあるんですね」
「自分に言い聞かせてた」
「自己暗示?」
木兎はなぜか上を向いた。
「だって春高が終わったら、俺はもう、赤葦のトスを打てないんだから」
「木兎さん」
「俺は先に卒業するんだから、赤葦がいなくても勝てる自分にならなきゃいけない。そのことはずっと前からわかってたのに、今まで腹がくくれてなかった」
「それは」
赤葦は胸が痛くなった。あと少しで木兎さんと離れなければならない。それを寂しいと思う気持ちを、自分は心の底に深く押し込めていたのだ。
「らしくないことを言いますね。卒業は喜ばしいことですし、これからも木兎さんは、ずっと勝ちますよ。どんなセッターがあげたトスでも、完璧なスパイクを決めて」
そう言いながら、赤葦はこみ上げてくる何かを必死で押さえつけていた。
たとえ離れても、この人に必要とされていたい――失う不安が悪夢の原因だったのか。物理的に距離が離れてしまうのは仕方のないことで、それこそ最初から割り切っていたはずなのに、本当は辛かったのか。
「でも、赤葦のトス、いつもドンピシャだからなあ。他のセッターで、気持ちよくスパイクを決められるかどうか……俺は、桐生みたいにはなれないし」
「木兎さんは木兎さんです。そのままでいてください」
「そっか」
木兎は視線を赤葦に戻した。
「あとさ、俺からも訊きたいことがある」
「なんです」
「次の春、俺のいる学校に、いや、俺のいるチームに、来るつもりはある?」
赤葦は目を瞬かせた。
「周回遅れの自分を待っていてはくれないでしょう、木兎さんは」
「赤葦が? 周回遅れ? 離れてるうちに、俺が抜かれる可能性だってあるよ」
「ご冗談を」
「赤葦は推薦で梟谷にきたけど、俺よりいい学校に進める成績をとってるから、誘うのは駄目だろうと思ってた。でも、赤葦が、一緒にプレイできるのはあと少しだ、みたいな思い詰めた顔してるのを見てたら、来てくれたら嬉しいって言ってもいいかなって」
赤葦は喉を鳴らした。
この人も伊達にキャプテンなんじゃない。ぜんぶお見通しなんだ。
「行きますよ。絶好調の木兎さんは、いつ見ても気持ちがいいですから」
「じゃあ、明日も安心して打てるな」
木兎は休憩室の給湯器から白湯をつぐと、赤葦に差し出した。
赤葦がキョトンとしていると、
「もし、これから走ってくるなら、すこし身体あっためてからの方がいいし」
「いえ、もう大丈夫です。寝られると思います。ありがとうございます」
渡された湯飲みの温かさに、赤葦は安堵した。
よかった、これは夢じゃない。
木兎さんは、ちゃんと、俺のこと――
*ええと、木兎さんサイドからの視点話も、後日、あげようと思ってます……。
(2019.6脱稿)
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Written by Narihara Akira
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