『犯人は二人』


「手紙を一通、取り戻して欲しい」
男は入ってくるなり、勧められもしないうちから、手前のソファに身を沈めた。
満潮音純はそれを咎めもせずに、
「総務省政務官の、大野秀文様とお見受けしますが」
「そうだ」
「選挙の関係ですか、それともご子息のご縁談の関係でしょうか」
「どちらでもない。ところで、隣に立ってるその男は?」
満潮音は門馬知恵蔵をチラリと見上げて、
「僕の右腕で、たいへん信頼のおける男です。ご用件をどうぞ」
大野はぐっと身を乗り出して、
「鷹賀和平は知っているか」
「総務大臣の名前ぐらいは」
「同期なんだが、けしからん趣味があってな。先日、現場の写真を撮られてしまったようで、私のところに回ってきた。脇が甘いぞ、と注意するつもりで封書で送ってやったんだが、うちの秘書が《それは脅迫になりかねません》というんだ。特に、今の時期はよろしくない、と」
「よろしくはないでしょうね」
「だから、鷹賀から何か言ってくる前に取り戻してくれ」
「出されたのはいつですか」
「二週間前、金曜の夜だ」
「封筒は何色ですか。郵便局の窓口で出されましたか。それとも直にポストに?」
「普通の白い封筒に切手を貼って、成城の住所を書いてポストに入れたさ、直に持っていくものじゃない」
「大野様のお名前は裏面にある?」
「書くわけがないだろう。中の手紙であいつならわかる」
「なるほど」
「取り戻せるか」
「ええ、まあ」
「では頼んだ。支払いはこれでいいな?」
出された封筒の中身を満潮音は確かめた。基本の調査料が、ぴったり入っている。
「よくお調べになりましたね」
「誰の息子かぐらいは知ってる」
「それで僕をご指名でしたか。いいお返事ができるよう務めましょう。それでは」
笑顔で追い出しにかかった。

「あー」
満潮音はソファに沈んだ。
「非常識はともかく、あんなに頭が悪くて、よく政治家がつとまるもんだ。嫌味も通じやしない。じいさんでボケてるならともかく、年も僕とそう変わらないはずだよな。蹴り出されなくて有り難いと思えよ」
知恵蔵は脇に腰を下ろして、
「何を怒ってる。親父さんの話を持ち出されたからか」
「男といちゃつく男は、それだけで脅せると思ってるからだよ。クズが。君のことも変な目で見てた」
「そうは思わなかったが」
「君が気にしないなら、まあいいか」
「で、どうする」
「言われた通り、やるだけさ。難しいことはない」
「そうなのか? 先方と話し合うのか」
「まさか!」
「悪事の片棒を担がせる気じゃないだろうな」
「ふふ、君はよくない本の読み過ぎだ」
満潮音は知恵蔵のくちびるに指をあて、その先の言葉を封じた。

*      *      *

二度目の来訪でも、大野は勧められる前にソファに座った。開口一番、
「ずいぶんと乱暴なことをするじゃないか」
「乱暴? これのことですか」
満潮音はスマートフォンを取り出し、短いニュース動画を再生した。
《杉並区の鷹賀和平さんの自宅で、昨夜、ボヤが発生しました。放火とみられています。その際、消防隊員を名乗る男が邸内に侵入しようとしており、警察ではこの二人を容疑者として、行方を追っています》
「手紙を焼いてくれと頼んだ覚えはないぞ」
大野は語気を荒くしたが、満潮音はいつもの涼しい顔で、
「僕じゃありませんよ」
「じゃあ誰だ」
「僕の口から、言っていいんでしょうか」
大野は一瞬ひるんだが、
「ともかく、手紙のことはどうなった」
「取り戻し済みです」
「どうやって」
「やり方までお話しする必要はないと思いますが」
「おまえと友達が放火犯だと通報するぞ」
満潮音は瞳を細めた。鋭い声で、
「下手なことはおやめなさい。僕は不肖の息子ですが、うちの親は健在で、政権の中枢に対して、未だ力があります。身内が濡れ衣を着せられたら、どんな手を打つか、想像もできませんか。それとも、僕を脅すために、こんな依頼をされたんでしょうか」
「ふん、認めたも同然じゃないか」
「いいえ。これは合法的に手に入れました。郵便法第四十一条、還付不能郵便物の取り扱いにのっとって」
「かんぷふのう?」
「今は返還不能というらしいですけどね。郵便物の住所や宛名が間違っていて、先方に届けられない時、郵便局はどうすると思いますか」
「相手は総務大臣だぞ。多少住所が違っていたところで、調べて届けるだろうが」
「多少ではありません。大野様はご依頼の時、成城にあてて郵便を出されたとおっしゃってましたね」
「手紙のやりとりをしてたんだ、住所は間違ってないはずだ」
「ニュースをご覧になった時に、違和感を覚えませんでしたか」
「なに?」
「杉並区と報道していたでしょう。成城は世田谷区です。鷹賀氏は最初から、あなたの手紙を受け取っていないのです。鷹賀氏は十年ほど前に渋谷区に引っ越しをされ、さらに一昨年、今の杉並区永福に越しました。鷹賀氏はもう、古い住所あての郵便の転送依頼をやめていることでしょう。三年以上もやりとりのない人間を相手にするには、彼は忙しすぎる。配達担当の郵便局も違いますし、成城の鷹賀氏あてであれば、その郵便は差出人に返されるはずです」
「戻ってきてないぞ」
「当たり前でしょう。住所も名前も書かなかったのはあなたです」
大野はくちびるを噛んだ。
「郵便法では、差出人の名前も住所もなく、返すのが不可能である場合は、開封して何か手がかりがないか調べ、それでもわからない場合は、その郵便局に三ヶ月ほど保管するのです。その間に該当郵便物の問い合わせがあれば、誰でも受け取れます」
「そんなばかな」
「ばかとはなんです。差出人を証明できるものが、中にないんですよ。具体的な情報を持つ問い合わせ人に渡すしかないでしょう。投函の日にち、間違った住所、受取人名、封筒の色、切手貼り付け、中身は手紙と写真という情報をいただきましたから、すぐ受け取れましたよ。保管期間内でよかったですね。期間経過で、処分されていた方がマシだったかもしれませんが。まあ、お疑いなら、成城の郵便局に、調査結果を確認なさって下さい」
「まさか、初めからわかってたのか?」
「ええ。成城あてとは、ずいぶん古い情報だな、と。ですからピンときました。鷹賀氏が何も言ってこないのも当たり前です。脅迫が成立していなくて、本当によかったですね」
「なぜ言わなかった」
「まともに手紙も出せないような方では、取り戻すのも失敗されるのでは、と不安になりまして」
「探偵ふぜいが説教か」
満潮音は親譲りの美しい顔に、ものすごい笑みを浮かべた。
「たしかに僕は探偵で、ただの一市民にすぎません。ですから申し上げますが、政務官というお立場なら、ご自身について、よくよく考えてみられないのは、どうかと思います」
「何が言いたい」
「あの写真は、どこから入手されたものですか」
大野は答えない。
「あの写真には確かに、鷹賀氏と、彼のパートナーである弁護士の北住泰志さんが写っていました。あきらかにそういうパーティーですし、仲睦まじい様子なので、あなたは、しめた、と思ったのでしょう。同期なのに、常に先をいく鷹賀氏を、次の選挙で追い落とせると。しかしあのパーティーは渋谷区の公的な催しで、ご想像のようないかがわしいものではなく、いわば性的マイノリティーの親睦会です。そんな写真をわざわざあなたに渡す人間がいる、という行為の意味を、何もお考えにならなかったのですか」
「あれは私の味方だ」
「その信頼のおける方がどなたか、僕は詮索しませんが、あの写真は、あなた自身を脅迫しかねないものです」
「えっ」
満潮音は懐から手紙を取り出した。写真を大野につきつける。
「彼らの後ろに小さく、浅里さんが写っているのに気づきませんでしたか」
「えっ」
「老眼にはきつい大きさかもしれませんが、静宮千佳子さんと婚約の話が持ち上がっている時に、息子の身辺について何も調べていないのは、ずいぶんと不用心ですね。現在の恋人と、このパーティーに参加されていたようですよ」 「知らない、そんなことは」
「あなたがゲイを蔑んでいるのは、あまりにあからさまですから、今まで誰も息子さんの行動について忠告しなかったんです。あなたが信頼をおいている方は、菱井フィナンシャルグループのご令嬢との縁談がふいになりませんか、と忠告のためにお見せしたのでしょう。しかしあなたはそれを、こともあろうに、鷹賀氏に送った。さらに、私のような探偵に、取り戻すよう依頼したので、周囲は慌てた。ボヤ騒ぎは、露見を恐れた周囲の方の仕業でしょう。企ては失敗に終わったわけですが、犯人が浅里さんと恋人の二人組でないことを、僕は祈るばかりです」
「ありえない。そんなことはありえない」
「そうでしょうか。あなたが今も政務官の地位にいられることのほうが、ありえないと思いますが」
「なんだと」
「その年齢で、同期の住所を十年もアップデートできていないのでは、あなたの人脈はすでに終わっています。おそらく、先代からの秘書の皆さんがたいそう優秀なんでしょう。手紙も普段は彼らが出しているのでは? とにかく早く戻って、信頼できるとかいう方の指示を仰いだ方がいいと思います。あらゆる意味で、今後の対策をしなければならなくなるでしょう」

依頼人が足音も荒く出て行くと、満潮音は静かにため息をついた。知恵蔵はその肩に手を置いて、
「放火犯は本当に、あの男の息子なのか」
「彼の恋人はコスプレマニアだってきくからね。消防隊員の格好で押し入ることを思いつくかも、ぐらいの話だよ。ところで僕らも、鷹賀氏と北住さんみたいに、同性パートナーシップ証明制度でも申請するかい」
「ああ、そういうことなのか」
「だからそもそも、脅迫にすらならないのさ。だからいったろう、あんなに頭の悪い人間が、よく政治家をやってるって」
「おまえもなればよかったのに」
「絶対に厭だよ。あんな連中とやってられるか。それに」
満潮音は知恵蔵を見上げた。美しい笑顔で、
「君がいられない場所に、興味なんか、ない」


(2020.9脱稿、「美少年興信所」番外編・テキレボEX2 webアンソロ「手紙」用書き下ろし)



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