『逢わない』

明日は、あなたと逢う約束をしていない土曜日。

もらった電話番号をじっと見つめてみる。家族にも誰にも邪魔されない新しい番号だときいた。週末は時間がある、とも。
でも、かけない。
そのかわり、『アンファン・テリブル』の主人公のように、部屋中にいろんな絵や写真を貼りだしてみたりする。そこに描かれている者、うつっている人は、どこかに必ずあなたの面影を持っている。ゆるやかに流れる髪の長さ。豊かな輪郭を持つ頬。強い光をもつ大きな瞳。みずみずしく柔らかい線をもつ肢体――これらが私に、太陽の日差しのようなエネルギーを与えてくれる。具合いが悪くて横たわっているしかないような日でさえ、もてあますほど身のうちに熱く育ってしまってものがある。
恋だ。

恋愛は、植物を育てることに似ている。
準備の整った土壌に種をまいて、水をやらなければ芽は出ない。丹精こめてやらなければ、思うとおりに成長しない。人によっては、予定された成長などつまらないかもしれないし、感情の雑草的しぶとさを好むかもしれない。しかし私は、いい加減にしておいて立派に育つ筈のものを短い間で枯らしてしまうのは厭だ。慎重な態度をもって、毎年の実りを待っていたい。きんいろの林檎の味は、一度知ってしまったら忘れられない。
だから、明日逢っては、駄目なのだ。
いや。
逢いたく、ないのだ。

逢いたくない本当の理由はなんだろう。
あなたが女だから?
気持ちがもうさめかけているから?
日々の疲れにうちのめされているのを見られたくないから?
今、私があなたに望んでいることは、《一日何もしないで、ただ抱き合っていたい》ということだ。
二人でシーツにくるまって、外の時間が流れていく音をきいていたい。
あなたはすっかりくつろいで、時々思いだしたように昔の話をする。目覚しのような軽い口吻。互いに引き寄せあう腕。「あなたが好き」という言葉を口に出さないで、あなたに触れる具合いだけで伝える。
そういう、贅沢だ。

ささやかすぎる望みかもしれない。
だから、それが達せられないのなら、逢いたくない。
わずかな時間に微笑みあって次の約束を考えるような逢い方は、もうしたくない。
私達は愛しあっている。誰に告げても恥ずかしくない程。
だからこそ。
なんのきがねもない時に、ゆっくり過ごせるのでなければ、逢わない。
あなたのまろやかな胸を押しつぶした時の声が、どんなにこの身の奥に響いていても。あなたの眼差しの翳りが、理性の鎖をどんなに甘く蝕んでも。

そんなことを考えながら枕を抱きしめる私を、人はきっと笑うだろう。なんともつまらない欲求不満の女と思うだろう。都合のいい妄想だけしている臆病者、妙なこだわりをもつ馬鹿者だ、と罵るだろう。どうしていまさら初心のふりを、何のためのやせ我慢か、とあきれるだろう。
しかし、誰でも恋に夢を見る。自分の好みを持っている。それに、イメージトレーニングもしないで勝ちあがっていけるほど、恋愛競技会は甘くできていない筈だ。ちぐはぐなタイミングが、過去どれだけ多くの恋人達を不幸にしてきたか。
だから私は、頭が思うことと身体で思うことが一致して、完全に熟すのを待つ。
それまで、逢わない。

もしかしたら、この夜の静寂を破って、あなたから電話があるかもしれない。
もしかしたら、明日の朝のポストに、あなたからの手紙があるかもしれない。
その時私は、澄ましてこんな考えを言って、断われるだろうか。
大丈夫だろうか。
逢いたい、と筆を滑らせなくて、すむだろうか。
本当は飛んでいきたい、と口走らずにすむだろうか。
どこにいるかわからない神様達なんかより、あなたの方がずっと畏いのに。

明日は、あなたと逢う約束をしていない、土曜日。

逢わない。
電話もしない。
約束も。

あなたの一言で、私の魂は溶けてしたたりおちてしまうというのに。

(1997夏脱稿/初出・文章主体イベントWORDS書評誌『text jockey autumn*1997』〜Theme;Friday〜1997.9)

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copyright 1998
Narihara Akira
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