『美少女探偵美咲・青空のディスタンス』


「ねえ、きいてよ、紫乃〜! 昨日、家から締め出しくらっちゃってさ〜! 寒くてすっごく辛かった!」
朝から大声のクラスメート。でも、マスクをしてるから、こっちがうるさいって思ってるのはわかりにくいはず。普通の声で返す。
「どうしたの、大江ちゃん。家の鍵でも無くしたの?」
「違う〜! うちのマンション、一階のレストランが改装工事しててさ。昨日は裏口にセメント流すって言われてたんだけど、午後には上に板を渡して、上の階の人も入れるようにしときますって話だったの。なのに帰ったら、まだ工事中だったんだよ〜! やっぱり乾かないんじゃん、この寒いのにどこに行けっていうの〜? お金もないし、仕方ないから図書館に行ったよ。二時間ぐらい、時間つぶした」
「へえ、図書館に? 大江ちゃん、偉いねえ」
「でも、今までこんなことなかったのになあ。うちの斜め裏にある家も建て替え中なんだけど、そこの建設会社も、三時ぐらいには引き上げちゃうんだよね。だから、道が通れなくて困ることとか、全然なかったのに」
「三時? そんなに早く帰っちゃうの」
「今の時期は暗くなるのが早いからじゃないか、って親が言ってた。昼間でも、音もあんまり立てないらしいよ。今は家で仕事してる人も多いからさ」
「なるほど、大変だね」
「っていうかさ、工事の時間が延びるんだったら、知らせて欲しいよね。親も知らなかったみたいで、なんで遅く帰ってきたのよって叱られちゃったよ。寄り道なんか、したくてしたわけじゃないのにさあ」
「そうだよねえ……あ、おはよう、美咲」
「おはよう、明石さん」
幼なじみの緑川美咲が登校してきた。私のこと、昔は紫乃ちゃんって呼んでたのに、中学に入ってから急に、明石さんって呼ぶようになった。お互い、いつまでも子どもじゃないってことみたい。私はそのまま、美咲って呼び続けてるけど。
「ねえ、大江さんのアパートの工事、三角コーンでまわりを囲ってる?」
「それがどうしたの。赤い三角ので囲われてたら、普通、中に入らないじゃん。セメントに足跡つけるわけいかないし」
「でも、工事の人は、もういなかったんでしょう」
「セメントが乾かないと、次の作業ができないからじゃないの」
「ふうん。いい話」
美咲はニヤッと笑った。口元はマスクで見えないけど。
大江ちゃんは怒りだした。
「いい話ってなによ。身体を冷やしていいことなんかないよ! どういうことよ!」
「風邪をひかなくてよかったねってこと。ねえ、そろそろ、先生くるよ」
本当に先生が来たので、そこで会話は終わった。
大江ちゃんは話を蒸し返さなかったけど、それから一日、ずっと不機嫌な様子だった。


《どうして、ああいう言い方、しちゃうかな……》
バスタブに身体を沈めながら、美咲のことを考える。
美人で成績もよくて行動力があって、普通だったら友達が多いタイプのはずなのに、いつの間にか友達を減らしてる。
《ほんと、悪い子じゃないんだけどなあ》
面倒見は悪くない。私が困ってると、察してすぐに助けてくれる。正直、こんなつきあいやすい人はいないんじゃないかと思う。美咲はすごいね、ってたった一言で機嫌が良くなって、難しい頼み事でも、なんでもやってくれる。そういうとこ、わかりやすくて、割と好き。
でも、頭がいいのに、なんでああいう皮肉っぽいこと、言っちゃうんだろう。中二にもなって、子どもっぽいんだから。
《待って。大江ちゃんじゃなくて、私に怒ってたりしないよね?》
朝一番で美咲に挨拶しなかったから、とか? まさかね。
まあいいや。余計なことを考えるのはやめて、お風呂を楽しもう。
「ふう。いい香り」
コロナウィルス感染症が流行したせいで、一番風呂は一番早く帰宅する私になった。おかげで好きな入浴剤が選べるようになった。リラックスハーブの香りに包まれて、ぬるめのお湯が心地いい。帰宅したらすぐ、制服とか鞄とか洗えない物を、玄関脇の空気清浄機のある部屋に置いて、すぐにうがい手洗い、水分補給。それから自分が着ていたものを、ぜんぶ洗濯機に放り込む。他にも洗濯物が残ってたら一緒に入れて、ボタンを押す。今まで触ったり歩いたりして、なんかついてそうなところに除菌アルコールスプレーを吹いたら、お風呂場へ行く。浴室内をざっと掃除して、バスタブの蓋を半分閉めて、お湯をためながら先に身体を洗ってしまう。無添加の石けんの方が殺菌効果が高いというので、シャンプーから洗顔石けんまでぜんぶ無添加で揃えてある。顔や髪、耳から洗って、泡立てタオルでつま先まで綺麗にする。その頃にはお湯をため終わってるので、シャワーで洗い流して湯船にドボン。足とか腕とか簡単にマッサージした後、頭の後ろまでお湯につかる。オフィーリヤみたいに髪までお湯にしずめると、首があったまって、むくみがとれて、頭痛とか肩こりとか減るんだって。私は髪が短いから、ミレーの絵みたいに髪は広がらないけど、美咲だったら、あのサラサラの髪が、ふわって綺麗に広がるのかな。見たことないけど。水泳の時は帽子をかぶるし、あの長さの髪は乾かすのも一苦労のはずだから、やたらにお湯につけたりはしないかも。
前は、お風呂入るのは時間をとられるし、ちょっと面倒だなって思ってたけど、こうして早くすませてしまうと、夜の時間が長く使える。夕食を何にしようかなとか、考える時間もとれる。今日も親は遅いから勝手に食べていいって言ってたから、レトルトカレーにトッピングしよう。タマネギを刻んで、冷凍ブロッコリーとチンして、缶詰のソーセージと温玉とか?
少しずつ日が長くなってきていて、ブラインドの外はまだ明るい。今は部活も中止なので、授業が終わったらそのまま帰れるからだ。
昼間のうちからお風呂なんて、贅沢なんだぞって親は言う。
まあ確かに、ユニットバスでも入浴剤次第で、温泉気分が味わえる。それにこの入浴剤は、美咲が使ってるのと同じだし……。


髪を乾かしてルームウェアに着替えたら、スマホの着信に気づいた。
おやすみモードにしてたから、音がしなかったのだ。
LINEには美咲のアイコンで一言。
「もう寝てる? 明日、デートしよう」
ええ? デート? 明日も学校だよ?
学校帰りにどこかに寄るつもりなのかな。
美咲は単独行動が好きで、面白いイベントとか映画とか、一人で行っちゃうことも多いんだけど、たまに私にデートしようって言ってくる。
この間は、どこに行くのかと思ったら布地屋さんで、新しいスカートを縫うから生地を見立てて欲しいっていう。そしてすごく可愛いギャザースカート姿で現れた。たぶんこれも手作りだ。「それ、すごく似合ってる。素敵」美咲は嬉しそうに「明石さんも着る?」って言ったけど、「美咲は美人だからそういうのが似合うけど、私にはちょっと、あわないかな」と言ったら、ふーん、ってつまらなそうに言われた。うっかりした。手がはやくて人が一枚縫う間に二枚縫っちゃう人だから、私のぶんも縫うつもりだったのだ。でも、似合わないスカートをもらっても困るし、着ないと何を言われるかわからないから、答えはこれでいいはず。そう思ってたら、「明石さんだって美人だよ」と呟いて、全然関係ないことを話し始めた。生地は三種類選んだけど、どんなスカートになったかは見てない。
あと、山につれて行かれたこともあったっけ。お祖父さんの持ってる山で、時々行くっていってた。ほんとは処分したいんだけど、山って売るのが難しいから手入れをしなきゃいけないんだって。「今日はスケッチに行こうと思ってるんだけど、明石さんも来る?」って言われて、ついていったら、市内なのに、本当にちょっとした山で。虫対策をしてったから刺されはしなかったけど、落ち着いて風景なんて見てる場合じゃなかった。美咲は花とか見つけたら、いきなり絵の具で描き始めたりして、その手さばきもかっこよかったけど、私にはそんなことできないから、鉛筆だけで絵を描いてる美咲を描いた。「明石さんは、なに描いたの?」と言われて渋々見せたら、「ありがとう」って切り取って持っていっちゃった。あの、それあげるって言ってないんだけど。いや、私の下手な絵をそんなに気に入ったなら、別にいいんだけど。山の帰りに直売所の山菜とかお裾分けされたので、親に「緑川さんの家でもらった」って言ったら、親がお返しに悩んじゃって、結局ユズかなんか持っていかされた。めんどくさかった、もう。
そもそも幼なじみじゃなかったら、美咲とつきあってないんだと思う。お父さんは某有名メーカーのアイデアマンでお母さんは建築家、ちょっと年の離れたお兄さんは東北の国立大学に行ってる。つまり土地持ちでちょっとお金持ち。ここらへんにいい私立の学校があったら、そっちに行ってたかも。とにかく両親とも公務員のうちとは格差があると思う。美咲のお父さんはダンディーっていうのか、すごくきちんとした優しい人で、家に遊びに行くたびに「素敵なお父さんだね」って言うと、美咲は嬉しそうな顔をする。これはお世辞じゃないので、私もいくらでも言えるんだけど。
ああ、あんまり彼女を待たせちゃいけない、返信する。
「返事が遅くなってごめん。お風呂に入ってた。明日はどこにいくの」
待ちかねていたのか、すぐに美咲の返事が来た。
「三丁目のマツタニドラッグストア。明石さんもポイントカード持ってるって言ってたよね。なんか買い物の用事、ない?」
「ないことはないし、ポイントもたまってるけど、学校帰りに寄るには、ちょっと遠くない?」
「一度帰って、着替えてからでもいいけど。制服姿だと、うるさいこと言う人がいるかもしれないし」
「うーん、家に帰ってもう一回着替えると、洗濯物が増えちゃうから、制服でいいよ。それに、美咲と一緒なら、もし先生に見つかっても、うまく言ってくれるでしょ」
一瞬、間があいて、
「うん。明石さんがつきあってくれるならいいや。見せたい物があるんだ。というか、見せたい人かな。あと、余裕があったら、はますなかわらばん、見てみてね」
《はますなかわらばん》というのは、私たちが住んでいる浜砂市でおきた事件をまとめた広報ペーパーだ。自転車泥棒とか交通事故とか、結構あるんだなってびっくりする。役所とかにおいてあって、ネットでも見られる。こういうことも美咲から教わった。
「後でいい?」
「余裕があったらって言ったよ。じゃあ明日」
なんだろう、と思って、部屋に戻って、親のお下がりのパソコンの電源を入れた。いっぺんに大量の情報を見る時はスマホじゃなくてこっちにしてる。その方が見やすいから。これも美咲に教わった。
はますなかわらばんのページを開く。

《浜砂三丁目付近の工事現場で盗難頻発。カラーコーンなど、いたずらされる》

何これ。
見せたい物って、まさか、これ?
美咲は、大江ちゃんの話を「いい話」って言った。
裏口の工事現場に、人がいなかったことを確かめてた。
つまり、本当は工事は終わってた。もちろんセメントは乾ききってなかったんだろうけど、アパートの上の階に行けるようにはなってた。けど、誰かがいたずらして、道をふさいでた。
つまり、大江ちゃんがコーンを無視して、囲いを乗り越えて部屋に戻ってたら、なんか事件が起こってたかもしれないってこと?
つまり無事でよかったね、ってこと?
それ、いい話じゃないよ。怖い話だよ!
「ああ、そっか」
だから説明しなかったのかな。
美咲なりの、思いやり?
「まったく、とんだ気まぐれ美少女探偵!」
私は台所に行って、備蓄品リストをチェックした。ドラッグストアで買えて、足りない物は何だろう。「私がお使いにいくよ」って、親からポイントカードを借りておかないと。もちろん、学校帰りに寄ることは伏せる。どうせ明日も遅いんだろうし。
「とりあえずマスクの予備が欲しいし……後はサプリと洗剤? ポイント足りるかな」
せっかくのデートだけど、ドラッグストアだし、気晴らしにはなりそうにない。
あ、そうだ。入浴剤をもうひとつ買い足そう。
美咲のと同じ、リラックスハーブの香りの。


マツタニドラッグストアにつくと、美咲は手早く買い物をすませたけど、なぜかそのまま、店内をブラブラし続けてる。私も必要な買い物が終わって、これ以上なにか買い足すつもりはない。買うならお菓子のコーナーでも行きたいけど、なぜか行かせてくれない。
すると急に、美咲が立ち止まって、
「中野さん、よかった。いいところで会った!」
近くに居た女の子が、その声にビクッと足を止めた。
ぜんぜん知らない子だ。うちの中学の子ではないっぽい。一年生でもないだろう。転校生?
っていうか、たぶんだけど、子どもっぽい柄つきのマスクからして、小学生かな?
でも、買い物籠に入れてるのは、お菓子じゃなくて、大人用の簡易おむつだ。かさばって大変そうだ。
「あのね、ひとつ、中野さんにお願いがあるの。頼まれてくれない?」
「私にできることですか」
中野さんと呼ばれた子は、小さな声で答えた。大人しそうな子だけど、どこで知り合ったんだろう。
「うん。家に行ってお願いしようと思ったんだけど、この時間じゃ、ご両親もまだ帰ってきてないでしょう。だから先に、中野さんに話をしておこうと思って」
「なんでしょう」
「うちの親が発明家だって話はしたよね」
「はい」
「あのね、中からはきれいに外が見えるけど、外からは部屋の中が全然見えないガラスってあるじゃない」
「あるんですか。よく知りませんけど」
「もともと一般のご家庭向きじゃないんだけど、うちの親が、普通の家でも使える強化版をつくったの。窓をしめたまま、青空だけ見えるよ。しかも全然、曇らないの。窓枠ごと取り替えられるから、工事もすぐにすむんだ。でも、試しに使ってくれるお家が、なかなか見つからなくて。それで、よかったら、中野さんの家でモニターをやってもらえないかな、と思って。もちろん無料だし、感想もらえたら、少しだけど謝礼も出すし、気に入ったら、ずっと使ってていいんだけど」
「親がなんていうか……」
美咲は鞄から封筒を取り出した。
「ダメだったらダメでいいよ。うちの親が書いたお願いの手紙を、ご両親に渡してくれるだけでいいんだ。あと、中野さんが一言、おすすめしてくれたらうれしいかな。緑川さんは町内会の副会長だから、怪しい商売なんてしないよって言ってくれたら」
「そんなこと言わなくても、疑ったりはしないと思いますけど、でも」
「どうしてもダメだったら別の家に頼むから、ほんと、よかったら、なんだけど?」
「はい」
少女は手紙を受け取ってエコバッグに入れた。
「そういえば、智恵子さんはお元気?」
「はい。リハビリは順調みたいで、来月の後半ぐらいには施設を出られるんじゃないかって」
「そう。よかったね。でもそうすると、中野さんが大変じゃない?」
「大丈夫です。今も週に一度は帰ってきてるので」
「介護支援センターの人は、コロナのせいもあって、最近はあんまり、来てくれないんでしょ」
「電話ができますから、大丈夫です」
「そう。なんかお手伝いできることがあったら言ってね。それじゃあね」
美咲はドラッグストアの出口に向かう。後を追った。
「用事は終わったの?」
美咲はすまし顔で、
「一応ね。荷物を置きに一回帰る? どうする?」
「まだどこか行くの」
「デートだって行ったじゃない」
「これから?」
「そうだよ。本番はこれからだよ」


いったん私の家に行って、二人分の荷物を玄関に置いた。除菌アルコールスプレーを、さっとかけて出る。
「明石さんも、あの入浴剤、使ってるんだね」
買い物籠を見られたのだ。私はちょっとドキッとしながら、
「美咲が使ってるって言ってたから。試したら、いい香りだったから、気に入って使ってる」
「そうでしょ、いい香りだよね。途中で香りが変わってくのがいいよね。将来、そういうものをつくる仕事をしようかなって思ったりする」
「いいね。美咲ならできるよ。なんでもできる!」
美咲はすっと目を伏せた。
「なんでもできるわけじゃないよ」
「それで、これからどこへ行くの」
「大江さんの家」
「え? 大江ちゃんち、知ってるの」
「親しくないから上がったことはないけど、一階がいま改装中のレストランで、マンション風のアパートなんでしょ。知る限り、学区内じゃ一カ所しかないよ」
「そうなんだ」
さすが建築家の娘、そんなところにまで目が行き届くのかと思っていると、
「明石さんは行ったことあるの」
「ないよ。そこまで親しくないし。それにほら、最近は、お互いの家に遊びに行くのも、いろいろ言われるし」
「ああそっか。明石さんも、もしかして迷惑?」
「え、美咲はいつでも来ていいよ。親も歓迎すると思う。だって昔からの知り合いじゃない」
「そう」
そっけなく答えると、美咲はさっさと歩き出した。
大通りをずっと歩いて行くと、改装中のレストランがあった。
「ここなんだ、わかりやすいね。バス通りに面してて」
「そう。ところで、ここから先は大声はなしね。足音も控えめに。目だけよく動かしてね」
「え、どういうこと?」
私に美咲みたいな観察眼はない。おろおろしていると、まず美咲は、レストランの裏にある、階段下の集合ポストのところに行った。
三階の部屋のポストを指さす。「大江」になっている。
階段下は、レストランの裏口にもなってるようだ。セメントはもう乾いているが、確かに新しい感じがする。階段脇に《工事中。ご迷惑をおかけします》という看板が立っていた。
レストランの脇は細い道で、奥は行き止まりになっている。私道っぽい。大江ちゃんの言うとおり、斜め奥の家が工事中だった。もう工事の人はおらず、資材と重機がおいてあった。伸び縮みする門で、私道から区切られているだけで、三角コーンはない。必要がないのかも。まさか今日も、いたずらされてる、とかないよね?
すると美咲は、レストランの裏の家の前に立った。外のポストに表札がついている。「中野」と書いてある。
え?と美咲を見ると、うなずく。そして、玄関脇の角部屋を指さす。
ここがなんだっていうんだろう、と思った。
換気扇がある。でも窓はぴったりしまっている。そして、重たい水音がしてる。
美咲は、わかった?という顔をしてこちらを見てる。わからないけどうなずいたら、美咲は黙って道を引き返した。
私の家の近くまで来ると、美咲はぼそりと呟いた。
「中野ひかりさんと初めて会ったのは、スポーツショップなんだ。水着を買ってた」
「水着?」
美咲は水泳部だけど、あの子もそうなのかな?
「真冬だよ。あの子、スイミングスクールに通ってるわけでもないのに、水着を買ってたんだよ。小学校の指定のでもないし、かといって可愛いのでもないし。すごく地味だけど、あんまり水着には見えない、ジャージっぽい形のやつ。それを一人で買ってたの。めちゃくちゃ時季外れに。それで、興味をもって話しかけたんだ」
「何に必要なの?」
「そう思うでしょ? でも教えてくれなかった」
「内緒なんだ」
「それからたまに、ドラッグストアで会うようになって。介護用品を買ってたから、おじいちゃんかおばあちゃんがいるんだなと思って訊いたら、仙台に住んでたおばあちゃんが転んで、腕と足を両方怪我しちゃったんだって。それで、一人暮らしができなくなったから、面倒を見るために、浜砂市のリハビリの施設にきてもらったんだって。そこにいろいろ届けてるんですって。それで、週に一度は帰宅日って決まってるから、その時はもちろん仙台じゃなくて、中野さんの家に一泊するんだって。自由に動けないから、午前中は親が仕事を半日休んで面倒を見て、午後は小学校から帰ってきた彼女が見る。大変だよね。そういうの、ヤングケアラーっていうらしいよ。荷物が多い時は、すこし持ってあげてたりしてたんだ。だから家も知ってたの」
「そうだったんだ」
うちも、おじいちゃんが隣町に住んでるけど、なんかあったらそういう展開になるのかも。一応二世帯にできるようにしてあるって父親が言ってたから、将来的にはひきとるのかな? 母親は、それは紫乃にお婿さんをもらうためよって笑ってたけど、別に継ぐような家でもないのに、一人娘だからって、なんで婿をとるって決まってるの、ってちょっと思った。嫁に行く気もないんだけど。同世代の男の子達をみる限り、あの中の誰かと自分がくっつくなんて、とうてい考えられない。
「さて」
家の前で私たちは足を止めた。
「明石さん、昨日、なんで私が大江さんに《いい話》って言ったか、疑問に思ってたでしょ」
「え」
それはそうだけど。
「私の知ってる情報は、だいたい伝えたよ。頭のいい明石さんなら、もう、その理由がわかってるでしょう?」
え、ええー?
私の方が、少女探偵役をやらされるの?


私が美咲に返事をする前に、皆さんもちょっと考えてみてください。
私でもわかったんだから、わかると思いますが。

*      *      *

私は一呼吸置いてから、
「いくつか質問はしていいの?」
「もちろん」
「さっき、美咲が指さした部屋、あれ、中野さんちのバスルームだよね?」
「そうだね」
「私道とはいえ、道路に面してるから、使ってる時に窓は開けられないよね」
「そうだね」
「そうすると、美咲が付け替えを提案してた窓は、あの浴室の窓ってことだよね」
「その通り。外からはスモーク風で中は何にも見えないけど、中からは綺麗に外が見えて、しかも曇らない。紫外線も完全カットで浴室には最適。いい商品でしょう。地味かもしれないけど人の役にたつ発明をさせたら、うちの親は……」
父親自慢が続きそうなのでちょっと黙ったら、美咲もそれに気づいて黙った。
それで私はニッコリした(マスクしてるから口元は見えないと思うけど)。
「青空が見える浴室っていいね。智恵子さんだっけ? 中野さんのおばあちゃんも喜ぶと思うよ。リハビリ施設から子どもの家に来たって、自分の家じゃないから落ち着かないよね。せめてお風呂が露天風呂だったら、多少は気晴らしになるかも? もしかして、ブラインドをあけて、窓も開けて入りたいって、はっきり孫に言ったのかもしれないね。そうすると、中野さんがどうして季節外れの水着を買った理由もわかる。水着姿で入浴の介助をしてるってことだよね」
美咲はうなずいた。私は続けた。
「だとすると、カラーコーンの盗難やいたずらが多発してる、っていうのは、中野さんが近所の現場のを一つ二つ拝借して、お風呂の間に使ってるってことだよね。あの家の浴室がのぞけるのは、庇とかの角度を考えると工事中の家ぐらいしかないと思うけど、細い道でも奥の家があるから、昼でも夜でも誰かが入ってくる可能性はゼロじゃない。実際、工事の人がいるわけだし。なんか配達とかあるかもしれないし。でも、工事の人達が帰った後、三角コーンとバーで道が塞がれたら、普通の人はふらっと入ってこられない。心理的に入りづらいだけじゃなくて、どかしたり乗り越えようとしたりしても、多少の時間はかかるから、その間に窓をぴしゃっと閉める余裕が生まれる。つまり、大江ちゃんが家の階段を塞がれたのも、そのせい。現場のカラーコーンが動かされて困るので、隣の家のはぜんぶ最初から撤去されちゃってたから、昨日はレストランの工事用のコーンを動かしたんだ。セメントが乾いてないのは見てわかるから、お風呂入ってる間ぐらいならこれでいけるって思った。そういうこと?」
美咲はうなずいた。でも私は首を振った。
「ねえ。これはいい話じゃないよ。おばあちゃん孝行だけど、悲しい話だよ」
「明石さん」
「それならさ、おばあちゃんは家のお風呂じゃなくて、温泉にゆっくり入りたいんじゃないの。今はリハビリ施設も面会禁止で、話せる人も限られるだろうし、すごくストレスがたまってるよね。でもだからって、なんで小学生が犯罪まがいのことをして、大人の面倒を見なきゃいけないの」
「そうだよ。だから親に頼んだんだよ。モニター候補の話を。そしたら少なくとも、いたずらをする必要はなくなる」
「でも、それって解決になる? 介護が大変なのは変わらないじゃない」
美咲は真顔になった。
「じゃあ、解決って何? どうすれば事態が良くなると思う?」
……思い浮かばない。
「ほんとはさ、モニターの件は、明石さんにお願いしようと思ってたんだよ」
「え?」
「明石さんの家も道路側にバスルームがあるから、試してもらうにはいいかなって。親同士も知り合いだし、頼みやすいかなって。一件じゃモニターにならないから、たくさんの家につけてもらいたいし」
「別に、頼んでいいのに」
「いいの」
「何か問題あるの? 私も家が露天風呂になったら嬉しいよ。空はあんまり見えないと思うけど、ちょっと開放感があるよね」
「明石さんの家に本当につけたら、見にくるかもしれないよ?」
「え、お父さんの自慢をしに?」
「ううん、もういい。荷物ちょうだい。帰る」
美咲は自分の買った物を受け取ると、そそくさと帰っていった。
どういうわけか、目元まで真っ赤だった。
何が恥ずかしかったんだろう?
だって、中は見えないんだよね?


しばらくして、大江さんの家の前を通った時、ふと気づいて中野さんの家に近寄ってみた。
浴室の窓は新しくなっていて、きれいな青空を映していた。
遠い、高い青空を。



(2021.1月脱稿・pixiv百合文芸3投稿用書き下ろしを改訂)


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