『出 奔』


吉継が四国へ出陣して長曾我部を倒し、その後、すぐに続けて安芸へ遠征していくと、三成の元気が目に見えてなくなってきて、左近は気が気でなかった。 半兵衛が黒田と後藤両名を連れて安芸へ出陣すると、ため息さえ漏らすようになった。
よくない噂も聞こえてくる。
吉継は、同盟を求めてきた毛利を選び、豊臣を裏切ったというのだ。三成はそれを聞くたび、「刑部に限って裏切りなどありえない」と答えるが、その声には何故か、いつもの怒りも張りもなかった。
せめて、秀吉について、別のいくさばへ出陣できていれば違ったのかもしれない。だが、大坂覇城を全員であけるわけにもいかず、左腕三成は、城主秀吉の代理として、つまり、ていのいい留守番役をさせられていた。時々、左近は「ここには私がいるからいい。貴様は佐和山の様子を見てこい」と追い払われる。思いっきり泣きたい夜もあるんだろうな、と左近は素直に命令をきく。ひとり寝の寂しさに、夜になると声を殺して泣いていることは石田軍の皆が知っている。毎朝、涼しげな顔で登城してくるが、その瞳は薄赤い。
「刑部さん、遠征、大変すよねぇ」
そう、左近が水を向けてみても、
「刑部は大丈夫だ」
目もあわせてくれない。
《三成様にとって、刑部さんてホント、命綱なんだよな。てか、へその緒つながってるって感じかも》
もちろん、秀吉あっての左腕なわけだが、主君が留守だからといって、三成はここまで動揺したりしない。この弱り方は、比翼の鳥が不在のせいだ。
「刑部さんも、こんなに長いこと三成様と離れてたら、さびしいっすよね、きっと」
三成は首をふった。
「そんな惰弱な男ではない」
その声がふっと低くなり、
「だが、可及的すみやかに己の為すべき事を為し、ここへ戻ってくるだろう」
「そっすね!」
そう笑顔で答えながらも、左近は内心では首をかしげている。
《三成様って、マジで天然だよな。刑部さんもめちゃくちゃ寂しいに決まってんのに、そう思ってないんだよな、コレって》
睦み合いの声を一度でも聞けば、誰でもわかる。
いつもの落ち着いた嗄れ声とは、まったく違う甘い呻き。悲鳴に近い喘ぎ。
ねだる声のかすれ具合といい、性的に相手を求めているのは、むしろ吉継の方だ。抱かれたくてたまらなくなると、三成好みの可憐な媚態で誘うのだろう。小姓の頃からの仲だ、お互い飽きてもいい頃だろうに、誰もつけいることのできない親密さを保っているのは、相愛だからに他ならない。ご無沙汰が続くと吉継が不機嫌になるのも周知の事実で、その理由がわかっていないのもおそらく、三成だけだ。
なぜなら三成は、睦言というものは、相手が好きで好きでたまらないからするもの、相手に許されてからするもの、という意識しかもっていないからだ。
もちろんそれは正しいし、良い夫の資質ともいえる。だが、吉継の方は、ただ優しくされるより、時には強引に迫られたいし、大人の男らしい包容力や余裕をみせてもらいたいのだ。三成の人となりを承知してつきあっているから、表だって文句はいわないが、三成の我欲の薄さや生真面目さに焦れている。だからせっせと三成の世話を焼くし、抱かれると夢中になってしまう。
《俺なんか、割り込めるわけ、なかったんだよな》
自分の欲望より好きな相手を喜ばせる方が大事で、それで満足してしまうというなら、新参の部下をつまみ食いするわけもない。なにしろ一言目には「秀吉様」、二言目は「刑部」だ。意識の端にも上らないだろう。今から浮気をするぐらいなら、三成の美しい小姓達には、とっくに手がついているはずだ。毎回先陣をきらせてもらえる左近など、特に可愛がってもらっているわけで、ありがたがっていい。
《あー。俺も三成様のために、なんか、してぇな》
正直、家康討伐にでたい。
だが、それは秀吉から、三成すら禁じられていることだ。かわりに左近が出たいといえば、その言葉だけで三成に叱責される。
単独でやれることで、主君の役にたつことといえば。
《あとは、三成様がいってた、検地の穴か》
左近も古い資料に目を通したので、だいたいどこが怪しいかはわかっている。地下帝国といえば、鉄球をひきずる例の大男が思い浮かぶわけで、太閤検地をかいくぐって出口をこしらえるあたり、姑息ではあるが、それなりの知略と野心をもった、こちらのやり方を知っている者ということになる。
《刑部さんがいれば、そこらへんもうまーく、やってくれるんだろうけどな》
それを自分がやってみるというのも、アリかもしれない。
それとも、半兵衛様達が帰ってきたら、相談すべきことか?
《余計なことだっていわれそうだし、あんまり煩わせてもいけねえよな。黒田さんたちは安芸にいっちゃってんだし、雑魚相手なら俺一人で充分っしょ。よし、探索探索!》
左近が簡単な旅支度を調えると、半兵衛達が戻る前にくだんの場所へ向かった。
親しい者たちには、「ちょっと見回り、いってきます」と、挨拶して。

*      *      *

左近がいないことに気付いたのは、吉継が先だった。
「やれ、ここに居たか三成よ。左近を知らぬか? 鉄火の場には見当たらなんだ」
何気なく訊いたとたん、三成は顔色を変えた。
「左近が居ない、だと? まさか私の制止を無視し、奴の屠滅を目論んだのか?」
三成はギリリと口唇を噛み、
「くっ! 刑部、貴様は此処で控えていろ! すぐに左近を連れ戻し、事無きの日としてみせる!」
留守を頼むと、そのまま城を飛び出していってしまった。
「待て、三成……!」
吉継はため息をついた。
「行ったか。相も変わらぬ前のめりよな。それほどまでの大事とは、どうにも思えぬが」
三成のあの様子では、左近が姿を消したのは、どうやら吉継らが戻ってくるほんの少し前ぐらいのことだろう。
左近が単独で家康討伐を考えていたなら、もっと早くに姿を消していたろう。時がたてばたつほど、向こうの陣営は整ってゆくからだ。
だいたい、今の状況で左近が裏切るというのは考えにくい。
たとえ敵にまわろうとも、力量を考えれば三成の方が圧倒的で、恐るるにたりない。
あわてる必要もないほどだ。
もちろん、あれだけ可愛がっていた左近が本当に裏切ったなら、三成は傷つくだろう。ある意味、三河の狸が離反した時よりも。
「しかし、三成が亀を追い兎、か。ぬしは化けた……化け損ねるは、わればかりよ」
ようやく安芸から戻り、三成の腕の中で、屈託を癒やしたばかりなのに。
吉継はもう一度ため息をついた。
「まったく、優しきことよなァ」


月の明るい晩が続いた。
「やれ、あの二人がおらぬと、こうまで静かなものだったとは」
左近も三成もいないと、吉継のまわりは古くからの近習しかいなくなるわけで、多忙な昼はともかく、夜はひどく静かだ。
よく眠れる、と最初は思ったが、しぃん、としていると、かえって落ち着かない。身体はもともと冷やさぬようにしているし、あたたかい綿入れをかぶって寝ているのだが、どうにも肩のあたりがスウスウする。
独り寝に涙を流していた三成を、まったく笑えない。
「みつなり……」
口づけが欲しい。
冷たく引き締まった口唇が、吉継の口を吸う時だけ、柔らかく優しく滑らかに動く。
舌を絡め合う頃には、もう頭の芯がしびれはじめていて、三成の腕に何もかも委ねてしまいたくなる。甘えかかると、三成が急に熱を増していくのも、たまらない。
夜の相手は別に三成でなくていい、とは思う。その晩限りの関係は刺激的だし、巧い相手はいくらでもいる。
だが、三成の腕の中で覚える、なんともいえない、あの心地は――。
吉継は口唇をなめると、指を濡らし、そっと自分を慰め始めた。
三成の顔を思い浮かべると、身体が熱くなってくる。
「みつなり……みつなり……はよう……!」
達しても熱が収まらず、吉継は掌を動かし続ける。
「まだよ。もっと……!」
ねだりたい。優しくされなくていい。めちゃくちゃにされたい。憂いも辛さも恥ずかしさも、すべて忘れてしまえるぐらいに。
三成の名を小さく呼びながら、なんとか熱をおさめる。
ようやく眠気がさしてくると、吉継はボンヤリ考える。
「せめて、夢にあらわれればよいものを」
そう呟きながら目を閉じ、短い眠りへ落ちていく――。

*      *      *

「君はいったい、僕の命令をなんだと思ってるんだい!」
左近がふらりと大坂へ戻ってくると、最初に見つけて叱りつけたのは竹中半兵衛だった。
「検地のごまかしについては、僕が調べるといったじゃないか!」
左近はキョトンと半兵衛を見つめた。
「えっ、そうだったんすか」
半兵衛はハッとした。三成には伝えたが、左近に直接禁じたわけではない。
すぐに声色をあらためると、
「そうか。そこは僕の手落ちだったね。では、君が見てきたものについて、教えてもらおうか」
「えっと、口で説明するの、ちょっと難しいんで、なんか描いてもいいっすか」
左近は与えられた紙に、さらさらと図を描いていった。三成が見つけた穴を起点として、いったい何処へ抜けられるのか。どれぐらいの広さ、高さがあるものか。
半兵衛は感嘆の声をあげた。
「ずいぶんと長い坑道だね。ここから奥州に抜けられるのか」
「爆弾兵を連れてけば、別の道も開けるかもしんないっす。入り口が狭いんで、馬を入れるのはちょっとアレっすけど、地上行くよりマシっすよね。三成様の足だったら、奥州まで三日で行けちゃいますよ。あ、もっとはやいか」
半兵衛は眉を寄せた。
「それがね。三成君、君を心配して探しに一人で出て、まだ戻ってきてないんだ。まあ、目立つ子だから、すぐ捕まるだろう。影を飛ばして知らせよう」
「あー、ホントいろいろ、すんません」
手をついて謝る左近に、半兵衛はやれやれ、とため息をついてみせ、
「君は、三成君がどれだけ期待してるのか、自覚してないんだね」
「えっ」
「正直、三成君が最初に君を連れてきた時、いったいどうしちゃったんだ、って思ったんだよ。君、佐和山でいきなり三成君を襲ったんだろう? その時、君の技量を見抜いたんだろうけど、普通は君みたいな風体の若者を、出会った晩から信用しないよ。彼の好みと、ずいぶん違うしね」
「あー……」
そういわれれば、その通りなのだ。
「三成君はもともと土豪の子で、もののふとしての素養が充分あったし、預けられた寺でもずば抜けた才を見せていた。だから、教養のないことを自慢するような子を、むしろ軽蔑するはずなんだ。なのに君に先陣を切らせる。失敗しても責めたりしない。それが、どういうことか、わかるよね?」
「ものすごく、信じてもらえてる、ってことっすよね」
「そうだよ。まあ、君が描いたこの図面を見る限り、三成君の信頼は正しかったと、僕も思うね」
「え」
半兵衛は美しい笑みを浮かべた。
「よく調べてあるし、行き届いた描き方だ。僕の教えを受けたとはいえ、なかなかのものだよ。三成君の部下らしい仕事だ。そこらの牢人とは違うね」
「あ、ありがとうございます、半兵衛様」
「この戦乱の世に、主君に無断で動くということは、裏切りと思われても仕方の無いことだ。僕らが長く不在にしていたのも悪かったし、三成君に報告しにくいこともあるかもしれないけれど、これからは少し気をまわして欲しいな。君を失うことは、三成君にとって、相当な痛手なんだから」
「ハイ、気をつけます」
「もう、いっていいよ。ただ、鉄火場はしばらく慎むように。三成君に叱られる理由を増やさないようにね」
「は、ハイ!」
解放された左近は、ふーっと深いため息をついた。
《三成様が、俺を心配して、刑部さんを置いて、探しに出てくれてるなんて……》
悪いことしちまった、という後悔と共に、胸が甘くうずいた。
《すっげー、叱られそうだけど、でも》
三成が怒鳴る様子が、目に浮かぶようだ。
《半兵衛様の勅命を忘却したか、左近? 単独先行は赦されざる重罪と何故悟らない!》
むしろ、きちんと叱って欲しい。
優しくされるより、もっと自分を使って欲しい。
豊臣の、左腕に近い、島左近としては、それが一番、素直に喜べることなのだから。
《はやく帰ってきてくんないかな、三成様……!》

*      *      *

その晩も実に静かだった。
吉継がトロトロと浅い眠りを眠っていると、障子に影がさした。
《やれ、また淫らな夢よ》
静かに障子が開いて、長い影がするりと忍び込んでくる。
吉継の脇へ、着流しの三成が膝をついた。
「すっかり遅くなった。こんなに待たせるつもりではなかった」
その声は、大層しおらしく、
「秀吉様に、戻ったことをご報告したが、お叱りは明日に受けることにした。先にどうしても、貴様に詫びたくて」
うつむいていて、表情もよくわからない。
「戻ってきた左近を叱る資格もない。私自身が単独先行してしまったのだから。刑部がいれば、なんとでもなると……私は貴様に、頼りすぎている」
「三成」
吉継は、そっと三成の掌を握って、
「よう戻った。ぬしがおらぬと床が冷える。それが随分とこたえた」
「刑部」
三成は吉継の身体を押し包んだ。
「貴様を冷やさぬようにする」
「ああ」
吉継は三成に身をおしつけながら、
「独り寝が、さみしゅうて、たまらなんだ」
「すまない」
三成の口唇が、吉継に重なる。
甘く吸い上げられて、吉継は身体の芯まで蕩けた。
欲しかったのは、これだ。
ほんの少しためらいがちで、優しくて、それでいて、愛おしくてたまらないのだと伝えてくる。慎ましすぎるほどだが、それは三成が、吉継をどれだけ大切に思っているかという証でもあり。
「ぬしの腕の中で、死にたい」
「刑部?」
「ぬしに、かたときも忘られぬように」
三成は、吉継が死んだら生きていられない、という。
だが、己はどうか。
三成を失って、取り乱さずにいられるのか。
この腕に抱かれながら息絶えることができるなら、それはむしろ、幸ではないのか。
「ん?」
吉継の頬が濡れた。生暖かく濡れて、吉継はようやく、目の前の三成が淫夢でも幻でもないことを、はっきり自覚した。
三成は泣いていた。
あの、美しい涙を流している。
「貴様に、そこまで、言わせてしまった……!」
声が震えている。身体も震えている。深い悔悟の念が伝わってくる。
「私はふがいない男かもしれないが、いくさばでも、どんなに遠くに離れていても、刑部がどこにいて、どう動いているか、いつも、考えている、のに」
「みつなり」
貴様を思って流す涙は、他とは違う、と三成はいった。
そう、甘い涙だ。
「泣くでない。ぬしを疑ごうてなど、おらぬゆえ」
「どれだけ私が、貴様にとって不足でも、私には貴様しかいないのに」
吉継は、ぐっと三成を引き寄せた。
「ぬしの誠はわかっておる。それでもなお、離れていると恋しいのよ」
「刑部」
「病人の繰り言を真に受けるでない」
「他の何が苦しめても、私は貴様の苦しみでありたくない」
いや、何よりわれが苦しいのは、ぬしを想うておる時よ、という言葉を吉継は飲み込んだ。
「そう思うのであれば、喜びを与えればよかろ」
三成は、はっと泣き濡れた顔をあげて、
「よいのか」
「ぬしの熱い肌を待ち焦がれておったに、口吸いだけか。生殺しにする気か」
「違う、私も欲しかった」
三成の長い指が、吉継の寝着の中に滑り込む。
吉継の腰が浮く。
《ああ、われの、欲しるものは、ここに……!》
毎晩夢見ていたとおりの、優しくも激しい愛撫をほどこされて、吉継は、ただもう、それに溺れきった――。


(2015.11脱稿)

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Written by Narihara Akira
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