『90秒の恋』


 1.

 家から職場まで、信号は三つ。
 クリアしないといけない信号は、二つ。
 長い信号は一分半弱。短い信号は三十秒弱。二回ともとめられないよう、最短で走りぬける。
 最初の信号でとめられたら、二つめの信号では渡らない。自転車も通行可能な歩道を右に曲がって、次の信号で道路を渡る。もし最初の信号をギリギリで渡ったら、三つ目の信号に間に合わないので、二つ目の信号で少し止まって、先に道路を渡ってしまう。あとはノンストップ。
 最初の信号から三つ目まで、自転車で一分半。歩くにしても、信号は三つしかないので、青信号を迷わず渡っていけば、一番早いに決まってるんだろうけど。きっと理系の人なら、きれいな計算式で証明してくれる気がする。
 今のところ、家を出てから仕事場につくまで、最短記録は十分。自転車に乗る時間は五分でも、役所の駐輪場にとめてエレベーターに乗り、ロッカールームで着替えてデータ入力室に行くのに五分かかる。タイムカードは定刻前に打刻しないと遅刻扱いだから、一分でも遅れちゃいけない。

 とても狭い半径の中で生きてる。朝起きて仕事にいって、帰宅して。夕食の片付けを終える頃には疲れ果ててる。楽しみといったら、ネットで可愛い服を探すぐらい……職場はお仕着せのスモックで、下は何を着ても自由だからだ。ジーンズだって問題ないから、自転車が楽だ。
 何のために生きてるんだっけって時々思う。最初に入った会社はあっという間に潰れてしまった。今のバイトを続けてるのは、家から近くてギリギリまで寝てられるからってだけ。好きだった人はお星様になった。私も今のうちに死んじゃった方がよくない? なんだか調子よくないし。この国で生きてて、これからなんか、いいことあるかな?
 今のお気に入りは、背中に緋色の蝶がプリントされてるTシャツ。ちょうど心臓のあたりに、大きな羽を広げている。自分で着ると鏡でしか見られないけど。私の血を吸って開いたみたいで素敵。デザインした人には申し訳ないんだけど、私はもう死んでるんですって、無言で知らせるにはぴったり。
 そして私は今日も、九十秒を数える。

「あ」
 たまにタイミングがあわないことがある。絶対間に合うはずなのに、三つ目の信号でとめられる。もしかして点滅の時間が少しずれるのかもしれない。三つ目の信号は、夜間はボタンを押さないと通れない信号だ。朝は交通量は多いし、人通りも多い。たとえ遅刻するかもしれなくとも、信号無視は危険すぎる。
 おなじく信号の手前で止まった人が、可愛いリュックを下げていた。あれ、サマンサタバサの新作リボンリュックだ、結構いいお値段だよな、でもあんなパープルあったっけ、と見つめていると、妙なことに気づいた。
 ロゴが、ない。
 ニセモノかな?
 でも、安っぽい感じはしないし……。

 翌日も、リボンリュックの人は交差点に立っていた。うちの職場では見たことない気がするけど、この時間にここにいるってことは、近いところで働いてるはず。工場? 博物館? 美術館? 学校? 病院? どこだろう。
 別の日、その人は薄いカーディガンを羽織ってた。肩に見慣れた黒い蝶の模様が見えた。アナスイにあんな展開あったっけと思って近くによると、微妙に違う刺繍だった。
 わかった。これ、自作だ。たぶんリュックも。
 売るのはだめだろうけど、自分で着る分にはかまわないでしょうってことで、それっぽいデザインにしてるんだ。可愛い。
 いいな。私もまた何かつくりたくなってきたな。お金が少したまったら、また勉強をはじめようか。そんな気力と時間があるかだけど。
 すると、ふっとその人が振り返った。
 笑顔で会釈された。
 お互い、名前すら知らないのに。
 何か言おうとした瞬間、信号が変わって、その人は行ってしまった。
 どうして?
 いつも見つめすぎてたから?
 頬が赤くなったが、追いかけるわけにはいかない。
 遅刻する。

 2.

 駐車場から病院の玄関まで、徒歩十五分。その間、信号は二つ。T字路になっている最後の信号が長い。歩行者は最大、一分半待たされる。急いでいる時は斜めに渡ってしまうこともあるぐらい。
 最初は病院前に車を停められたけれど、駐車場の工事の関係で、非正規職員はしばらくよそに停めてくださいと言われた。仕方なく格安の駐車場を契約している。
 医療事務の資格をとって正規職員になれば、職員用の駐車場を使わせてもらえるのかもしれない。けど、そうすると出勤が一時間早くなってしまう。親を職場に送ってから出勤しているので、それは難しい。
 そもそも私、いつまで受付のバイトをやれるんだろう。アパレル業界に返り咲くのを夢見なくもないけど、フリマサイトでの売り上げを考えると、私のオリジナルデザインは、たぶんそこまで需要がない。宣伝文句とかもっと工夫して、SNSも頑張って、そしたらもっと売れるようになるんだろうか。
 売れ……
 交差点で止まっている、緋色のシティサイクル。乗っているのは若い女性。
 その背中に止まっている、緋色の蝶。
 私のシャツだ!
 そのプリント位置、そのにじみ、間違いない。
 匿名配送にしてあるから名前はわからないけれど、確か届け先は市内だった。本当に、こんな近くに買ってくれてる人がいたんだ。
 身体中が熱くなる。声をかけたい。
 でも、なんて言えば?
 それ、私がつくったシャツですって?
 気持ち悪いと思われない?

 信号が変わって、彼女は行ってしまった。
 この時間にここを走ってるってことは、たぶん職場が近いはず。役所? 工場? 博物館? 美術館? 学校? あのシャツで仕事ができるところってあるかな?
 でも嬉しい。本当に嬉しい。
 よし、新作、頑張っちゃおう。

 毎朝、信号で立ち止まると、緋色の自転車の人がいる。私のバッグとか、カーディガンを、時々見ている気がする。これはフリマサイトに出してないけど、もしかして自作って気づかれてるのかもしれない。
 もしかして、シャツの作者って、気づかれてるかも?
 そう思って、ある日、振り向いてニッコリ笑ってみた。
 彼女はキョトンとしていた。
 ああ、やっぱり、わかってて見てたわけじゃないんだ。
 そう思って、私は病院に急いだ。
 顔が熱い。恥ずかしい。

 それから少しすると、彼女の姿を見なくなってしまった。目立つ色の自転車なので、あのシャツを着ていなくても、もう見間違えない。
 気持ち悪いと思われて、通勤ルートを変えたのかも。
 突然、毎日がくすんできた。集中力も途切れがちになる。
「あ、いけない、もってきちゃった」
 家に戻って鍵をあけようとポケットに手を入れた瞬間、もう一つの鍵の存在に気づいた。
 文書倉庫の鍵だ。書類をしまって保管箱に返そうとした時、別の用件で呼び止められて、うっかりポケットに入れて忘れていた。明日、医療事務のスタッフが朝一番で開けるはず。その時なかったら、大問題になる。
「ごめん、お母さん、忘れ物したから、病院行ってくる」
「こんな時間に?」
「うん。必要な物なの」
「そう。気をつけて」

 夜間出口から滑り込み、無事に鍵を戻してほっとしたら、急に喉が渇いてきた。
 コンビニでなにか買おう。
 この近くにはなぜかコンビニがないので、病院の二階にセブンイレブンが入っている。夜九時までの営業だけど、患者さんだけでなく、病院の人達も利用してる。
 何を飲もうかな、と飲み物のケースの前で立ち止まった、その時。

 3.

 毎朝、ブラインドの外は同じ景色。でも、見慣れない景色なので違和感がある。
「早く帰りたいな」
 病院食は美味しい。病室内は本当はスマホは禁止だけど、みんなカーテンの陰でこっそり見てる。音を出さなければ、怒られもしない。着替えは親が毎日一度届けてくれる。入院前にセットした、洗い替えのを、順番に。気分をあげるために、お気に入りのシャツもまぜた。
 どうも具合が悪いと思ったら筋腫があった。検査の結果、早めに手術した方がいいと言われた。それで職場に報告した。「入院は二週間、復帰に一ヶ月かかるそうです、有休を申請してもかまいませんか」と。ダメならダメで辞めてしまえと思った。高額医療費の申請もしたし、入院保険も下りる、それでなんとかなるだろうと。ところであっさり申請は通って、一年分の有休を消化することになった。
 病院生活は三日で飽きた。大部屋にはどんどん新しい患者が入ってくる。長期滞在予定の私は、窓際の景色のいいベッドをあてがわれた。夕方には着替えと一緒に、親が新聞まで差し入れてくれる。でも、退屈だ。朝は六時起床、夜は八時就寝、それ以降は有料のテレビすら見ることもできない。光が漏れると他の患者の迷惑になる。
 いつでもトイレに行けるよう、大部屋のドアは開けっぱなしなので、消灯後も病室の外へは出られる。私は寝る前に病院内のコンビニに行って、ペットボトルの水を一本買うことにしていた。枕元に置いて、夜中に喉が渇いた時に少しずつ飲む。病棟は空気が乾燥してるので、小さなボトルは朝までに飲みきってしまう。
 病院での楽しみは夜しかない。夜の病院は普段は見られないからだ。静まりかえった渡り廊下。明るく照らされた駐輪場。夜勤の医者がコンビニで、弁当を買っていく。「先生、お茶を忘れてます」なんて声をかけられてる。まるでドラマみたいだ。
 さて、今日もミネラルウォーターを一本……。
「あ、あなた、緋色の蝶の人」
 びっくりして振り返ると、相手の顔に見覚えがあった。
「サマンサタバサじゃないリボンリュックの人?」
 相手は大きくうなずいた。
「やっぱり! 入院されてたんですね」
「看護師さんだったんですか」
「いえ、ただの受付です」
「それでこんな時間までお仕事なんですか、大変ですね」
 相手はほんのり、顔を赤らめた。
「よかったら、この後、休憩室に行きませんか。ちょっと、お話したくて……そのシャツ、つくったの、私なんです」
 ああ。あの笑顔はそういうことだったのか。
 私はうなずいた。
「初見茜っていいます。よろしく」
「竹花美咲です。こちらこそよろしく」

 その時私は恋に落ちた。
 九十秒の恋に。




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Narihara Akira
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