「ただいま」 |
「ふぅ、やっと着いた」 天道家の門の前に立って、そこで少し立ち止まり息をついた。 もうすでに日は落ちている。 この週末は、友達とちょっと遠出をして、一泊旅行にでかけていたのだ。 旅行自体はすごく楽しかった。 けど、こうして玄関の前にたつと、気持ちが落ち着くのはやっぱり我が家だなぁと実感する。 唇のはしにちょっとだけ笑顔を浮かべて、あたしは門をくぐり玄関の引き戸を開く。 「ただいまー」 足を踏み入れるのと同時に声をかけたけれど、予想外に我が家はしんと静まり返っていた。 もう夕食もすんでいる時間だ。誰もいないわけがない。ましてや、入口の鍵はかかっていなかった。 おかしいなと思いつつ、旅行カバンをかかえたまままっすぐ居間にむかう。 廊下をすすむと、居間のあかりはちゃんとついているのがわかった。 廊下に光が漏れている。 誰もいないわけじゃなさそうだけど、どうしてこんなに静かなのだろう。 その疑問のせいで、おそるおそる居間を覗き込んだ。 時計の秒針がちっちっちっと音をたてている。その小さな響さえも耳に届く。 もちろんテレビはついていない。台所も静かだ。 最後に下の方へ視線をずらすと、見慣れたチャイナ服が横たわっていた。 「乱馬!」 一瞬倒れているのかと思ってびっくりしたが、どうやらただ居眠りをしていただけらしい。 あたしの声に驚いて、すぐさま飛び起きた。 「びっくりしたー。なんだ、あかねかよ」 寝起きだからなのか、ちょっとだけ不機嫌そうな声で乱馬は上体を起こした。蛍光灯の灯がまぶしいとばかりに目をしかめる。 「ただいま……。みんなは?」 「おまえの帰りが遅くなるって電話きたから、夕飯は外で食べるってなって。みんなでかけたぞ」 言いながら、乱馬はひとつあくびをする。まだちょっと眠そうだ。 「乱馬は? 一緒にいかなかったの?」 「ん……。ま、まあな」 微妙な言い方で濁した。何かあったのかな? 眠そうだったはずの乱馬の視線が、ちょっとだけ泳ぐ。 まさか、あたしの帰りを待ってたとか……? まさかねぇ。人一倍食い意地のはってる乱馬のことだもん。そんなことあるわけないか。 あたしは、その場に腰をおろして、荷物の中からお土産を取り出した。 「はい、これ。おみやげ」 銘菓と書かれたパッケージを、しげしげと乱馬は見つめる。 「なんかね、このおまんじゅうおいしいんだってー。食べる? お茶淹れようか?」 「いらない」 ずいぶんきっぱりと断られて、立ち上がりかけたあたしはそのまままたもとの位置に座りなおした。 やっぱりちょっと機嫌が悪い。 寝起きだからというわけでもなさそうだ。 旅行前にケンカしたっけ? いやいや、普通だった。 旅行中も別に何か連絡があったわけでもないし、たかだか一泊旅行だから、特別あたしから連絡するようなこともなかったし。 帰りの時間がちょっと遅くなったくらいで。 特別心当たりはない。 ……となると、乱馬のこの不機嫌っぷりは、かなり不当に感じてしまう。 「ずいぶん、機嫌悪いじゃない」 「別に」 さっきからとことん憮然とした表情を決め込んでいる。 せっかく帰ってきて、しかも偶然(なのかな?)にも二人きりなのに、なんなのよ、この態度は!! もうちょっと帰ってきたことを喜んでくれてもいいんじゃない? たかだか一泊の旅行だけどさ。 とっとと自分の部屋に戻ろうかしら。 そう思って、荷物を手に、今度こそ立ち上がろうとした。 ちゃぶ台についた手のひら。その手首に乱馬の手がのびる。 「どこ行くんだよ」 唇をとがらせてそんなことを言う。 まだ何かあるっていうの? …と思ったけど、旅行から戻って早々にケンカをするのも疲れる。 「部屋に戻るのよ」 なるべく冷静を装ってあたしはそう答えた。 「みやげ、もらってねーんだけど」 「は?」 座卓にのせられたまんじゅうの箱にあたしは視線を落とす。まじまじと凝視してから、ゆっくり乱馬に視線を戻した。 おみやげなら、ココに有るじゃない、という意味をこめて。 その瞬間。 「きゃっ」 乱馬はつかんでいた手首を勢いよくひっぱった。 畳に背中を打ちつけた。痛い。 乱馬の顔が視界に入る。目の前に。 「おれ、ずっと待ってたんだからな」 またそんなコドモみたいなことを言って。 目を閉じて。 かなり強引に唇を重ねてきた。 やわらかく。 けれど少しあらっぽい。 ああ、そうか。そういうことか。 せっかくの週末、ひとりでほったらかしにされてすねてたってわけか。 ほんっとにコドモなんだから。 このキスは、おみやげってわけか。 ヘンなやつ。 たった一日いなかっただけなのに。 「人の気もしらねーで」 唇を解放した乱馬は、すっと身をはなして、あたしに背中を向けて座り込んだ。 まだ怒ってる。すねてるすねてる。 あたしはそっとその背中に頬をおしあてた。 そして腕をまわして、ぎゅっとだきしめた。 広い背中。筋肉質でごつごつしている。 なのに、今はまるでコドモみたいに小さく見える背中。 「ただいま、乱馬」 今日の不機嫌さは、ちょっとだけ多めにみてあげよう。 |