ある意味、同窓会にはキツイものがある。
 小学、中学、高校……。小学や中学での同窓会では、さほど驚きもしない。人が変わる時間には十分すぎる長さだから。 でも、高校時代の同級生たちとの同窓会だけはそうは思わない。たった一、二年の間でみんなが変わっているのを確認してしまうから……。
 逆にたった一、二年で人は変わることが出来るんだ、と感心してしまうこともある。それはそれでいいことなのかもしれない。 そう考えると、俺は昔から全然変わっていないと思う。周りの友人たちから言わせれば結構変わったらしいが、俺自身にその自覚は無い。 ……多分、みんな自身もそう思っているに違いない。

 一、二年も会っていなければ、それは『久しぶり』になる……と、俺は思っている。 その証拠に同窓会で会う友人たちは口々に久しぶりと言う。確かに久しぶりに高校時代の友人と会えるのは嬉しいことだと思う。 でも俺は──その再会を素直に喜べないでいる……。






第一幕 彼が終える物語。




 高校時代の友人から同窓会のお知らせの紙が届いたのは二週間前のことだった。
 日時は十二月二十五日、会費は三千円、場所は家から結構離れたところにあるが、大学の友人との付き合いで何度か行ったことがある、 俺もよく知っている食べ放題飲み放題のお店だった。
 クリスマスには特に予定も入れていないし、場所は少々遠いものの、決して不満を感じるような距離ではない。 会費の方もこれといって問題は無い。むしろ会費に関してはもう少し掛かるのでは、と思っていたぐらいだ。

 素直な話、参加する気は皆無といってもよかった。確かに昔の友人知人に会えば嬉しいかもしれない。 が、高校を卒業してから全く連絡を取っていない奴や、名前すらもうろ覚えになってしまった奴らと会うのは気が引ける。 ……完全にこちら側の無関心が原因なのは伏せておこう。付け加えれば、同窓会だの飲み会だのと言った集団行動があまり好きでは無いというのもある。
 さらに言えば、高校時代の同級生には嫌いだった奴が多いからだ。 ちょっとしたことですぐに切れる奴とか、名前も知らない奴にいきなり詫び入れろとか言われるわ……確かにこっちの不備があったのかもしれない。 だけど、まるで自分の方が格上だと言わんばかりの見下した態度、それが何よりも気に入らなかった。 それでも今こうして同窓会の会場にいるのは、高校時代で最も親しかった友人、榎本総司(えのもと そうじ)に電話で誘われたからだ。
 榎本とは高校に入学してから出会った友人の一人だ。中学時代からの友人知人もそれなりにいたし、部活の連中とも仲は良かった。 その中でも、同じクラスには一度しかなったことが無いのに加え、部活さえも違った榎本が何故か一番親しかった。 だからと言って、誘いに対し必ずしもイエスと答えなければいけないわけではなく、ノーと答えても何も問題は無い。 けれど俺は、ノーとは言えなかった。そのときはそれが正解だと思っていたが、今は正解とも不正解とも思えない。 それ以前に正解不正解の二択があるのかも怪しいところ――。

「びっくりしたなー。藤村って子持ちになっちゃったのな」
 榎本が藤村と言った人物と彼女を囲む同級生たちで作られた集団を見ながら話しかけてきた。
「あぁ」
 アルコールの入ったグラスを片手に、やや俯き加減になる。
「緋河(ひかわ)、彼女のこと好きだったろ──残念だったな」
「……昔の事だろ」
 自然と視線は彼女から離れようとする。
「とかいってすぐ顔に出るんだからさー」
 そう言うと、グラスを持っていない方の腕で肩をしっかり掴んできて、
「わかった! 飲むべ! とことん付き合うぜ」
「榎本、俺をダシに飲みたいだけだろぉ」
 正直言って、迷惑なふりをしながらも今はこの榎本のノリに助けられていた。 昔の事とは言ってもたった一、二年前のことであって……勇気が足らずに告白できなかったとはいえ、藤村のことは確かに好きだった。 今はもう興味ないと自負はしていても、多少気がかりではあった。高校を卒業した後も少なからず好意はあった。 彼女のことを忘れようとしても、恋というものは思った以上に複雑で、そうそう簡単に諦めきれるものでは無い。 訂正。無かった。
 けれど、同窓会にきて藤村を見た時点でそれは永久に届かないことだと知った。 榎本の言ったとおり、俺と榎本から少し離れたところで、同級生たちの話に耳を傾けながら赤ん坊を抱いている藤村の姿が見える。 藤村は赤ん坊を抱いてこの同窓会に来たのだ。赤ん坊がいるということは既に結婚しているということだ。 ショックを受けたと言えば受けたが、ガーンという効果音が付きそうなショックではなく、言葉には表現できないもどかしさがあった。 今の俺は、ある意味不安定と言って差し支えないだろう。それでも平静を装っていられるのは、榎本のこの軽いノリのおかげなのだ、と。



 いまさら藤村のことを考えたってどうしようもないことは分かっている。本来なら祝福するべきことなのかもしれない。 けれど、今の俺にはそれを実行に移すほどの勇気は持ち合わせていなかった。俺は自分で思っているほど強くはなかった。
 隣でアルコールの入ったグラスを口に持っていきつつ、昔の話をしている榎本の言葉も耳に入ってはこなかった。 相槌を打つぐらいしか出来なかった。ただ耳に聞こえてくる言葉に反応するだけの、カタチだけの相槌……。
「なぁ、緋河」
 榎本の声がいつもの口調ではなく、いつになく真剣味を帯びていた。
「……うん?」
 急にトーンの変わった声で呼ばれれば、自然と意識もそちらへ向かうというもの。
「お前、随分なダメージだな」
「……そうでもないさ」とグラスを口に持って行く。
「どうだかな」
 苦笑混じりに言う。その一言を境にしばらく沈黙が続いた。次に口を開いたのは五分ほど経過したあとだった。
「……緋河」
 呼ばれても俺は答えなかった。そんな俺のことを気使ってか、少し苦笑した後におもむろに話し始めた。
「これから言うことは俺の独り言だ。だから聞き流してくれていい。でも話してる途中でどっかに行かれたらちょっとショックかもなー」
「別にどこも行かねぇよ」
「正直な話、いつまでも過ぎたことを引っ張ってたらロクなことが無いと思ってる。俺の中で人っつーのは積み上げられた瓦礫の山なんだよ。 瓦礫の山ってのは中腹にある物を取ろうとすると、その一個を取ったがためにバランスが崩れ全壊しちまう。人も同じものだと、ね。 中腹ってわけじゃないが、小さなこと一つで誰かさんの様に何も考えられなくなったり、誰かさんみたく周りが見えなくなったり、誰かさんみたく抜け殻になっちまう」
 榎本の言っている誰かさんというのは、間違いなく自分のことだと即座に理解した。
「でもな、全壊した瓦礫の山でも元に戻す方法がある。それをまた積めばいいだけのお話。 人ってのはその繰り返しでより大きい瓦礫、つまり成長するんじゃないかなと思ってる。 ……まぁ瓦礫っつーのは悪い例えだと俺も思うけどな」
 あぁ、悪過ぎる例えだ。
「お前は今崩れそうな瓦礫の山に夢中だ。夢中になるのもいいけどよ、その山はもう何も積むことが出来ないんだぜ? それ以上何をしようとしてるんだ?」
 ――ドクン。
 心臓の高鳴る音が聞こえた気がした。
「別に辛いのはお前だけじゃないんだ。一人で世界が終わったような顔するなよ。崩れた瓦礫はまた積めばいい。 高校卒業して大学に入学して……俺たちはまだ一人前のスタートラインにも立っていないんだぜ? 本当の始まりは大学を卒業してから、だろ?」
 ――ドクン。
 また聞こえた。榎本の言葉に動揺している俺がそこにはいた。
「人生なんてそんなにうまく行くもんじゃないさ。俺なんか何回振られたことやら――」
「――榎本」
 俺の声が榎本の最初で最後の名演説を遮った。
「……んぁ?」
 途中で邪魔されて少し不機嫌な返答が返ってくる。
「……サンキュな」
「……へっ、らしくねぇなぁ俺もお前も! あ〜ぁ酔いが醒めちまった。飲み直してくるかな」
 そう言うと、榎本はアルコールの置かれているテーブルに向かって歩き出した。
「ホント……サンキュ」






 グラスを近くのテーブルに置き、天井を仰ぐ。ふと、集まって話しているグループの中で、一際盛り上がっているグループに目をやった。 同級生たちに囲まれながら、その中央で赤ん坊を抱いて微笑む藤村の姿が、とても眩しかった。 とても嬉しそうだった。そして、とても幸せそうだった……。藤村の姿がとても遠くにあるように思えた。 いや、違う。遠くにあるのではない。自分が彼女から遠ざかろうとしているのだ。
「いつまでも……道化を演じているわけにはいかないよな……」
 誰にも聞き取れないような小さな声で呟く。
「おーい! 緋河もそんな端っこで飲んでないで、こっち来いよ!」
 声のした方へと首を振る。呼んだのは、藤村を囲む同級生たちのうちの一人だった。
「……あぁ!」
 断っても良かった。むしろ断った方がよかったのかもしれない。……でも、それは逃げているのと同じ。 現実から逃避するのと同じだと思った。
「よぉ緋河。藤村の子供、もう見たか?」
 少し近づくや否や、いきなり触れられたくない話題を振ってきた。
「いや、まだ見てないよ」
 自然を装い、二年前と同じ様な仕種と口ぶりで返す。
 これはチャンスだと思った。いつまでも藤村のことを引き摺っていられない。過ぎた時間が戻ることは無いのだ。 それならこれから来るべき時間を変えていけばいい。 元々諦めていた恋路なわけだし、ここで今までどおりの態度で彼女と話すことが出来たのなら、彼女から離れることが出来たという証にもなる。
 少しばかり長い前髪。少しでも俯けば前髪で目が隠れる。目が隠れた顔からは表情が分からない。 それを利用して集団の中央へと向かう。少し不自然に見えなくも無い。けど、彼女の目の前まで歩いていくこの、短い時間の間に成長しなければならない。 前に進まなくてはいけない。
 不安ばかりが頭をよぎる。彼女の前で祝福の言葉を言えるのか。平静を装った、作った笑顔ではなく、心からの純粋な笑顔を出せるのか。 それ以前に彼女の顔を見る事が出来るのか。
 ふと、足を止める。
「緋河……君?」
 前方から聞こえてくるのは彼女の声。
 こんなところで、と呆れるだろうが、全然違うことを考えていた。俺はいつこんなに弱くなったんだろう、と。
 たった二年という壁を経て、昔好きだった人の顔を見ることに躊躇と恐怖を感じている。
 俺はたった二年でこんなにも弱くなってしまったのか。
 人はたった二年で変わってしまう。……良い意味でも悪い意味でも。友人達の言葉が思い出される。緋河、変わったな、と。
 そうか……俺は変わったんだ。この二年で変わってないと思っていたが、それは思い違いだった。
 俺は……弱くなったんだ……。

 自分が弱くなったということを知ってしまった途端、おかしく思えてくる。声に出して笑おうかとも思った。
「緋河君?」
 もう一度声がかかる。
 目の前までやってきて口を開かずに俯いている人がいれば誰でも不審に思うだろう。それが至って普通の反応である。
 もう、大丈夫。
 心の中で一頻り笑ったら何に対して恐がっていたのかなんて、忘れてしまった。
 俺はもう大丈夫。俺は今ここで変わることが出来たから……。



「緋河のヤツ、どうしたんだ?」
「なんか食べ物でもお腹に当たったのかなぁ」
 など、彼が何もアクションを起こさないから周りが徐々にざわめき始めた。
「緋河君、大丈夫?」
 一番近くにいた藤村が、少し屈んで彼の顔を覗き込んで来る。声の調子から不安を纏っているのは明らかだった。
「……………」
 彼は、まるで独り言を言うかのような小声で呟いた。
「え?」
 何を言ったのか分からない。声が小さくて聞き取れなかったから、もう一度言ってくださいの意の『え?』
「なんてな」
「え?」
 今度の『え?』は、どういう意味で言ったのか分からない。だから教えて下さいの意の『え?』
 顔を上げる。藤村の前に現れた彼の表情は、イタズラ好きの少年のような笑みだった。
「ん? ん? 何ポカンとしてんだ、お前ら?」
 そこには、2年前の学生時代と何一つ変らない緋河がいた。いや、2年前の自分になりきっている、緋河がいた。
「いやーまさかあの藤村が結婚するとはねぇ。さすがの俺もここまでは予想出来なかったなぁ」
 そう言った緋河の言葉を境に、周りから笑いの声が飛んでくる。
「ちょっと緋河君〜、びっくりさせないでよ〜」
「お前、おいしいとこ持って行きやがって〜」
 数人の男子から首を絞められたり、つっこまれたりする。言わずもがな、首を絞めると言っても冗談承知の上での行動だ。 本気で絞められたらたまったもんじゃない。
「ばっか、こういうところでこそ真の実力が発揮されるんだよ」
 自然と口元が緩み、笑いがこぼれてくる。嘘は言っていない。
「もう! 本当に心配したんだから」
 そう言って突っかかってきたのは藤村。
「ふ、甘いな。人妻になったからといって精進を怠るとはまだまだだな」
 いかにもキザらしいニヒルな笑みを浮かべて言う。
「はぁ……」
 言われた本人は怒りを通り越して呆れてしまった。
「うは、緋河かっけぇ。惚れたぜ!」
「お前に惚れられたって嬉しかねぇよ」
 こんな馬鹿な話も普通に出来るということは、とてもいいことだと思う。 それだけ友人といえる存在がいるという証拠でもあるのだから。



 緋河を中心に笑いが零れるようになった集団から少し離れたテーブルで。
 ほんと、手間のかかるヤツだな……まぁ、よかったじゃねぇか、なぁ?
 榎本が口元を緩めた表情で食べ物を漁っていた。

 さらに遠く、その喧騒から逃れるように佇んでいる少女がいた。いや、彼女を少女と表現するには不適切であると思われる。 あどけない少女の様な顔立ちをした女性がそこに存在していた。
 胸の前に両手でグラスを持っている。その幼げな仕種が、彼女を少女というカテゴリーに分類し得る要因に見える。
 グラスを持つ彼女の手に少し力が入る。だからといってグラスが割れたりはしない。 たとえ緋河や榎本であってもグラスを割ることは出来ないだろう。別に彼女はグラスを割ろうと思って力を入れたわけではない。
 それは、自らの意思の表明におまけのようについてきた自然な力み。
 それは、彼女が決意した証。



 緋河君、頑張ったんだ……私も頑張らないと……ダメだよね?



 何か決心したようなしてないような、表現し難い表情で藤村、緋河を囲む集団を見つめる彼女の姿がそこにはあった。



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