「昨日の夜はどんな夢を見ましたか?」


 『夢』という言葉には多くの意味が含まれている。辞書で引けば分かることなのだが、大まかに分けて

 1……眠っている時、実際にいろいろな物事を体験しているかのように感じる現象。
 2……儚いこと。頼みにならないこと。
 3……現実から離れた甘い考え。
 4……将来やりたい(そうありたい)と思う希望。

 の4種程度だと思われる。
 ここで最初の質問に戻ろう。「昨日の夜はどんな夢を見たか」この言葉から察するに、1番の意味であることは明確である。  さらに夢と一言に言っても、正夢だの明晰夢など、これまたいくつかの種類が存在する。
 今回取り上げるのはその中で「正夢」と呼ばれているもの。
 正夢とは、予知夢の一種で近未来の出来事をありのままに予知している現象である。  ハッキリした映像や音声を伴い、場合によっては現実に起こる出来事の象徴的な場面や場所が現れることもある。  考えるに、正夢というのは世界で一番早くニュースを入手出来る、最速の通信手段ではないかと思う。
 問題があるとすれば、明晰夢と違って自分自身ではコントロール出来ないことであろう。  しかし、制御出来ないというマイナスファクターを考慮しても『夢』には大きな力が宿っていると思う。  なんてったってこれから自分の身に起こる出来事が分かるのだから。
 もし夢をコントロールすることが出来たのならば、運命に翻弄されない一生を送ることが出来る。  まさしく夢のような話だが、ぼんやりした現実より現実的な夢の世界の話である。現実と夢は表裏一体。  例えるなら二卵性双生児と言ったところか……。顔や性別は違う。けど生まれ出てきた場所は一緒。起源は同じ……。
 最後にもう一つ、質問をしよう。



「あなたは正夢を信じますか?」







0章という名のプロローグ




 高校指定の制服に身を包み、自転車を漕いでいる彼は昨日の夜夢を見た。しかし彼にとってそんなことはどうでもよかった。  毎日という訳ではないがよく見るし(実際には毎日見ている。それを見たかどうか判別するのは、本人が覚えているか覚えていないかの差である)  最近は友人たちとの会話の話題にも上がらない。そりゃぁちょっと変わった面白い夢を見れば話は別だが、昨日の夜に見た夢は特に変わっていたわけでもない。  極普通の夢だった。恐らく「昨日こんな夢を見たんだ」とか話し始めてみても「ふ〜ん」の一言しか返って来ないだろう。そんなどうでもいい夢を覚えているほどの余裕は彼には無かった。
 彼の脳の中の記憶を形成しているシナプスは、数学の公式や世界の地理、歴史、国語の漢文や古文の解読法で一杯だった。理由は簡単。  来週から一学期の中間テストが始まるからである。先週の金曜日に全教科の範囲が言い渡された時は、教室中悲鳴や困惑、はたまた歓喜の声で溢れ返ったものだ。  一年の時の成績が中の上程度だったため、中間は余裕だなと思い、二年になって授業中に寝てしまったのが今回の余裕が無いことの最大の原因である。
「はぁ、まいったなぁ」
 彼自身も朝早くからため息など吐きたくなかったが、そんな希望とは裏腹に自然と出てしまう。新学年になって最初のテストとうのは見た目以上に重要である。  高校に入って一年経ったとはいえまだまだ知らない人も多いわけで、テストの結果次第では自分を大きく表現出来る。  それに頭が良い人は、基本的に頼りになる存在に成り上がる。その他にも異性に人気が出るなどいろいろあるが、兎に角重要なのである。

 彼は高校生にも関わらず、親元を離れ一人暮らしをしている。もちろん生計を立てるために学校から帰ったらすぐにアルバイトである。  親から仕送りは貰っているが、自分でお金を稼ぐことに意味があると思い、アルバイトをしている。  アルバイトが終わって家に着く頃には、時計の針が夜中の十時を回っている。その後に入浴そして勉強、と。  最近では親に言われても勉強しない学生が増えている。そんな中で誰に言われることも無くキチンと勉強している彼は、今までのことも含め、なかなかの出来た人物である。  だからと言って、彼自身が意識的にそういう生活を送っているわけではなく、長年染み付いた習慣と言うべきだろう。

 鬱になりつつも自転車を進める。別に学校に行くこと自体は嫌ではない。  むしろ友人たちと楽しい会話が交わせるからむしろ好きである。けどテストは好きではない。学生なら誰もが考えているであろうことを、彼もまた考える。
「三学期制じゃなくて二期制にすればテストの回数が減るんだけどなぁ」
 あり得ないことを口にする。他校では七割方が三学期制から二期制へと移行していた。  そのニュースが結構話題になっていた頃、とある全校集会で校長が当校は当分三学期制のまま行くという意思表明をした。  それが去年の十一月である。俺が卒業するまでに二期制になることはまず無いな、と彼はその時思った。

 今日に限っていつも行く道とは違う道に行く。こっちの方向にはコンビニがある。そこで昼食を買おうと考えたからだ。  いつもなら友人たちと学生食堂、通称学食に行くのだが、たまにはコンビニでもいいかなと思った。
 たまに通る道といっても地元には変わりは無いので、忘れるわけが無い。軽い追い風を感じながら自転車を進める。と、ある路地の真ん中で自転車は止まった。  右手から声が掛かったためである。勘違いかな、と思い少しの間停車していると再び声が掛かった。
「にゃ〜」
 ……………。
 掛かったのは声ではなく鳴き声だった。彼が止まっているともう一度声が掛かった。  彼は辺りを見回すと、一軒の住宅の庭から塀を越え飛び出している木陰の下に、一匹の猫が居るのを見つけた。
「にゃ〜」
 首輪はしていない、ということは野良である。しかしダンボールの中に入っているのを見ると、最近までは野良ではなかったのだろう。  『拾ってください』などの紙は無く、ダンボールの中には猫が一匹座っていた。
「何だ、お前野良か?」
「にゃ〜」
 返事が返ってくるとは微塵も考えずに聞くと、返事が返ってきた。彼は苦笑した。
「俺の言葉でも分かるとか? まさかね」
 逃げたり構えたりせず、猫はじっくりと彼を見ている。
「お腹でも空いてるのか?」
 今度は返って来ないだろうと思い猫に尋ねる。
「にゃ〜」
 ……返ってきた。彼は少し考えた後、自転車を降り猫を抱き上げた。
「お前は運がいいな。そこのコンビニで何か買ってきてやるから待ってろよ」
 そう言って猫を降ろすと、自転車に跨りコンビニへと向かった。

「そういや猫って何食べるんだろう」
 コンビニに着いて中に入ってから気がついた。このかた生まれてから一度も動物を飼ったことが無い彼には分からない。  猫と言えばミルクだろう、と勝手に解釈し自分の昼食と牛乳、それに猫が食べそうなものをいくつかレジに通すと少し急いで猫のいるところに戻った。

 木陰の下に戻ってくると、猫はいた。彼の姿を確認すると「にゃ〜」と鳴いた。  コイツ、人間の言葉が分かってるんじゃないか? と思いつつ、コンビニで買ってきた牛乳のパックを空け、飲みやすいように工夫を施し猫の前に置いた。  そうすると猫はゆっくりと近づき、牛乳を飲み始めた。
 それから彼は買ってきたものを袋から取り出しては「これ食べるか?」と猫に聞いては食べやすいように袋を細工して猫の前においてやった。  猫がおにぎりに興味を持った時はさすがに彼も焦った。なんてったって自分の昼食用に買った物なのだから。  それでも彼はため息をつきながらもひとつだけおにぎりの包装を開けてやった。なるほど、シーチキンマヨネーズか。  確かに猫はシーチキンが好きそうだな、と思いつつ少し後悔しつつ猫が食べ終えるまで見届けていた。
 猫は食べ終えると、お礼を言うかのように「にゃ〜」と鳴いた。その鳴き声が、彼にはまるで「ありがとう」と言っているように聞こえた。頬を掻くと
「そんじゃあな。俺はもう行くから」
 そう告げて自転車に跨ると、本来の目的地である学校に向けてペダルを漕ぎ始めた。
 猫がその後姿を見えなくなるまで見続けていたことを彼は知らない。






 幸いなことに、結構時間を食ったと思っていたが、遅刻せずに済んだ。そしていつも通りの授業が始まる……。
 何時間目かを忘れるほど内職の他教科の勉強に集中していると、朝会った猫のことがふと脳裏に浮かんだ。  今になって思う。そういえば随分変わった色の猫だったな。  何とも表現しがたい……そう、あえて言うなら雲の広がる青空、空色? みたいな色だったな。実際にそんな名前の色があるかは怪しいが。  そこまで考えて一瞬動きが止まった。昨日の夜……いや、今朝見た夢が頭の中で鮮明に蘇った。

 ──あぁ、俺が自転車を漕いでいる。あ……れ? いつも行くのとは違う道に入ったぞ?
 あ……猫がいる。変わった色の猫だな。「にゃ〜」何だ? 腹でも空かしてるのか? 「にゃ〜」ははっ、待ってろ。何か食べ物買って来てやる。
 これは食べるか? 「にゃ〜」よしよしっておい。これは俺の昼食だ。さすがにこれはダメだな。  「にゃ〜」……。「にゃ〜」……。「にゃ〜」……くっ、たくっ。仕方ねぇなぁ、これだけだぞ?  それじゃあ俺は学校に行くからな。じゃぁな──。そこで夢が途切れる。

 今のは……正夢? 確かに俺は今の夢をみた。そして実際に猫に会った。……?  確かこの夢には続きがあったハズ。続きを、俺に今の続きを見せてくれ!!






 結局夢の続きは分からなかった。残りの授業時間を全部費やしたにも関わらず、思い出せなかった。  今日がアルバイトの無かった日でつくづく良かったと彼は思う。こんな悩みだらけの顔で出向いても、いい雰囲気は与えなかっただろう。
 ふと気付く。いや、むしろ何故今まで気付かなかったのだろう。それほど彼は悩んでいたのか。朝通った「いつもとは違う道」にいるではないか。
「夢のことばっか考えてたから、無意識のうちに来たのかもな……」
 そう自分に言って納得させないと、とてもじゃないが平静を装っていられなかった。彼はここに来て思った。
「今までに、ここまで真剣に夢について考えたことは無かったな」
 彼は自転車には乗っておらず、学校を出た時からハンドルを手で押している。
「まったく……どうかしてるな、今日……いや、俺がか」
 今日何度目かのため息をつきつつ自転車を押す。さっきは無意識にこの道に来た、と言ったが、本当は彼は期待していたのかもしれない。  猫がまだ朝のあの場所にいるかも、と。ここで疑問が浮かぶ。

 ──いたらどうだ? いたらお前は何かをするのか? 朝みたく、またご飯を上げるのか?  それは別に構わないだろう。じゃあそのあとだ。そのあと、ご飯を上げたあとお前はどうする? 一晩中猫と会話でも交わすのか?  ハハッ。他人が見たらどう思うだろうな。何だ? それとも連れて帰るのか? お前が猫を? ハハッ! それはそれでお笑いだな──。

 うるさい! 思考を振り払うかのように頭を左右に勢い良く振る。一息ついたところで、どこか聞き覚えのある声が掛かる。
《こんばんは》
「!!??」
「にゃ〜」
 彼は何が起きたのか理解できなかった。確かに聞こえた。「こんばんは」という言葉が。  しかし、実際に聞こえたのは猫の鳴き声だけ。でも聞こえた。「こんばんは」って……。
「まったく……本当にどうかしてる」
 再度ため息をつきつつ、猫の前に来たところで自転車を止めた。
「よう、また会ったな」
「にゃ〜」
 彼と猫は、まるで会話をしているかのように見えた。  空色の猫がダンボールから出てくると、彼の足に頬擦りをした。この時彼は思った。
 ──さっきの問いの答えが見つかったよ。 へぇ〜で、結局お前はどうするんだ?──。

「なぁお前、俺ん家に来るか?」
 タメも入れずについ今さっき考えた答えを口にする。すると……
「にゃあ、にゃ〜」
 と二回鳴いた。その時の空色の猫はとても喜んでいるように見えた。
「そっか、んじゃ帰るか。そうだな〜お前の名前決めないとな」
 彼は自転車のカゴの入っていたかばんを肩にかけると、空色の猫を抱き上げカゴに入れてやった。  夕日に染まった空色の猫はとても嬉しそうだった。
 こうして彼と猫の共同生活が始まった。
 そう、これから彼と猫の共同生活が始まる……ハズだった。



目次に戻る1章へ

Copyright 黒翼 All Rights Reserved.