封印の書


 最初は遠くに感じた視線。しかし共に旅を続けるうちに気心も知れるようになったのか、徐々に彼らの距離は近づいていった。
 今では彼女からの視線は至近距離にある。それを彼が望んでいるかどうか、は全く別の問題だとしても。
 眼下に見える永久凍土をも溶かすような熱っぽい視線に晒されて、彼は困惑していた。そもそもこういう表情で人に見つめられると言うのは、どうも気分の良いものではない。男が決して口に出すことはない、それが本音である。
「な、なんや……?」
 訝しげな声をあげたのは、目の前に立つ少女に対する僅かばかりの抵抗を試みたためである。
 この日、遂に見るだけでは飽き足らなくなったのか、少女は彼の体をまさぐり始めた。
「なんやお前、気色悪い! 用もないのに触んなや!」
 身の危険を感じて思わず大声をあげたのだが、少女は意に介す様子を見せず、動かす手を止めようとはしなかった。それどころか。
「いーじゃん別に。触ったって減るモンじゃないし」
 などと反論してくる始末だ。
「そういう問題やない! それに減るモンだってあるんじゃ!!」
「何が減るのさ。お腹?」
 あはは、と少女は自分で言っておきながら声を立てて無邪気に笑った。
「アホか!! こっちは神経すり減っとるんじゃ……って、わいの話聞いとるんかこら!」
 傍で聞いても、この会話からでは知性のかけらも感じられないだろう。自分がその一端を担っているというのは彼の本意ではないし、むしろ心外だった。
「アタシだって神経すり減ってるんだよ。毎日まいにち戦闘ばっかでさ、いつまで経ってもアタシの目的は果たせないし、メテオは落っこちて来るしでさ、イヤになっちゃうよ……実家帰ろうかなぁ、もう」
 愚痴をこぼしながらも少女は手を止めようとはしない。彼の体の上を丁寧になぞる仕草は、忍びの末裔だという少女にしては妙に色っぽい気さえするのだが、脳裏に横切ったそんな感想を追い出そうとして、彼は声をあげた。
「ええ加減にせえ! セクハラで訴えるぞ」
「せくはら? なにそれ」
「はぁ〜、セクハラも知らんのかい。これだから田舎者は困るんや」
 ため息を吐きながら、心底呆れた声を出す彼の方を睨み付け、少女は言い放った。
「田舎者!? ……こん中、手ェ突っ込むよ?」
 少女の目には怪しい輝きが宿り、口元だけで笑うと彼の顔を見上げている。その表情を見れば、彼女が今腹の中で何を考えているのかという事など、考えなくてもすぐに見当がつく。
「やめんかい! わ、悪かった。せやからそれだけは堪忍したってくれ、頼むわ」
「……もしかしてさ、こう言うことされた事ないんでしょ? 初めて」
「当たり前じゃボケ!」
 たしかに“こういうこと”をしてきたのは、彼女が初めてだった。
「へぇ〜、初めてなんだ」
 その言葉を聞いて、どうやら少女の悪戯心に火がついてしまったようだ。彼に止める術はない。少女に弄ばれる体を、ただ見つめているだけである。
「だ〜〜っ! やめんかい!!」
 それ以上されたら、“命”に関わるんや!――それは決死の叫びである。


 時を同じくして、永久凍土とは全く無縁のあるビルの一室で、同じ声が響き渡っていた。


「あはははっ! そんなムキにならなくったっていいじゃん。アタシさ、アンタに興味があるんだよねー」
(アンタの持ってるマテリアにね!)
 表向きには少女からの告白だった。しかし、彼はあっさりとそれを断ったのである。
「わいは興味あらへん!」
(その後に「マテリア」って付けんの忘れとるやろ……意図的か?)
 きちんと発言者の本意を汲みながら、しかも話の腰を折らない様にと配慮するのは彼の優しさ故だろうか、それとも職業柄身に付いた特技(アビリティ)だろうか。
「あらら〜、そんなこと言ってると頭つんつんの誰かさんみたくなるよ?」
「…………」
 デブモーグリの腹を撫でながらユフィは屈託のない笑顔を向けている。「触り心地いいよね〜」などと言いながら、いつの間にかその腹に背を預けていた。
「……どいてくれへんか?」
「ちょっとぐらいいーじゃん。ただでさえ船酔いで苦しんでるんだから、少しは休ませてよ」
「わいは枕やあらへん。占いロボットや」
 小さな声で「一応な」と付け加えておく。現状、設計者の意図する本来の用途と外れた使用方法をしているからだ。しかし考えてみれば、戦闘への転用も見越しての設計がされているようにも思うのだが、そんなことはどうでも良い。
「おい」


 ……聞いとるんか? おいこら……?


「まったく、しゃーないやっちゃ」
 とは言った物の、少女に背を預けられているため動けない――正確には「動かすことができない」のだ。毛布ぐらい取ってきてやりたいのだが、あいにくと彼自身は今、ミッドガルにいる。毛布を届けるためには数日を要するだろう。
 ユフィとの会話も映像も、ケット・シーとデブモーグリに内蔵された機械を通して交わされる信号でしかない。戦闘ばかりで疲れるとぼやいていたユフィだったが、彼自身は遠隔地からケット・シーを操作すればいいので、それほどの疲労は感じていない。
 そのかわり、他の仲間達は感じない後ろめたさを感じているのだが。
 そんな事を内心で考えていた彼の耳に、通信機から小さな声が聞こえてきた。
「……ねぇ、アンタはどこから来たの?」
 妙に間延びした声、どうやら睡魔は彼女のすぐ傍にいるようだった。
 その問いに答えるならば、製造工場からだと言うのが一番適切だっただろう。彼らにとって自分は“2号機”だが、製造工場には他にもケット・シーがいる。これはそのうちの一体に過ぎない。
 しかし、ユフィの言葉には別の意図があるように思えた。その意図通りの答えを返そうとすると、うまく単語がつながらないのだ。今さら彼らに自分の正体を隠そうとしている訳ではないのだが、どう切り出して良い物かと考えてしまう。結局、今でも彼の正体は明かされないままで旅が続いていたのだった。
 返答のないケット・シーを見かねて、ユフィは話を続けた。
「懐かしい感じがするんだ……アンタのしゃべり方。ウータイの訛じゃないはずなのにね、不思議だね……」
「…………」
 心地よい沈黙の中、ふたりは言葉を失いひと時――セフィロスのいる北の大空洞に到着するまでの束の間ではあったが――の休息を得ることとなった。

***

「あのお嬢ちゃんには参ったな……」
 男はようやく自分のデスクに戻ることが出来た。机上には散乱した書類が山となって積まれていたが、そんな雑然とした光景にさえも安堵感を得られた。なんだかんだ言って、自分にはここが一番落ち着く場所なのだろうかと苦笑しながら椅子に腰を降ろすと、閑散としたフロアを眺めやった。
 彼がこの計画に荷担して以来、本業には全く手が回らない状態だった。おまけにビルは半壊するしで通常業務に割ける時間など取れるはずもなく、机上の書類は日を追う毎にその標高を増していくばかりだった。
 ……もっとも、今となっては彼の勤める神羅という組織自体が崩壊しているも同然なのだが。


「しゃべり方……か」


 ユフィの言葉を呟いてから、男は思いだしたように脇机の引出しを開けると鍵の束を取り出し、席を立って部屋の奥にある扉に向かった。建て付けの悪くなって開きにくくなってしまった扉には「書庫」の文字が掲げられていた。
 この奥には、様々な書類達がほとんど人目に触れることなく眠っている。ここに長年勤めている者でさえ、収められた記録のすべてを把握している人間は少ないだろう。
 彼は、そんな数少ない人間の一人だった。
 所狭しと並べられた書棚の高さは男の背丈を優に越えている。通路は人が一人通れるだけのスペースしかなく、照明のスイッチを入れても薄暗いし、書庫特有の臭いもあってか息苦しい。慣れない者にとっては苦痛に感じるかも知れない。
 しかし、ここには大切な記録が眠っている。見る者が見れば宝の山だ。

 ミッドガルの中心で、天に向けてそびえ立つ神羅ビル。
 そこを中心とし、機能性と快適性を追求した都市・ミッドガルの都市計画。
 その統括責任者を勤める彼は、中年を過ぎたいい年齢である。ケット・シーを通して彼らと共に旅を続けながら、監視役として神羅に内通し――一度は彼らを裏切った。
 組織の中に生きる彼にとって、それはやむを得ないことだ。
 そんな風にして人知れず自分に言い聞かせていた。
 ――もしかしたら今でも、そうなのかも知れない。

 部屋の奥まで来ると、一際年季を感じさせる古いキャビネットの前へ屈み込み、一番下の引出しに視線を落とした。
「確かこの棚だったはずだ……」
 そう言いながら、鍵の束に振られている番号と棚に書かれている数字を交互に見比べる。
「この奥に……」

 ――わいが捨ててきたものが、大切にとってある。
   いいや、捨てようとしても捨てきれんかったモンばっかりや。

「あった!」
 一致する番号を見つけだして思わず声を出してしまった。誰も見ている者はいなかったが、少し気恥ずかしく思えて頭をかいた。
 棚の一番下に取り付いている引出しに鍵を差し込む手が、心なしか震えている。ここ何年も開けられていないその引出し。他の者達から普段は見向きもされないそこに、ずっと眠り続けていた物が大切に収められていた。








 彼――都市開発部門統括責任者――リーブが今のポストに就くまでに、捨ててきた物が2つあった。
 そのうちの1つが、この書庫の奥底に眠っている。
「……これや……」
 埃をかぶって、封筒の色も変色してしまってはいたが、中の書類は無事だった。この書類をしまった当時と何一つ変わっていない。
『ミッドガル都市開発計画書』
 表題には簡潔にタイトルが打たれている。総ページ数2000以上にも及ぶそれを作ったのは、若かりし日のリーブ自身だった。
 彼はその書類を手にしただけで、中身を見ようとはしなかった。見なくても、何を書いたのかは今でも鮮明に覚えている。

 ――ミッドガルが、人々にとっての故郷となるように。

 そんな願いを込めて作った物だから、忘れようはずがない。
 結果的に、会社の方針に沿わなかったこの原案が形になることはなかったが。
「その時に……一緒に捨てたんや。わいも、わいの故郷を」
 ぽつりと呟いた。誰もいない書庫の中で、反響することもなく立ち消えた声。あの日も、こんな風にして書庫の奥でこの書類を見つめていたことを思い出す。

***

『コストとリターンがまるで合ってない。よくもまぁ、こんなモノを提出できたものだな。簡単な計算だろう? それとももう一度学校へ通い直した方が良いんじゃないかね? ん?』
 当時の上司は嘲笑と共に分厚い書類を放り投げたのだ。
「せやけど……!」
 一介の社員、それも新人にはなんの発言権もない。苦心して作り上げた計画書を突き返されるのは当然だった。そんなことぐらい、当時の彼にも分かっていた。分かっていたが、自分のやりたい事があった。その為にここへ来たのだ。
 引き下がるわけには行かなかった。
 そんな思いを、上司はいとも簡単に吐き捨てたのだった。
『だいたいなんだ、その変なしゃべり方は。ばかげた計画書と言い、私に対する嫌がらせかね?』
「違います!」
『出ていけ。不愉快だ』
 そう言った奴の、あの視線に晒された時に感じた言い様のない感情は、二度と味わいたくないと思った。放り出された書類を拾い上げ、彼はデスクへと戻った。
 その後こっそりこの書庫を訪れた彼は、遠い将来の開封を誓い、計画書を封印したのである。

***

 その日以来、彼は故郷を捨て生きてきた。
 書庫の最奥にある引出しと、心の奥底にそれらを封印して生きてきた。その封印を、こんな形で解くことになろうとは夢にも思わなかった。
「……忘れたわけじゃないんだ。もちろん、捨てたなんてこともない」
 誰もいない部屋で、誰に聞こえるはずもないと知りながら、言葉を発した。
 それは自分に確かめるために。

 ミッドガルが、故郷であると言うことを。そして――


 書庫を出たリーブを迎えるように、内線電話がけたたましい音で彼を呼んだ。求めに応じて受話器を取り上げれば、狼狽しきった様子の男が半ば叫びながら報告をもたらす。
『統括、大変です!! 魔晄炉の出力上昇が止まりません! 今すぐ来て下さい』
 わかったと短く応じた後、受話器を置いたリーブはフロアを出て行った。


 故郷であるミッドガルを守るための戦いに、身を投じる事を。






―封印の書<終>―
 
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* 後書き(…という名の言い訳)
 FF7:Disc2ウェポン襲来前の飛空艇での1コマ。
 当時、「お題に沿ってSSを作ろう!」という企画がありまして、『故郷』というお題の回に投下した作品の1つです。
 “訛”=“故郷”という発想までは良かったものの、計画書の件は結構こじつけっぽいとご指摘を頂きましたが……精進しますです。