異能者は眠らない |
※ご注意※ # 今作のテーマが“狙撃手リーブ”なので、リーブの性格設定が他とは異なります。 # また、この話において登場人物に“善人”はいません、救いようもありません。 # そういった話を好まない・苦手な方も、ここでページを閉じて頂いた方が良いです。 # 尚、下のタイトルにカーソルを当てると大まかな内容が表示されます。 |
0.疑惑の弾丸 「あのときは驚いた」 唐突にヴィンセントの口から珍しい句が紡がれて、リーブは思わず作業の手を止めて顔を向けた。 それはオメガ戦役が一応の決着をみた後、襲撃された本部施設の復旧作業中の出来事だった。 「突然どうされました?」 そう言ってから、床に散らばった大量の配線に視線を戻し作業を再開したリーブは、手を止めず今度は声だけを向け常のように穏やかな声で尋ねた。彼を見下ろしていたヴィンセントは感心した様子で語った。 「てっきり、神羅では都市開発部門の所属だとばかり思っていたんだが」 「ええ、おっしゃるとおり都市開発部門でしたが……」 これでも一応、統括職まで務めたんですがと苦笑するリーブに「そうではない」と首を振ると、ホルスターから銃を抜き取り、止める間も与えず引き金を引いた。 銃口から発射された3発の弾丸は、天井に設置されていた感知器に命中し、ホール内にけたたましい警報音が鳴り響いた。 「ヴィンセント! なんて事をするんですか?!」 どう考えても理不尽な仕打ちに対して、リーブは文句もそこそこに素早く立ち上がると警報を止めるためにフロア壁面に設置された配電盤を開いた。それから何やら作業を始めると、ものの数十秒で警報音が止んだ。ふうと溜息を吐いて振り返り、銃をおろして立っていたヴィンセントに視点を合わせて、先程の文句の続きを口にした。 「無闇に発砲して施設を破壊するのはやめて下さい。確かにこのフロアの復旧作業はこれからですが、配線類など場所によっては施設全体に影響が出る物もあるんです」それから設備に関する蘊蓄を語り始めたが、専門外のヴィンセントが聞いたところで子守歌にもなりそうになかった。 「すまない」言葉でこそ謝罪を述べているが、実際の意図は謝罪よりも、こうでも言わなければリーブの講義が終了しないと考えての発言だった。 彼の意図を汲んでいたかどうかは定かでないものの、リーブは最初にしたのと同じ質問を口にした。 「本当に、どうされたんですか?」 まさか溜まっていたストレスを発散するために撃った、などと言うことはあるまい。なによりもヴィンセントが考えなしに行動するような男でないことは分かっている。現に先程の発砲も、感知器1つの破損だけで他に影響を与えずに済んでいた。だから尚のこと、リーブは突然の行動の根拠を聞きたかった。 その問いかけに、淡々とした口調でヴィンセントは答える。 「……かなり訓練していたとしても、小さな的を正確に打ち抜くのは難しい。しかも、咄嗟の判断で当てるとなると相当の経験と才能が必要だ」 自分はタークスとしての訓練を受け、実戦も経験している。ヴィンセントが最後に言い添えた。そこでようやく、彼の言わんとすることをリーブは理解した。 「もしかしてスプリンクラーの事ですか? 以前にもお話ししたと思いますが、あれは本当に偶然だったんですよ」 それは先の戦線で、ディープグラウンド勢の侵入を許したWRO本部施設内での出来事だった。敵勢の指揮官にあたるツヴィエートと対峙し、それが10年ぶりに再会する妹である事を知ったシャルア博士は、武器を向けられても無抵抗――というよりも突然の出来事に状況の整理が付かず無防備――でいた。 いくらシャルア博士の実妹とはいえ、シェルクが戦場で相対した敵である事には変わりない。しかも明らかな殺意を持ってこちらに武器を向けているのだ、かける情けは無用とするのが当然だ。それでもリーブは彼女の前に立ち説得を試みた。正直なところ、ヴィンセントにしてみれば彼の行動は無謀だと思えた。WRO局長という立場を考えれば無謀どころか無責任だと非難されてもおかしくない。そして予想どおり説得は失敗に終わった。 シャルア博士に武器が振り下ろされようとしたとき、ヴィンセントの銃口は当然シェルクに向けられていた。しかし、制止の声とともにリーブの放った銃弾は頭上のスプリンクラーを正確に打ち抜いた。噴き出した水溶性の消火剤はシェルクの持つ武器の威力だけを奪い、一人の負傷者も出さずにその場を打開した。 ほんの一瞬の出来事だった。その一瞬の中でリーブはもっとも犠牲の少ない方法で、さらに最も有効な結果を導き出す判断を下し、実行に移したのだ。並の者ではこうはいかない。ヴィンセントが「驚いた」と口にしたのはこの事だった。 「作戦指揮を執る立場上、敵陣営のデータは頭に入っていましたからね」その場での判断という訳ではないのだとリーブは言う。 「それにしたって、その情報を元にあの場で判断を下したのだろう? それともあの状況を、以前からシミュレーションで訓練していたとでも言うのか?」的確な判断と迅速な行動の上にある射撃であり、何よりも射撃が成功する見込みがなければあり得ない判断だった。つまりどれ1つを取っても偶然の産物とは言い難いのだとヴィンセントは反論する。 「……こだわりますね」 ヴィンセントにしては珍しいと、リーブが小さく笑った。そこに憮然とした口調で反論する。 「こだわっているのはどっちだ? 謙遜にしては些か不自然だ」 「……分かりました」やれやれと肩を落としてリーブは立ち上がると、ヴィンセントを見据えてこう続けた。 「『スプリンクラーの件は私の素晴らしい功績だ』と言えば、あなたの気は済みますか? でしたら、ご要望どおりそうしますよ」 正面からぶつかった視線を、最初にそらしたのはリーブだった。ヴィンセントに背を向けて歩き出したリーブに、言葉を投げる。 「作業はまだ途中なのではないか?」 「これからの作業に不足している工具を取りに戻るだけです。こちらはしばらく時間が掛かりそうですから、あなたは適当に休んで下さって結構ですよ」 振り返らずに言うと、扉の向こうに消えていった。 残されたヴィンセントは扉の方に視線を向けたまま、口に出せなかった疑問を零した。 「私と同じように、お前は昔から“死の匂い”を知っているんじゃないのか?」 戦地、あるいはそれ以外の場所で。 |
1.有能なる若手技師 昼夜を問わず光にあふれる巨大都市、ミッドガル。 神羅カンパニーによって計画、建設された他に類を見ない立体都市。それは豊かさと繁栄の象徴であり、人々の野心や欲望の集まる街である。 リーブ・トゥエスティ。彼は神羅カンパニー都市開発部門に勤務する、一流の技師である。性格は生真面目で誠実。一見すると地味な印象ではあるが、技師としては部門内でも有数の逸材として一目を置かれている。 毎日朝早くから夜遅くまで、彼は一言も不平や不満を漏らすことなく働いている。その姿を見た上司や周囲の同僚達からは、勤勉が服を着て歩いているようだ。とか、彼こそが機械仕掛けで動いているのではないか。と囁かれるほどの働きぶりだった。以前ある同僚が「どうしてそんなに働くのか?」と尋ねたところ、彼は笑顔でこう答えたのだという。 「ひとつの都市が成長していく様子を、こうして間近で見る事ができるんです。これほど面白くて夢中になれる仕事はありませんよ」 彼は自分の仕事に誇りを持ち、心からミッドガルを愛していた。 リーブの仕事を形容するとき、「完璧」という言葉は外せない。工期スケジュールを遅らせるような事は絶対にしないし、内容にも手落ちがない。状況によっては無理な納期を設定される事もある、そんなときは休みはおろか寝食を削ってでも完遂する事を常としていた。そんな仕事柄を目の当たりにすれば、担当者がリーブというだけで誰しもが全幅の信頼を置くことになる。彼はこうして部門内で徐々にではあるが着実に頭角を現していった。 後に都市開発部門の統括職に就任する事になるが、それはまだ先の話である。 *** どんな物事にも、表があれば裏がある。 ミッドガルが繁栄の象徴であるのはプレート上のみだった。プレート下――スラム街と呼ばれている場所は、「繁栄」とはほど遠い醜態をさらしている。劣悪な環境、蔓延する貧困、悪化する一方の治安、それらは繁栄を享受するために払った代償そのものだった。 誰もが現状のままで良いとは思っていない。けれども様々な理由やしがらみに阻まれて、未だ改善に乗り出すことはできなかった。 ちょうどこの頃、プレート上下を問わずミッドガル内では奇妙な事件が多発していた。社内報では「タークスを中心とする部隊が事態の沈静化に全力で当たっているが、各自注意してほしい」という旨で、治安維持部門から通達が出ていた。 具体的な内容は記されていないが、どうやら狙撃事件らしい――噂話を好む同僚が話を持ち込んできたのは、まだ夜も明けきらぬある日の早朝、本社の都市開発部の1フロアに設置された宿直勤務者の詰め所だった。 「なんだか物騒になりましたね」穏やかに答えたのはリーブだった。応じるように、同じ班の同僚が続ける。 「でも狙われているのは上役連中ばかりでしたっけ? 僕ら下っ端には関係ないですよ」ちょうど八番魔晄炉の運転試験を控えている頃で、班内はそれどころではなかった。この運転試験を無事に通過しなければ、八番基の本格稼働はできないからだ。 「まあ、注意するに越したことは無いけどな」七番魔晄炉の宿直だった同僚が引き継ぎ用の資料を持って入ってくると、リーブはカップに入ったコーヒーを差し出した。 「悪いな」本当はコーヒーよりも酒が良いんだが、カップを受け取った同僚はそう言おうとしたが、リーブの顔を見て思いとどまった。本音をうっかり口にしたら「まだ勤務中ですよ」と、窘められるのは目に見えている。それでも、安物のインスタントコーヒーをこれほど美味いと感じたのは、宿直明けという状況と彼の厚意のせいだろう。 一方、コーヒーと引き替えに同僚から資料を受け取ると、リーブは記されているデータを熱心に目で追った。 「確かにこの時期、うちの班の誰が欠けても困りますからねー」リーブの横でのんきに欠伸をした別の同僚に、リーブが告げる。 「ここ、やっぱり不具合と見た方がいいですね」 七番魔晄炉は3ヶ月前から本運転を開始したばかりだったが、ここのところ小さな不具合が頻発し、八番基の試験を控えた班内スタッフにとっては追加の懸念材料となっていた。 指摘箇所に丸を付けて同僚に資料を手渡すと、考えられる原因とその箇所を手短に述べてからリーブは席を立った。「ちょっと現地に行って確認してきます」 詰め所を出る後ろ姿を見送りながら、宿直あけの同僚がカップを手に持ったままぽつりとつぶやいた。 「……特にあいつに抜けられたら困るんだよな」 「狙撃事件なんて無くても、僕ならとっくに死んでますよ」 リーブも含めてここにいる全員が宿直あけだった。入り口横に掲示されたスケジュール表に目をやると、彼はいつ寝ているのだろうと思わずにはいられない。 本当に、彼はよく働く。まるで機械みたいだと誰かが言った。まさか機械仕掛けで動いているとは思わなかったが、たとえに異存はなかった。 タークスが躍起になっていた狙撃事件だったが、都市開発部門の職員にとっては朝の挨拶に添えられる会話程度でしかなく、彼らは忙しくも平和な日々を送っていた。 |
2.エレベーターでの邂逅 タークスにとっては朝も夜も関係ない。彼らの一日は任務に始まり、任務に終わるからだ。 「特に正確性を要する狙撃というのは通常、狙撃手と観測手の2名で行う。だからこの事件は単独犯とは考えづらい。が、我々の警備網をことごとく破っている機動性から察するに、数はそう多くない」 エレベーター奥の壁際に立っていた男は、あごに手を当てながら思案の結果を口にした。癖のある茶褐色の頭髪と鋭い目つきの持ち主で、加えて鍛練を積んでいるとスーツの上からでも一目で分かるほどの体格をしていたから、見た目からでは近寄りがたい印象を与える。それもそのはずで、彼はベテランの域に達するタークス構成員であり、課内を取りまとめる主任職を務めていた。名前はヴェルド。メンバーの皆からも信頼を集め、時に畏れられる存在だった。 「せいぜい2,3名。うち最低でも1名は土地勘のある者が含まれている可能性がありますね」 応じたのは操作盤の脇に立っていた年若い男だった。几帳面に黒髪を結い、やはり同じスーツを着込んだ新人タークスだ。細身というわけではないが、隣にいる男と比べると華奢な印象を与える。 「ああ、狙撃地点はある程度限られてくるからな」自分の斜め前に立っていた黒髪の男に視線を向け、さらに続けた「この時間帯とはいえ、警戒態勢中の八番街の警備任務だ。気を引き締めて行け」 そこまで言うと、乗っているエレベーターが減速している事に気付いて言葉を止めた。扉上のパネルに目をやるが、まだ目的階には到着していない。黒髪のタークスも不思議そうに手元の操作盤を確認する、やはり目的階以外のボタンは押されていない。この時ようやく、これは一般社員も使うエレベーターだったと気が付いた。 やがてふたりが乗っていたエレベーターの扉が開くと、乗り込んできたのは詰め所を出たリーブだった。先客、それもタークスだったと言う事を服装から知ると、リーブはにこりと笑顔を浮かべて会釈した。 「おはようございます」 それから周囲を見やった、一般の社員とタークスが同じエレベーターに乗り合わせる機会はそう多くない。本来ならば次のエレベーターを待つべきだろうが、リーブとしては一刻も早く現場へ向かいたかった。 「気にするな、俺たちも専用エレベーターを使わなかったからな」リーブの様子を察して、奥の方に立っていた男が言った。発言を受けて操作盤の前に立っていた新人タークスはリーブに目的階を尋ねると、返答に従って1階のボタンを押した。お互い初対面だったせいもあり、会話にはややぎこちなさが伺える。 そんな若者達の様子を見かねたように、奥の男がリーブに問いかけた。「夜勤明けか?」 時刻はまだ早朝、一般の社員が出社する4時間も前だ。リーブは「ええ」と頷いてから自分がこのエレベーターに乗り合わせた経緯を、部門外だった彼らにも分かるよう簡単に説明した。 「もしかして皆さんも夜勤明けですか?」 「似たようなものだ」そう言って質問者が笑う。 「鍛練を積んでいるとはいえ、健康には気をつけて下さいね。私たちがこうして仕事に集中できるのも、皆さんの活躍があってこそ、ですからね」言い終えたところで、エレベーターが目的階に到着したことを告げる。開きかけた扉を背にして「では」と会釈する。 「お前の方こそな」 開いた扉から外に出たリーブの背に声をかける。三度の会釈で応えるリーブの姿は、やがて閉まる扉で見えなくなった。 再びエレベーターが動き出すと、ずっと黙っていた黒髪のタークスが口を開いた。 「お知り合いですか?」 「顔見知り程度だがな」答えた後も扉をじっと見つめている上司に、ふと思いついた様に問いかけてみる。 「私たちが警戒しているポイントとはいつも別の地点からの狙撃、ですか」 「どうした?」 「いえ。ただ彼のような立場なら、そういったポイントを割り出しやすいのではないかと思いまして」 協力を要請してみては? という言外の提案になるほどと頷いた。 「考えておこう」 *** どんな物事にも、表があれば裏がある。 リーブ・トゥエスティも例外ではない。神羅カンパニー都市開発部門所属の一流技師、それは表の顔である。 仕事熱心なことで有名な彼ではあるが、数少ない休日の行動を知る者は居ない。以前、休日中だったリーブに急な用件で電話をかけたが圏外で繋がらなかった。しかしその数時間後、連絡が取れなかったにも関わらず彼は職場に姿を現し、周囲を驚かせたという。しかし常にはなく疲弊した彼の姿を目の当たりにした上司や同僚達はその日以来、何が起きても休日の彼に連絡を取ることはしなくなった。 (あれだけ働きづめだと死んでしまうよ) 部内の誰もが、リーブに死んで欲しいとは思っていない。 この日も彼は3ヶ月ぶりの休暇だった。休暇と言うよりも、上司から半ば強制的に休暇を取らされたのだ。 同じ社内だというのに、先程からすれ違う社員の視線をやたら集めている事には気付いていた。都市開発のフロアに立っている自分は明らかに場違いなのだろうと自覚しつつも、リーブのデスクを探して歩き回っていたのは、あの日の朝エレベーターに乗り合わせたタークスの一人だった。「顔見知り」ということで、今日ここへ来たという経緯があった。もっとも、ぎこちない会話を交わしていた新人よりは幾分かスムーズに運ぶだろうという公算もあった。 なんとか彼のデスクまでやって来たのだが、肝心のリーブ本人が見あたらなかった。手近な社員をつかまえてリーブの所在を尋ねると、怪訝な顔とともに回答を得ることができた。なんでも3ヶ月ぶりの休暇だと言う。 それを聞いて机上に視線を落とす、なるほど言われてみればよく片付いている。とは言っても、積み上げられた資料は膨大で、作業スペースを圧迫しているのは変わらないが、それでも用途別にきちんと整理され無駄な物は一切置かれていない様だ、というのが分野外のヴェルドにも分かるほどだった。機能的と表現すれば良いだろうか。 「もしも用事があるなら、明日また出直してきてもらえますか?」それだけ言うと、社員は逃げるようにしてその場を離れた。 (俺が緊急の用件だと言ったら、呼び出さなきゃならないからな。そうしたくない気持ちは分からなくもないが……) 何も逃げることはないじゃないか。言う代わりに溜息を吐いた。 (とはいえ、最近は活動も沈静化しているからな。協力要請は後日にしよう) 彼が今日ここを訪れた理由は他でもない、あの日エレベーターで同僚から提案された件を実行に移そうとしたためだった。しかし当人が不在となれば出直すしかない。そう思ってきびすを返したところで、携帯電話が鳴った。 ディスプレイで発信元を確認すると、かけてきたのはチームを組んでいたあの新人だった。受話口から聞こえてきた声は、平生になく興奮した様子だった。 「どうした?」 『やられました! 現場は七番街です!』 「現地で合流する、詳細を転送してくれ」 それだけ告げてから通話を終えると、彼はエレベーターに向けて走り出した。 |
3.疑惑と示唆の微笑み 3ヶ月ぶりに発生した今回の件を含め、この半年間で起きた狙撃事件は全部で7件。うち4件が神羅関係者、残りの3件がまったくの部外者。狙われた7人に特筆すべき共通点は今のところ見つかっていない。 発生地点はいずれもミッドガル内であること。また狙撃に使用されている銃が同一のものであること。状況についてもそれ以外の共通点はなく、発生時刻にも規則性は認められない。 目下のところ犯人に繋がる手がかりは得られておらず、はっきりとした犯人像すら見出せていないのが現状だ。 この件は部外に伏せたまま、引き続き調査を継続中である。 また最初の事件発生から1週間後にはタークス、2ヶ月後には軍も投入しての警備体制を敷いていたが、事件の発生を未然に防ぐことはできなかった。この反省を活かし新たに今後の対策を検討する必要がある。 連絡を受けてから現地へ向かったが、7人目の被害者は既に息を引き取っていた。狙撃地点の特定こそできたものの、犯人に繋がる手がかりを何一つ得られぬまま二人は帰社した。 その後、提出された報告書に目を通したヴェルドは肩を落とす課員を帰宅させた後、再び都市開発部門のフロアに足を運んだ。さすがに夜も更けたこの時間帯、社員もおらずフロアはひっそりと静まりかえっていた。広いフロア内を、非常灯の心細い明かりだけを頼りに進む。 今のヴェルドにはどうしても欲しい資料があった。それは都市開発部門の統括、あるいは部署の責任者に申し出れば入手はそれほど困難な物ではなかった。しかし正確を期するためにも部門内の誰にも知られずに、直接それを得る必要があった。 その資料とは、勤怠管理表である。 あの日の朝、エレベーターの中で呟いた部下の言葉が脳裏を過ぎる。 ――「私たちが警戒しているポイントとはいつも別の地点からの狙撃、ですか」 (考えすぎなのか? それとも) 前回から間を空けた今日、3ヶ月ぶりの事件発生。 たまたま重なった、一社員の3ヶ月ぶりの休暇。 ――「いえ。ただ彼のような立場なら、 そういったポイントを割り出しやすいのではないかと思いまして」 都市開発部門の一技師、しかし彼はこの街の構造をより深く知る立場にあった。それは紛れもない事実だ。 考えているだけで答えが見つけられるほど、タークスがこなす任務は単純な内容ではない。一通り考えて当たりを付けたら、あとは行動あるのみだ。 (……さて) 日中、一度ここを訪れていた事が功を奏した。ヴェルドが目的の机の前にたどり着くと、相変わらず積み上げられた膨大な資料が出迎えてくれた。ペンライトを取り出すと、確認のために机上を照らした。 そこでおや? と首をかしげる。昼間来た時とは明らかに何かが違うと感じた。何だろう? 積み上げられている資料の位置とか、そういった小さな問題ではないような気がするが、ひとまず目的の勤怠管理表を探す事にした。 机上に置かれた端末には触れなかった。電源を入れて起動したとしても、どうせロックが掛かっているはずだ。だとしたら、紙媒体の資料を探す方が早いと考えた。 大体デスクマットの下などにスケジュール表が置かれているものなのだが。そんな経験則に従って、目的の資料を探し始めた。個人用のスケジュール表があれば、上手くするとメモなどから行動履歴を追う事もできるかも知れない。端末での情報管理が進んでいる社内にあっても、業務中に突発的に起きる小さな案件は、リアルタイムに自筆で付箋紙やカレンダーの隅に書き留める者も未だに多くいる。そういったデジタル化されない情報は、正式な依頼で入手する勤怠管理表には記載されていない貴重な手がかりだ、こうして残業する価値は充分にある。 ペンライトを口にくわえながら資料の一山を見終えると、作業スペースを確保するために、山を崩さないよう注意を払いながら机上から退けた。ここで、ヴェルドは最初に感じた違和感の正体を知った。 (……ぬいぐるみ?) 資料の山の間からひょっこりと顔を覗かせていたのは、見たこともない様な猫型のぬいぐるみだった。この机の上にあるから、持ち主はおそらくリーブなのだろうが。 (昼間、ここへ来た時にはこんな物なかったぞ?) 資料こそ多いが、用途別に整理され無駄な物は一切置かれていない――この机を見てヴェルドが最初に抱いた印象だった。丸一日も経過していないし、間違いない。昼間ここへ来たときは、ぬいぐるみは無かった。 (では誰が?) 首をかしげながら、ぬいぐるみをまじまじと見つめる。すると、ちょうどぬいぐるみの尻に敷かれるようにして、工期スケジュール表が置かれていた。 (これだ!) スケジュール表を取る為に、ぬいぐるみに手を伸ばした時だった。机の上が突如として照らし出された。 ここへ来る前にあらかじめセキュリティ類は切っておいたし、フロア警備の巡回ルートと時間も把握している。となると――この一瞬の間に、ヴェルドの頭の中では状況整理が行われ、背後に立つ人物を特定しようとした。 「こんな夜中にどうされましたか?」 結論が出されるのと同じタイミングでからかけられた声によって、ヴェルドの推測が確信に変わった。この席に座っているリーブ本人に見つかったのだ。伸ばした腕が何もない空中で止まる。迂闊だった。まさかこんな時間にと完全に油断していた。周囲にもっと気を配るべきだったと後悔しつつも、平静を装って振り返る。 手をかざして目を細めてみたが、薄闇に慣れた網膜には刺激が強すぎる。それでも目を逸らしはしなかった、自分の前に立つ者の姿をなんとしても確認しておきたかった。 「……あなたは」夜中に自分の席を荒らしている、どこからどう見ても不審者でしかない。たとえ振り返った人物が顔見知りであったとしても、その行動に疑問を持つべきであるのに、リーブの声音には警戒心がまるで無かった。「ヴェルド主任?」 相手の顔を確認したリーブは懐中電灯を足下に向けると、ヴェルドもかざしていた手を下ろす。 どう考えても、申し開きのできる状況ではなかった。だからと言って、ここに至る経緯を正直に打ち明けるべきなのか? ヴェルドがしばし逡巡していると、リーブが尋ねた。 「なにかお探しでしたか?」 自分の手持ちの資料で良ければと、まったく疑いもせずに申し出た。てっきり釈明を求められるものと思いこんでいたヴェルドにとっては、予想外の言葉だった。 「! あ、ああ……。実は」 ミッドガル内で起きる狙撃事件について自分達が調査任務に当たっていること。そして、ミッドガルの構造をよく知る人物に協力を仰ぎたいと考えていたこと。そのために日中ここを訪れたが、リーブが休暇中であったと聞かされた事。偽る必要のない範囲で経緯を打ち明けた。 「そうでしたか、せっかくご足労頂いたのに申し訳ありませんでした」話を聞いたリーブは、どこまでも丁寧に応じた。「私なんかでお役に立てるのでしたら」 そう言って、脇机にしまわれた分厚いファイルを8冊ほど取り出した、どうやらミッドガル、プレート部の設計図面の一部らしい。 「これは概略になります。詳しい状況を伺えれば、もう少し範囲を限定した物をご用意できるんですが」 その申し出を受けたヴェルドは、急場しのぎで拵えた話を聞かせた後、最後にこう付け加えた「もう少し詳しい資料を見たい。メンバーとの打ち合わせも控えているので、なるべく急ぎたいんだが、どのぐらい掛かるだろうか?」。 その言葉にリーブはにこりと微笑んでこう言った。 「今少しお待ちいただけるのでしたら、ここへ資料をお持ちします」 「そうしてくれると助かるんだが、頼めるか?」 ヴェルドの言葉を聞いたリーブはさっそく資料室へと向かいその場を離れた。フロアに残されたヴェルドは、まさに我が意を得たりと口元を歪めた。 「……ありがとう、本当に助かるよ」 もう一度デスクに向き直ると、先程取りそびれた工期スケジュール表に手を伸ばした。月ごとに印刷された約1年分の資料に目を通して、彼が『休んだ日』を素早く書き写した。転写する事自体に時間はかからなかった、圧倒的に数が少ないせいだ。日数だけを言えば、まだ自分の方が休みを取っているとヴェルドは思った。ミッドガルの建設が急ピッチで進んでいるという事情は分かるが、それにしても異常だった。しかしそれを考えるのは自分の役割ではないと思い直し、脇のメモの書き取りを始めた。 一通り作業が終わると、資料を取ったリーブが戻って来る前にスケジュール表を返し、ぬいぐるみも元の位置に戻しておいた。 この時ふと、誰かの視線を感じたので振り返る。ペンライトをかざして周囲にぐるりと視線を向けたが、薄暗いフロアには誰もいなかった。気のせいかと再び机上に視線を戻すと、スケジュール表の上に置いたあの猫のぬいぐるみが、まるでヴェルドを見上げているように見えた。 その猫のぬいぐるみは、微笑んでいた。 |
4.処分者名簿 ――狙われた7人に特筆すべき共通点は今のところ見つかっていない。 先日、部下から提出された事件概要の報告書の内容に間違いはなかった。報告書提出者の認識は、これで正しい。 しかしヴェルドの知る現実において、この認識は間違っている。つまり狙撃された7人には、明らかな共通点があったのだ。 タークス構成員は、個々の能力に応じて多種多様の任務に当たっている。任務の内容により担当する人員の数は異なるが、簡単なものなら単独という事もざらではない。また、一人が並行して複数の任務を遂行することも常だった。任務を担当するメンバーを適材適所に振り分けるのは、主任であるヴェルドの役割だった。 今回の狙撃事件については、新任タークスとヴェルドがチームを組んで調査任務に当たっている。発生当初は新人教育の一環と言う意図もあっての人選だったが、まさかここまで引きずる案件になるとは予想だにしていなかった。 しかしもう1つ、今回の調査任務にヴェルド自身が積極的に関わった理由があった。それは、ヴェルドが単独で遂行するはずだった任務とも密接に関係している。 ヴェルドの単独任務、それはプレジデント神羅から直々に仰せつかった極秘任務だった。 任務の内容自体は単純なものだった。神羅に害をなす、または危険因子と判断された『要監視者名簿』に記載されている上位14名の抹殺だった。 狙撃事件の被害者7名は、いずれも『要監視者名簿』上位に名前の載っている者達ばかりだった。最初の被害者が名簿の一番最初に記載されている人物だったために、ヴェルドが「新人教育」という大義名分の元に調査任務に当たる事になった、というのが真相だ。 狙撃事件はヴェルドにとって渡りに船とも言えたが、喜んでばかりはいられなかった。 処分方法、時期、そのどれもが予定とは異なっていたからだ。 名簿は危険度の高い順から記載されており、継続される監視報告を基に整理され、順位は常に変動する。そして一定期間リストの上位に名前のあった者は、要監視から処分の対象となる。このため『要監視者名簿』上位については『処分者名簿』とも呼ばれている。 もっとも、その存在自体を知る者はほとんどいない。タークスですら、任務に当たっているヴェルドのみが知るものである。 名簿記載の対象となる者の所属は問わなかった。だから神羅カンパニー勤務者、つまり身内が名簿に含まれていても何ら珍しいことではなかった。 処分対象の抹殺には特に定められたルールなどは無いが、『処分』の事実が明るみに出ることだけは避けなければならない。よって対象の処分方法、時期などを調整し関連性を疑われないようカムフラージュする必要があった。 ヴェルドが今回の狙撃事件を歓迎できない理由の1つだ。 被害に遭った7名全員が、『狙撃』という共通点を持っている。これでは何らかの意図を持った存在が憶測される可能性がある。そうなると、今後の任務遂行に支障を来すおそれがあった。 これ以上の被害拡大を防ぎ、なんとしてでも狙撃手を捕まえなければならない。今のヴェルドにとって、これが最優先の任務となった。 事と次第によっては、狙撃手の正体が誰であってもその場で処分対象となる可能性も充分あった。これまでの7件のうち、即死が6件。残りの1件についても、被害者は未だに集中治療室で昏睡状態にある。そのことからも、一連の事件を起こした狙撃手は照準に定めた者の命を確実に奪う、腕は確かだと言う事だけははっきりしていた。今回の任務の完遂が極めて困難であろう事は安易に予測できたが、先の見通しは全く立たなかった。 ヴェルドの携帯に事態の急変を告げる報がもたらされたのは、この日の深夜だった。 昏睡状態にあった被害者が、意識を取り戻したのである。 |
5.唯一の証言者 およそ半年前、一連の狙撃事件で最初の被害者となった男は辛くも一命を取り留めていた。事件発生直後に発見された男が搬送されたのは、ミッドガル地下にあるソルジャー向けの大規模な医療施設だった。ここには最先端の医療機器がそろっている。ソルジャーではなかったはずの男が助かったのも、ここに収容されたという幸運が大きく影響している。 もちろん、この幸運は当初より仕組まれていたものだったのは言うまでもない。 被害者が半年ぶりに目覚めたと聞いて、ヴェルドは治療棟へと急いだ。社命を受けたタークス主任という事を担当医に告げ身分証を提示すると、渋々だが特別に面会を許可された。しかし容態が不安定であるため条件付でだと、治療室へ行くまでに何度も釘を刺された。 集中治療室で機械類に囲まれ横たわる男は、処分者名簿の最優先対象とされていた人物に間違いなかった。ヴェルドは訊問を開始すると、後ろに控えていた担当医の表情は途端に険しくなった。 問われた男はか細い声で、切れ切れになりながらも狙撃直前の様子をこう語った。 「『もうすぐ、死ぬで』、そう……言われた」 「いったい誰に?」 およそ重症患者を相手にする口調ではなかった。背後から担当医が制止する声には耳を貸さず、ヴェルドは答えを迫った。 「猫……2本足で立つ、ねこ……だった」 「2本足で立つ猫だと?」 「ご覧の通り意識の混濁があります、分かりますよね患者は危険な状態なんです! ですからこれ以上――」担当医の訴えを無視して、ヴェルドはさらに続ける。 「猫とは何だ?! 答えろ!」 「猫が……笑った、本当だ。それから『言いたいこと、あるか?』と聞かれ……た」 「なんと答えた?」 「俺が、『なぜ死ぬんだ?』と。すると」 ベッドに横たわっていた男は、言葉の途中でひときわ苦しそうに咳き込んだ。治療の手を差し伸べようとする担当医の腕をつかんで引き留めると、ヴェルドは言葉の先を待った。 「『お前は、阻害要素、や』それで俺……は、その猫、が誰……なのか知……」 「これ以上は本当に危険です!」ついに怒りをあらわにした担当医を一瞥し、ヴェルドは冷淡に告げた。 「今から担当医はこの俺だ、お前は出て行け」 理不尽にも程があると反論しようとした。しかし言外に「患者が死んでもお前の責任ではない」という意味を含んでいる事も同時に悟った。そのことに医師は良心の呵責を感じ、また横たわる重病人に後ろ髪を引かれる思いで治療室を立ち去った。「社命を受けたタークス」がここに来たという現実、それが持つ表面上の意味を担当医はよく理解していた。傍目には残酷と映るだろうが彼は医師である前に、神羅社員という立場には逆らえなかった。それが神羅という会社だった。 「お前の言う猫とは誰だ?!」 「都市……開、発……部」吐き出される大量の呼気で、口から鼻を覆っていた酸素マスクが白く曇った。その様子を見たヴェルドは躊躇いもせず男の顔からマスクを剥がした。それは呼吸を補助するためのマスク、当然この男にとっては生命線そのものだと知っての行為だ。 「お前を撃ったのは都市開発部門の人間か?! 誰だ!」 ベッドに横たわる男は、質問に答えるどころか今や呼吸をすることで精一杯だった。ヴェルドに向けて手を伸ばし、マスクを返してくれと呼吸を荒くして訴える。 先に答えろ。ヴェルドはその一言だけで男の訴えを退ける。 「ま……こう炉、調せ、い……っか」引き攣った言葉がようやく零された。ベッドの横に置かれていた呼吸数・心拍数を監視するモニターが、男の代わりに悲鳴を上げた。ヴェルドはその声に応えるつもりは毛頭無い。ただ言葉の続きを待っていた。 しかし、男の口からまともな言葉が語られることはもう二度と無いだろう。それを察したヴェルドは、口を歪めてこう言った。 「お前はこうなる理由を知っているハズだ。俺がなぜ、ここにいるのかも」 眼窩から剥き出しにされ、白目を埋めるほどに血管の浮かび上がった眼球がヴェルドを見つめていた。死を目前にした命が、必死に生にしがみつこうとする姿そのものだった。 ヴェルドはせめてもの慈悲にと、男に向けてこう告げた。 「『もうすぐ死ぬで』」 これは本来であれば自分が殺すはずの男だ、それ以上なにかを感じるということもない。 こうして背を向けて歩き出したヴェルドの耳に、断末魔代わりの機械音が聞こえた。呼吸と拍動が停止したことを告げる警告音だった。振り返りもせずに治療室を出ると、ヴェルドはその足で担当医の元に向かった。 再びやって来たヴェルドの姿を認めると、担当医は疲労と諦念がない交ぜになった表情を向けた。 「俺の他に、奴と面会した者は?」 担当医に向けて問うヴェルドの声には、彼に対する慰労の念はかけらも無い。 「患者は誰とも面会できるような容態ではありませんでした」治療室を追い出された担当医は、既に結末を予見していたとでも言いたげな口ぶりだった。 「一人もいないんだな?」 「……ええ。面会に来た人間は誰もいません」それだけを言うと担当医はヴェルドに背を向けて、デスクに向き直る。 「つまり『面会の他に何かあった』ということか?」 耳ざとく言葉尻をとらえると即座に問い返す。再び振り返った担当医の膝の上には、ぬいぐるみが乗っていた。 「面会を諦めて、見舞品を置いていった方がいました。『しばらく彼の傍に置いといてもらえますか?』とおっしゃってましたね。しかし患者の意識が無いのだとこちらが容態を伝えると、『それでも構いません』と。なんでもご家族から預かった物だそうで、患者と親しい方だったのでしょうか? 物腰も穏やかで、とても丁寧な印象を受けましたよ」 「訪問者記録はあるだろう? 見せてくれ」 ソルジャー向けの医療施設だったここに、民間人が収容される事はまずない。さらに施設に立ち入ることができるのは、神羅社員と関係者のみだ。見舞いなどで施設を訪れた場合は、例外なく身分証の提示を求められる。またその記録は厳重に管理・保管されている。 もっとも、訪問者記録を見るまでもなくヴェルドには察しが付いていた。あの猫とはつい最近、会ったばかりだった。 「……ああ、この方ですね。都市開発部門、エネルギー開発課魔晄炉管理調整班のリーブさん」記録を見ながら担当医が答える。やはりなとヴェルドは頷いた。 その様子を見た担当医は、ヴェルドに尋ねた。 「お知り合いですか?」 「顔見知り程度だがな」 ここで得られる情報がすべて整ったと、きびすを返したヴェルドの背に担当医が告げる。 「では、これを返してください。もう“必要ない”でしょう?」 椅子から立ち上がった担当医が、押しつけるようにしてヴェルドにぬいぐるみを手渡した。 自分の横を通り過ぎて歩き去る担当医の背を見つめていたヴェルドは、最後に振り返った担当医から告げられた。 「ここは治療施設です、集中治療室に遺体を放置しておく事はできません」 その言葉が意味するところをヴェルドはよく心得ていた。ひとつ頷くと出て行く担当医を見送った。 これで処分者名簿の残りは7名になった。 |
6.異能者は眠らない この半年間に起きた7件の狙撃事件の発生日と、彼の休暇はすべて一致する。 狙撃事件最初の被害者である男を唯一見舞っていたのも彼だ。 これら都合のいい情報だけを鵜呑みにし、結論を急ぐのは短絡的であるかも知れない。しかし、求めている答えに一番近い位置にいるのは間違いなく彼だった。 この日、再び都市開発部門のフロアに足を向けたのは、もちろん任務完遂のためである。ただ、そこに好奇心がまったく無かったとは言い切れなかった。 「また夜勤か?」 ここへ来る前に、あらかじめ出勤状況を問い合わせておいて正解だったとヴェルドは思う。それでもエレベーター脇で20分ほど時間を潰すことにはなったが。 「あ、いえ今日は違うんです。近く予定されている八番魔晄炉の運転試験に向けた調整作業で」 ヴェルドに向けてにこりと微笑むリーブの顔には、僅かだが疲労の色が見て取れる。これから帰って2時間ほど仮眠を取り、再び出勤するのだと言う。要するに半日以上の残業だったらしい。都市開発部門の連中は皆、こんな勤務形態で働いているのだろうか? とヴェルドは少しばかり同情したい気分だった。 会話に生じた間を埋めるため、本来であれば話の口火を切る役はヴェルドのはずだった。ところが、切り出したのはリーブの方だった。 「もしかして、以前お渡しした資料の件でここに?」 この男は、なぜ自分から不利になるような状況を作るのだろうと不思議になった。こちらは狙撃事件を調査していると既に打ち明けているし、もし仮に彼が犯人だとしたら、関わり合いになろうとは思わないはずだ。少なくとも自分ならそうするとヴェルドは考える。 よほど自信があるか、犯人ではない。という事だろうか? 「少し聞いておきたい事があったんだが、日が悪かったな。出直そう」 「私の方は構いませんよ」 彼は“逃げる”機会をことごとく見送った。なぜだ? ヴェルドは考える事をやめた。 「では場所を変えても良いか? ここは人目に付く。それと渡したい物もあるのでな」 その提案に従って、2人はエレベーターに乗り込んだ。 何度かエレベーターを乗り継いだ後、着いたのはごく小さな会議室だった。会議室というには簡素な作りで、部屋の窓からはミッドガルの東側が一望でき景観は申し分なかった。設置されていた椅子とテーブル、広さから考えても4人が定員だろう。 2人は入り口側の席に向かい合う形で座った。ヴェルドがすでに用意していたのだろう、まるでテーブルクロスの様な状態でミッドガルの概略図が広げられていた。 ここへ来るまでの経緯は今さら説明の必要もないだろう、ヴェルドは単刀直入に尋ねた。 「ここ半年間にミッドガル内で発生した狙撃事件の被害者がいた位置がこの7点だ」概略図に書き込まれた赤い×印を指で示しながら続ける「君が狙撃に関して素人だと言うのは百も承知だ、その上で聞きたい。狙撃地点はどこだと思う?」 質問を受けたリーブは特に戸惑った様子も見せず、懐からペンを取り出すと概略図に記された7つの点からそれぞれ2本ずつ線を引いた。 場所によって細かい図面を求められ、その度にヴェルドは以前にもらい受けた資料を広げる。リーブはその上に次々と線を引き交点を取り、最終的には細かな場所まで特定した。1ヶ所に付きおよそ10分。ものの1時間ほどで作業を終えた。その手際の良さには思わず見とれるほどだ。 お待たせしましたと言って顔を上げると、リーブは手短に説明した。 「発射された弾丸が被害者に届くまでの弾道がほぼ直線である事を考えれば、比較的簡単に割り出せます。狙撃者が立つ足場を確保する事も念頭に置いて、これら以外の可能性は低いのではないかと」 こうして示された見解は、7ヶ所ともすべてタークスの調査報告と一致する。 感心しながら図面を見つめていたヴェルドが、ふと思いついたように顔を上げて尋ねた。 「ところで、狙撃手と被害者との位置関係についてはどう考えた?」 例にとって赤い×印に人差し指を置くと先を続けた。 「確かに君が割り出してくれた狙撃地点は我々の予測と一致する。しかし、発見状況……つまり“被害者がどの方向から銃撃を受けたか”。この情報を伏せていたにもかかわらず、方角まで特定できたのは何故だ?」全方位とは言えないまでも、図面上に記された赤い×印だけでは、両者の位置関係を限定する事はできないはずだ。 「そうですね。ただ、先程も申し上げた通り『人が立つ足場を確保する』事を考えたとき、場所はある程度限られてきます。ですから自ずと狙撃者のいた位置が決まってしまうわけです」 なるほどと頷いてから、ヴェルドはさらに問う。「それともう1つ、距離だ。……狙撃銃を扱った経験は?」 「ありません。そんな物、都市開発部門では使いませんから」リーブが笑って答える。「銃器に関する事なら兵器開発部門の方に聞くか、あなた方がよっぽど詳しいと思いますが」 そのときヴェルドは悟った、これは嘘だ。 「被害者に残された弾痕から7件とも同じ銃が使用されている事と、その種類にも見当が付いている。その銃の有効射程は1500m。そして君が示してくれた場所はどれも範囲内にある」 ヴェルドはリーブを正面から見据えてこう言った。 「君の言ったとおり、これは都市開発部門の扱う問題ではない」 「たとえば書物で見ていた可能性は?」 「使用する銃の種類によって有効射程には約2倍以上の差がある。その可能性を考慮すれば答えを1つに絞ることはできないはずだ」 「つまり、『実際に撃った人間でなければ分からない』。そう、おっしゃりたいんですよね?」 それこそがヴェルドの狙いだった。必要な情報を伏せたまま推理をさせ、関係者以外が知り得ない情報を吐き出せば、それは犯人だという古典的な手法だ。リーブ自身もそれを理解している様だった。 「残念ながら『私が狙撃手だったら』という想像に基づいた予測です。×印の場所に標的がいる、書物で見た銃を持参しどこから狙撃するか? あくまでも想像の域は出ないんです」タークスは現地で実際に被害者の状況を確認し、遺体の調査結果などから判断して狙撃地点と目される場所を報告書に記載した。根拠が調査結果か想像かの違いであるだけで、両者のやっていることは何ら変わりないのだとリーブは言った。 確かに、これだけでは決定性に欠ける。ヴェルドは次の質問に移った。 「最初の被害者の見舞いにも行っただろう? あれは何故だ。担当医は『親しい方』と言っていたが、調べたところ君との接点はまるで無い。ついでに被害者に家族はいない、担当医に話した事は作り話だな?」 そう言って、担当医から預かって来たぬいぐるみを差し出した。 「これと同じ物を君のデスクでも見た。君の物で間違いないな?」 ぬいぐるみを受け取ると、リーブは今までになく柔らかな表情を浮かべて礼を言った。それから、自分の物であると頷いた。 「様子から察するに、よほど大切な物なんだな。このぬいぐるみが観測手か?」 その言葉に驚いてリーブは顔を上げる。ヴェルドはその顔に驚いた。ちょっとした冗談のつもりだった。どう考えたって、ぬいぐるみに観測手が務まるはずがない。 「いや、正確には『監視役』と言うべきだな」ぬいぐるみの中身はすでに調べてある。中にカメラなどが仕込んであれば別だが、特に変わったところもなく何の変哲も無いぬいぐるみだった。先程の言葉も、べつに鎌を掛けたつもりではなかった。 ところがリーブの尋常でない反応を見れば、そこに糸口があるのだと考えたくなる。正直なところ、根拠は勘だ。 「正確性を要する狙撃は2人で行う、スコープを通して狙撃手に見える範囲はごく限られているからな」あえて暗殺とは言わずに遠回しな表現を使ったが、どうやらリーブは理解しているようだ。ヴェルドはさらに話を続けた。 「それと、病院にわざわざぬいぐるみを置いて行った理由だ。次に来る口実にしたいのかとも考えたが、担当医は『しばらく彼の傍に置いといて』と頼まれたそうだ。集中治療室にいる男の傍に、君の持っているぬいぐるみを置こうとする理由が他に思い当たらない」 手の中に収まったぬいぐるみを見つめながら、リーブはその問いに答えた。 「もしも私が狙撃手なら、撃ち損なった標的の最期を確認したいと考えます」 「俺も同じだ。しかしぬいぐるみを持って行こうとは思わない」 「……そうでしょうね」そういって頷くと、いたずらを思いついた子どものような表情を向けてヴェルドにこう尋ねた「ここにトランプとかあります?」 唐突な質問だった。さすがにここには無いと告げる。それではと言って、懐から名刺ケースを取り出すと、ひとまず手に取った20枚の名刺とともに、ぬいぐるみを差し出した。 「ちょっとした手品をお見せします。ヴェルド主任はそのぬいぐるみを膝に乗せて、私に背を向けたうえで20枚の名刺から好きな物を1つ選んでください。どれを選んだのか、当てますから」 半信半疑のまま言われた通りにぬいぐるみを膝に乗せて、リーブに背を向ける。手に持った20枚の名刺のうち、真ん中あたりの1枚を抜き取った。「これで良いか?」 しばらくしてもリーブからの返答は無かった。思わず振り返ろうとしたヴェルドの耳に、苦笑がちな声が聞こえた。 「私への当てつけですか? 一人目の被害者の名刺ですよ、それ」 「なんだって?」 手に取った名刺をもう一度まじまじと見つめる、確かに彼の言うとおり、狙撃事件一人目の被害者であり、ついこの間ヴェルドが最期を看取った人物のものだった。 「もう一度いいか?」 偶然と言うこともあるだろう? と疑り深いヴェルドの申し出を快く引き受けたリーブは、結局20枚すべてを言い当てた。 「そんなことが……」膝の上のぬいぐるみを見下ろしながら、ヴェルドはただただ呆気にとられるばかりだった。理屈は分からないし、当て推量で口にしただけの話が、しかし現実に起きている。 求めに応じてぬいぐるみを返すと、リーブはやはり笑顔だった。席を立ってから振り返ると、ヴェルドに向けてこう告げた。 「タークスの皆さんのお手間を取らせるようなことは、今後もう無いと思いますよ」 「どういう事だ?」 「……私が狙撃手なら、これ以上銃を持つ動機はありません。それに今回の件で、こんな事をするよりももっと効率の良い方法がある事に気付きましたから」 まるでヒントですと言わんばかりの口ぶりだった。にこりと笑顔を作ると、リーブは一礼して部屋を出て行った。 *** その後、リーブの言葉どおり狙撃事件は発生していない。 処分者名簿に名を連ねていた14人のうち、7人だけが死亡した。その後、名簿を見直してようやく気付いた事だったが、被害者7名はいずれもミッドガルの都市計画、あるいは魔晄エネルギーを巡る贈収賄、機密漏洩の嫌疑が掛けられていた者達だった。最初の被害者に至っては3年前、あろうことか事故を装って八番魔晄炉建設の妨害工作を行った首謀者と目されていた。この事件で6名の作業員が死亡、工期は1年以上遅れた。問責の末に降格させられた後も、社外に対して情報や資材の横流しを続け私腹を肥やしていた。処分者リストの最優先に名前が挙がるのも無理はない。7人の中でも都市開発部門の社員を死亡させたのは彼だけだった。 7名の中で唯一、狙撃され一命を取り留めた者。裏返せばもっとも苦しみ抜いた末に死んだ事になる。 (なるほど、動機か) もし推測が当たっているとすれば、彼の行動はもはや生真面目を通り越して狂気の域だ。しかし目的達成への執念と何より狙撃の腕前、そしてあの不可思議な能力。都市開発部門に置いておくにはもったいない人材だと思えた。 それから数年後、リーブは技師としての実績を認められて都市開発部門統括に就任する。 この時ヴェルドは「もっと効率の良い方法」の真意を知って苦笑した。なるほど、確かに組織のトップに立てば何かと融通も利くだろう。思いついて実際にやってのけるのだから、やはり常人ではない。 つくづく、都市開発部門に置いておくにはもったいない男だ。 |
7.英雄の資格 「……こんな古い資料、よく見つけてきましたね」 一般には公開されていないはずの、しかも優に15年以上前の未解決案件報告書を持ち込んだ男に一瞥をくれてから、呆れたような口調でリーブが言った。 「元タークス、という身分はなにかと便利らしい」 壁に背を預けていたヴィンセントが事も無げに言う。 「それで、気は収まりましたか?」 室内には先の戦闘で壊された施設の一部や、ディープグラウンドソルジャーの残した武器類などが無造作に積み上げられていた。本部の復旧作業の邪魔になるからと、ひとまず仮置きしてあったのだ。その中から使えそうな部材を集めているリーブを見つけて、ヴィンセントがこの資料を渡したところだった。 「どうしてヴェルドに打ち明けたんだ?」 「あそこで私が話したことを、彼には立証できない。その確信があったからですよ」 ヴィンセントとは対照的にこの話にそれほど興味がないらしく、手にした部材の仕分け作業を続けながらリーブは淡々と答える。 「黙っていれば誰にも真相を知られずに済んだものを」律儀な男だなとヴィンセントが小さく笑う。 もとより返答は期待していなかった。ただ、返ってきたのが不規則に響く金属音だったのは予想していなかった。視線の先にいたリーブは、作業を止めて手元の廃材を見つめていた。どうやら持っていた工具が床に落ちた音らしかったが、まるで動力の切れたおもちゃのように微動だにしなかった。何か癇に障ったのだろうか? とヴィンセントは自らの発言について暫し考えた。 静寂の中、ようやくリーブがぽつりと言葉を吐いた。 「もしかしたら、誰かに知ってほしかったんでしょうね」自分が手にすることになった異能力、その存在を。 それを他者に打ち明けたのは、異能者という孤独を埋め合わせるためであり、7人の命を奪った罪の重さから少しでも逃れるため。どちらにしても身勝手な理屈ですよとリーブは吐き捨てた。 床に視線を落としたままだったリーブが、今どんな顔をしているのかは分からなかった。彼の感情を理解することはできないまでも、異能者という孤独に身を置く境遇には、僅かでも酌量の余地があるのではないかとヴィンセントには思えた。異生命体を身に宿し、人外の能力を持った彼もまた孤独の中に生きてきた。 ゆっくりと顔を上げたリーブは、どこか遠くを見つめるようにしてこう言った。 「ジェノバ戦役の“英雄”とは、よく言ったものです」 しかしその口調がまるで人を嘲るような響きだった事に、ヴィンセントは少なからず不快感を覚えた。眉を顰めて見つめていると、こちらを向いたリーブと目があった。 「狙撃で7人を殺しただけなら、単なる殺人者で済んだんですけどね。 壱番魔晄炉、七番街、メテオ災害、オメガ戦役……。 直接手を下さずとも数千、数万人もの人間が死にました。ここの隊員も含めてね」 そう語るリーブの表情や口調からは罪悪や後悔、感傷といった一切の情感を読み取ることができなかった。いや、他からの干渉を拒絶しているような気さえした。 ヴィンセントが口を差し挟む隙は無い。 「本当に、“英雄”と呼ばれるに相応しい功績ですよ」 その日以来、彼の笑顔を見た者はいない。 またこれ以後、WROが各地の復興事業から撤退しあからさまな軍備拡張路線を進んでいった。この1年後には「軍隊」として、市民に認識されるほどになる。 彼の言葉が異能者として生きる者の覚悟なのか、それとも単なる詭弁であったのか。本意を知る者は誰もいない。 ―異能者は眠らない<終>― |
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* 後書き(…という名の言い訳) |
お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、タイトル『異能者は眠らない』は某洋画の邦題を捩ったモノです。 ただし、共通点は狙撃手というだけで何ら内容が伴ってません、はい。 なので「眠らない」=「多忙」という意味合いの方が強いですね。
リーブの最後の台詞は、チャップリンの名言から。
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