朱の夢


 この地に生を受けたとき、少なくとも彼女にとって世界はまだとても退屈な場所だった。
 両親かどうかは忘れたが、自分に良くしてくれる大人達の笑顔が傍にある、そんなごくふつうの世界。
 頭上に広がる空が本物でないことだけが「ふつう」とは唯一異なっていたが、それを知るのは20年以上も先の話である。
 彼女には幼馴染みがいた。彼の名前がなんだったのか、今さら思い出そうとしても分からない。思い出そうとする事もなくなった。
 ただ、覚えているのは朱にまみれた彼の表情。
 床に転がったそれを、踏みつける巨大な人影。抵抗することなく踏みつけられる彼の歪んだ顔。
 なぜ、そんなことをするのかが分からなかった。
 なぜ、そうなるのかが分からなかった。
 彼女にとって初めての「死」はこうして突然に訪れた。あまりにも突然の出来事だったから、彼女にはそれが理解できなかった。だからどうして良いのか分からず、その場で立っていることしかできなかった。
「……怖いか?」
 下卑た笑い声をたてながら、巨大な人影が近づいてくる。横たわった彼の亡骸を前に呆然と立ちつくす幼い彼女に、武器を持たない方の手を伸ばす。
 それでも彼女の視線は、床に転がる幼馴染みに向けられたままだった。さんざん身体に触れられたあげく、上着を脱がされかけても彼女は動じなかった。
 ただ、男が自分の前に立ちはだかって床に転がった彼の姿が見えなくなった事だけが腹立たしかった。
「どいて」
 それだけを口にした。だが巨大な人影が退くことはなかった。
 次にどうしたのかは覚えていない。ただ、巨大な人影が腰に着けていた銃を持ち、転がったそれを見下ろしていた。
 床に転がる顔は2つになった。だけど片方だけが朱に染まっている。
「どうしたの?」
 呼んでみても返事がない。
「いたいの?」
 頬に触れてみた、あたたかい。彼の顔を染める朱も、あたたかかった。
 自分の頬を伝うものに気づき、手に触れてみる。
 透明なしずく。それはとてもあたたかかった。

***

 倉庫の割れた天窓から見上げた空の色を、彼女は好きになれなかった。
 白なのか黒なのか、ハッキリしない曖昧な色。
 降り注ぐ飛沫が身体を濡らす。それはあたたかくも冷たくもなかった。
 斬り殺した――手応えすらなく死んでいった連中が、周囲に散らばっている。あの日と同じように、彼らの身体は朱に染まっている。
 それを見下ろす彼女の頬を伝うのは、透明な滴。
 だがそれに、温度はなかった。

「私ねぇ、生まれて初めて雨に濡れたわ」

 彼女の頬を涙が伝うことは、二度となかった。

***

 死とは制圧。
 死とは安息。
 脳裏に焼き付いた彼の表情が忘れられなくて。
 あの時と同じ思いを二度としたくなくて。
 人間であることを捨ててでも、彼女はその夢を捨てきれずに生き続けている。
 落ちた武器を拾い上げ、頭上に広がる空を見上げるとこの星に布告するかのようにして言い放つ。

「終わりが、始まるわ」

 それは命の終焉という名の永遠を望んだ、朱の夢。


―朱の夢<終>―



 
[DCFF7[SS-log]INDEX]
 
* 後書き(…という名の言い訳)
 ごめんなさい。

 DCFF7第3章、エッジ街外れの倉庫でロッソと初対面した時に聞いた台詞(「生まれて初めて雨にー」)が印象的だったので、半ば衝動で書きました。
 その後、8章中央塔で一戦を交える時にこの印象がさらに強くなるんですが、当方の文章ではまったく表現できませんでした。どうやって書けば“ロッソらしい”描写ができるのか……。この文章も当初から若干の加筆・修正を加えていますが、それでも思うような表現ができてませんねー。
 機会とネタがあればもう一度、ロッソ視点のSSを書きたいなと目論んでいます。