TUTORIAL


 遠目にも古めかしい施設の扉はひどく錆び付いていた。こびりついているのは錆のはずなのに、赤褐色のそれは、まるで血痕のように見えて気味の悪さという色を添えている。
 ここは社員であっても許可がなければ立ち入ることのできない特別区画内にある建物だった。
 その正体は、神羅製作所時代に建造された戦闘訓練施設。さまざまなタイプの武器弾薬と、演習場を備えた本格的なもので、およそ一企業が持つべきものとは思えない規模だった。しかし今は、ほとんど使用される事もなくなり、最近はここへ立ち入る人間もなかった。
 そんな場所に、これまた戦闘とは無縁のはずの都市開発部門所属のリーブがいるというのも奇妙な話だったのだが、ある人物の紹介もあって彼は今ここに立っている。
 残念ながらその人物の消息は、今のところ不明とされているのだが。
 思っていたよりスムーズに扉が開き、一歩室内に足を踏み入れると同時にスキャンが始まる。数秒ほどで機械的な音声がホール内に響き渡った。

 ――認識データ照合中……。
    認識番号:CAT001。
    こんばんは、リーブ=トゥエスティ。
    神羅製作所、戦闘訓練施設へようこそ。
    認識番号より、
    都市開発部門諜報活動特別訓練プログラム『ケット・シー』向けセッションをスタートします。

    セッション1:
    物資回収と敵地潜入を想定した
    基本動作の訓練を行います。

    なお、訓練中の生命保証および機体保証は一切ありません。
    神羅製作所の一員としての責任と技術を期待いたします。
    トレーニング中に不明な点がある場合は、
    『TTT』より情報の確認をしてください。

 この訓練プログラムは神羅製作所時代に使われていたもので、それを特別に改良したものらしいと分かる。わざわざご丁寧に作り替えてくれたのが誰だか知らないが、リーブは居心地の悪さを感じていた。訓練とはいえ、持ち慣れない拳銃をスーツの懐に忍ばせているせいもあるだろう。そもそも戦いは苦手だし好まない彼が、こんな場所に立っても良い気分になれるはずはない。
 総務部調査課の主任失踪に関わり、治安維持部門統括から直々に捜査協力の要請が回ってきた。なぜ自分のところに? とも思ったが、ヴェルド主任とは旧知の仲だった。そのためリーブが彼を庇う、あるいは匿っているという嫌疑を掛けられているのかも知れない。ハイデッカーにしては気の利いた推測だとも考えたが、だとすれば恐らく、それは彼だけのものではないだろうと思い直した。
(いったい誰が?)
 ちょこまかと動き回る小型ロボットを追いかけ回すよう、前方にいるケット・シーを“操作”する。簡単な追跡動作と回避訓練。最初のうちは精神を集中してケット・シーと自身の感覚とを同期させなくても、難なくクリアできる内容だった。だからこそ他のことに考えを巡らせる余裕もあった。
 しかし訓練プログラム自体は、段階を踏んで徐々に難易度が増す。施設の奥へと進むに連れて、集中力と緊張は否が応でも高まっていく。
 こうした本格的なケット・シーの操作訓練は、リーブにとっても初めての経験だった。今回の訓練参加への動機に、好奇心があった事は否定できない。
 そもそもケット・シーを偵察機として使用する事を最初に提案したのは副社長だと聞き及んでいるが、今回の訓練実施にはタークスが関与している。まったく厄介な事件に関わってしまったと言うのが本音ではあるが、ヴェルドの敵に回るつもりは毛頭無い。
 神羅という企業以上に、彼を信頼しているからだ。
 そのためにはまず、味方から欺かなければならない。本来であれば全く気乗りしないこの訓練への参加も、その一環だったのである。

***

 ケット・シーを操作してアイテムを回収しながら通路を進んで行くと、やがて開けた空間に出た。ここまでは、さして深刻な事態に陥ることもなく到達できた。反対側に見える階段上の小さな扉を見つけて、どうやら出口のすぐ近くまで到達したらしいと知る。
 訓練はもうすぐ終わる。そう確信した時だった。
 また、あの機械的な声が聞こえてくる。

 ――最終セッション:
    ここでは実弾を用いた脱出訓練を行います。

 その声が響き渡った途端、背後と前方の扉が一斉に閉ざされた。
「!? ……なっ」
 遮蔽物がわりのコンテナと、アイテムボックス。銃で撃ち抜けば破裂する仕掛けのドラム缶などが配置されている以外には、逃げ道も隠れ場所も用意されていない空間の真ん中に、ケット・シーは佇んでいる。
 奇妙なほどの静けさに、フロア入り口前に立っていたリーブの足はすくみ、背中には嫌な汗が流れた。
 静寂の中、リーブの耳が捉えたのは小さな金属音だった。まさかと思う、まさかとは思う反面、それは銃に弾を装填する音に酷似していた。
 逡巡する間を与えんと言わんばかりに、弾はケット・シーめがけて発射された。重々しいライフル銃の発砲音が鼓膜を叩き、続いて無数に撃ち込まれるマシンガンの音で理性と堪忍袋の緒を切られた気がする。
「ケット・シー!」
 リーブは夢中で駆けだした。使用されているのが実弾だと言うことを承知の上で、承知しているからこそフロアの中央に向かって走る――ケット・シーを、守るために。
 動揺したせいかコントロールが乱れ、一度バランスを失ったケット・シーが地面に倒れた。それからすぐに起き上がりはしたものの、意図する方向に動いてくれなかった。走り寄るリーブとはまるで反対の方向へと逃げていく。ケット・シーを狙っている銃弾も、必然的に同じ方向へと向けられる。
 リーブはケット・シーを操作するための集中力と、冷静さを完全に欠いていた。

「止めて下さい、当たったら死んでしまう!」

 叫びながら銃弾の雨の中へと飛び込んだ。一瞬、ケット・シーに向けられる銃撃が止む。
 頭から突っ込み地面に這い蹲って無様な格好になりながらも、その身を盾にたくさんの埃と傷だらけになってしまったケット・シーを庇おうと必死だった。銃声が聞こえなくなってから身を起こすと、リーブは沈痛な面持ちで彼を抱きかかえる。彼の表情が曇っているのは、痛覚の一部を共有するためではない、感情の一部を害したからである。
「……痛ないか? もう戻ろな」
 そう言いながら額を撫でてやったが、ケット・シーは何も言わない。“操作”していないのだから当然か。
 そんなリーブに向けて躊躇するように数発、まるで見当違いな方向に発砲される銃声に顔を上げた。そのまま首だけを動かし、ある一点を見つめた。……その先には、おそらくスピーカーとカメラが設置されているであろう場所に。
 それから静かに言い放った。
「訓練プログラムを中止し、今すぐここから出してください」
 しかし返答はなかった。
 かわりに一発の発砲。これもやはり見当違いの方向ではあったが、先ほどよりも明らかに着弾地点はリーブに近くなっている。
 威嚇――あるいは警告の意味合いを含んだ射撃。そしてこれが、自分の放った言葉に対する答え。
 リーブは瞬時にそう判断し、身を翻すとコンテナの後ろに回り込んだ。都市開発部門に所属する社員だという事を考えれば、彼の身のこなしはまだ機敏な方だと言える。だが、この場所ではあまりにも愚鈍と評価せざるを得ない。
 最後にもう一度、銃声が響いた。今度はリーブのすぐ真横の壁面に着弾する。弾道に近い側の頬に風を感じるほどの距離に撃ち込まれた銃弾は、まるでこう言っているようだった。
 “……これは最後通告だ。”
 狙撃者の意図に思いを巡らせた後、この施設の入り口に立った時の放送を思い出す。

 ――なお、訓練中の生命保証および機体保証は一切ありません。

 まさか社員をという、最後までその思いは拭えない。それに、まがりなりにも都市開発部門の役職者である自分を、本気で狙撃する事はないだろうと考えていた。ふつうならそれで間違いない、だがここは、どうやら「ふつう」が通用する空間ではないらしい。
 「それが君の甘さだ」と、誰かが言っていたのを思い出す。
 ケット・シーを左腕で抱え、地面についた右手と左膝でバランスを取りながら姿勢を低くしてリーブは壁面を背にした状態で遮蔽物から周囲を伺う。戦術は分からないが、建物の構造を最大限に利用して逃げ切ればいい。狙撃者が身を隠せる場所は限られている、そこから死角となりそうな地点を割り出せば、脱出ルートは自ずと見えてくるはずだ。
 現在地点から15メートルほどの間には、遮蔽物となるコンテナが複数配置されている。この辺は死角も多くルートのパターンも数通り考えられるので、慎重に行けば問題はないだろう。そこから5メートルほど先に進むと、ドラム缶が並ぶ地帯がある。そこを抜けてから出口までの約15メートルは、まったく遮蔽物のない場所が続く。ロックされた扉を開くまで直線距離にすれば50メートルほどだった――脱出ルートはこれ以外に考えられない。後ろの扉には、こちら側からロックを解除する装置はない。文字通り後戻りは出来なかった。
 一番問題になるのはドラム缶地帯だ。あそこで発砲されれば、銃弾をこの身に浴びずとも爆発の余波を受けることは避けられない。しかし、等間隔に並んだドラム缶の間を抜けなければ、その先にある出口までは辿り着けない。
 どうするか?
 そんなとき、抱えていたケット・シーがひとりでに動き出す。“操作”はしていない筈だった。驚いて見下ろすと、リーブの腕の中で首を傾げながらにっこりと微笑んでいる。
 それから彼は、こう告げた。
『ホンマにおたくアホやなぁ〜。さっき、ボクがせっかくオトリになっとったのに、アンタわざわざ着いて来よった。……せっかくの作戦が台無しやで』
 驚いたままの表情で固まったリーブを見上げて、ケット・シーはしっぽを振って楽しそうに話を続ける。
『そないにボーッとしとったら撃ち殺されてまうで? アンタまだ死にたないやろ』
「……ケット・シー?」
『今さらそんなアホ面、向けんといてや。
 ボクが死んでもアンタは助かる。けどな、アンタが死んだらわいも死んでまうんや。そら困るっちゅーだけのハナシや』
 事も無げに言ってのけるケット・シーに、リーブは眉をひそめてこう告げる。
「それは困ります」
『なんも困る事なんてあれへんがな。単にボクが死にたないだけや。
 ……エエかリーブ、ボクらは運命共同体や。生きてこっから出るためには、協力せなアカン』
「それは分かりますが……」
『したら悩む必要なんてあらへん。……んじゃ、さっそく始めよか』
「ちょっと待って!」
 思わず声を大きくしてしまったリーブは、相変わらず周囲を気にしながら口元に手を当ててこう続けた。
「そもそも私は今、“操作”をしていない筈なのに……?」
『アンタ、さっき夢中で飛び出して来たやろ? よう分からんけどあん時、発露したんやろな』
「……発露?」
 まるで初めて聞く言葉に反応する子どものような顔を向けるリーブに、ケット・シーは得意げに言って見せた。

『せや、これがアンタのホンマの能力や。
 ……ボクは生きとる、操作されとるだけの人形とちゃうで』

 その言葉にはっとする。
 幼い頃からいつの間にか身についていた不思議な力は、本人が思っている以上の可能性を秘めた能力であったことを、今になって知る。
 いや、正確に理解できたとは言い難いのだが。

 ――「止めて下さい、当たったら死んでしまう!」

『さっきのアンタ、ボクを守りたい一心やったやろ? その集中力の賜やで』
 確かにそう叫んでいたのかも知れない、とっさの出来事で自分でも良く覚えていなかった。ただ、なんとなく言われてみればそんな気もする。
『あんな、ボク平和主義やねん』
「分かってます、軍事転用なんてされたら困りますからね」
『それとな、科学部門も嫌いや。実験材料にされるんは堪忍な』
「ええ」
 姿無き狙撃者から銃口を向けられる中で、穏やかな笑みを浮かべ頷き続ける主を不思議そうに見上げながら、ケット・シーは言った。
『ドラム缶地帯を抜ける妙案があるねん』
「あなたがオトリというのは無しですよ」
 ぬかりなく釘を刺しておく。しかしケット・シーはこう続けた。

『……新しいケット・シーがきても、ボクの事覚えといてくれたらそれでエエ』

 するりとリーブの腕から抜け出て、彼はコンテナに上った。それを追いかけようと立ち上がったリーブを遮るように、背を向けたまま手を振り下ろす。
『ちょい待ち! さっき言うたやろ? ボクは死にたないんや。ボクとアンタは運命共同体、そう言ったの聞いとらんかったか?』
 その言葉にリーブは首を大きく横に振った。そんなことは分かっている、むしろ話を聞いていないのはケット・シーの方だと反論しようとした。
 しかし、背を向けたままのケット・シーはこう続ける。

『……アンタが生きとる事が、ボクの生存の第一条件や。忘れんといてな』

 その言葉がまるで合図であるかのように、銃撃は再び開始されたのだった。
 ケット・シーの言葉と、同時に再開された銃撃によってリーブの反論は完全に封じられてしまった。
 容赦なく浴びせられる銃弾の的になるのはケット・シーだった。もちろん、そのことは彼自身も承知している。だからリーブから離れるようにして逃げ回った。小さな身を活かして、銃弾の隙間を縫うように、とにかく逃げ回る。その間に、リーブがドラム缶地帯を突破し出口の扉を開放してくれればいい。
 ケット・シーの狙いは、その1点のみだった。
『エエかリーブ、ボクとアンタは運命共同体や。せやけど同じモンやない。
 ……分かるか? 別の個体なんや』
 逃げ回りながらケット・シーは声の限り叫んだ。
 彼がアホだと言うリーブならばおそらく、ケット・シー自身に危険が及んだ時には“操作”して来るだろう。ここで言う“操作”とはリモコンの類で行うものではない、自身の感覚の一部を共有しての同調操作だ。しかしそれではリーブの命まで危険にさらされてしまう。そのリスクを負ってでも、彼なら“操作”しかねない。だからアホなのだ。
 そうとは分かっていても、感覚を共有したままではリーブを無用の危機にさらすだけだ。
 だから、そうさせない為にケット・シーは叫び続ける。
『痛みまで共有したらアカン、切り離して考えなアカンで。ボクの痛みと、アンタの痛みは別モンや』
 幸か不幸か発露してしまったその能力を、けれど使いこなせなければ互いの身を滅ぼすだけなのだ。
 せっかくもらった生命なのに、こんな場所で短すぎる一生を終えるのは本望ではない。

『リーブ! 聞こえとるか〜?
 アンタはいつか、本当にボクの力を必要とする時が来る、絶対や。
 エエか、今はそんためのチュートリアルや!! しっかりせなアカンで〜』

 この言葉が現実になるのは、それから間もなくのことだった。

***

「あいつら、命を投げ出して黒マテリアを手に入れるくらいなんでもない。」

 耳に当てたイヤホンから聞こえてきたのは、深い溜め息と共に吐き出されたクラウドの声だった。
 そこは古代種の神殿。
 ケット・シーは神殿の外で、リーブは神羅本社ビルの一室でこの会話の一部始終を聞いていた。ここで下すべき決断は1つしかない。それでも、リーブは実行命令をためらった。
『おいリーブはん、……なにボーッとしとんねん』
 脳裏に直接聞こえてくるのはケット・シーの苛立ったような"声"だった。それはリーブを捲し立てるように次々と続く。
『状況的にどう考えてもボクしかおらんやろ?』
「……それはそうなんですが」
『アンタが“操作”せんなら、ボクが行くで?』
 リーブは返答をためらった。声に出さずとも、心が決断をためらっている。業を煮やしたケット・シーは自律行動で通信機器を操作し、神殿内のクラウドに呼びかける。
『ボクのこと忘れんといてほしいなぁ……。クラウドさんの言うてることは、よお分かります』
 いったん自律行動を始めたケット・シーは制御しきれない、それがリーブの能力の利点であり弱点だった。
 あの訓練の日以来、ケット・シーの自律行動――言わば機転によってリーブは何度も救われていた。
 だからこそ、この先に続くであろうケット・シーの言葉を遮ろうとした。その一方で、どうにもならない事も分かっていた。
 それでも彼の思いは行動に表れた。机に両手をついて勢いよく立ち上がったリーブの脳裏に、ケット・シーの明るい“声”は残酷なまでに響いたのだった。

『この作りモンの体、星の未来のために使わせてもらいましょ』

 投げ出された椅子が激しい音を立ててフロアに転がった。
 リーブは何も言えなかった。声に出すことも、思いを訴えることすらも出来なかった。
 黒マテリア入手の重要性、スパイという立場、魔晄都市開発に関わった人間として貫いてきた信念と、一方で抱く星への思い。それに――なによりケット・シーは……生きている。
 それらの感情や思いが複雑に絡み合って、リーブから言葉を奪う。
 ただ一つ、はっきり分かることがあった。
「私も……“あいつら”と同じですね」
 誰もいない薄暗いフロアの中でひとり呟いて俯き、自嘲気味に笑った。
 命を投げ出してまで、黒マテリアを手に入れる。「分身」達はねじ曲げられた生命。捨てられるために生まれた命――命を物として扱う研究を続けていたと噂に聞く科学部門を、どうしても好きになれなかった。統括の宝条とは重役会議の席上でも言葉を交わすことはほとんど無かった。
 しかし、結局はあれだけ嫌悪を抱いていた“あいつら”と、自分は同じ事をしようとしている。
 それは命を物として扱うのではなく、物を命として扱った結果、生まれた擬似的な葛藤に過ぎない。
(…………)
 それ以上、リーブは言葉を紡げなかった。
『ほんな、任せてもらいましょか! みなさん早う脱出してください。出口のとこで待ってますから』
 自律行動を続けていたケット・シーの意識は“声”として、相変わらずリーブの脳裏に直接聞こえてくる。どうやら先方との交渉は上手くいったらしい。
 まるで他人事のように考えていた。


『……クラウドはんらが戻って来るまでもーちょい時間があるさかい、やれることやってしまおか?』
 リーブに向けられたその呼びかけにも、答えはなかった。
 別に声を出して返事をする必要はない、両者の意識は共有化されている。本来はそれを元に“操作”するのがリーブの能力なのだ。
『アンタの悪いクセは相変わらずやな。ボクが言うのもおかしな話かも知らんけど、まったく難儀な性格しとるで』
 リーブからの返答はない。
 ませた子どものような口調でケット・シーの言葉は続く。
『あんなリーブはん、ボクがここにおる理由は自分でよお分かっとるねんで? アンタが何をためらうねん。
 黒マテリアを手に入れる。今はそれが最優先課題や』
「そんなことは言われなくても分かってますよ」
 ようやく返されたリーブからの返答に、ケット・シーは密かに安堵した。
『なら悩む必要なんてあれへんがな。何ウジウジしとんねん』
「なっ……!?」
 リーブの姿はまるで、子どもにケンカを売られて本気になる大人のそれだった。作った拳を振り上げた時、我に返って大人げないなと反省し、そのまま手を下ろし再び机に両手をついて項垂れる。
 ケット・シーはどうやらそれを“見て”笑っているようだった。
 ひとしきり笑った後で、こう言った。
『アンタが思とる以上に、ボクはアンタの事をよぉ〜く知っとるねんで?
 アンタはミッドガルのため、この都市に住む人達の為なら命張る覚悟やろ? それと同じや』
 リーブはその言葉を素直に聞き入れることができなかった。果たしてそれが「覚悟」と呼ぶような大げさな物なのだろうか? と。
『自覚しとらんだけや。ホンマに難儀な性格しとるでアンタ』
 リーブからの返事はなく、しばらくの間“交信”は途絶える事になる。
 これから死地へ向かう、だからそれでも構わないとケット・シーは思った。

***

 「がんばって」やって。……なんや嬉しいなぁ。

 なあリーブはん。あの日の事、覚えとるか?
 ……もちろん、アンタが初めてボクと会うた日の事や。
 結局あの後、ドラム缶地帯越えたまでは良いけど無茶な“操作”しよって気絶したやろ?
 あんだけ忠告しとったのに、「ボクとアンタの痛みは別モンや」って。
 調子こいて慣れん事するからや。
 けどな、ホンマは嬉しかったで。

 最後まで一緒やって、張り切って“操作”してそんで気絶しよった。
 医務室でひっくり返っとった時は笑たな。

 声に出さなくても、隠そうとしても、分かってまうんや。
 ホンマは誰の血も、誰の涙も見とうない。
 そんために歯ぁ食いしばってるんやろ?
 アンタはがんばっとる、「がんばれ」って言われてもないクセに、がんばり過ぎなんや。
 ……ボクなんもでけへんけど。
 せやけどこれだけは覚えといてほしいんや。

 アンタが生きとる事が、ボクの生存の第一条件なんや。
 ボクは、アンタのお陰でここにいるんやで。

***

『いててて……』
 バランスを崩してデブモーグリごと回廊の真ん中でひっくり返った。視界の上下が反転し妙な景色が広がる。
『……どないなったんやろか?』
 そこで、ケット・シーは思いがけない声を聞いた。
「……案外、集中力が要ること。ご理解いただけましたか?」
『うおっ!?』
 意識への干渉――リーブが“操作”を再開したと分かった。彼は笑いながらこう告げる。
「あれこれ余計なことを考えていたでしょう?」
『余計な事やないで!』
 即答してみたが、リーブは笑うばかりで取り合ってくれなかった。体勢を立て直そうと、ふたりは同時に手を動かしてみる。
 最初はケット・シーが単独で地面に手をついて立ち上がろうとしたが、力不足なのか自身の重量を支えきれず立ち上がれなかった。そこへ別の力が加わる。ちょうど、横合いから補助を受けているような感覚に近かった。それはリーブの“操作”によるものである。
 単独では不可能な事も、リーブの力を借りれば可能になることがある。それをケット・シーは、表現できない喜びとして感じていた。
 無事に立ち上がったケット・シーが、今度はデブモーグリを操作してその上に跳び乗った。

『まだ動けるようやな』
「まだ動けるようですね」

 それはとても妙な感覚だった。操作しながら会話を交わす。自分であって自分ではない感覚。誰に打ち明けたところで理解はしてもらえないだろうけれど、確かに現実なのだ。
 以前にケット・シーが語った言葉を借りるならば、文字通り「共同体」だ。自分一人の力では成し得ない事でも、ケット・シーの力を借りれば可能になることがある。それを今、リーブは実感していた。
 こうして壁画の間に到達すると、壇上に安置されている神殿模型と対面する。
『これやな!』
 古代種の残した巨大なセキュリティ・システム――安易な侵入を防ぐための防壁、侵入者を排除するための様々な仕掛けを施した神殿内部、意識のみとなった今なお任に就く守衛――その中でも、最後にして最大の仕掛けがこの模型だった。
 ケット・シーにとって、ここが最後の場所になる。
『……リーブはん。こっから先はボクひとりでも大丈夫やで。一応、スペシャルな知能内蔵やし』
 ケット・シーは単なるぬいぐるみではない。リーブ以外の人間にも“遠隔操作”が可能なように超小型のコンピュータが内蔵されている。皮肉にもこのことが、対外的にリーブの“能力”をカムフラージュしてくれていた。
 最期――別れるときは笑顔でと決めていた。だから、なるべく明るい口調で言った。少なくともケット・シーはそのつもりだった。
 しかしリーブはあっさりと拒絶する。
「都市開発部門統括……いいえ、一技師として。この古代種の神殿は大変興味深いものです。あなたがなんと言おうと最後まで同席させてもらいますからね」
 半分は本心から出た言葉だった。それを受けてケット・シーが感心したように周囲を見回しながら呟いた。
『古代種さんたち、こんなシカケよう作りはったなぁ〜』
 そのうち半分はリーブの、半分はケット・シーの思いが言葉として現れた。
 それから模型を手に取る、まるで精巧に作られたオモチャのようだった。幼い頃にこれと似たようなオモチャで遊んだような気がするが、よくは覚えていない。後になって知ったことだが、そのオモチャは建築家が発案した物らしい。これも何かの縁なのかも知れないと、そんな取り留めもないことを考えながら主にリーブの“操作”でパズルを解いていく。時折、行き詰まった時にはケット・シーが手助けしてくれる。自身曰くスペシャルな知能内蔵なので、その辺はお手の物と言うわけだ。
 夢中で作業を続ける中、ケット・シーはこんな事を口にした。
『ボクもこの星を守るんや! なんや、照れるなぁ……』

 ――だから。
    パズルを解くと、その人はこの神殿
    ……いいえ、黒マテリア自体に押しつぶされちゃうの。

 その瞬間、古代種の唯一の生き残りであるエアリスの言葉が脳裏に過ぎった。
 リーブはためらいがちに告げる。
「……こんな役を押しつけてすみません」
 動かす手を休めずに、ケット・シーが答える。
『謝る事ないで。ボクが言い出したことや。
 それになボクは、アンタに感謝しても恨むことなんてあれへんで?』
「……そんな事を言われたら、寂しくなるじゃないですか」
 リーブはそう言って力なく笑った。
『だってそうやろ?
 アンタは、こんな面倒な能力持ってしまって難儀するやろうけど、自分を生んだ両親を恨んだりはしとらんやろ? ボクがアンタを恨まない理由もそれと同じやで』
「…………」
 目の前にある最後のパーツをはめ込めば、パズルは完成する。圧迫感はそれほど感じなかったが、神殿そのものは着実に縮小を続けている。
 しかし、パズルの完成を目前にリーブの手は止まった。模型パズルから目を逸らそうとするリーブを制したのは、ケット・シーだった。
 目を逸らしたらアカンで――まるでそう言っているようだった。それでも干渉を続けるリーブに、気絶するなよと苦笑気味に呟く。
 最期――別れるときは笑顔でと決めていた。

『この同じボディがようさんおるんやけど、このボクは、ボクだけなんや!
 新しいケット・シーが仲間になっても、忘れんといてな! ほんな……行きますわ!』

 ケット・シーは手を伸ばし、再び模型パズルを取り上げた。
 最後のパーツを組み、静かに元の場所へと戻す。
 轟音と共に神殿自体が揺れ始め、役目を終えたことを悟り最後の時を迎える。

『しっかり、この星を救うんやで〜……!!』

 その思いをリーブに託し、古代種の神殿と共に役目を終えたケット・シーは、こうして短い生涯を閉じたのだった。


―TUTORIAL<終>―



 
[DCFF7[SS-log]INDEX]
 
* 後書き(…という名の言い訳)
 ここまでお読み下さって有り難うございます。

 ・リーブのリミット技“インスパイア”の発現
 # ここでは通常時の能力が「物体の遠隔操作」であって
 # リミット技発動で「生命を吹き込む」という仕組みと解釈してます。
 ・ケット・シー1号機との出会い
 ・古代種の神殿にて、エアリスの「がんばってね」以降一連の遣り取りは、ふたりの会話だった。

 ……という、妄想。
 思うんですが、FF7とDCFF7ではケット・シーの言葉遣い(言い回し?)が微妙に違っている気がします。この文章の前後(戦闘訓練施設内/古代種の神殿)で微妙に違ってしまったのはこのためです。(この辺は完全に言い訳です)