杉並「住基ネット裁判」報告(18)控訴審判決 2007年11月29日
1.控訴審でも杉並区敗訴
杉並区が提訴した「住基ネット受信義務確認等請求訴訟」の控訴審判決言渡しが、2007年11月29日13時15分から東京高等裁判所第825号法廷で行われました。
判決は「杉並区の控訴及び杉並区の東京高裁における追加請求をいずれも棄却する。控訴費用は杉並区の負担とする」という、杉並区敗訴の判決でした。
この裁判で杉並区が求めたのは2点です。
(1)都に対し「横浜方式(段階的参加)」による住基ネット送信の受信義務確認請求
(2)国・都に対する国家賠償請求
これに対し国・都は、いずれも「法律上の争訟」に当たらない不適法な訴えとして却下を求めていました。
2006年3月24日の東京地裁判決は、(1)については、杉並区の主張するような自己の権利利益の保護救済を求める訴訟とは認められず、行政権限行使のためのものであり、「法律上の争訟」に当たらず、このような訴えを認める法律の規定もないから、不適法と却下しました。また(2)については、権利財産にかかわる訴えとして訴訟自体は適法と認めつつ、住基法には本人確認情報の選択的な送信を認める規定はなく、送信を希望しない区民について送信しない取り扱いは違法であり、都には違法な送信を受信する義務はなく、損害賠償請求は理由がない、と棄却しました。
東京高裁もこの判決を踏襲し、都への受信義務確認の訴えは法律上の争訟に当たらないから不適法であり却下を免れず、国賠請求は追加請求を含め理由がないから棄却すべきもの、と判断しました。
なお判決要旨と判決文は、杉並区サイトの「住基ネット訴訟」>「東京高裁判決」のページに掲載されています。
2.効率性のみを重視し、住民サービスを軽視した住基ネットの評価
東京高裁の住基ネットへの評価は、地裁判決と同様です。杉並区は住基ネットが住民サービス向上にも事務の効率化にも役立っていないことを具体的に指摘しました。そして便益よりプライバシーを重視する非通知希望者に対してまで参加を押しつけることはできないと主張してきました。
しかし東京高裁はなんら住基ネットの現実を検証しませんでした。そして住民の一部に不参加があると国の機関等は従来のシステムや事務処理を残さざるを得ず、不参加者にはネットワーク以外の手段で事務に必要な住所氏名などを提出させることになり、行政コストの削減を図るという住基ネットの目的は達せらず、また市町村における住民基本台帳事務の効率化も著しく阻害される(26ページ)と断定しています。
住基ネットは行政サービスの向上と行政事務の効率化のために導入された、と述べながら、住基カードが普及せず住基ネット利用が低迷している中で、不参加により「行政サービスの向上」が損なわれるとはさすがに言えず、「行政事務の効率化」のみを強調しています。しかし実際には住基ネットを使っても、電子申請はその他の書類も提出しなければ手続きができないために普及していません。また国等の機関での最大の利用事務である国民年金の現況届廃止でも、在日外国人や在外日本人は引き続き現況届提出が必要であるばかりか、データの不一致により受給者の2割も現況届が引き続き必要となっていました。結局、住基ネットを使っても「従来のシステムや事務処理」は残さざるをえないのが現実です。
高裁判決は東京地裁と同様に、単に法律の条文だけをみて現実を見ず、はたしてプライバシーを犠牲にしてまで強制する必要が住基ネットにあるのか、という判断を回避しています。
3.本人確認情報の要保護性は認めつつ、自己情報コントロール権は否定
杉並区は控訴審において、住基ネットをプライバシー権を保障した憲法13条に適合させるためには非通知を認めるよう主張してきました(合憲的限定解釈)。
高裁判決は「本人確認情報」については、「個人の氏名,出生の年月日,男女の別,住所の4情報と住民票コード及びこれらの変更情報であるところ,これらが第三者に開示されるときは,個人が特定され,その結果,個人の私生活上の平穏が害されるおそれが生ずるから,個人のプライバシーに関する情報に当たり,法的保護に値するものということができる。したがって,住基ネットの稼働によってこのような利益が侵害され,又は侵害される可能性がある場合,これによって生じた損害の賠償又は住基ネットの運用の差止めの可否等が問題となる」(31〜32ページ)と、プライバシー性を認めました。
東京地裁判決も「個人的な情報をみだりに収集、開示されないという利益については、その限度で法的保護が認められるべきである。」(東京地裁判決81ページ)とはしていましたが、4情報は従前から何人も閲覧・交付を求めることが可能であり、住民票コードは私生活上重要なものではなく、完全に秘匿される必要性が高いものとはいえない、として、本人確認情報の要保護性は軽視していました。この点では、高裁判決の方が若干前進しています。住基法が改正され公開制限されるようになったことを反映したのか、大阪高裁判決の影響か、あるいは憲法上のプライバシー権保障を前面に出した杉並区の主張の反映でしょうか。
しかし「自己情報コントロール権」については、高裁判決も地裁判決と同様、次のように否定しています。
「個人のプライバシーに係る利益が法的保護に値する人格的利益であり,憲法13条により尊重されるべきものであること,高度情報化社会の今日において個人情報保護の見地からプライバシーに係る利益を発展させた形での自己情報コントロール権が主張されていることが認められるが,プライバシーの法的保護は,みだりに私生活に侵入されたり他人に知られたくない私生活上の事実又は情報を公開されない利益であるということはできるものの,控訴人が主張するプライバシー権という権利は,いまだこれが認められる外延も内包も不明確であり,不確定な要素が多く,その内容としての個人情報の保有及びその収集,処理を制限するよう求める権利を憲法13条から直ちに認めることはできない。」(30ページ)
最近の住基ネット違憲訴訟では、憲法13条にもとづきプライバシー権を認め、自己情報コントロール権も事実上その一部として認める判決がされていましたが、東京高裁判決は自己情報コントロール権を認めていません。そればかりかプライバシー権そのものについても、憲法13条にもとづく権利と認めていないとも読める判決文になっており、かなり後退した内容になっています。
4.自治体の裁量をいっさい否定
地裁判決に比べて高裁判決のもっとも大きな問題は、住民のプライバシーを守るための自治体の措置を全く認めていない点です。
「市町村長は,住民が通知を希望しているか否かを問わず,都道府県知事に対し,漏れなく当該住民に係る本人確認情報を送信する義務があるといわなければならず,通知するかしないかにつき裁量の余地は全くないから,これを怠った市町村長の行為は違法といわざるを得ない。」(26ページ)
この点は東京地裁判決も同様です。
しかし高裁判決は、個人のプライバシーが住基ネットにより侵害された場合には損害賠償や差止めが問題となるとしながら、それは「侵害されたと主張する当該個人が地方公共団体等を相手に法的救済を求めた場合に判断されるべき事柄であり,被控訴人東京都が控訴人に対し,送信された通知希望者に係る本人確認情報の受信義務を負うか否かの判断に影響を及ぼすことではない。」(32ページ)と、自治体として争う可能性を全く否定しました。
また住基ネットの目的や必要性がプライバシー権を犠牲にしてまで達成すべきものかや、個人情報保護法制上の不備、名寄せの危険性、独立・公平な第三者機関が設置されていないこと、など、杉並区が主張してきた住基ネットの違法性についても、すべて個人が法的救済を求めた場合に判断されることだとして、そもそも自治体が主張することではないと、高裁としての判断を全く示しませんでした。
さらに「第3 3 (2) イ 住基法30条の5第1項について違憲又は違憲の疑いがあると判断した場合の地方公共団体の対応」では、単に「横浜方式」での受信義務についてだけではなく、以下のように自治体が憲法に照らして法解釈すること自体も否定する暴論を展開しています。
「市町村のみならず,都道府県や国の行政機関は,当該法律が違憲又は違憲の疑いがあると考えたとしても,それが改廃されるか,又は裁判所が法令審査権に基づいて違憲であるとした判決が確定した場合でない限り,唯一の立法機関である国会が制定した法律を誠実に執行しなければならないのであって,このような法執行者としての立場を逸脱した事務処理を行えば法秩序が混乱を来すことは明らかである。このことは,住基法に基づく住民基本台帳事務についても全く同様である。」(28ページ)
杉並区は、法律を執行しないと主張してはいません。憲法や個人情報保護法制をふまえた法解釈をし、住基法が定める首長による住民情報の管理責任を果たすための措置を求めているにすぎません。「法秩序が混乱を来す」と判断すれば、地方自治法に基づく是正要求の手続きもあります。この判決は地方自治法改正の趣旨もふまえず、自治事務に対する自治体の法令解釈を否定しています。
「ある地方公共団体がそこから離脱することはもちろん,一部の本人確認情報のみを送信することを容認するならば,住民の利便の増進及び行政事務の効率化という住基法の目的を達することはできない」(28ページ)
そもそも住基ネットが国民の総スカンにあって「住民の利便の増進及び行政事務の効率化という住基法の目的」を達成できていない現状を全くふまえない、一方的な断言です。
そして本人確認情報の送受信により個人の憲法上保障された権利が、「侵害されるおそれがあると判断した」場合だけでなく,侵害されたと判断した場合でも,市町村が非通知希望者の本人確認情報を送信しないという事務処理を行うことは許されない(28ページ)とまで述べています。
個人情報保護法は第5条(地方公共団体の責務)で、「地方公共団体は、この法律の趣旨にのっとり、その地方公共団体の区域の特性に応じて、個人情報の適正な取扱いを確保するために必要な施策を策定し、及びこれを実施する責務を有する。」と定めています。
プライバシーが現実に侵害された場合でも防止措置をとることはできないというのでは、自治体がこの責務を果たすことはできません。
Copyright(C) 2008 やぶれっ!住基ネット市民行動
初版:2008年02月09日
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yabure/suginami01/court18.html