オーディオ雑感 
        

1.音楽を聴くなオーディオ装置
  は何でも構わない
2.オーディオによる音楽再生
  は芸術活動である
3.オーディオ装置は何がいいか

4.日本人と欧米人とではヴァイ
  オリニストの音色が違う
5.中古オーディオ製品
6.
オーディオマニアは音楽を聴かずに音を聴
  いているだけではないか

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1.音楽を聴くだけならオーディオ装置は何でも構わない

音楽を鑑賞するだけならオーディオ装置は、音が鳴ればどんなものでもかまわないだろう。ラジカセCD、CDウォークマン、10万円程度のシステムコンポでも音楽は充分鑑賞できる筈だ。こうした装置で多くの人が音楽を十分楽しんでいる。
 しかし、どうせ聴くならもう少しましな音で聴きたい。 そこで近くのオーディオ店に訪れる。予算30〜40万円程度の予算で店員の勧めにより、スピーカー、アンプ、CDプレイヤー、FMチューナーなどの単品コンポを購入。早速音を出してみる。やはりラジカセとは大分音が違うなと感心する。
 通常なら、音については大体この程度で満足し、もっぱら音楽ソフトの充実に努めるだろう。しかし、音質に少しこだわるうちに、購入して数年経過後、自分の装置に何か物足りなさを感ずるようになる。
 オーディオ雑誌を見ると、魅力的な音のする装置の記事や写真が一杯記載されている。数軒のオーディオ店を覗き、いろいろのシステムを試聴するようになる。自分の装置と比較して何と素晴らしい音がするではないか。値段も立派だ。だが、今はとても買えないとあきらめる。
 でも未練がのこり、他のものの購入を犠牲にし、極力節約に努めて念願のスピーカーを購入。しかし、店で聴いたような良い音がなかなか出てこない。やっぱりアンプが違うからかなと、次はアンプのグレードアップに頭を悩ませる。数年後、アンプを取替えてみる。少しましな音が出るようになったかなと。

 たまには生のコンサートの音を聴きに行く。そして自分の装置の音に、また不満が出てくる。ベートーヴェンの第9の独唱部分ではないが、「おお友よ、こんな音ではない」と。
 オーディオ地獄に陥ったオーディオマニアにとって、コンサートホールの生の音の再現は果てしない夢である。

   
2.オーディオによる音楽再生は芸術活動である
 これまで多くのオーディオマニアの自宅や各地のオーディオ店、信州や山梨の音楽ペンションへ訪れ、自慢のオーディオ装置を聴いてきた。その際は、必ず日頃聴いている音質のいいと思うCDソフトを持参し、このCDがどの様な音が聞こえてくるかを試してきた。
 この体験で感じたことは、同じCDが決して同じ音にならず、音の良し悪しは別にして、その人の好み、感性により全く違った個性のある音に聞こえてくることである。
 見た目は立派で高価な装置が必ずしも感動する素晴らしい音に聴けるとは限らない。ある程度の費用はかける必要はあるが、要はその装置をいかに上手く使いこなすか。その人の感性、テクニック、好み、聴く部屋の環境、好みなどによって音は様々に変わってくる。
 ある意味でオーディオ再生は楽器を演奏するのとよく似ているのではないかと思われる。CDやレコードなど音楽ソフトは楽器演奏における楽譜であり、オーディオ装置は楽器である。聴く部屋はコンサート会場である。オーディオ装置を鳴らす人は楽器の演奏家であり指揮者でもある。
 オーディオマニア(演奏家)は人に感動する音創りのために装置(楽器)を選び、装置の設定場所(楽器の配置)に苦労し、装置を結ぶインターフェースの調整(楽器間の繋がりを上手くまとめ)に注意を払い、音楽ソフト(楽譜)の音を忠実に再現し、感性を豊かに育てよい音(よい演奏)を聴かせるように努力し、聴く環境(ホール)を整備する。
 こうしてオーディオマニア(演奏家)は同じソフト(楽譜)でも個性のある音楽を創り出していくのである。人に感動を与えるかどうかはオーディオマニア(演奏家)の能力であり、日頃の努力と個性豊かな感性でもある。
 オーディオマニア(演奏家)音色、音の深み、響き、柔らかさ、艶やかさ、厚み、静粛感、透明感、伸びやかさ、バランスなどを自由にコントロールしてその人独自の音を創り上げていく。   音楽を単に受身的に聴くのでなく、能動的に美しい音を創り上げて人に感動を与えるという意味でオーディオ再生はまさに「CD、レコード芸術」である。
 著名なオーディオ評論家の菅野沖彦氏が「レコード演奏家」という表現を使っている。彼は「レコード演奏家論」の中で「楽譜もレコードも記号や信号の記録物で、それ自体音楽ではない。音楽の生命を蘇生させるには、それを音に変える演奏家によらなければならない。演奏家が楽譜を正確に音に変えるには技術の練磨に努力することは勿論であるが、正確な演奏だけでは人に感動させることは出来ない。名演奏家は楽譜を通して作曲家の精神まで洞察し、表現することに努力する。レコード演奏家も最高のレコード演奏が生まれ得る環境創りに努力することを生き甲斐として、作品の魂に触れて感動することを求めてレコード再生をする。演奏家が広く音楽を学び、楽譜に忠実な演奏をすることに努力するように、音楽の教養とオーディオの技術知識のバランスを培い、理想を追求する謙虚な姿勢でレコードを忠実に再生する姿勢が大切である。その集中力が個人の感性や審美眼と相俟って、個性的な音楽表現が生まれてくることになると思う」と述べているが、まさにその通りだと思う。
     

3.オーディオ装置は何がいいか
 「オーディオ装置は何がいいか」という質問を知人から受けることが時々ある。しかし、この質問に的確に答えることは、なかなか難しい。何故なら質問者のオーディオ暦、主に聴くジャンル、音の好み、装置のデザイン、予算、設置場所の環境などによってその答えも変わってくる。 たとえ相手の状況がある程度判ったとしても全てが判るわけではない。殊に人の好みは難しいものである。
 こうした問い合わせを受けた場合には、相手の状況をある程度問い合わせし、自分の知っている範囲内である候補を出してみる。しかし、一番いいのは数軒のオーディオ店を紹介し、そこに行って装置を実際に見て、聴いてみることを勧めている。
 店頭で実際に自分の目で装置を見て、自分の耳で音を聴き、その人の好み、予算、部屋の大きさに合ったものを探してみるのが一番いいからである。
 ただし、1軒だけでの判断では、その店の店員に上手く丸め込まれる可能性もある。出来たら2,3軒の店頭に訪れ、充分納得のいくまで試聴してみることである。
 

 オーディオにある程度詳しい人からも、この装置はどうかとの質問を受けたことがある。この場合は、それに上手く答えるのは特に難しい。往々にしてその人がある程度その装置に興味を持っており、その確認のため、またはその購入の決断の後押しが欲しくて他の人の意見を聞いてみようとの考えによる質問がよくあるからである。自分もこれまでこの様な質問をオーディオ仲間にしたことがあり、マニアの心理が何となく判るからである。
 この場合でもオーディオ雑誌や人の話だけで判断するのではなく、出来るだけ実際に数軒の店で自分の耳により確認するように提案している。出来るならその装置を借りてみて、自分の家で実際に試聴してみるのが一番確かだろう。高価な装置の場合には特に言えることである。オーディオメーカーや輸入代理店は試聴用に貸出し機器を用意している場合が多い。

 オーディオ雑誌は勿論、レコード芸術など音楽雑誌にもオーディオの新製品紹介記事や推薦記事が掲載されている。これらの記事も参考にはなる。その製品の音の傾向、特徴、形状をその記事からある程度掴むことは出来る。しかし、評論家の意見は往々にしてメーカーの太鼓持ち的な記事が多い。最後は自分の耳と目で確認するのが肝要である。

 カタログを取り寄せ、雑誌の記事を読み、人の意見も聞き、店頭やオーディオ・イベント等でその製品の音を聴き、あれこれ、いろいろ装置を選択する過程は楽しいものである。
 これもオーディオの一つの楽しみかもしれない。「ステレオサウンド」というオーディオ誌を見てみると、高価な製品が毎号紹介されている。一体、誰がこんな高価なものを購入するのだろうかと驚く。しかし、多くの読者は記事や広告を見て楽しんでいるのだろうと思う。いつかはこんな製品が手に出来たらという願望、夢。その製品の音を聴いたわけでもないのに、その記事を読んでその製品の音はこういう音がする講釈をいうマニア、店員も多いのではないだろうか。

オーディオに拘らず、物事の判断で大事なことは、基本的に現場主義である。実際に見て、聴い
て確認することが大事である。
 

4.日本人と欧米人とではヴァイオリニストの音色が違う
 という話をクラシック音楽やオーディオに詳しい知人から聞いたことがある。彼が言うには「日本人のヴァイオリニストの音は個性が少なく淡白だ。それに対し欧米人の場合は音が艶やかで深みがある」とのこと。
 そこで、私の所有する音質の優れたCDで、五島みどり、諏訪内昌子と、アンネ・ソフィー・ムター、ヒラリー・ハーンの音を聴き比べてみると、その音色は何となく違うように思われる。
 私には演奏が上手いかどうかはよく判らないし、音色の違いもよく説明できないが、私の考えでは、日本人は生真面目で楽譜に忠実に弾くように教えられているに対し、欧米人は単に楽譜通りに弾くだけでなく、その音楽観や風土特有な個性的なものに影響されているのではないかと思う。

 この違いはオーディオにも当てはまるのではないかと思う。日本製の装置と欧米の輸入製品とでは、その音色に微妙な違いがする。特にスピーカーで顕著であるがアンプやケーブル類でも同様なことがいえる。
 日本製は周波数特性とかS/N比、高調波歪率ほか測定器データでは輸入品より優れているかもしれない。しかし、輸入製品は、殊に高級品において、測定器データより、むしろ試聴する人のヒヤリングでの価値判断により音作りをしているのではないかと思う。日本製が客観的データ重視により平均的で、面白みに欠ける音になる傾向となる。それに対し欧米品は主観的、個性的であり面白みのある、味のある、音楽性に富む音作りをしていると思う。
 別の見方をすると、日本人の考え方、価値観ではオーディオ製品は再生機でありCD、レコードなどソースに対し忠実で素直に、特有な音色をつけない音つくりを心がけしているのでないかと思う。これに対し欧米人の考え方は、オーディオ製品といえども一つの楽器であり、装置から出てくる音を楽しむという考え方から個性的な音作りにより固有な音色を強調している傾向がある。
 以上の観点から、オーディオ装置の音には、その製品が作られた国の固有な音色が何となく感じられる。アメリカ製品は明るく力強く躍動感に富み男性的でもある。イギリス製品の音はやや暗く陰影が感じられるが、艶やかでしっとりとしてウエットでもあり、エレガントな音を特徴とする。スイス製品は緻密で透明感のある音だが、冷たさもなく大変綺麗で滑らかな音が感じられる。イタリアはクレモナのヴァイオリンで有名な国であり、その音色はヴァイオリンの音色のように艶やかで明るさもあり独特な音色がする。フランス製品は華やかで色彩感のある音かと思う。ドイツ製品はやや陰影があり重厚な感じもする。
 日本製品は色つけなく自然だが個性が少なく、輸入製品にはその国特有な個性があるあると述べたが、この様に感ずるのは日本人の感じ方かもしれない。往年の著名なオーディオ評論家だった瀬川冬樹著「オーディオの系譜」という本には次の記述が出てくる。『私は日本のスピーカーの音が最も自然で素直であり個性の少ないものであるのに対し、欧米の音は強い個性があり固有な色付けを感じ、そのように信じていた。ところが、欧米のオーディオ専門家達と話していると、彼らは「日本の音は個性的だ。ひどくかん高く、日本の伝統音楽や演歌の発声によく似ていて不思議な音色に聞こえてくる。日本製品で西欧音楽を再生するには西欧のナマの音楽を聴いて改良すべきだ」と言っている』
 この本を読んだ頃、当時、日本の名機といわれたヤマハの1000Mというスピーカーと、アメリカ製のJBLやイギリス製のタンノイのスピーカーとを聴き比べてみて、前記の記述が何となく判る気がする。
 日本のスピーカーが悪いというのではなく、それぞれの国特有な音への感じ方があるのであって、それが装置の音作りに反映されていると考えられる。ただ、海外製品には前記のように日本製品にはない何か独特の音色や魅力がある。
 オーディオの趣味からいうと、聴く人がその国の音色にひき付けられ気に入ればいい。それが日本製品であれ輸入製品であろうとも構わない。日本には世界各国から個性のある製品が入ってきており、聴く人の好みの音色により選定すればよい。言い換えれば、好みの音色のオーディオ装置を選び、その組合せにより、その人独自の音を創りあげることにオーディオ道楽の面白さ、楽しさがあるといえよう。


5.中古オーディオ製品
 近年、中古品が脚光をあびている。たとえば、名古屋市内のオーディオ店でも中古オーディオを取り扱うところが増えてきている。

 この要因として考えられるのは、オーディオ不況で新品がなかなか売れなく、中古品の方が販売の旨みがあるのではないかと思う。なお、ここで言う中古オーディオ製品とは中級以上のオーディオ製品であり、ラジカセやミニコンポのたぐいではない。
 中古品といっても、その種類もいろいろある。たとえば、現行製品でオーディオ店での展示処分品や下取り品。また、昔のオーディオ名機のいわゆるビンテージ品などである。この点は、クルマの販売と似ている。
 中古オーディオ製品の魅力は、何と言ってもその価格の安さだ。例えば現行製品の場合では、展示品で新品定価の70%以下、下取り品では半値以下となる。メーカー販売停止後、数年経過した製品の場合では、当時の定価の20〜30%位と考えられる。
 次の魅力としては、オーディオ史上に残る名機、いわゆるビンテージ品が手に入ることである。オーディオ・マニアの中には、新品販売の頃は高嶺の花でとても手にすることが出来なかった夢の名機が、現在、中古品ではあるが比較的容易に入手することができ、しかも廉価に求めることが可能となる。こうしたビンテージ品は海外製品に多い。
 一般的に良く出回る中古品はオーディオ店が新品を販売促進のために、ユーザーの使用中の装置を下取りする中古品である。オーディオマニアは音への終点がない。いい音を求めて更にいい音を求める。極端な場合では買って間もない製品に満足せずに、すぐに新しい別の製品に買い換える場合がある。最初に買った製品が決して悪いのではない。オーディオは趣味の分野である。その人には満足できないものでも、別の人には充分気に入る製品なのである。こうした中古品は現行品として充分通用する良品である。  
 展示品の場合には、販売先が在庫処分を急ぐ場合もある。オーディオメーカー或いは輸入代理店は小売業者に対し、展示品用としてある一定の台数を通常より安く販売するようだ。これを特定の客に展示品の名目で通常より安く販売することがある。いわゆる新古品である。通常で定価の90〜85%くらいのところを、全くの新品を展示品の名目で75〜65%で販売する店もある。こうした展示品なるものは非常にお値打ち品である。
 ビンテージ・オーディオ製品の場合は、ユーザーが最近の新しいデジタル対応の音を求めて、いわゆるビンテージ品を手放す場合である。アナログ機器や昔の真空管アンプやそれに対応した大型スピーカーなど海外製品に多い。場合によっては、ビンテージ製品のユーザーが亡くなり、その遺族がオーディオには全く関心が無く、遺族がオーディオ店に引き取ってもらうこともある。もっとも、時には粗大ゴミ的なものもあり、遺族方の引取り要請に対しオーディオ店を困らせた話も聞いたことがある。また、ビンテージ製品には販売業者が海外からの輸入ルートで調達することもあるようだ。
 ところで、中古品は音が劣化しており、キズもあって問題があるのではないかという心配もなくはない。しかし程度の良い中古品は、音は全く問題なく、時には、むしろ良くなっていることもある。
 オーディオ製品はエージングといって、ある程度使用することにより、音がこなれて良くなるものである。新品の場合には、購入して直ぐにいい音を出すのはなかなか難しいものだ。前のユーザーがいわゆる慣らし運転を済ませてくれているのである。
 中古品の性能に心配なら、購入先は出来るだけ信頼のおける店を選ぶことだ。信頼のおける店では、中古品でも1年保証すところもある。このような店では中古品の劣化した部品などを取り替えて品質上問題なく販売していることが多い。また、購入後、気に入らなければ、多少の値引きで引き取ってくれる所もある。
 しかし、中古品を購入する際は、出来るだけ自分の耳で充分試聴し、傷の程度も確認してみることである。 通常は、お目当ての中古品を店頭で試聴してくれるし、場合によっては自宅での試聴にその品を貸し出ししてくれ店もある。
 いずれにしても、他人の言葉を鵜呑みにせず、自分でその製品を充分確認して納得の上で購入することが肝要だと思う。


6.オーディオマニアは音楽を聴かずに音を聴いているだけのではないか

 ある音楽ファンから、次のような発言があった。「自分は,CDの中に入っている音楽をより良い音で聴く為に関心があるが一般のオーディオファンの興味はどうですか。」と
 誰しもオーディオ装置からいい音で聴きたいものであるが、オーディオファンこそ、まさにCDなどのソフトから、音楽をより良い音で聴くことに最も関心を払い、最高の音を求め苦労しているのではないだろうか。
 そのためにオーディオマニアという人種はオーディオ装置そのものをいろいろ取替え、その装置を結ぶコード類を選び、電源、並びに装置設置台、設置場所などに神経をはらい、またCD盤に何かしらの細工を施したり、音質の良いといわれるCDソフト選びにこだわる。人によっては、自分独自の音を求めアンプの自作に取り掛かる。このようにして、いい音を創り上げた時の喜びは格別である。

 音楽を楽しむ一つの手段であるオーディオの楽しみは、遠くのコンサート会場に行かなくても自分の家でくつろいで何時でも自由気ままに自分好みの音で聴くことにある。
 音楽ファンの中には、「オーディオマニアは音楽を聴くというよりは、むしろ音を楽しんでいるだけではないか、或いはオーディオ装置という物に集中して音楽そのものをよく聴いていないのではないか」と指摘することがよくある。多分、今回のご指摘もこのような点からなされたのかもしれない。
 確かにナマのコンサートを聴いている際でも、自分の装置の音と比較しながら、さすがナマの音は違う。低音の響き、音の広がりがオーディオ再生では無理かなと感じたり、この音の響きはややコモリ気味だと思いながら演奏を聴いていることがよくある。この場合は音楽そのものより、音に集中しているのかもしれない。でも、音楽とは、字の通り音を楽しむものだと考えれば、音楽の理論がよく判らず、音符も読めないオーディオマニアとしては音を楽しんで何が悪いかと自分勝手に解釈しているが。
 以前、何かの本に次のようなことが書いてあったことを思い出した。あるクラシック音楽喫茶店に一人の客が来て、ある曲を指定して音出しを要望。そこで、店の主人はその客の要望の曲を再生した。その客は最後までゆっくり聴くことなく、途中で結構だと言って帰ってしまった。その店の主人は、客が最後までその曲を楽しんで貰えるものと思っていたのに、途中で帰ってしまった客に対して苛立ちを感じたとのこと。
 多分、この客はオーディオマニアだろう。その店のオーディオ装置の音に関心があり、どんな音がするのか聴きたかったのであろう。オーディオマニアには、最後までその曲をじっくり聴くと言うよりは、あくまでもその装置の音質に興味を覚えることがよくあるからである。
 しかし、オーディオマニアといえども、自分の気に入った良い音楽はじっくりと良い音で最後まで楽しみたい。ただ、オーディオマニアの場合は、多分に普通の音楽ファン以上にその音楽の音にこだわって聴くのかもしれない。
 何もオーディオに限ったことではないが、趣味・道楽の類は、時には道具に凝るということがよくある。カメラファンなら写真を撮るだけでなく、カメラをいろいろ集めるコレクションマニアがいる。
 オーディオの場合でもいろいろな装置を集めることに興味を持つ人。古いビンテージ製品を収集して楽しんでいる人。アンプ作りに楽しむ人などいろいろな人がいる。
  自作マニアの場合、殊に真空管アンプの製作では、自作アンプの組み立に楽しみを感じ、一つのアンプを組立て終えると、暫くして、次にまた別のアンプ組立てに挑戦する人をしばしば見かける。以前、信州の真空管アンプの自作マニア宅を訪問したとき、次から次へと何種類もの自作アンプを自慢して見せられたことがあった。よくぞこれほど多くのアンプを組み立てたものだと感心したことがあった。
 また、私の知人のある音楽ファンでオーディオマニアでもある方は、また新しいアンプの製作に取り掛かっているとの報告を受けたことがあった。この方は既にいい自作アンプを持っているのに、また新たにアンプ作りに挑戦している。自作マニアは組み立てることに楽しみを覚えるオーディオマニアなのだろう。
  オーディオマニアといっても、その楽しみ方は人様々である。所詮、趣味、道楽の世界なのだから、どの様に音を楽しむかはその人の自由であり、他がとやかく言うことでもないのかも知れない。