1.音楽を聴くなオーディオ装置 は何でも構わない |
2.オーディオによる音楽再生 は芸術活動である |
3.オーディオ装置は何がいいか |
4.日本人と欧米人とではヴァイ オリニストの音色が違う |
5.中古オーディオ製品 | 6.オーディオマニアは音楽を聴かずに音を聴 いているだけではないか |
1.音楽を聴くだけならオーディオ装置は何でも構わない 音楽を鑑賞するだけならオーディオ装置は、音が鳴ればどんなものでもかまわないだろう。ラジカセCD、CDウォークマン、10万円程度のシステムコンポでも音楽は充分鑑賞できる筈だ。こうした装置で多くの人が音楽を十分楽しんでいる。 |
2.オーディオによる音楽再生は芸術活動である これまで多くのオーディオマニアの自宅や各地のオーディオ店、信州や山梨の音楽ペンションへ訪れ、自慢のオーディオ装置を聴いてきた。その際は、必ず日頃聴いている音質のいいと思うCDソフトを持参し、このCDがどの様な音が聞こえてくるかを試してきた。 この体験で感じたことは、同じCDが決して同じ音にならず、音の良し悪しは別にして、その人の好み、感性により全く違った個性のある音に聞こえてくることである。 見た目は立派で高価な装置が必ずしも感動する素晴らしい音に聴けるとは限らない。ある程度の費用はかける必要はあるが、要はその装置をいかに上手く使いこなすか。その人の感性、テクニック、好み、聴く部屋の環境、好みなどによって音は様々に変わってくる。 ある意味でオーディオ再生は楽器を演奏するのとよく似ているのではないかと思われる。CDやレコードなど音楽ソフトは楽器演奏における楽譜であり、オーディオ装置は楽器である。聴く部屋はコンサート会場である。オーディオ装置を鳴らす人は楽器の演奏家であり指揮者でもある。 オーディオマニア(演奏家)は人に感動する音創りのために装置(楽器)を選び、装置の設定場所(楽器の配置)に苦労し、装置を結ぶインターフェースの調整(楽器間の繋がりを上手くまとめ)に注意を払い、音楽ソフト(楽譜)の音を忠実に再現し、感性を豊かに育てよい音(よい演奏)を聴かせるように努力し、聴く環境(ホール)を整備する。 こうしてオーディオマニア(演奏家)は同じソフト(楽譜)でも個性のある音楽を創り出していくのである。人に感動を与えるかどうかはオーディオマニア(演奏家)の能力であり、日頃の努力と個性豊かな感性でもある。 オーディオマニア(演奏家)音色、音の深み、響き、柔らかさ、艶やかさ、厚み、静粛感、透明感、伸びやかさ、バランスなどを自由にコントロールしてその人独自の音を創り上げていく。 音楽を単に受身的に聴くのでなく、能動的に美しい音を創り上げて人に感動を与えるという意味でオーディオ再生はまさに「CD、レコード芸術」である。 著名なオーディオ評論家の菅野沖彦氏が「レコード演奏家」という表現を使っている。彼は「レコード演奏家論」の中で「楽譜もレコードも記号や信号の記録物で、それ自体音楽ではない。音楽の生命を蘇生させるには、それを音に変える演奏家によらなければならない。演奏家が楽譜を正確に音に変えるには技術の練磨に努力することは勿論であるが、正確な演奏だけでは人に感動させることは出来ない。名演奏家は楽譜を通して作曲家の精神まで洞察し、表現することに努力する。レコード演奏家も最高のレコード演奏が生まれ得る環境創りに努力することを生き甲斐として、作品の魂に触れて感動することを求めてレコード再生をする。演奏家が広く音楽を学び、楽譜に忠実な演奏をすることに努力するように、音楽の教養とオーディオの技術知識のバランスを培い、理想を追求する謙虚な姿勢でレコードを忠実に再生する姿勢が大切である。その集中力が個人の感性や審美眼と相俟って、個性的な音楽表現が生まれてくることになると思う」と述べているが、まさにその通りだと思う。 |
3.オーディオ装置は何がいいか オーディオ雑誌は勿論、レコード芸術など音楽雑誌にもオーディオの新製品紹介記事や推薦記事が掲載されている。これらの記事も参考にはなる。その製品の音の傾向、特徴、形状をその記事からある程度掴むことは出来る。しかし、評論家の意見は往々にしてメーカーの太鼓持ち的な記事が多い。最後は自分の耳と目で確認するのが肝要である。 オーディオに拘らず、物事の判断で大事なことは、基本的に現場主義である。実際に見て、聴い |
4.日本人と欧米人とではヴァイオリニストの音色が違う |
6.オーディオマニアは音楽を聴かずに音を聴いているだけのではないか ある音楽ファンから、次のような発言があった。「自分は,CDの中に入っている音楽をより良い音で聴く為に関心があるが一般のオーディオファンの興味はどうですか。」と。 |