浄瑠璃のお里沢市の壷坂霊験記で有名な壷坂寺です。日本の体の悪い人への積極的な支援を始めた草分けとも言うべきお寺です。お里沢市のお話にちなんで眼の悪い方への援助から始まり今ではお年寄りの援助などもされています。かなり大型の2枚組みで写真版です。伽羅香のチップの小さな包みが入っています。
- タトウ裏
- 紙に包まれて伽羅のチップが入っていました。
『壷坂霊験記』おせいの歌舞伎の噺より引用
★あらすじ
大和国壷坂寺の片ほとりに 疱瘡で目がつぶれた沢市とその女房お里が住んでおります。 沢市が三味線の稽古をつけての細々とした暮らしを お里が賃仕事で助けるという、仲のよい評判の夫婦です。
さてその女房お里、毎夜毎夜沢市が寝静まった頃に家を抜け出していきます。 目のみえない悲しさ、沢市は女房に情夫ができたかと疑います。 しかしお里は毎晩夫の目があくように、 壷坂の観音様に願を掛けていたのでした。 それを聞いた沢市は疑いを晴らし、お里に謝ります。 お里は疑いさえ晴れれば本望と、沢市を観音様のお参りに誘います。
観音様へお里と共にお参りに来た沢市は、 ここで三日間願掛けをすると言います。 お里は用事を済ませてくるといったん家に帰りますが その間に沢市は谷へ身を投げます。 お里が戻ってみると、沢市は谷の底。 お里も沢市を追って谷へと見を投げます。 すると観音様が現れて二人を助け、沢市の目をあけてくれるのでした。
★みどころ
このお話は歌舞伎でご存じの方よりは、 義太夫や浪曲でご存じの方の方が多いかも知れません。 「三つ違いの兄さんと、言うて暮らしているうちに 情けなやこなさんは‥‥」というのを聞いた方もおられるはず。 浪曲でしたら「妻は夫を労りつ、夫は妻に慕いつつ‥‥」というあれです。 (とはいえ、今のお若い方にはおわかりにならぬかも(^^;))
さて、この大和壷坂寺、 西国三十三ヶ所第六番目の札所。 この寺に伝わる奇跡を書いた西国三十三ヶ所の霊場記の内壷坂の部分を 浄瑠璃狂言にした物です。
★初演・作者
(人形浄瑠璃)明治二十(1887)年二月、大阪彦六座。作者不詳。千賀女補綴。 (歌舞伎)明治二十一(1888)年春、京都四条道場の芝居。