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しばたじょう |
新発田城 |
別称:菖蒲城、狐之尾引城、浮舟城 |
所在地:新潟県新発田市大手町 |
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形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
○ |
国 |
ー |
山城 |
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都道府県 |
ー |
陣屋・館 |
ー |
市町村 |
遺構 |
○ |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
○ |
石垣 |
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木造復原 |
ー |
土塁 |
ー |
鉄筋復原 |
○ |
水堀 |
ー |
復興 |
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空堀 |
ー |
模擬 |
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復元三階櫓(撮影年月 H17・8) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
表門、二の丸隅櫓 |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
三階櫓、辰巳櫓 |
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アクセス |
公共 |
JR羽越本線新発田駅下車後徒歩20分 |
車 |
日本海東北自動車道聖籠新発田ICからすぐ |
ミニ情報 |
JR新発田駅にレンタサイクルあり |
地図情報 |
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城略史 |
鎌倉幕府成立後、佐々木盛綱は地頭職として加治要害山に居を構え、一族は加治、竹俣、楠川、新発田、五十公野氏らに分かれました。その一族のうち新発田氏が現在の新発田城の地に居を構えました。戦国時代、新発田長敦は上杉謙信の有力な被官として活躍しており、弟で五十公野氏の養子となっていた重家も武功の多い武将でした。天正7年(1579)長敦が病死し、弟の重家が名跡を継ぐと、論功行賞に不満を持ち、上杉景勝に対し反旗を翻します。織田信長と結んだ重家でしたが、本能寺の変で信長が討たれると武運が傾き、豊臣秀吉の命によるの上杉景勝の越後平定で重家は滅亡します。
慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命により上杉景勝は会津に転封となり、新発田には加賀大聖寺から溝口秀勝は6万石で入封し、新発田氏の居館であった地に、慶長7年(1602)から本格的な築城を開始します。溝口氏は甲斐武田氏の庶流で、尾張国中島郡溝口郷に土着し溝口氏を称したといわれています。秀勝は織田信長の家臣丹羽長秀に仕え、信長の死後は豊臣秀吉に仕えます。二代宣勝は堀秀政の娘を妻としこの縁により、堀家が除封されたのちに堀直清の次男と六男を招き入れました。一族は明治維新まで新発田藩主を勤め、新発田県の知藩事にも就任、華族に列せられました。新発田藩の家老に、溝口内匠、溝口伊織という家がありますが、もとは加藤家、土橋家であり、溝口氏を賜ったものです。
なお城は三代宣直の時代にようやく完成しましたが、その後の大火や老朽化により、修復や再建が行なわれています。
戊辰戦争時、新発田藩は奥羽越列藩同盟に参加をしますが、初期の段階で新政府側につき、その先鋒として庄内・会津・米沢などへ出兵します。維新の後は明治4年(1871年)に廃藩置県、明治6年(1873年)に城郭破却令が出され、現在現存する本丸の一部を残して破却されました。本丸及び二の丸の一部には、歩兵第十六連隊が創設されました。現在は、陸上自衛隊第三十普通科連隊が駐屯しています。 |
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主な見どころ |
現存建築物など |
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↑表門@:国重要文化財。新潟県には、ここ新発田城にしか近世城郭の建築物が残っていません。非常に貴重な遺構なのです。 |
↑表門A:海鼠壁は北越地方に特徴的なもので、新発田城と金沢城くらいにしか現存の遺構は見られないものです。 |
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↑表門内部@:薄暗い内部。現存する門の内部を常時見学できる場所は少ない。 |
↑表門内部A |
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↑本丸:表門から入ると本丸です。復元建築物が完成する前は、表門のすぐ内側が自衛隊の敷地で一歩も立ち入ることができませんでしたが、現在は少しだけ開放されています。 |
↑旧二の丸隅櫓@:現存する国重要文化財。本丸の北側に位置していたもので、現在は本丸鉄砲櫓の場所に移築保存されている。やはり県下では唯一の現存櫓です。 |
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↑旧二の丸隅櫓A:本丸内部からの撮影。木々が邪魔ですが、スマートとはいえない、ずんぐりむっくりの櫓です。 |
↑旧二の丸隅櫓1階:内部は非常に殺風景です。しかし、妙な展示物でせっかくの現存櫓の見学を妨げられるより、こちらのほうがはるかにましです。 |
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↑旧二の丸隅櫓2階@:窓は少ないですが、意外に明るい内部。柱がまるで格子の柄のようで、中まで美しい櫓です。 |
↑旧二の丸隅櫓2階A:さすが現存櫓の梁です。年季が入り素晴らしい艶です。 |
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復元建築物など |
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↑三階櫓@:三層三階入母屋造りの櫓で、実質的には天守の役割です。丁字の屋根が特徴的な、全国でも例にない櫓です。シャチホコは三基もある櫓など見たことありませんよね。残念なことは内部が公開されていないこと。自衛隊の敷地にあるためです。 |
↑三階櫓A |
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↑三階櫓B |
↑辰巳櫓:本丸南東に建つ、二層二階入母屋造りの櫓。明治の始めに取り壊されてしまったものが復元されました。この櫓は、他の現存建築物や三階櫓と異なり、白漆喰のみの櫓です。 |
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↑辰巳櫓礎石:内部1階で、礎石のひとつを見ることができます。そのほかの礎石は、復元される際に盛土で保護されました。 |
↑辰巳櫓内部2階 |
入場券・パンフ等 |
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現地無料ガイド |
甦る新発田城(新発田市発行):復元された三階櫓・辰巳櫓の建築工程や、新発田城の紹介。有料(価格失念)。 |
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探訪年月 |
@H9・9AH17・8 |
併設・周辺資料館 |
表門・二の丸櫓・辰巳櫓
開館時期:4月1日から11月30日
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参考見学所要時間 |
約1時間00分 |
お薦め度 |
私見 |
みごとに復元された三階櫓の内部が見学できないのが非常に残念です。しかしながら、かつては公開されていなかった、現存する表門や二の丸櫓の内部が見学できるようになったのは大変素晴らしく、評価できます。特に、門の内部が公開されていることは珍しく、それだけでも一見の価値があると思います。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070312 |
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