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まつやまじょう |
松山城 |
別称:勝山城、金亀城 |
所在地:愛媛県松山市丸の内 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
○ |
平山城 |
○ |
国 |
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山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
○ |
建築物 |
天守閣 |
○ |
現存 |
○ |
石垣 |
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木造復原 |
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土塁 |
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鉄筋復原 |
○ |
水堀 |
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復興 |
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空堀 |
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模擬 |
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現存天守(撮影年月 H11・9) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
天守・乾櫓・野原櫓・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓・隠門続櫓・戸無門・隠門・紫竹門・一ノ門・二ノ門・三ノ門・仕切門・紫竹門東塀・紫竹門西塀・一ノ門東塀・二ノ門東塀・三ノ門東塀・筋鉄門東塀・仕切門内塀 |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
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アクセス |
公共 |
伊予鉄道城南線県庁前駅から徒歩、又は大街道駅からケーブルカーかリフト |
車 |
松山自動車道松山IC |
ミニ情報 |
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地図情報 |
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城略史 |
関ヶ原合戦後に伊予に入った加藤嘉明により築城された。寛永4年(1627)加藤嘉明は会津若松に転封となり、蒲生氏をはさみ、松平(久松)定行が入部し幕末まで存続した。現存している天守は天明4年(1784)焼失後、安政元年(1854)に再建されたものでる。その他にも多数の建築物が現存しており、日本三大山城のひとつに数えられる。 |
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主な見どころ |
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↑大手門跡:山麓から登ると、この大手門に達する。高くそびえる石垣が来るものを拒む。 |
↑重文戸無門:門扉がない珍しい門。本当に攻城した場合、心理的効果はいかばかりか想像できない。しかし背後の太鼓櫓から猛攻を受けることは必至であろう。 |
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↑天守曲輪:密閉されたこの空間に入り込んだら、攻めては一巻の終わりであろう。 |
↑天守内部@:現存天守の中では一番新しい天守で、幕末の完成。 |
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↑天守内部A |
↑天守からの眺め:松山は四国最大の都市である。天守から眺めるとその発展ぶりが見える。 |
探訪年月 |
@H11・9 |
併設・周辺資料館 |
天守閣
開館時間:9時00分〜季節により異なる
料金:500円
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参考見学所要時間 |
約2時間00分 |
お薦め度 |
私見 |
一番新しい現存天守であるが、何か古式な雰囲気が漂い、私も大好きな城のひとつです。現存建築物の多さも素晴らしいが、まるで現存かと見まがう復元建築物もあり、全体が非常に良く管理されておます。
四国は現存天守の多い地域ですが、愛媛は宇和島と、ここ松山と2カ所もある、城好きには垂涎の県です。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070121 |
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