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| こうざしじょう |
| 神指城 |
| 別称: |
| 所在地:福島県会津若松市神指町 |
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| 形状 |
○ |
平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
| ー |
平山城 |
ー |
国 |
| ー |
山城 |
ー |
都道府県 |
| ー |
陣屋・館 |
○ |
市町村 |
| 遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
| ー |
石垣 |
ー |
復原 |
| ○ |
土塁 |
ー |
外観復原 |
| ー |
水堀 |
ー |
復興 |
| ー |
空堀 |
ー |
模擬 |
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| 本丸遠望(撮影年月 H18・5) |
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| 現存建築物 |
国宝 |
なし |
| 国重文 |
なし |
| 都道府県指定 |
なし |
| 市町村指定 |
なし |
| その他 |
なし |
| 復元建築物 |
なし |
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| アクセス |
公共 |
JR会津若松駅から会津バス「黒川」下車徒歩15分 |
| 車 |
磐越道会津若松ICから国道49号線すぐ |
| ミニ情報 |
駅構内にレンタサイクル(電動自転車)あり |
| 地図情報 |
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| 城略史 |
会津若松城は、上杉景勝入封時には蒲生氏郷が改築した七層天守のそびえる名城でしたが、城が山に近接し過ぎていること、城下町は密集しすぎていることから、城の北西一里のところに新たに神指城を築くこととしました。この時の普請は、直江兼続が指揮をとり12万人の人夫を動員したそうです。城の規模は、本丸東西180b、南北約300b、石垣を築き周囲に水堀を巡らせた雄大なものでした。しかし、その普請も徳川軍の対応により中断し、関ヶ原合戦が終わって後は未完成のまま放置されることとなってしまいました。
(参照「鶴ヶ城(歴史春秋社)」) |
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| 主な見どころ |
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| ↑石垣基礎石:神指城は総石垣の城であったそうです。それを今に伝える石垣の基礎石が無造作に保存されています。地元の人でも、よほど興味がないと気にならないでしょう。 |
↑土塁:比較的良好に現存しています。きっとこの土塁とここに立った人々は、まるで上杉氏の野望など遠い昔の他人事のように、江戸時代を見続けてきたんですね。 |
| 探訪年月 |
@H18・5 |
| 併設・周辺資料館 |
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| 参考見学所要時間 |
約0時間30分 |
| お薦め度 |
私見 |
石田三成と直江兼続の謀略、そして関ヶ原合戦に関連して語られることの多い神指城ですが、実際の所、純粋に鶴ヶ城に替る新しい居城として普請したのではないかと思います。そうでなければ、急造したとはいえ、あまりにも規模が雄大すぎるし、立地も抜群過ぎます。現在に残る本丸に立ち、自分の考えている歴史浪漫に思いふけるのも一興かと思います。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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| 初版20070416 |
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