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こまきやまじょう |
小牧山城 |
別称: |
所在地:愛知県小牧市堀の内 |
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形状 |
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平城 |
史跡指定 |
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国特別 |
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平山城 |
○ |
国 |
○ |
山城 |
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都道府県 |
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陣屋・館 |
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市町村 |
遺構 |
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建築物 |
天守閣 |
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現存 |
○ |
石垣 |
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復原 |
○ |
土塁 |
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外観復原 |
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水堀 |
ー |
復興 |
○ |
空堀 |
○ |
模擬 |
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(撮影年月 H18・12) |
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現存建築物 |
国宝 |
なし |
国重文 |
なし |
都道府県指定 |
なし |
市町村指定 |
なし |
その他 |
なし |
復元建築物 |
天守(模擬) |
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アクセス |
公共 |
名鉄小牧駅下車後岩倉駅行き(小牧市役所前経由)名鉄バス「小牧市役所前」下車すぐ
名鉄岩倉駅下車後小牧駅行き(小牧市役所前経由)名鉄バス「小牧市役所前」下車すぐ |
車 |
東名高速小牧ICからすぐ |
ミニ情報 |
駐車場なし |
地図情報 |
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城略史 |
小牧山城は、標高85,9メートルの尾張平野の中に孤高する小牧山に位置します。永禄6年(1563)織田信長は、ここ小牧山に初めて築城し清洲から居城を移し、計画的な城下町を建設しました。しかし、永禄10年に美濃の斉藤氏を攻略し、同年稲葉山城へ移動したため、小牧山城は4年で廃城となりました。
本能寺の変で織田信長がたおれ、羽柴秀吉と、織田信雄・徳川家康連合軍の合戦である「小牧長久手の戦い」では徳川軍の主陣地が小牧山に置かれ、信長の城跡に大規模な改修を加え陣城としました。
江戸時代には、尾張徳川家の管理のもと、一般人は入山禁止などの措置が執られたため遺構の状態は良好で、昭和2年に国の史跡に指定されました。
(参照「現地案内板」) |
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主な見どころ |
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↑現地案内図:図中の数字は、写真の撮影場所です。 |
↑史跡碑:ページトップの写真が大手で、こちらは史跡公園として整備された曲輪跡への最寄口となります。バスでアクセスするとすぐ目の前です。左の山が小牧山です。(案内図番号@) |
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↑山麓曲輪跡:ただ、だだっ広い空間の曲輪。せっかく整備したのだから、建物の平面表示なんかあるともっと良いのですが。(案内図番号A) |
↑空堀:山麓部は空堀の復元もされていますが、いまひとつ中途半端で、もう少し良い復元はできなかったのかと思います。(案内図番号A) |
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↑土塁:左側に見えるのが現存土塁。おそらく遺構保護のため盛土していると思われます。このような土塁が山麓部をグルッと囲んでおり、その景観は結構壮観です。 |
↑土塁断面:オリジナルの位置で、土塁の断面を見学できるのは珍しいのではないでしょうか。もっとも素人には断面だけ見せられてもさっぱりわかりませんが・・・。(案内図番号B) |
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↑堀切:山を登る途中にも見どころは多くあります。やはり全山立入禁止という期間があったことが、これだけの市街地に良好に現存できた理由かと思います。 |
↑石垣:山頂付近の現存石垣。よく紹介されるものです。これだけの巨石が山頂を囲んでいたのですから、当時はさぞ奇異に見えたことでしょう。後世見ると素晴らしいの一言ですが。 |
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↑模擬天守:残念ながら閉館中でした。展望台からの眺望を楽しみにしていたのに残念です。(案内図番号C) |
↑山頂からの眺望:木々の切れ端から垣間見えた濃尾平野。曇っていてこれですから、晴れた展望台からはさぞ素晴らしい眺望が期待できることでしょう。 |
探訪年月 |
@H18・12 |
併設・周辺資料館 |
小牧市歴史館(模擬天守内)
開館時間:9時00分から16時30分
料金:100円
休館:毎週木曜日、年末年始
рO568−72−0712 |
参考見学所要時間 |
約0時間30分(歴史館を除く) |
お薦め度 |
私見 |
山頂の歴史館が探訪時閉館で、小牧山からの眺望を堪能できなかったのが心残り。山頂からは眺望が望めず、正直言って展示内容には興味ないが、展望台からは濃尾平野をながめたかったです。とはいえ、全体的に開発もされてないし、そのネームバリューから見ても一見の価値はある、貴重な城跡であることは間違いありません。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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初版20070625 |
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