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| かつらおじょう |
| 葛尾城 |
| 別称: |
| 所在地:長野県坂城町坂城 |
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| 形状 |
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平城 |
史跡指定 |
ー |
国特別 |
| ー |
平山城 |
ー |
国 |
| ○ |
山城 |
○ |
都道府県 |
| ー |
陣屋・館 |
ー |
市町村 |
| 遺構 |
ー |
建築物 |
天守閣 |
ー |
現存 |
| ー |
石垣 |
ー |
木造復原 |
| ○ |
土塁 |
ー |
鉄筋復原 |
| ー |
水堀 |
ー |
復興 |
| ○ |
空堀 |
ー |
模擬 |
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| 遠望(撮影年月 H17・5) |
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| 現存建築物 |
国宝 |
なし |
| 国重文 |
なし |
| 都道府県指定 |
なし |
| 市町村指定 |
なし |
| その他 |
なし |
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| アクセス |
公共 |
しなの鉄道坂城駅下車後徒歩30分 |
| 車 |
上信越道坂城ICから国道18号 |
| ミニ情報 |
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| 地図情報 |
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| 城略史 |
1384年、村上義国によって築城されたといわれる。標高805mの葛尾山は非常に堅固。
村上氏は、天文17年(1548)上田原合戦で、また天文19年(1550)戸石城で武田軍を破り、戦国史において光り輝く経歴を持つが、天文22年(1553)ついに武田軍に破れ葛尾城は落城し、当主村上義清は上杉謙信を頼り、越後に逃れた。そしてこの後、村上氏失地回復のため川中島の戦いが起こったのである。
現在、城は堀切や曲輪は残るものの、山全体はすでに自然に帰り、山城としての趣はあまりない。 |
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| 主な見どころ |
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| ↑米入口(よねいりぐち):戸倉側の登城ルートで、搦め手にあたると思われる。しかし築城当時から兵糧の運搬道として重要な登り口であった。 |
↑石切打場:米入口途中の石打切場。少し削平地になっています。ここまで登るのも一苦労です。 |
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| ↑大手口の尾根:こちらが大手にあたる(と思われる)登城ルート。麓には村上氏居館跡もあるのできっと大手筋でしょう。この尾根もきついですが、山頂近くになるとまるで崖です。 |
↑二の郭:主郭の一段下に位置する二の郭。比較的広い削平地となっている。 |
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| ↑本郭:非常に狭い本郭。眺めは最高。でも、ここまで登るの結構大変です。 |
↑本郭からの眺め@:荒砥城に登った時は、葛尾城の高さが実感できませんでしたが、葛尾城から荒砥城をみると、なんと小城であることか。 |
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| ↑本郭からの眺めA:本郭から南側上田方向をながめたもの。こんな眺めを見れるとは、坂城の人は幸せ。 |
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| ↑本郭からの眺めB:こちらは戸倉方向をながめたもの |
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| ↑村上氏城館跡:現在は神社になっている。方形の敷地が館を想像させるが、石碑以外に当時を思い起こさせるものはない。 |
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| ↑村上氏居館跡:城館と居館の役割分担がよくわからいが、現地の石碑では、そのように区別がある。もう少し詳しい案内板でも建ててくれればよいのに、何もないので分かりません。敷地は寺院となっている。 |
| 探訪年月 |
@H17・5 |
| 併設・周辺資料館 |
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| 参考見学所要時間 |
約2時間00分 |
| お薦め度 |
私見 |
遺構は少ないが、実際の攻城にはさぞ苦労しただろうということが、自分の足で登るとわかる。城跡として整備が行き届いているわけではないので、とても家族向けの城ではないが(というか危険)、山頂からの眺めは最高。また登城にはいくつかコースがあり、私は戸倉側から攻めました。しかし、途中の里道はわかりにくく、あまりおすすめのコースではありません。また軽い山登り程度の装備と心構えで行くとちょうど良いかと思います。 |
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城郭ファン以外も必見 |
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見逃せない対象です |
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城好きは行きましょう |
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予備知識がある方は・・ |
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マニア向け |
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| 初版20070205 |
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