「心付け」なんて、要りません。


 参考リンク:「旅館の仲居さんに心付けを渡しますか」(われ思ふ ゆえに…)


 この参考リンクの文章を読んで僕が思ったのは、「また、こういう話が持ち出されると、『医者のモラルは…』とか言い出す人がいるよ…」でした。ネットをやっていると、この手の話が非常に多くて困ります。僕の周りにいる医者が「えびす顔」で受け取った姿なんて、見たことないんですけど。「せっかく出した『心付け』を、相手の医者は激高し、舌打ちしながら突き返した」とか、「受け取った直後にものすごく嫌な顔をして、病室にほとんど来なくなった」なんていうのも、それはそれで凄い話ではありますよね。とりあえず喜ばせようという目的で渡して、相手が喜んでくれたんだったら、そんなに嫌味ったらしく書かなくてもいいじゃん、と。賄賂は出すほうも犯罪なんだし。
 僕は以前にここで書いたように、その手の「心付け」は、いただかないようにしています。ただ、「断るほうが大変」だったりすることも、けっこう多いのですが。「どうして受け取ってくれないんですか!」って、かえって怒られたりして。

 海外で、チップという習慣がある国に行くと、確かに、サービスを生業としている人たちの「サービス度」が、チップの有無によって変わってくるのを実感します。ショーの席に案内してくれるときとかもそうですし、朝食のテーブルでウエイトレスにチップを渡すと、見違えるくらい頻繁に飲み物のオーダーを聞きにきてくれたりしました。それこそ、表情まで変わってしまうんだから、なんだかなあ、と典型的日本人である僕は思ったのです。しかしまあ、彼らの場合は、お客からチップを貰えること」が大前提の給与体系になっているのようなので、まあ、それもしょうがないことではあるんですけどね。日本の医者は「付け届けを貰えること」を前提条件にした給与体系ではないですし、確かに若手の医師は給料も安くてお金に困っていますけど、彼らにだって、「一人前になったら、それなりには稼げるだろうし」という期待もあるのです。だから、一時の「臨時収入」で社会的な信用を失うほうが、よっぽど怖いはずです。

 しかし、考えてみれば、この「医者への心付け」というのは、今の日本の医療制度を考えてみると、不思議な文化ではありますよね。僕は海外の医療制度にそんなに詳しいわけではありませんが、周りの人から聞いた話やメディアを通じた情報からすると、日本ほど「すべての人に平等な医療を行うという建前」を頑固に打ち出している国というのは、そんなに多くはありません。そして、不十分な面もありながらも、日本では基本的に「誰でも、どんな医者にでもかかることが可能なシステム」になっています。
 アメリカの医療ドラマなどでは、最初に保険の有無、入っているとすれば、そのグレードを確認され、それによって「どの程度のコストの治療ができるか」というような枠組みが決められてしまいます。そして、お金が無い人の場合には、「研修医がトレーニングしている施設」で「研究への協力」と引き換えに医療を受けたりしているようです。基本的には「お金を出せる人のほうが、良い医療を受けられる」というシステムなんですよね。
 そして、そのようなシステム下では、そもそも「心付け」なんていうようなものは成り立ちません。だって、治療を受ける病院を選ぶ時点で、すでに「格差」がついてしまっているのだから。いやまあ、その病院の中で、よりよい扱いを求める人だっているんでしょうけど。
 「心付けの心理」というのは、客観的には、ものすごくいびつな感じがします。だって、「みんな平等で最高の医療を受けるべきだ」と公に主張しながらも、「でも、自分のことは贔屓してほしい」というような内心を抱えているわけですから。まあそもそも、「平等な医療」を訴えている国会議員が、自分が入院するとなると、特別室にVIPとして入院したりしているんだから、そういうのこそ、人間の本性なのだ、ということなのかもしれませんけどね。
 ここに書いたように、心付けなんて、医者側には、何の効果もないのです。だって、心付けを貰ったからといって、医者としての能力がアップするわけもないし、「心付けを貰うために、普段は80%の治療しかやらない」なんてわけにもいきませんから。もしそんなことをして、医療ミスでも起こせば、医者としてのキャリアそのものがおしまいになってしまうのだし。根本的にひとりの人間として、自分の患者さんには良くなってもらいたいし、そのためにはできるだけのことをしているはずなのです。まあ、お金を貰ったら、多少は愛想はよくなる人もいるのかもしれませんが。逆に僕だったら、そんなお金のために必要以上にウソくさい愛想をふりまくくらいなら、そんなの全然欲しくないですが。
 だいたい、医者っていっても、所詮、一緒に小学校や中学校で勉強していた連中が大きくなっているだけなのだから、そんなにおかしな価値観なんて持っていませんよ。ひょっとしたら、「だからこそ、心付けは有効に違いない」ということなのだろうか?

 僕の実感として、「付け届けを渡そうとする人」の数・割合は、僕が医者になってからの10年の間に、確実に減ってきています。このことに対しては、非常に喜ばしいことだと考えています。とくに若い患者さんには、ほとんどいなくなりましたしね。まあ、そのかわりに「何かあったら訴えるぞ!」というのが第一声の患者さんもちらほら……
 不安な気持ちはわかるのですが、本当に僕らの気持ちを引き締めるものがあるとするならば、それは「お金」でも「脅し」でもなくて、「信頼」なのに。

 結局、誰かが付け届けを渡すから、そういう「渡さないと自分が不利になる」という意識が生まれてくるのですから、すべての患者さんに「付け届けを渡したい気持ちに負けない勇気」を持ってほしいんだけどなあ。
 僕も、なんとか患者さんを不安にさせずに、「心付け」を受け取らないようにする方法を考えますから…