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 最終更新日 2004.10.24

針灸臨床の扉は、私が未熟ながら積み重ねてきた日々の診療の中で、特に思い出のある臨床例を
取り上げてみたいと思います。針灸の臨床で体験する驚き、感動、考えさせられたこと等を、読んで
いただける方と共有できたらと思い、このコーナーを作ってみました。患者さんの名前が出てくる
場合もありますが当然仮名です。小説風にできたらとも思いましたが、なにぶん才能が無いので...。

私が上海で針灸を学びはじめた頃から、比較的最近の臨床までがごちゃ混ぜになっています。
失敗例や反省も丸ごと私の糧になったものばかりで、現在の臨床に生かしている〔?〕つもりです。
一般の方には申し訳ありませんが、必要な現代医学や中医学の専門用語が出てきます。

vol.12 舌診から学んだもの 

vol.11 危機管理〔2〕 

vol.10 危機管理〔1〕 

vol.9 留針時間と効果 

vol.8 治癒までの道程 

vol.7 経絡の証明 

vol.6 針のヒビキと効果 

vol.5 通電針治療の効果 

vol.4 奇跡か偶然か 

vol.3 スポーツ障害と針灸治療 

vol.2 病気の勢い

vol.1 合谷穴と歯痛

vol.12 舌診から学んだもの

 私の多くはない臨床経験の中でも最も痛恨の出来事となった症例です。中医学の曖昧さと確かさ、現代医学の
限界を思い知らされた、この症例は今でも片時も頭から離れません。

 患者さんは私が開業して直ぐに来院され、千秋針灸院を近所の方に広めていただいた70代後半の男性の方です。
数年に渡って来院されていたのですが、ある日の舌診で焦黄〜黒苔が出ているのを見つけました。中医学では
焦黄〜黒苔は体内に強い熱があることを証明する状態で、長期に出る場合には癌などの重篤な疾患が高い確率で
見つかります。数週間経っても消えないため、患者さんにも中医学的な診断を告げて、一度は胃カメラ等の検査を
受けられるよう話をしました。

 患者さんも信頼して来院されている方なので、直ぐにかかりつけの医院で理由を話して胃カメラを受けました。結果は
十二指腸付近にちょっとしたビラン〔炎症〕が起こっている程度ということでした。私も十二指腸付近の炎症が原因と
いうことで納得しました。主治医も「舌で判るものなんだな」と面白がったそうです。

 それから半年以上経ちましたが焦黄〜黒苔はあまり変化はありませんが、はっきりと出たままでした。患者さんの
調子も良いため、私も特別気にかけず普通に治療していました。ところがある日、患者さんから連絡があり、急に
入院しなくてはならなくなったということでした。それから2ヶ月ほどして患者さんは亡くなりました。お通夜に行ったの
ですが、死因は胃癌と聞かされました。

 70代後半の方なので、急に胃癌が出来て進行したとは考えられません。やはり1年近く前に舌診で焦黄〜黒苔が
出ていた時には既に癌は出来ており、徐々に進行していったと考えるのが自然です。同時に私の治療が癌の進行に
対して効果がなかったこと、同じく狙ってはいないものの治療により亡くなる直前まで患者さんの身体のバランスを
正常に保っていたことを表していると思います。また胃カメラの検査も疑ってしっかり診なければ、見つかるものも
見つからないということなのでしょう。進んだ現代医学でも診断するのは結局人間〔医師〕の判断次第ということです。

 この症例に対しては「焦黄〜黒苔」に対しての治療をもっとしっかりと続けていたら...と複雑な気持ちになります。
そしてそれ以上に、私自身が消えていかない焦黄〜黒苔に対して、もっと医療機関に精査をお願いする必要が
あったのではと思います。亡くなる1年近く前に見つけていれば、手術等の別の対処法もあったかと思います。
ともあれ患者さんは亡くなってしまいました。私はこの症例の後は、それまで以上に患者さんを舌診をはじめ、よく
観察するよう心掛けるのと同時に、四診から予想される未病〔まだ病気ではない状態〕に対しても、何らかの治療を
加えていくようにしています。この方は千秋針灸院の創始期にお世話になったばかりでなく、中医学的な診断の
大切さも勉強させていただき心から感謝しています。ご冥福をお祈りします。

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vol.11 危機管理〔2〕

 針灸治療は比較的広い範囲の応急処置や急性症状に対処可能ですが、時には適応範囲外の症例も
目にします。今回紹介する症例もその1つでした。

 農作業による酷使の為、下肢の動きが悪くなって来院され、数回の治療で軽快されていた患者さんの家族の
方が突然現れて、車で連れて来たので診て欲しいと言われました。早速車内で休んでおられた患者さんの所へ
行き、話しかけましたが来院されている時に比べて少し言葉が上手く返せないようでした。視線もやや虚ろで、
脳血管障害を疑うべき状態です。患者さんは「先生の針で治るからやって欲しい」と懇願されましたが、目や舌の
動きを診た限り僅かでしたが異常が見られ、やはり脳血管障害の疑いが強いと思われるため、説明した上で
夜間でしたが総合病院へ急いで行ってもらいました。この間数分程の出来事でした。

 このような場合、応急処置的な針をする例も無くはありませんが、基本的には針灸の適用範囲外と考える方が
正しいです。万一適切な処置が遅れた場合には患者さんを非常に危険な状態にさらすことになってしまいます。
検査の結果はやはり軽度の脳梗塞ということで、早期に病院で医療を受けることで障害の程度も軽く済みました。
夜間ということで患者さんも病院へ行く踏ん切りがつかなかったのですが、行って良かったと後日感謝されました。

針灸治療は医療としての適応範囲も広く、有効な症例も多いのですが、上達すればする程、私達鍼灸師は治療
可能かどうかの見極めが、救急の際には求められるようになります。治療に自信が無い場合はもちろん、中途
半端な自信は治療家としても命取りになりかねません。とにかく冷静な目で患者さんを素早く診察して、自分の
実力に見合った適切な処置や指示を行う必要があります。日頃の勉強の努力に加えて経験とカンも大切です。

脳梗塞の鑑別法について追記します。簡単で迅速なテストなので覚えておくと良いです。
@言葉が話しにくく、もつれる。A両手を前に伸ばして10〜20秒すると片手が下がってしまう。B口を「イーッ」と
横に引かせると歪む。
脳梗塞は3〜6時間以内に治療が開始された場合には、後遺症が残りにくいため、素速くMRI検査が受けられる
医療機関へ送ることが重要になります。 (船橋市立医療センター救命救急センター部長・箕輪良行医師)

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vol.10 危機管理〔1〕

 針灸院は病医院とは異なりますが、時には迅速で的確な判断を必要する症例に出会うことがあります。
千秋針灸院でも年に数度は遭遇してます。的確な指導や応急処置は時に患者さんの命を救ったり、大きな
信頼が得られますが、間違えれば患者さんの生命に関わる事態になったり、信頼を失うことにもなります。
今回は〔と次回〕は、そんな症例を紹介します。

 いつも〔週に2回〕腰痛症で来院されている患者さん〔75〕が、来院時に普段よりも少し暗いイメージがあり
ました。いつもどうり伏臥位での腰部の治療を終えて、仰臥位になって舌・脈診を行うと舌色がやや暗く、
脈が細・数〔小さく速い脈〕を示していて、念のため血圧計を使って脈拍を調べると、130近くもあります。
動悸の有無を尋ねると、来院前から少しあり、視界が暗い感じがするとのこと。重篤な急性の心疾患が
予想される症例で、農作業による過労が原因の症状と思われます。

 そこで、先に足の太渓穴、足三里穴にしっかりと補法を行った後、腕の内関穴に寫法を行いました。
治療の目的は弱っている気を整えた上で滞っている心気を巡らすというもので、急性心疾患の対処法の
ひとつです。私としては万一これがうまくいかなかった場合は病院へ搬送も考えていたのですが、15分
程の留針後、脈拍は50台に落ち着き、脈は平時の滑、やや遅、舌色も明るくなりました。視界も明るいと
話されました。

 とりあえず危険な状態は回避できたので、翌日〔診療が夜間だった為〕には病院で検査を行うように
指導しました。過去に心疾患の診断は受けておらず、病院の精査の結果は特に問題ありませんでしたが、
来院時に手を打たなかった場合は非常に危険な事態が予想された症例でした。この後、千秋針灸院でも
ポータブル心電図を導入しました。  

 今回の心疾患を始め、臨床では骨折や脳血管障害、気胸、帯状疱疹、各種発作等、あまり出会いたくない
症例が少なからずあります。多くの症例を診れば診るほど出会う確率が高くなりますが、舌・脈診を始め
客観的に状態をとらえることや、治療者自身が自分の実力を把握しての迅速で的確な処置や指導が必要に
なります。万一の失敗は患者さん自身を危険にさらす上、治療院の信頼も失うことになりかねません。
この症例は私で治療可能な症例でしたが、治療者の実力以上を要求される症例に対して手を出すことは
慎むべきでしょう。次回は実力以上の疾患だったため治療せず直ぐに病院へ送った症例に続きます。

虚血性心疾患(狭心症・心筋梗塞等)について追記します。上記の症例は早期かつ軽度な虚血性心疾患が
疑われた症例のため針灸治療にて緩解した例です。意識レベルが低下する例では医療機関に搬送する必要が
生じます。意識があり虚血性心疾患が疑われる場合にポータブル心電図等を用いる場合には、ST部の上昇や
不整脈の存在を確認することが重要です。最近は除細動器(AED)の使用が推奨され始めていて、心停止から
3分以内のAED使用は生存率を飛躍的に高めるそうです。可能ならば千秋針灸院でも早期に入れたいですね。
(まだ数十万円と高価なのが玉にキズ、鍼灸師会あたりが一括購入して安く頒布していただけることを願います。)

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vol.9 留針時間と効果

 中医学による針灸治療では、多くの場面で留針〔置針〕をするのですが、どのくらいの時間留針すれば
充分な効果が得られるかという話です。客観的なデータではありませんので、参考程度の話です。


 患者さんの口内炎の治療に、肩ぐう穴の患側1穴で治療をすることがあります。陽明経の余計な熱を抜き
消化器系を整える治療なのですが、何故か合谷穴や曲池穴ではなく、患部に近い肩ぐう穴がベストです。
私の実績では現在まで疼痛除去に100%の効果を出している治療法で、治療後に強い熱を与えなければ
そのまま治癒していきます。患側の逆側でも効果がある等、興味深い部分もあるのですが、今回は触れ
ません。肩ぐう穴の口内炎治療の効果については、何年か前の医道の日本に掲載されていました。

 この治療は留針することによって治療効果を出すものですが、何故か5分以内ではほとんど効果があり
ません。ところが7分〜10分程留針しておくと不思議と100%疼痛が除去できます。中国では留針時間に
ついては、口内炎治療に限らず多くが15分〜30分とされています。これは、この程度の時間は効果を
出すのに必要という客観的な観察に基づくものと思われてなりません。結構長い時間と思われるかもしれ
ませんが、患者さんの数をこなす為に効率重視ばかりでは効果が薄くなることを証明しています。

 とはいえ、千秋針灸院でも留針時間は7分〜15分程度と中国の半分です。背・腰部の治療等ではうつ
伏せの姿勢をとってもらうので、長時間では患者さんに負担がかかりますし、患者さんごとに体力も違いが
あります。そのあたりも考慮すると現実的な数字はこのくらいでしょうか。これから自分の治療スタイルを
作っていく方は参考にして下さい。なお、口内炎の肩ぐう穴の1穴治療は確実に効く治療ですが、取穴や
手技等がきちんとできないと効果は出せませんので、追試をする先生に効果の保証はできません。

書籍や勉強会等に参加されて効果のあるツボを知ったところで、臨床の本当に深い部分はほとんど掴めて
ないもので、診察・弁証・治則・選穴・取穴・手技どれひとつ欠けても思うような効果は出せないものです。
今回はちょっとお説教が入ってしまいましたが、肩ぐう穴治療については最も難易度は低い部類ですよ。

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vol.8 治癒までの道程

 1回から数回で治るギックリ腰から苦戦する難病まで、日頃様々な疾患と向き合っていますが、時に
症状の経過によっては治療する私の方が不安になることがあります。治療方針が間違っていないかとか
〔治療に自信を持つと同時に常に疑う必要はあります〕、このまま変わらないのではないか...とか、考える
程に落ち込んでいく時が私にもあります。今回は数年前の例ですが、こんな経過を辿ることもあるという
症例です。

 患者さんは50代の男性で右顔面神経麻痺です。通常見かける麻痺とは違い、脳梗塞の治療に血管を
拡張する為の手術を行った際に顔面神経を切断して起こった麻痺で、担当医からは回復は無いと告げら
れたそうです。私も舌が真っ直ぐ出せない、口が上手く開かず話しにくい、顔が突っ張る等の所見を見て
これは難しいと思いました。しかし以前のVol4の話で、医師の診断が絶対とは限らないということがあった
ので、「ダメ元で半年程を限度にやってみましょう」と話しました。〔初診は術後1ヶ月目〕

 毎回デジカメで状態を撮影して経過を追っていきましたが、週に3回のペースで3週間程治療しましたが、
全く変化がありませんでした。自覚・他覚ともに不変なため私の方が不安になりましたが、患者さんは黙って
通ってくれました。そして1ヶ月が過ぎた頃、デジカメの画像に僅かな変化が見られました。舌を出す角度が
ほんの僅かに変化したのです。私は最初は誤差の範囲と思っていましたが、次もその次も僅かに変化して
いました。そして3ヶ月で舌は真っ直ぐに出せるようになり、限度とした半年後には当初の症状はほとんど
治癒していました。気をつけてみると口を開ける際に僅かに歪む程度のみが残りました。医師の言葉どうりに
治療をしなかった場合は恐らく殆ど回復しなかったであろうと思われます。

 この症例は私の方が勉強させられました。内心慌てている私に患者さんは本当によく付いて来てくれたと
思います。様々な病気がありますが、治癒の過程は様々なものがあり、数回以内に治癒するもの、良くなっ
たり戻ったりを繰り返しながら治癒へ向かうもの、最初は効果が判らなくても確実に変わってくるもの、ある
程度まではすぐに治ってもあと少しに苦戦するもの、そもそも針灸の適応ではないものとあるようです。
これは治療者が経験を重ねることで、初診時に直感も含めた予測がつくようになってきます。また3ヶ月を
超えて変化の見られない場合は、経験上それ以上を望むのは難しいようです。治療代をいただいているの
ですから良い仕事をしたいですよね。

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vol.7 経絡の証明

 様々なツボは有名ですが、多くのツボは経絡という「気」の通り道の上にあるポイントに過ぎません。
そのため駅〔ツボ〕と線路〔経絡〕という表現をすることもあります。経絡は人体を縦横無尽に走っていて
あらゆる部分に「気」を運搬するための通路となっています。通常経絡は目に見えず、生体にしか作用
しない為に解剖学でも解明は不可能です。古代中国では、この見えない経絡を様々な経験から導き、
現在では中医学の中の経絡学として成り立っています。今回はこの実例をふたつばかり。

 患者さんは30代の女性です。事務職なのですが、疲れてくると目の痛みや肩の凝りが酷くなり、同時に
左上歯が浮く〔ような感じ〕症状が出現してきます。調子が悪くなり来院されるたびに治療するのですが、
その度に歯の浮く症状は消失させることが出来ていました。ところがある時、治療中のお喋りが過ぎて、
うっかり右側の合谷穴を刺針してしまったことがあります。もちろん効果はありません。患者さんもいつもの
ように症状が消えないのでおかしいと言われます。一瞬考えて、左側の合谷穴を刺針して解決しました。

 患者さんは私〔笑〕です。留学当時の上海は埃が多く、麦粒腫〔ものもらい〕が出来て困るのですが、
眼科等に行くのは面倒なので、自分で治すことにしました。左眼に出来ていたので、まだ勉強したての
針で左の合谷穴に刺針しました。何も変わりません〔笑〕。しかし右眼がパッと開く感じがありました。
そこで正解は反対側と気づいて、右合谷穴に刺針して少し瞬きをしたら潰れて消えたのです。この経験が
私自身で針灸治療の効果を思い知った初めての経験でした。とっても懐かしい思い出です。

 合谷穴のある手陽明大腸経脈は、顔面部で同側の上歯を通過し、鼻の下の部位で交差して反対側の
鼻翼部の外方を通って目まで行き〔迎香穴で終わりません〕ます。この流れを理解していれば、関連する
疾患の治療は難しくはありません。〔臓腑の関与した慢性病は除く〕 間違った方を刺針しても効果がない
ことが、ある意味経絡の存在を証明していると思います。〔治療者の方は間違えないように!!〕

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vol.6 針のヒビキと効果

 針のヒビキ〔針をツボに刺したときの重だるいような感覚〕は、中国では大変重要視されている感覚
なのですが、臨床では中々興味深い発見がしばしばあります。中国では病所に向かって針感〔ヒビキ〕
を出せば最大の効果があるといわれており、針感を自在にコントロールする技術は補寫の技術同様に
重要な技術の一つです。私もまだまだ分からないこともあるのが現状ですが、最近臨床の中ではっきり
実感できたことがありました。

患者さんは80代の女性で普段は腰痛で来院されているのですが、昨晩から夏風邪を引き、特に咳が
止まらないということでした。来院時は熱などは特に無く、咳の症状のみのため、通常の腰痛の治療に
加え、肺兪と列欠を加えて、特に列欠では針感を胸部へ向かって放散させる手技を使い、両腕とも肘
から上腕に向かって針感が出ました。その場で咳はほぼ収まり、翌々日来院されたときは咳は無く
なっていました。

治っているといっても一昨日のことなので、私は治療に再び肺兪と列欠を加えて同じように治療する
ことにしました。ところが列欠を同じように使っても今回は針感が病所に向かいません。高齢者の方への
強刺激は禁物なので、ここまでとしました。更に2日後に来院されたときも加えてみましたが、やっぱり
針感は病所に向かいませんでした。これはどういうことなのでしょうか。私もまだまだ未熟ではありますが、
普段この程度の手技は安定して出すことが出来るものです。

今回の症例は風邪の2日目ということで、明らかに実証です。実証の特徴は症状は比較的重いのですが
患者さんの体力が残っている為、適切な治療を行えば容易に軽快するものです。一度目の治療で列欠
への刺針によって咳は軽快したと考えられます。〔風邪薬等は服用無し〕 これにより病邪が無くなって
しまった為、病所に向かっての針感が起こらなかったのではないでしょうか。先日の李世珍老師が実技の
中で、「病気といえない程度の症状では針はできない」と拒否された場面がありましたが、2回目以降の
治療が当にそれで、私は必要の無い針を行ったということでしょう。針は一般に患者さんへの痛みを伴う
治療ですから、余計な針は慎むべきでしょうね。それにしても針灸は奥が深いことと、患者さんが教えて
くれるということを日頃の臨床で実感します。

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vol.5 通電針治療の効果

 針灸治療の1つの方法として、低周波通電〔パルス〕針があります。なぜか日本の鍼灸家は嫌う
傾向があります。何でも通電すれば良いというのも問題がありますが、通電治療は用い方を選べば
大変効果を上げる症例もあります。中国でも通電針治療があり、もちろん症例を選んで用いられて
います。今回は通電治療で効果を上げた症例です。

患者さんは30代の女性で、数日前から尿が出にくく、下腹部痛があります。要は膀胱炎なのですが、
胃腸も強くはないので、薬を使わず治したいと来院されました。舌診は紅、微黄苔、脈診は濡脈で
やや数〔85/分前後〕でした。証は膀胱湿熱証と診たて、三陰交穴、中極穴に留針、期来穴にパルス
通電治療〔240/分〕を10分間行いました。1診で治癒しましたが、その後も健康維持や体質改善の為
週1回程度来院され、度々起きていた膀胱炎が、以来1年以上は起きないとのことでした。通電治療は
初回のみでしたが、中医学では特に実証で痛みを伴うような症例に、非常に有効な場合があります。

患者さんは40代の男性で、両側の頚部から肩、背、腰部まで強い張りを訴えられ、特に右側が強く
張っているとのこと。治療部位が広範囲な為、右側に限定して通電治療を行い、左側は全て留針と
してみました。治療後は右側の張りは無くなり、左側が若干張りが残っていると言われました。この
症例は通電した右側に意識が行ってしまった為かも知れませんが、通電した側の効果が大きいことは
事実です。最もこうした評価は大変難しい為、私も疑問を持ってはいますが...。〔学生時代の実験です〕

他にも通電針治療は、顔面神経麻痺やパーキンソン病、帯状疱疹後神経痛、脳梗塞後後遺症等でも
優れた力を発揮します。私の留学時代にも多くの症例を見て来ましたし、現在もこうした疾患に実績を
上げています。ただし中医学的に診て虚証のある患者さんには、通電時間等を調整して注意深く行う
必要があります。通電治療も使いようですが、治療者が用い方を熟知し、効果を信用していなければ
結果は出せません。通電治療に限らず多彩な治療方法を駆使できれば、治療可能な疾患の範囲が
広がりますので、これまでの治療方法が効かない場合は他の手段も試みる価値があると思います。

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vol.4 奇跡か偶然か

私が診ていた患者さんの旦那さんが、長期間に渡って結核治療薬を服用されていたそうですが、
最近急に視力が低下〔1.2→0.1未満〕し、同時に色の判別が出来ない〔色盲〕ということで、相談
されました。かかりつけの眼科医は薬の副作用で視神経が侵されているため回復は望めない
との診断です。念のため別の眼科も受診したところ、薬を止めて半年くらい経てば回復の可能性も
出てくるかもしれないと言われとのこと。旦那さんは大変ショックを受けていて、「ダメでもいいから
できるだけの治療をして欲しい」といわれました。私は視神経が完全に回復不可能な場合は
無理ですが...。と説明した上で、私が上海で教えを受けた李老師が、視神経萎縮の治療に効果を
あげていたのを思い出していました。 

李老師の治療は、四診と辨証〔診断〕、穴性〔ツボの性質〕、手技〔刺激方法〕が一体となった
優れた治療であり、特に婦人科疾患に対して好結果を出していました。当時の上海での学会等で
多くの発表をされています。老師の眼科疾患の治療は顔面部局所の治療を中心に、風池、肝兪、
太衝、光明等に手技を加えて配穴していました。私も当時、李老師に刺針していただいて、手技を
体で覚えたものです。〔強瀉法の手技では半泣きでした〕ともかく刺激量に手加減はしたものの、
私は当時の見よう見まねで治療を開始することにしました。

現在は治療院の視力表を使って視力検査もできますが、当時は視力表がありませんでした。
そこで一定の距離から、カレンダーの数字や色の識別を効果判定の材料としました。週三回の
治療で最初の一週間は大きな変化が無く心配しましたが、二週目から徐々に数字が見える
ようになり、眼科での検査結果でも視力が上昇〔一ヶ月目で0.5〕を始め、一ヶ月ほどして色の
判別も少しずつ出来始めました。二ヵ月半後には視力1.2、色覚異常なし、車の運転も可能に
まで回復し、かかりつけの眼科医も大変驚いたそうです。

日常の臨床で、これほど劇的に回復する例は稀です。私はこの例については、眼科医の診断ほど
視神経は侵されていなかったこと、素早く針灸治療を開始したこと、最初は変化が乏しくても効果
判定を行っていたため患者さんが治療を頑張れたことが、好結果に繋がったものと思われます。
針灸治療は魔法ではなく、ある種の科学ですので、これらの条件が悪くなるほど好結果が得られ
にくくなることを、日頃の臨床で実感しています。針灸治療は時として奇跡を生み出すことがある
ので、こんなときは針灸師冥利に尽きますね。

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vol.3 スポーツ障害と針灸治療

私が帰国して初めて受け持った患者さんの話です。この患者さんはサッカー部に所属していて、
レギュラーのGKをしています。勝ち抜き戦の市大会を控え、なんとか膝関節の痛みを抑えて
出場したいということで来院されました。10代前半のスポーツ選手に多くみられるオスグット病で、
本来であれば運動を制限させるべき所見です。痛みを抑える治療は難しくありませんが、それ以前の
問題で私は悩みました。仮にプロ選手なら本人と相談の上で、痛みを抑えて出場させるという
選択も正しいと思われます。しかし患者さんは10代のアマ選手で、無理をさせれば今後に障害が
残る可能性が考えられます。 

治療は局所のパルス治療を中心に、足三里や三陰交を加えた通り一遍の治療でしたが、痛みは
取れました。チームの監督さんからは「随分調子良くなったな」といわれたそうで、本人も動きが違うと
喜ばれました。しかし大会を順調に勝ち進んだため、練習や試合日程も過密気味になってくると、
やはり負担も強まってきます。その度に治療に来院されましたが私の悩みも深まりました。状態は
痛みこそ抑えられていましたが、以前に比べ良いとはいえない所見でした。

結局大会に敗れて練習も軽くなり、少しして症状も軽減したため治療も終了することになりました。
本人も試合で力を出せたということで納得されていましたが、振り返ってみると危険なケースだったと
思います。ありふれた症例ですが、当時の私には随分と考えさせられた、記憶に残る治療でした。

それからしばらくして、今度はテニスのスポーツ障害で来院された方がありました。今度は先の例を
お話して治療をしながらも、少しでも運動量を制限するよう働きかけ、こちらの話も納得していただけ
ました。鍼灸師は医師ではないので強制力も有りませんし、経営を考えれば患者さんの望むままに
治療を続ける場合があるかもしれません。しかし、いつも患者さんの体を第一に考えた適切な治療や
指導が必要ですよね。

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vol.2 病気の勢い

以前から往診にうかがっている80代の患者さんがあります。この方が数日前から風邪を引かれたと
言われたので、舌・脈を見せていただくと、舌診は舌尖がやや赤く、脈はやや数、有力、少し熱も
あるとのことでした。中医学では風熱証と鑑別できるため、きょ風清熱の治療として、合谷、風池、
肺兪等に刺針し、熱っぽさが消え、脈が落ち着くのを確認して、「これで大丈夫と思います。」と話して
帰りました。 

ところが夜になって症状が一変しました。39℃近くの熱が出て病院に行かれたとのことでした。
それまで中医学の診断に一定の自信を持っていた私は、大きなショックを受けたのを憶えています。
なぜこのような結果になったのでしょうか。いろいろ考えた末に仮説を立てました。つまり、この方は
既に90才に近い方なので、治療は効いたものの病勢が上回ったのではないかと考えました。

この年は風邪が流行っていたので、他の往診先でも同じようなことがありました。お孫さんの風邪が
70代の患者さんに移り、二人とも熱があるとのことでした。先日失敗したばかりの風熱証なので、
私も慎重に診断・治療しました。どちらも症状は同じで脈も似ていましたが、治療後の脈が異なり
ました。70代の方の脈は力がやや不足しています。これは若いお孫さんに比較して正気の弱りが
あることを示しています。私は「お孫さんは良くなると思いますが、山下さん〔仮名〕は熱が出るかも
しれませんよ」と話して帰りました。

結果は私が話した通りになりましたが、家の方が警戒して薬を飲ませたため大事には至らなかった
そうです。その後、家族の方からは治療に大変な信頼を寄せて頂けました。今回の二つの症例は
例えていえば、洪水の時に良い杭を打っても押し流されてしまうのと同じく、病勢が強い場合には、
例え治療して一時的に軽快しても油断できないことを私に教えてくれました。この臨床以降、私は
治療の課題として、病勢〔機序を含めて〕と治療の在り方をテーマの1つにしています。針灸臨床の
実際とは、患者さんの力〔体力等の正気〕を借りた病気〔邪気〕との戦争といえそうですね。

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vol.1 合谷穴と歯痛  

いつも腰痛と膝関節痛で来院されている患者さんがあります。この患者さんが昨日から右手の
第1と第2中手骨間〔合谷穴-拇指と示指の付け根付近〕の第2中手骨付近に眠れないほどに
強い痛みがあり、夜間増悪、静止時痛有り、叩打痛有り、腫脹若干有り、関節運動は可能だが
疼痛増すという症状でした。原因は不明ですが、農作業に従事している関係で色々な農機具を
扱うために生傷が絶えません。

このケースで私はまず部分骨折〔ヒビ等〕を疑い、かつ合谷穴ということで、経絡や臓腑の反応も
含めて診断、治療を行うことにしました。脈は遅・弱、舌は淡白であり中医学的には強い炎症は
考えにくいと診断できます。治療は通常の腰痛や膝関節痛の他に、外傷による疼痛に即効性を
持つ足竅陰穴の反応を診て、右足竅陰穴に刺針しました。疼痛部位である右合谷穴は骨折の
疑いが捨てきれないため、今回は見送ることにしました。

治療直後は疼痛が消失しましたが、帰りがけに少し痛みが戻ってきたとのこと。この時に気が
ついたのですが、常々歯の調子が悪いと話されていたことを思い出して、「どこの歯が悪かった
でした?」と尋ねたところ、右上歯といわれたので、この時点で歯痛との関与の線も出てきました。
合谷穴と上歯は手陽明大腸経という同じ経絡上にあるためです。整形外科はもちろん、歯科も
受診するよう勧めて、その日の治療を終えました。

 3日後に来院された時には、その日のうちに歯医者さんで右上歯の治療をしてもらい、その夜
から嘘のように痛みが止まったとのことでした。合谷穴とその経絡上にある歯痛との関連性を
改めて実感した症例でした。今回は骨折の疑いが捨てきれなかった為、右合谷穴に刺針できな
かったのが残念でしたが、この辺が私の未熟な点ですね。中医学の診断を信頼していれば、
右合谷穴に刺針できたはずです。経絡の存在を実感できる貴重な体験をさせていただきました。 

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