(2)師匠に叱られれば嬉し涙(つづき)


 ここで文楽の修業の順序をいうと、はじめ大序になるには丸三年、次は序中となるのがこれも3年かかります。ところが私はわずかに一芝居(3,4日)で大序にされた。これは当時の紋下摂津大掾がミス中で私の語っているのをきき、破格の昇進を許されたのです。

 納まらんのが仲間のもので、ぐずぐずいう声が高い。摂津大掾はこれをきいて英大夫はほかで修業してきておるからええじゃないか、力があるものは伸ばしてやらねばならんと、頭取を通じて、不平組を押さえつけた。そして次の一芝居で私はまた序中を許されました。さあいよいよ納まらんのが楽屋の連中です。なんぼ英大夫がしっかりしとるというても、あんまり出世が早すぎるという非難の声。私にしてもきまりがわるい。どんなに心臓が強うても、百人、百五十人という仲間から嫉視されるのは辛いものです。ちょうどそのころ師匠の呂大夫も、文楽におもしろくないことがあって地方巡業に出るといいだしたので、私も師匠と一緒に旅に出ました。間もなく松竹に呼び戻されて帰ってみると、序中の口につけ出され、それから6年ほっておかれました。この間が私の修業で精神的にも一番辛い時代だったと思います。

 修業の辛さというと第一に眠いことです。なにしろ弟子は一日中師匠の雑用からふき掃除など女中の下回りもせねばならん。一番あとで寝て一番に起きるのです。朝まだ暗い4時半に起きてそのころ両替町にあった師匠の宅から文楽座まで韋駄天走り、よくも身体がつづいたと思いますね。

 笑い話ですが義太夫の弟子は、やめたらあんまで食えるといわれます。師匠のあんまをするのが日課となります。いまの大隈大夫もずいぶん先代のあんまをしたものでした。私は最近よく昔といまと、どちらが修業がむつかしいかと聞かれます。しかし私に言わせれば、いまの方がかえって修業はむずかしいと思います。昔はめったにけいこはしてくれぬ、どこかほかの師匠のところへ行って聞いて来いと言います。そこで出かけて行って、お願いしますと板の間へすわる。一口語ると「違う、またあしたこい」といわれる。次の日に出かけると「違う、もうあしたは来んでええ」といわれる。それで帰ってしまってはおしまいです。座を下って次の者のけいこを聞いていると、自分の間違っていたところがわかる。すると師匠が「お前まだそこにいたんか、しょうのないやつ。もう一ぺん語ってみい」と言われる。それが涙の出るほどうれしかったものです。昔はこんなけいこぶりでしたが、民主主義になった昨今では、弟子が間違っていても師匠は遠慮して注意さえしません。「わてはこんな風に習ったんやが、よかったらとんなはれ」と言ってわざわざ語って教えてくれる。しかし弟子は民主主義でうぬぼれをもっているから、なかなか習おうとはしません、従って芸が身につかん。つまりいまの方が修業が難しいといえましょう。
 

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