5 非スパ
アトルが出したお茶を舌でちょっと舐め、シーネラルは、熱さに顔をしかめた。その様子を見た両親が唖然としているのを気にしながらも、ザンは彼に訊いてみた。
「やっぱり猫舌なの?」
シーネラルは頷いた。ちなみに、今の彼は尻尾などを隠している。ザンは感動したようだったが、シーネラルにはどうでも良かった。なにせ、舞に始まって、暢久まで、皆が似たような反応だったからだ。最初は面白かったが、いい加減飽きた。
「わたし自身も信じられないことなんだけど、わたしを好きな男の子がいて…。」
シーネラルに説明させると、かえって手間がかかると思ったザンは、思い出しながら、簡単に、起こった出来事を両親へ話した。
アトルは受け入れたようだったが、頭の固いタルートリーは作り話をするなと怒り出した。
「わたしを馬鹿にするでないっ。そんな話を信じろと言うのか?」
シーネラルは彼をじっと見ていた。
「あんたには、その時に意味も無く気持ちが高ぶって、馬鹿な行為をしてしまい、後から思い出すと、何故そんなことをしたか、分からないということは無いのか?」
「普通に話せてる。」
「余計なことを言うな。」
シーネラルはザンを睨んだ。ザンは慌てて口を押さえた。
「そなたは、その少年の為に我が娘を誘拐したという、下劣な行為を正当化したいのか?」
「違うな。今、俺は、その少年の気持ちを代弁しただけだ。」
シーネラルは軽く息をつくと続けた。「確かに馬鹿な話さ。でも、俺はそいつが好きだから、思いを叶えてやりたかった。」
「やり方はいくらもあるであろう!」
「子供達が考え出したのが、その方法で、俺はそれが面白いと思った。」
シーネラルはまだ口を押さえたままのザンを見ると、その手を外してやった。
「我が娘に触れるでない!」
「独占欲が強いな。」
「自分の行為を考えてから、物を言うがよかろう。」
「…。…ともかくそういうことだから。ザンは何も悪くないんだから、あんたの頭に一杯になっている考えは実行しない方がいい。」
タルートリーが呆然となった。シーネラルは立ち上がると、ザンの頭を撫でた。「明日、暢久と一緒に、弟を連れて俺の家へ来い。お前と弟は俺達の一員に決めたから。」
部屋の隅に居たザンの弟、武夫が、目をまん丸にしてこっちを見た。シーネラルは側へ寄ると彼の頭に軽く触れた。
「お前、面白い。魔力を感じる。」
「り、にゃんにゃん。」
隠している猫耳や尾や髭が、この子には見えているようだ。
「見えるか。」
「何の話ですの?」
アトルが二人の側へやって来た。
「あんたが知っている通り、この子供には不可思議な力がある。面白い存在だ。」
「分かって下さる方がいらっしゃるなんて。夢みたいですわ。私、武夫には超能力があるって言っているのに、タルートリーったら、信じて下さらないんですのよ。嬉しいですわ。」
アトルは微笑みながら、武夫の頭を優しく撫でた。それを見たザンが顔をしかめるをシーネラルは見ていた。
「アトル、武夫は知恵遅れなだけだ。この男は危険だ。心を読む悪魔だ。」
タルートリーがアトルとシーネラルの前に立ちはだかった。
「その子供は、人にはない力を持っている。ただ、俺に関しては半分合ってる。俺は人間を喰う生き物だ。」
武夫以外がぎょっとした。その武夫はシーネラルの尻尾に触れようと必死になっていた。尻尾は散々彼を焦らした後、届かない高さに上げられた。諦めきれない彼は、シーネラルのズボンを掴んで背伸びをすると、何とか根元に触れた。シーネラルは振り返って武夫の両手を掴んだ。「お前の方が上手だったな。」
シーネラルの言葉の衝撃のままに、二人の奇妙な行動を見ていた三人。頭を切り替えたアトルは、口を開いた。
「…武夫は何をしましたの?」
「俺と遊んだだけだ。…夜遅くに邪魔した。帰る。」
シーネラルは武夫とザンの頭を撫でると、玄関へ向かった。
「我が子供達をお前の家には行かせぬ。食事になどされてたまるか。」
タルートリーの言葉に、シーネラルは吃驚した顔をした。
「俺が喰うのは、生きる望みのない病人や老人、悪人。子供は喰う部分が少なくてつまらない。」
「漫画だと、子供は柔らかくて美味しいって言うのに。」
ザンが言った。
「好みの違い。」
それだけ言うと、シーネラルは帰っていった。
「これから先、あの物の怪と関わり合いになるのを禁じる。」
タルートリーが威厳たっぷりに言った。
「はい。…あの、お父さん。今日みたいに、問答無用で連れて行かれたら、どうしますか?」
「その場合は仕方ないが、出来るだけ早く帰ってくるのだ。」
「分かりました。」
ザンは答えながらも、多分これからあの人達と楽しい日々を過ごすんだろうなと思った。武夫も一緒なのが嫌だけど。タルートリーはそれだけで部屋に引っ込んだ。
武夫が「にゃーにゃにない(訳=猫がいない)。」と、寂しそうに呟いているのを慰めたアトルは、
「私、思うのですけれど、あの方はきっと、人間に恨みを残して死んだ化け猫なのですわ。」
「え?」
お母さんは、何を言い出したんだろう、とザンは吃驚した。
「ですから、人間を食べて、恨みを晴らしているんですの。」
「自分を妖怪だとは言ってたけど…。そうなのかなあ…。シーネラルさん、あんまり人間を恨んでいるようには、見えなかったけれど…。あ、関係ないけど、お手伝いさんにメイド服を着せてた。」
「あら、今の時代に?」
「はい。お母さんより年上の人が一人(舞)に、同じ位の人が一人(絵実)に、20歳過ぎた位の人が一人(明美)。」
「変わった方ですのね。」
「血は繋がっていないみたいだけど、一人の男の子のお父さんをしているの。だからか、お家が、男の子達の溜まり場になってるみたい。恨んでいる人間にそういうことをさせるかなあ…。」
「では、違うのかもしれませんわね。」
アトルは自分の説をあっさり引っ込めた。「ああ、そうでしたわ。もし、人間を恨んでいるのなら、家へ招待しませんわね。」
「わたしもそう思う。」
二人はほっとした。恐ろしい人の所へなんて、行きたくないし、行かせたくないから。
「ところで、あの方、武夫に魔力があるなんて、言ってましたけど。」
アトルは困惑の表情を浮かべた。「魔力ってなんでしょう?」
「あの人は人間じゃないから、超能力をそんな風に言うんじゃないの?」
「日本語は上手でしたけど、表現が多くて、選び間違えたのかもしれませんわね。」
「小さい時から喋っていると分からないけど、外人には日本語って難しいんだっけ?」
「そうらしいですわね。」
アトルは答えた。彼女は日本人ではないが、日本で生まれ育ったので、考え方は日本人なのだ。両親の母国語も殆ど話せない。話したとしても、日本語訛りになってしまう。
「ザン、お父さんには秘密ですけど、あの方のお家へ、好きなように遊びに行って構いませんからね。」
「いいの?」
「言わなければ分かりませんわ。私、武夫に外の空気が必要だと思いましたの。」
武夫は学校へ行っていない。行くとしたら養護学校になってしまい、そこは全寮制なので、滅多に会えなくなる。アトルは、普通の子供でも学校へ通わせないで、親が教えている家庭があるからと言い張っていた。実際にそういう子はいるが、武夫のような特殊な子にそうしていいかどうか分からない。それに、ちゃんと養護学校へ行かせた方が将来、武夫の為になるかもしれないのだ。しかし、タルートリーはアトルとの言い争いに疲れて、彼女の好きにさせていた。彼自身は、健常児ではなく、しかも変な力まで持っている武夫に対する愛情度が低い。息子がどうなっても構わないのだ。
「明日くらいはお母さんもついてくる?」
「そうするかもしれませんわね。心配ですもの。」
アトルは微笑んだ。
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