壊れたラルスが生きている世界

17話

 1週間後。ラルスはぺろぺろと指を舐めていた。
「んー、素晴らしいね。……はぁ。」
 感嘆の溜息。手を伸ばし、それを掴むと口に入れる。もぐもぐ。「やっぱ、これだよね。」
 しばしお食事タイム。
「お腹一杯。」
 満腹して満たされたのでごろりと横になる。ラルスはひとしきり笑った後、「こういう時を至福って言うのかな? きっとそうだ。ねえ、君もそう思うでしょ?」
 隣に転がる生首に話しかけた。すでに息絶えているので、返事はない。
「僕さあ、思うんだけど、血って色によっての味の差がないじゃん。じゃあどうして、人間みたいに赤だけじゃないんだろうね? どうせなら、赤は甘くて、橙はすっぱくて、青は爽やかで、紫は……シーネラルさんの血は、古ぼけた味かも。歳だし。……ははは、なーんてね。
 君さあ、返事する気はないの? それとももう死んだ?」
 ラルスは生首を揺すった。「……なーんだ。つまんないの。」
 がりっ。むしゃむしゃ。


 体をきれいにして、ラルスは城に戻ってきた。そろそろ城下町や城の部下が騒がしい。そう、ラルスが殺しては食うと言うのが噂になり始めたのだ。戦いと無縁の者でも、壊れた者というものがどんなものなのか、知り始めているのだ。
 『シーネラルさんあたりが、ご注進し始める頃かなあ……。』
 同い年のターランでさえ、壊れた者が怖いと知っているのに、弟は能天気に自分を兄と慕ってくれている。トゥーリナの家族思いは、彼の美点でもあり、弱点でもあるらしい。
 『どうせなら、えおを食べてから死にたいなあ……。』
 ラルスは微笑んだ。可愛くて、面白くて、怖くて、旨そうな武夫。ラルスは武夫が大好きになっていた。しかし、ペテルとシーネラルはラルスが武夫と2人きりになることを許してくれなかった。ラルスが平然と、「えおは美味しそう。食べたいな。」などと口にしたのがまずかったらしい。2人ともそれが冗談ではないと知っているのだ。母親のザンは「そうだよね、食べちゃいたいくらい可愛いわ。」などと笑っていたが。彼女は人間だから、それが言葉通りだと分からないようだ。


 居間へ入ると、珍しく武夫が1人でいた。彼の周りの妖気と霊気が、どす黒くなっている。メーターはマックスに近いようだ。
「お父さんと会ってから、まだ1週間……と3日くらいじゃなかったっけ? 今回は随分と早いんだね。」
「るるちゃい(訳=五月蝿い)。」
「そういうことを言うと、人間界へ連れて行ってあげないぞ?」
 わざと可愛く言ってみた。
「るるちゃい。」
 武夫が険悪な表情になった。妖気と霊気が醜く蠢きだした。ラルスの冗談でさらに機嫌が悪くなってしまったらしい。逆効果だったようだ。誰もいないのも機嫌が悪い一因だろう。
「……機嫌は最悪なのかなあ?」
 ラルスの口に悪戯な笑みが浮かぶ。どうせ誰もいない。それなら、この子供を充分いたぶってから食べてもいいだろう。食べたばかりで満腹だから、時間をかけて遊んでやろう。ラルスはそう思った。
「えおってさあ、その膨大な霊力を、防御とか人の心を覗くのにしか使わないけど、それって勿体無くない? しかも君って、この周りに漂う魔力を自分の力として取り込めるよね? そんな応用力もあるのに、界間移動すら出来ないなんてさあ……。界間移動なら、呪文さえ使えば……あ、君の舌じゃ無理かな。自国の言葉すらまともに操れないし、ましてや難しい聖魔界語なんて……。」
 話し終える前に、気で出来た拳が飛んできた。かわすことも出来があえて受けてみた。「痛くないよ? こんなんで壁まで吹っ飛ばされるなんて、ペテルってば本当に強いのかなあ……。……あだだだだっ。」
 体中を針で刺されるような痛みと、電気でも流したかのような痺れが走った。
「ひっどーい。追加攻撃したあっ。ダークなえおは容赦ないなー、もう。ほんのちょっと挑発しただけじゃん。」
 ラルスはにこにこ笑った。「界間移動の呪文を教えてあげようか? 君の舌でも1年後ぐらいには喋れるようになるんじゃない?」
 また拳の攻撃が飛んできた。ラルスが後ろに飛ぶと、横から別のが来た。ラルスは慌ててバリアを張った。
「何その反応速度。普段は何もかもが遅いのに。ダークサイドに堕ちると、脳みそまで冴え渡るわけ? ザンなみじゃん。」
 武夫が立ち上がる。「んー? まだ何か面白い攻撃をしてくれるの?」
「“……”。」
 普段の赤ちゃん言葉と創作が混じった日本語とは似ても似つかない滑らかな言葉が紡がれた。
「ああ、そうか。君、界間移動の呪文が使えたんだ。しかも上手いねー。君なら魔法も使えそうだね。」
 ラルスはくすくす笑う。「そんなにお父さんに会いたいんだ? そんな美しい聖魔界語が使えるくらいに? 必死に覚えたんだね。綺麗に唱えれば、そして霊力が強ければ、人間でも使えるかもしれないって必死になったんだ。……愚か過ぎて笑えるよ。無駄な努力をずっとしてきたんだねー。滑稽だね、君って。」
 武夫は無言だった。
「ちぇー、にしてもつまんないの。せっかく一所懸命に呪文を唱えさせて、人間は界間移動の呪文を使うことが出来ないって教えて、失望させたかったのになあ。嘆く君が見たかったのに。」
 ラルスは頭をかいた。「ああ、そっか。一連の攻撃は、馬鹿にされたからじゃなくて、僕が嘘をついたからだったんだね。騙そうとしたことを見抜いちゃったのかあ。」
「ぶ。」
「え? なあに?」
「り。」
「んー?」
「なっちにけ(訳=あっちへ行け)。」
「明快な拒絶を有難う。でも、僕は何処にも行かないよ。何故かって言うとね、シーネラルさんが、僕の危険性について、そして、城下町の人達が壊れた僕が城に出入りしていることを知り始めたことが、第一者トゥーリナ様の評価にどう関わるのかを色々とご教授しそうなんだよね。」
 ラルスは顔をしかめる。「僕の思った通りなら、殺されちゃうかもしれない。だったらさ、死ぬ前に美味しそうな君を食べておきたいんだ。」
「うー……。」
「分かってくれたかな。」
 ラルスはにっこり微笑むと、武夫に手を伸ばした。「じゃ、頂きます。」
 武夫は相変わらず無表情だった。しかし、目に酷薄な笑みが浮かんだように見えた。冷たい眼差しにラルスは驚く。彼の体から手が沢山出てきた。いつもと違って大量だったので、ラルスは一瞬硬直した。……それが良くなかった。彼がどんな表情を浮かべようが、そして何をしようと、殺してしまえば良かったのだ。そうすればあんなに酷い目にあわずにすんだのに……。
 その無数にも思える手が、ラルスの頭と心臓に入ってきた。



08年10月2日
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