壊れたラルスが生きている世界

8話

 数日後。トゥーリナは仕事が忙しいので滅多に相手をしてくれず、ギンライは発作が休みの時にいつでも話せると思っていたら、正気でないこともあると知ったラルスは暇を持て余していた。一日の殆どを激しい苦痛とともに過ごしているギンライが、正気を保っていられないのは仕方がないのかもしれないが…。
「暇が嫌だからここへ来たのに…。」
 家具を買ったり、顔を怖がる百合恵の為に眼帯を買ったりするといった、この城で生活していく準備はもう終えてしまっていた。「むー……。あんま気が進まないけど、あいつらのとこにでも行くかな……。」
 ラルスは立ち上がると、武夫達の所へ向かった。


 ペテルと武夫とザンは、城の子供達と遊ぶのが日課のようだ。気の毒なことに、シーネラルも遊びに参加させられているらしい。鬼ごっこ、影ふみ、缶蹴りといった日本の遊びや、妖魔界の遊びで楽しく過ごす。ラルスは最初、これは武夫が子供だから当然のことだと思っていた。しかし、観察しているうちに、この遊びを一番に喜んでいるのは武夫ではなく、ペテルだと分かってきた。日本へ帰り、父親と過ごしたがる武夫の気を紛らわせようと子供達と遊ばせていたのに、今ではペテルがこれを喜んでいるのだった。武夫本人も遊ぶこと自体は嫌ではない。しかし、彼の本心は日本へ帰ること。彼を観察していて分かるのは、帰りたいのに帰れないもどかしさと、人間界へ連れて行ける力があるのに、連れて行ってくれないペテルやシーネラルへのかすかな恨み。


 ラルスは、武夫を面白い子供だと思った。彼に自殺願望があるのはどうしてなんだろうとも思った。爆発すれば人間界へ帰れる。そうして、武夫はたまには父親へ会っているのに。何も死ぬことはないだろう。答えを知りたくなったラルスは武夫を人間界へ連れて行くことにした。ちなみにこちらの世界のシーネラルは、武夫が父のタルートリーに虐待されていると知っている。それで、武夫が手をつけられない状態にならない限りは、日本へ連れて行かないのである。


「にーの(訳=いいの)?」
 武夫の瞳がきらきらと輝く。
「うん。急いで行こうね。トイレに行くって誤魔化したんだから、早くしないとばれちゃう。」
 ラルスが微笑むと、武夫がしがみついてきた。その、トイレに行きたいという演技は下手だったが、いつもラルスは下手な演技をしているので、誰も怪しまなかった。壊れていることを一般人に知られない為の演技が、妙なところで役に立った。
 ラルスは界間移動の呪文を唱えた。扉が開いたので、武夫を連れて飛び込んだ。


 靴を脱いで家の中へ入るというのは、面白い体験だとラルスは思った。しゃがんで、じゅうたんへ触れてみる。
「へー。靴で歩かないと、こんなに清潔なんだ……。」
 顔を上げると、武夫が歩いていくのが見えた。母親のザンは、ラルスが挨拶もなくいなくなったと怒っていたが、息子が同じことをしている。「有難うぐらい言えー。僕は日本へ来る為の道具なのー?」
 文句は聞いてもらって始めて通用するのだと知った。武夫は振り向くどころか反応すらせずに、さっさと歩いていってしまう。頭にきて、転ばせてやろうかと彼の側へ行く。どんな顔をしているのかと思い、武夫の顔を見た。
「……。」
 ラルスは立ち尽くした。「ねえ、自分を殴ることしかしない父親なのに、そんなに必死になるほど、会いたいの?」
 もちろん、答えはなかった。


 武夫が戸を開けると、タルートリーが不快そうな表情でこちらを見た。
「何しに来たのだ。」
 返事はしない。そんな余裕はない。武夫は焦るあまりに何度も転びながらも、タルートリーの側へ立った。そして、必死で父の足にしがみつく。「わたしへ触れるでないっ。」
 痛みが走る。気にしない。次にいつ会えるか分からないのに、それくらいで離す気にはなれない。痛みは連続で襲ってきたが、武夫は父のぬくもりだけを感じようとしていた。


「そんなに殴ったら、えおは死んじゃうんじゃないの?」
 タルートリーは、聞きなれない声に驚きながらそちらを向いた。兎の形をした眼帯を着けた変な兎が立っていた。そんな物を身につけるなんて、この男は頭がおかしいのかと思った。しかし、よく見ると顔は傷だらけで、片耳が半分欠けている。タルートリーは、耳が欠けたり、目が見えなくなった猛者のような雄猫を連想した。車に轢かれたものなどではない、戦いで出来た傷。名誉の負傷。その兎の物の怪からはそんな強いオスの気配を感じた。
 しかし。
「ねえねえ、どうして、肩の上に悪魔がいるの? お友達?」
 子供のような口調と笑顔。別の世界でトゥーリナが肩透かしを食らったように、タルートリーもあまりの落差に、呆然としてしまった。それで、彼は兎の質問を忘れてしまった。悪魔が実在していると知らない彼には、良かったかもしれない。
「お・お前は誰だ……?」
「あ、名乗ってなかったね。僕、ラルスって言うの。トゥーリナを知ってる? 僕は、トゥーリナのお兄ちゃんだよ。」
「そうか……。お前が武夫を連れてきたのか……。」
「うん。余計なことしてご免ね。でも、僕やっと分かったよ。」
「何が分かったのだ?」
 タルートリーが訝しげな顔になる。
「えおが自殺したがる理由。」
 ラルスは、タルートリーの足へしがみついたままの武夫を見た。よく疲れないものだと感心する。「会えないのは辛い。でも、会っても決して可愛がってもらえない。生き地獄なんだね。だから、死にたいんだ。」
「……。」
 タルートリーが俯く。
「その地獄を終わらせるのに、邪魔なのはお前だね。」
 ラルスはダーク・デーモンを指差した。「ねえ、僕さ、悪魔って食べたことがないんだ。食べてもいいかな? 悪魔界の第一王子様だもの。さぞかし美味しいと思うんだよね。」
 ラルスはにっこりと微笑んだ。



08年9月21日
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