壊れたラルスが生きている世界

7話

 暫くすると、兄の気が緩やかに体の周りを漂いはじめた。
「ご免ね、トゥーリナ。やっと落ち着いたよ。えへへ、吃驚したよね。」
 兄が照れたように頭をかいた。
「ん、まあな。でも、なんとなくだけど、事情が分かったから。」
「そう? トゥーリナって頭がいいんだ。いいなあ。僕、馬鹿で。」
 二人は笑いながら歩き始めた。


 食堂へ入る。
「あーっ、さっきの礼儀知らずの兎野郎! てめえ、なんでこんなとこに?」
 幽霊のザンが怒鳴る。ターランとシーネラルを除く全員がぎょっとした。「トゥーリナ、どういうことだよ?」
「そういや、兄貴、お前等と会ったって言ってたな。……ザン、お前なあ、今日は口が悪すぎるぞ。少し慎め。」
「うっせぇ奴。」
 ザンが西洋人のように肩をすくめた。「で、なんでラルスがここにいるんだよ?」
「あれ? 僕、君達に名乗った記憶がないんだけど。どうして僕の名前を知ってるの?」
「シーネラルがあんたのことを思い出したのよ。あんたとトゥーリナが兄弟なのも、その時に聞いたわ。」
「シーネラルさん、僕のことを思い出してくれたんだあ。嬉しいなあ。」
 ラルスは喜んでいるが、シーネラルは渋い顔をしている。夕食を一緒に摂るだけでラルスが帰ってくれるといいが……と、彼は考えていた。
「そう。腹違いだけどな。……まあ、親父の子供は皆そうだが。」
 トゥーリナの言葉にザンが頷く。
「だろうね。似てねえもん、あんたら。」
「腹違いって何?」
 リトゥナが訊いた。
「お父さんは同じでも、お母さんが違うってことよ。育ったお腹が違うから、腹違い。」
 百合恵が教えた。
「じゃあ、お父さんが違う時はなんて言うの?」
「異父兄弟よ。父が異なるって書くの。異なるは、違うを難しく言ってる言葉よ。」
「へー。面白いね。」
「その言葉を使うなら、異母兄弟もあるわね。それは異なる母と書くわ。あれ? じゃあ、腹違いに対する言葉はないのかしら。……うーん、知らねえ。あるのかね。」
 ザンは考え込んだ。
「後で、辞書でも調べなさいよ。あなたはそういうのが好きでしょ。……わたし、いい加減にお腹が空いたわ。ラルスさんと言ったわね。あなたもお腹が空いたでしょう?」
「うん。とっても。」
 言葉は優しくても、目を合わせようとしない百合恵に笑いながら、ラルスは答えた。ラルスの顔が怖いらしい。ザンは気が強いから、気持ち悪いと言いつつもちゃんと彼の顔を見た。しかし、百合恵には無理らしい。
 それから夕食を楽しんだ。会話が弾んだが、シーネラルだけは無言だった。
 『頼むからいつかないでくれ……。』
 願いが無駄だったと、シーネラルはそのすぐ後に知ることになる。
 食事後。
「で、何日くらい泊まるのさ?」
 ザンがラルスに訊いてきた。
「うーん、そうだね。最初はそのつもりだったんだよ。何日かお世話になろうかなってね。でもね、トゥーリナが、僕がお城で暮らすのはもう決まっていることみたいに言うんだ。だから、明日にでも箪笥やテーブルなんかを買ってくるつもり。」
「トゥーリナらしいね。俺様だもんねー。皆が自分の言うことを聞いて当たり前って思ってるんだよね。」
 ザンが、けけけとまるで悪の魔女みたいな笑い方をした。
「うっせーな。別にいいだろ。俺は第一者なんだ。……兄貴と話してみて、こいつとならうまくやっていけると思ったんだ。」
 トゥーリナがむくれた。
「どうしてそう思えたんすか?」
 シーネラルが険しい顔でそう言い出したので、皆が彼を見た。「あなたならちゃんと分かっている筈っすよ。ラルスが壊れ……。」
 そこまで言って、彼は口をつぐんでしまった。ここには百合恵もリトゥナもいる。多分、武夫はラルスが殺人鬼だと聞かされても、彼とは親しくないから気にも留めないだろう。しかし、百合恵達には聞かせられない話だった。
「顔は壊れてるけど、それって問題ありなの? あんただって、手と足が壊れてるじゃん。」
 ザンが不思議そうに言った。
「君の発言の方がよっぽど問題ありだよ。失礼じゃない。」
 ラルスは拗ねて見せた。
「大の男が拗ねるなよ。気持ち悪いっつーの。そういうのは顔だけにしてよね。」
「むーっ、じゃあ、自分は喋り方を統一したらどうなの?」
「んなの、おめーに関係あるのかよ? 人の勝手だろが。大体、喋り方がカマっぽいわ、下手糞な演技してるわで、全体的に気持ち悪りぃんだよ。」
 ザンが毒づく。
「死んでる癖にーっ。」
 売り言葉に買い言葉で、ザンとラルスは熱くなっていく。
「ザンちゃんも、ラルスさんも止めなさいよ。」
 百合恵が割って入ろうとする。


「壊れている者を城に住まわせるなんて、どういうおつもりなんすか? 奴が暴走したら? いつも貴方が百合恵様とリトゥナ様のお側にいるとは限らないっすよね。お二人の骨のかけらでも見たいんすか?」
 百合恵が下らない喧嘩を止めるのに夢中で、こちらの話が聞こえないのを幸いと、シーネラルは追求を再開した。
「そういうことにはならないさ。」
 トゥーリナは面倒だなあと思いつつ答えた。
「何の根拠があるんすか?」
「兄貴は壊れた自分に嫌気がさしてる。ここへ来る前に、大量に殺ってるみたいだし、暫くならそういう心配も要らないさ。」
「……そういう会話をなされたと。」
「そう。心配するなって。それに、あんたなら、兄貴にむざむざ殺られるほど弱くないだろ。」
 トゥーリナはシーネラルの肩を叩いた。シーネラルがラルスを振り返る。彼とザンはまだ喧嘩をしていた。口ではザンに勝てないらしく、ラルスがやきもきしている。
「……力はラルスの方があるみたいっすけど、戦闘経験はそれほどないのではないかと。目的がはっきりしている分、壊れている者はある意味、御しやすいんすよ。」
「俺とあんたが試合してみた時、結構あんたは強かった。そりゃ、800年しか生きていない俺が、3000年間も命のやり取りしてきたあんたに、力だけで簡単に勝てるってわけにはいかないよな。」
「要するに、ラルスが暴走したら俺に止めろって言いたいんすか?」
 シーネラルは、何故俺がという顔になる。彼は妖怪のザンの部下であって、トゥーリナから命令される謂れはない。
「そこまでは言わない。ただ、あんたは兄貴に殺られる心配をしなくていいだろってことさ。」
 トゥーリナは笑った。「大体、ヤバさならえおの方が上だろ。あいつは精神に攻撃するからな。あんたなら、兄貴よりえおの方が怖いだろ。俺は別にトラウマなんてないし、刺激されてもたいしたことないが。」
「まー、そうっすけどね。でも、えおは滅多に怒らないし、怒っても喚くだけの方が多いし……。……あの、俺はそういう話をしているわけでは……。」
「心配し過ぎだって。そんなことばかり言ってると、明日にでも皺が出来ちまうぞ。」
 トゥーリナは笑いながら、ラルス達の所へ向かった。いい加減に喧嘩を止めないと、それこそ兄がザンを殺しそうだ。霊体の中には魂がある。魂を破壊されたら、ザンは転生することが出来なくなってしまう。兄がそれを思いつく前に、喧嘩を止めなければなるまい。


 シーネラルは深い溜息をついた。トゥーリナは何も分かっていない。壊れた者の恐ろしさを。



08年9月20日
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