10.まとめ


日本競技かるた史(1)まとめより
 

 平成8(1996)年8月、全日本かるた協会は、社団法人全日本かるた協会(新木敬治会長)として新たなスタートを切った。今やかるた協会は単なる任意団体から、社会的に認知される公益団体として変化を遂げようとしている。
 



新木敬治
3代目全日本かるた協会会長
 


 1年程前、選手として関わっていながらも、自分自身は競技かるたの歴史についてまったく知らないということに気づき、古い新聞等を調べ始めたのがこの拙稿をまとめるに至ったきっかけである。小倉百人一首自体への世間の高い関心とは裏腹に、競技としてのかるたへの認知度は決して高いとは言えないのが現状である。調べている間にも、その 資料の乏しさから何度も壁に突き当たった。それだけに自分の行なっていることの意義を感じ、結局それが励みとなってここまでまとめあげることができた。黒岩涙香がルールを整備してからもうすぐかるたは100年の節目を迎える。未熟なものではあるものの、拙稿が現在までを網羅したかるたの通年史としては最初のものであると自負している。
 個人の調査には当然ながら限界があった。そのため当初予想していたものとは随分異なったものにせざるを得なかった。資料不足から割愛した項目も1つや2つではない。この論はまだまだ未完成であって、今回題名を「日本競技かるた史(1)」としたのは、そのような理由による。今後も調査を続け、また別の機会に(2)、(3)を発表できればと思っている。
 全日本かるた協会は現在、その主な事業の一つとして、小倉百人一首かるた大会の開催及び支援、段位認定などと共に、かるたに関する調査・研究を掲げている。かるた協会自体も腰をあげたようである。今後の調査・研究によって新たな事実が明らかにされることを願ってやまない。
 

(2001年3月)


日本競技かるた史(2)まとめに代えて
 

 「日本競技かるた史(1)」の執筆を終えた時に念頭においていたのは、この成果をこれだけで終わらせてはいけないということであった。今回、ホームページという形ではあるが、「日本競技かるた史(2)」をまとめあげることができたことで、ほんの少しではあるが、貴重な意見を頂いた方々の声に答えることができたのではないだろうか。これからも日々研鑚に努め、この「日本競技かるた史」をより良いものに変えていくことをお約束して、論を終えたいと思う。

 

(2002年2月吉日)


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