高尾
八王子城跡
所在地: 八王子市元八王子町3(高尾駅 バス霊園前下車徒歩20分)
HP:http://hshiro.fuma-kotaro.com/



 八王子城冠木門
 


 日本100名城めぐりの第2弾として、八王子城跡を訪ねた。東京都内で100名城に選ばれているのは、ここと江戸城だけなのだが、こんな有名な場所にも関わらず、これまで来ずじまいであった。
 八王子城は関東を支配した北条氏の一族である北条氏照(1540〜90)の居城で、その本拠地の小田原城の支城として1587(天正15)年頃築城された。その後、1590(天正18)年の豊臣秀吉(1537〜98)の小田原攻めの際に八王子城も戦場となり、わずか1日で落城した。 

 八王子城へのアクセスだが、高尾駅北口からバスに乗り、「霊園正門」停留所で下りる。最初の交差点「八王子城跡入口」を左折。
   



八王子城跡入口交差点
 


 そこから20分ほど道なりに歩くと、ガイダンス施設がある。ここは、展示スペースを兼ねた休憩スペースで、八王子城の歴史を知ることができる。ここで地図のついたパンフレットをもらい、八王子城散策へ赴くことにした。
      



ガイダンス施設
 


 八王子城は、山の上にある本丸跡と、ふもとの御主殿跡が残っているが、やはりまずは本丸に向かうことにした。
 ガイダンス施設のすぐ脇にある広場(エントランス広場)から、登山口を目指した。
   



エントランス広場


 


 しばらく行くと広場があり、そこに小屋のようなものが。八王子城地形模型だった。
 これから行こうとする本丸跡は、まさしく山の上にあり、この先の道は険しそうだ。
  





八王子城地形模型
 


 木製の古びた鳥居が見えた。ここからが登山口になる。
    



登山口
 


 いきなりの険しい登り道。すぐに息が切れてしまった。
  





 


 石の鳥居があった。
 八王子城のある城山の頂上には八王子神社があるが、おそらくその鳥居だろう。
    



石鳥居
 


 さらに山道を登る。
  





 


 平坦な場所に出た。
 「金子丸」とある。「金子曲輪(くるわ)」だ。ここは金子三郎右衛門家重が守備していた場所だという。
   





金子丸(金子曲輪)
 


 少し休んでから、さらに上に進む。
 すると、「七合目」と書かれた碑が。頂上もあと少しなのだろう。
   





七合目の碑
 


 再び平坦な場所に出た。「柵門跡」とある。
  

 

柵門跡
 


 ここからの道はぐねぐねとS字形に曲がっている。
  





 


 崖の上に古ぼけた碑を見つけた。「邦井天界霊」と書いてある。後で調べたところ「修験先達の慰霊碑」であった。 
   



修験先達の慰霊碑
 


 やがて開けた場所に出た。八王子の市街が見下ろせる。
 ここまで苦労して登ってきたが、これを見たら疲れも吹っ飛ぶ気がする。まさしく絶景。
    



眺望
 


 さらに曲輪があった。小宮曲輪であろうか。狩野一庵(〜1590)が守護した。
    



小宮曲輪
 


 すぐ近くに石段があった。この先に八王子神社がある。
  



八王子城への石段
 


 八王子神社は、913(延喜13)年に華厳菩薩妙行が、ここ深沢山(現・城山)山頂で修行中に牛頭天王と八人の王子が現れたことに由来する。916(延喜16)年、八王子権現が祀られた。
 牛頭天王には頗梨采女との間に8人の子(八王子)がいるとされており、八王子神社はこの八王子を祀る。八王子の地名の由来は北条氏照がこの地に城を築いたことによる。
 
 八王子神社の建物は鄙びた木製。すぐ近くには舞殿のような建物もある。また、天狗像も建つ。
    



本殿


舞殿


天狗像
 


 八王子神社の裏手が本丸跡へ続く道。ここまで来れば頂上もあと少し…。
  



本丸への道から八王子神社を見下ろす
 

 
 登り始めてから約30分。八王子城の本丸跡にたどり着いた。
 標高445m。すっかり汗だくになった。プチ・トレッキングである。
 本丸跡はそんなに広くはない。小さな祠が一つ建つばかり。ここは、八王子城の城代である横地監物吉信が守護していた。
    



本丸跡
 


 再び、八王子神社の辺りまで降りてきた。今度は違った道を通って松木曲輪を訪ねた。この地を守護していたのは中山勘解由家範(1548〜90)だった。豊臣方との合戦では奮戦。前田利家(1538〜99)は武勇を惜しんで 助命を申し入れたが、家範は拒否し、討ち死にした。
   



松本曲輪
 


 そこから下山した。
   



 


 今度は八王子城の居住空間であった御主殿跡の方へ行こうと思う。
 八王子城管理棟では、ガイドボランティアも頼むことができるようだが、僕1人だったので頼まないことにした。
   



八王子城跡管理棟
オレンジのジャケットがガイドボランティア


 


 管理棟から下へ降りていく。
 林道を歩くが、すでに山を登ったあとなので、道のりが楽に感じる。 
   



林道
 


 林道の右には古く趣きのある橋などがあった。
   



 


 城山川にかかった橋を渡る。
   



 


 橋を渡って突き当りの辺りが大手門の跡だという。特に遺構などは残っていないようだ。
     



大手門跡
 


 古道(大手道)を進む。
  





古道(大手道)
 


 古道から御主殿に渡る曳橋が復元されている。
  



曳橋


曳橋
 


 八王子城は、当時の遺構がまったく残っていない。所々に石垣が残るだけである。
 石垣の一部は、発掘された石垣をそのままの形で生かしているそうである。
   



橋台石垣


築城当時の石垣
 


 八王子城の虎口(入口)も復元されている。
 同じく復元された冠木門を潜って御主殿跡へと入っていこう。
    



虎口
 


 御主殿跡には、氏照の屋敷などがあった。現在、建物などはほとんど復元されれていないため、広大な敷地が残っているだけだ。もともとこの辺りは、落城後は幕府直轄領や国有林であったため、当時のままで残っていたという。
   



御主殿跡
 

 
 発掘の際に発見された礎石などはそのまま埋め戻され、地面にはダミーが展示されている。
 また、会所の間取りが復元されている。
    



礎石


会所
 


 最後に御主殿の滝に降りていった。
 御主殿の滝は、今はあまり水が流れていないようだが、落城時に婦女子や武将が自刃して果てた場所。川を3日3晩血で染めたというほど凄惨を極めたらしい。
 滝の上には慰霊碑も建っている。  
   



御主殿の滝慰霊碑


ご主殿の滝
 


 ところで、八王子城跡はその歴史のせいか、都内でも有数の心霊スポットとしてテレビや雑誌にもよく登場している。もっとも、この日は天気の良い昼間だったので、まったくそんな曰くつきの場所には見えなかった。
 それでも心霊写真の一枚も取れていないかと思って、帰ってからいろしろ探してみたところ、こんな写真があった。
 御主殿の滝を写した写真だが、よく見ると、滝の下に丸い光状のオーブが写っている。もっともオーブは水滴であったり埃が写りこんでもできるもので、本丸へ向かう写真にもいくつも写っている。
    



御主殿の滝
 


 それよりも、左の方に青白い光が入り込んでいるのが気になる。その光の上の方をよく見ると、人の顔のようなものが写っている。これはまさか本物?
   



心霊写真?
 


 また、林道から橋を写した写真にも、オーブがいくつも写りこんでいる。その中の中央辺りのオーブの1つが、やはり人の顔のように見える。
 果たして真相はいかに? すでに400年も経っているというのに、未だに成仏できていないのだろうか。
 





人の顔?
 

 
 最後は曳橋を潜って林道を通り、戻ってきた。
     



曳橋
 


 林道の終わりに、石の観音像が建っていた。
 なんでも八王子城の管理棟からすぐのところに福善寺がありそこに観音堂が祀られている。そこに向かう道なりに108体の石仏(実際にあるのは16体)が設置されているらしい。今回うっかりしてそちらの方には行かなかったので、いずれ機会を改めて訪ねてみたい と思う。
  



観音像
 


 八王子城跡の見学を終えて、もと来た道を戻ることにした。
 途中、北条氏照の墓所を見学することにした。
  



ここを左に曲がった先に北条氏照墓所がある






階段を登る
 


 脇道にそれて10分程で、北条氏照墓所へ。
 北条氏照(1540〜90)は、北条氏康(1515〜71)の3男。つまり北条早雲(1432〜1519)のひ孫になる。北条氏4代当主の氏政(1538〜90)の弟として、八王子城を本拠地としていた。
 秀吉の小田原攻めの際は、八王子城には城代の横地監物吉信ら重臣を残して守らせ、自身は小田原城の方にいた。敗戦後、兄・氏政と共に責任を取らされ切腹 して果てた。
     



北条氏照墓所
 


 氏照の本当の墓は小田原にあるらしいのだが、この墓所は氏照の百回忌に、常陸松岡藩主・中山信治(1628〜89)によって建てられた。
 墓の左右は、信治と、その祖父で八王子城で討ち死にした中山勘解由家範(1548〜90)の墓だそうだ。
  



氏照墓所の裏には多くの石碑が並ぶ
 


 その近くにある宗関寺は、そもそもは平安時代に華厳菩薩が開いた寺を、北条氏照が再興したもの。八王子城が落城した際に焼失しているが、その後、氏照の菩提を弔うため再興された。現在の本道は明治時代の再建。
   



宗関寺


宗関寺本堂
 

 
 鐘楼の梵鐘は、百回忌の際に中山信治の寄進で、八王子市の指定文化財。
 また、春には枝垂れ桜が見事だという。
  



鐘楼


枝垂れ桜
 


 こうして、八王子城跡観光を終えた。
 それにしても思いがけない山登りですっかり汗だくになった。冷たいビールが恋しい。
  

(2013年4月14日)


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