上野 |
上野恩賜公園 |
所在地:台東区上野公園5−20 (JR山手線上野駅) |
HP:http://www.ueno.or.jp/index3.htm |
上野公園の西郷隆盛像
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ガイドをしていたインド人一家が上野に行きたいというので連れて行った。
上野といえば上野公園。上野公園内には寛永寺を始め、東京国立博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、国立科学博物館などといったプレイスポットがたくさんある。インド人一家の目当ても上野動物園であった。が、それらについては別のページでじっくり紹介することとして、今回は公園内の名所について見ていくことにしたい。
上野公園のシンボルと言えば言わずと知れた「西郷隆盛像」だろう。西郷隆盛(1828〜77)
は明治維新で活躍した英雄。彼の死後1898(明治31)年12月に建立された。
作者は高村光雲(1852〜1934)。彼が連れている犬の名前はツンで、これだけは後藤貞行(1849〜1903)の作。そういえば、この銅像、武蔵丸
(1971〜)に似ていると話題になったことがあったなあ…。顔は肖像画を元にしているが、そのエドアルド・キヨッソーネ(1832〜98)の作という肖像画も、実は弟の西郷従道(1843〜1902)と従弟の大山巌(1842〜1916)の顔を合成したものだそうで、どこまで真相を伝えているかは謎。除幕式で西郷未亡人の糸子(1843〜1922)が、「やどんしはそげなお人じゃごわはんじゃした(うちの人はこんな人ではありませんでした)。」と言ったと伝えられる。もっともこれは、浴衣で散歩するような人ではない、という意味だったとも言うが。真相は今となっては闇の中…。
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彰義隊の墓
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西郷像のすぐそばには、「彰義隊の墓」がある。
彰義隊は天野八郎(1831〜68)らによって1868(明治元)年に結成。明治維新の際に、江戸城開城された後も、この地に立てこもって明治新政府に徹底抗戦。同年5月15日の明治政府の総攻撃によって敗北。彰義隊は総崩れとなった。この戦争での彰義隊の死者は2百数十名にも及んだという。
1874(明治7)年、小川興郷ら生き残こりの隊士らが明治政府の許可を得て、遺体の火葬場となったこの地に「彰義隊の墓」を建立した。遺骨の一部は、
南千住の円通寺に葬られている。
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上野東照宮入り口
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現在も上野公園のすぐ近くに寛永寺があるが、激戦の舞台となったぐらいだから、当時は境内はもっと広かったわけである。
インド人一家のお目当てである上野動物園に到着。彼らが動物園で遊んでいる間、僕は一人で公園内を散歩してみた。
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ラジオ体操ひろばの碑
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なるほど、公園内のあちこちに銅像や碑が立っている。
例えば、「ラジオ体操ひろばの碑」。1991(平成3)年にラジオ体操制定50周年を記念して建立されたもの。
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ボードワン博士像
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こちらは「ボードワン博士像」。アントニオ・ボードワン(1820〜85)は、オランダの軍医。医学講師として1862(文久2)年から1871(明治4)年まで来日。先にあげた彰義隊の上野戦争の際に、この地が荒廃したのを機に、大学付属病院の建設計画が進められていたが、ボードワンは自然が失われることを惜しんで、明治政府に公園作りを提言。1873(明治6)に上野公園が日本最初の公園として整備されるきっかけを作ったのである。つまり、この人は、上野公園の大恩人なわけである。
にもかかわらず、現在の彼は公園の片隅に、それもホームレスのテントに囲まれてひっそりとたたずんでいる…。この像が建立されたのは1973(昭和48)年。上野公園開園100年を記念してである。
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野口英世像
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野口英世(1876〜1928)の像もある。今や1000円札の人として、お目にかからない日は無い。彼の偉業を後世に伝えるため、1951(昭和26)年に建立された。
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グラント将軍植樹碑
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1929(昭和4)年に建立されたのが「グラント将軍植樹碑」。南北戦争の際の北軍の総司令官で、後の第18代アメリカ大統領となったユリシーズ・シンプソン・グラント将軍(1822〜85)が、1879(明治12)年に来日した際、この地で大歓迎会が催された。その際に将軍夫妻が植えたマグノリアとローソンヒノキは現在も残っている。
それにしても、こんなアメリカの代表的な軍人のレリーフ、戦争中はどうしていたんだろうか。
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小松宮彰仁親王銅像
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グラント将軍のレリーフのすぐそばには馬に乗った銅像が。これは「小松宮彰仁親王銅像」。小松宮彰仁親王(1846〜1903)は伏見宮邦家親王の皇子。軍人として戊辰戦争(1868〜69年)、西南戦争(1876年)に従事。日清戦争(1894〜95)の後に陸軍元帥となった。日本赤十字社を始め各種団体の総裁を歴任。現在の皇族の公務の原型を作った人物でもある。この像は1912(明治45)年に日本赤十字社によって建立された。
それにしても、知らなかった人物についていろいろ勉強になる。
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清水観音堂の枝垂桜
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上野といえば都内有数の桜の名所であるが、今年はすでにシーズンも終わりで、残念ながらほとんどは散り始めている。そんな中、清水観音堂のすぐ脇の枝垂桜(しだれざくら)だけは今が満開に咲き誇っていた。
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(2006年4月12日) |