日本一周第3回「白い雲のように」 |
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第2日「栄冠は君に輝く〜兵庫県・滋賀県 ・大阪府〜」 | |||
2006年8月 6日(日) |
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◆甲子園球場(HP) | |||
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初めての甲子園開会式。この後早実の応援をするので、1塁側アルプススタンドに陣取った。 |
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49代表の入場行進に続き、前年度優勝校の駒大苫小牧(南北海道)による優勝旗返還。選手宣誓と開会式のセレモニーは続く。 |
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やがてヘリコプターの爆音が聞こえ、ボールが投下された。 |
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開会式を見ていると、何だか気持ちもわくわくしてくる。 |
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開幕戦の高知商業vs白樺学園(北北海道)はすさまじい試合だった。試合は2回までに白樺学園が4点を奪い優位に試合を進める。しかし高知商業も譲らず、点の取り合いとなり 、5回を終えて白樺学園が7−5とリード。しかし6回裏、高知商業が反撃。2ランホームランなどで一挙4点を奪い逆転。結局、高知商業が10−7で接戦を制した。 |
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そしていよいよ第2試合。早実の相手は大分代表・鶴崎工業。もちろん、甲子園に来るのだから弱いはずは無い。しかもこのチーム、予選を常に終盤の逆転勝ちで勝ち上がってきた“奇跡のチーム”らしい。これは油断出来ない相手だ。 早実の先発はもちろんエースの斎藤佑樹。このすぐ後に国民的アイドルとなり、今もプロ野球で活躍中だが、この時点での評価はそんなに高くはなかった。野球雑誌の評価ではせいぜいBクラス。Aクラスの駒大苫小牧の田中将大(1988〜/現・楽天)や大阪桐蔭の中田翔(1989〜/現・日本ハム)らに大きく水を開けられてしまっていた。 しかし、春の選抜で岡山・関西を相手に引き分け再試合の激闘を制した姿はよく覚えている。延長15回を投げ抜き、翌日の再試合でもロングリリーフで好投。 斎藤は抜群のスタミナと闘志を見せていた。3連投となった翌日の横浜戦は疲れのせいか惨敗したが、1回戦で当たりさえすれば優勝候補であっても勝てるはず である。(この後の佑ちゃんフィーバーを考えると、横浜に3―13で負けた試合を見ていることのほうが貴重な気もする
が…。) |
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果たして、試合の方は早実は投打に鶴崎工を圧倒した。9回表の早実の攻撃を終えて13−1と早実大量リード。 |
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9回裏、斎藤はマウンドを背番号10の2年生・塚田晃平(1989〜/現・広島)に譲り、レフトの守備についた。塚田も春の関西との再試合では3回無安打無失点と好投している。 ところが塚田、大舞台に緊張したのか制球が定まらない。先頭打者にストレートの四球を与えてしまう。続く打者にもストレートの四球。塚田は8球連続ボールで1つもストライクを取れないまま降板し、斎藤が再びマウンドへ向かった。 |
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無死1、2塁のピンチで再登板となった斎藤だったが、ここはきっちり抑えて早実が10年ぶりの夏の甲子園初戦を突破した。 |
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早実は2回戦進出。6日後に横浜と大阪桐蔭の勝者と対戦することになった。 斎藤は3安打1失点と好投。打線も18安打13得点と快調で、2回戦以降が楽しみである。しかしながらリリーフの塚田がまったくいいところなかったのが、気になった。もっともこのことが後に大きな意味を持ってくるのである が、そのことは後日語ることにしよう。 |
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◆近江神宮(HP) | |||
夜は昨日に続き近江神宮へ行った。かるたの大学選手権は個人の部も終わり、打ち上げの真っ最中だった。こちらも滅多にない機会なので、10年ぶりに顔を出した。 北は旭川大学から南は鹿児島大学まで全国の大学生が集まっていた。それにしても、若者のパワーに押されっぱなし(>_<) さすがにもう若くないかもしれない(笑) |
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この日の宿泊は大阪の梅田。次の試合までまだ間がある。明日はまた西へ向かう予定だ。いずれ関西には戻ってくるつもりだが、まさかあんなに長くなるとは、この時の僕にはまったく想像できずにいた…。 |
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憧れ遊び〜兵庫県・岡山県〜 | |||
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