日本一周第2回「旅人よ」 |
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4日目「越前恋唄〜福井県・奈良県〜」 | |||
2006年7月18日(火) |
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今日も朝から雨模様。しかし、敦賀の町へ繰り出した。 |
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◆シングルロードモニュメント(HP) | |||
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敦賀と言えば気比。高校野球の甲子園の常連校・敦賀気比が有名である。そこでまず氣比神宮へ向かうことにした。 そこへ向かう町中に「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像が数多く建っている。はて、敦賀と松本零士(1938〜)は何か関係があるのだろうか? |
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1896(明治29)年、日本海側としては最初の鉄道が福井―敦賀間に開通している。また、1899(明治32)年に敦賀港は外国貿易港に指定された。つまり、敦賀は鉄道と港の町なのだ。その縁で、敦賀港開港100周年の1999年に、「宇宙戦艦ヤマト」のブロンズ像12体と、「銀河鉄道999」のブロンズ像16体の計28体のモニュメントが設置されたそうである。 |
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◆氣比神宮(HP) | |||
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氣比神宮は、仲哀天皇が即位後に国家安泰の祈願を行ったとされる。その後、妻の神功皇后が息子・誉田別命(後の応神天皇)と、重臣・武内宿禰に参拝させたとの記述が「日本書紀」に見える。702(大宝2)年には文武天皇(683〜707)の勅命によって社殿が修造されたとの記録も残っている。その際に仲哀天皇と神功皇后が祭神として祀られた。なお、主祭神は伊奢沙別命(いささわけのみこと)。他に武内宿禰、日本武尊、玉妃命も祀られている。応神天皇から見ると、祖父(日本武尊)、両親(仲哀天皇・神功皇后)、叔母(玉妃命=神功皇后の妹)と一族がそろって祀られていることになる。 氣比神宮の大鳥居は国の重要文化財。もともとは嵯峨天皇の810(弘仁元)年に創建されたが、現在のものは1645(正保2)年に再建されたもの。扁額は有栖川宮威仁親王(1862〜1913)の筆による。 春日大社・厳島神社ともに朱塗りの三大鳥居とされている。 |
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平日の朝それも雨だからか、観光客もほとんどおらず、境内は閑散としている。 |
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拝殿の左手にある手水鉢は「長命水」という霊水。無病息災・延命長寿の効能があるそうだ。 |
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境内で久しぶりに松尾芭蕉(1644〜94)と再会した。松尾芭蕉像を見るのは山形の山寺以来(参照)。「奥の細道」によると芭蕉は1689(元禄2)年8月14日から15日 にかけて敦賀を訪れている。 月清し遊行のもてる砂の上 名月や北国日和定なき 芭蕉は敦賀では2句を詠んだ。 |
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◆永賞寺 | |||
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戦国時代、敦賀を治めていたのは大谷刑部吉継(1559〜1600)。1589(天正17)年、刑部は秀吉より敦賀5万5000石を賜った。 氣比神宮のすぐ近くにある永賞寺は、大谷刑部の菩提寺。 |
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大谷刑部は関ヶ原合戦(1600年)に際し、再三に渡って石田三成(1560〜1600)の翻意を求めたが受け入れられなかった。関ヶ原合戦では東軍を悩ますもついに敗れ、自害して果てた。 永賞寺には大谷刑部の供養塔が建っている。1609(慶長14)年に建てられた九重塔である。 |
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◆旧敦賀港駅舎 | |||
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敦賀にはかつて国際線の発着駅があった。1912(明治45)年から1941(昭和16)年にかけて「欧亜国際連絡列車」が運行されていた。東京駅を出た列車は敦賀港駅(当初は金ヶ崎駅)まで来ると、航路でロシアのウラジオストックへ向かい、そこからシベリア鉄道を経由してヨーロッパまでつながっていた。 旧敦賀港駅舎は1913(大正2)年に建てられた駅舎を、敦賀港開港100周年を記念して1999年に再現されたものである。 |
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ただし、当時の資料は戦災等で残っていないらしく、当時のイメージに近いものとして再現されたそうだ。 駅舎内は資料館となっていて、敦賀の歴史をパネルや模型などで紹介している。 |
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なお、実際の敦賀港駅があったのは、この場所ではなく、少し北東の方角に歩いたところ。現在も敦賀港駅は貨物駅として使用されている。(2009年に使用停止) |
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◆赤煉瓦倉庫 | |||
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旧敦賀港駅舎のすぐ東に2棟並んで建っている赤煉瓦倉庫。これは、1905(明治38)年、紐育(ニューヨーク)スタンダード石油によって建てられたもの。当時は石油貯蔵庫として使われていた。 |
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◆金前寺 | |||
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金前寺(こんぜんじ)は、聖武天皇(701〜56)の勅命により、泰澄大師(682〜767)が738(天平8)年に開創。本尊は十一面観世音菩薩の座像である。 |
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811(弘仁2)年には弘法大師空海(774〜835)が逗留したこともあり、境内には弘法大師像が建っている。 敦賀は南北朝の争乱の際にも激戦の地となり、1335(延元元/建武3)年、新田義貞(1301〜38)が金ヶ崎城に入城。その後足利方の斯波高経(1305〜67)に包囲され1337年に落城した。その際に義貞の嫡男・義顕(1318〜37)、尊良親王(1310〜37)が金前寺の観音堂で自害している。 |
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自害の前に、義顕は陣鐘を海に沈めたと言われている。 1689年、この地を訪れた松尾芭蕉は、この鐘の話を聞き、 月いずく 鐘は沈る 海のそこ と詠んだという。 現在境内には芭蕉翁鐘塚が建っている。 |
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◆金ヶ崎城址・金崎宮(HP) | |||
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先に述べた新田義貞軍の本陣があったのが、金ヶ崎城。現在そこには金崎宮が祀られている。 |
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金崎宮の祭神は、金前寺で自害した尊良親王と、足利軍に捕えられ京都で毒殺されたとされる恒良親王(1324〜38)の、後醍醐天皇(1288〜1339)の2人の皇子である。 |
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戦国時代にもこの地は重要な合戦場となっている。1570(永禄13)年4月、織田信長(1534〜82)・徳川家康(1543〜1616)連合軍は、当時越前を支配していた朝倉義景(1533〜73)を攻め、金ヶ崎城を落城させる。なおも、越前に迫ったが、浅井長政(1545〜73)が裏切り背後から攻撃したために敗走することとなった。 この合戦に羽柴秀吉の家臣として参加していた山内一豊(1545〜1605)は、敵の矢を受け左の目じりから右奥歯まで貫通する深手を負ったが、朝倉軍の三段崎勘右衛門(?〜1573)を討ち取った。一豊はこの功績によって後に近江の唐国に400石を与えられたが、彼にとって最初の手柄であった。 |
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2006年はちょうど一豊とその妻・千代(1557〜1617)を主人公とした大河ドラマで「功名が辻」を放送していた。そんな関係もあり、「功名が辻」にちなんだジオラマが境内に展示されていた。 |
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境内にある摂社の絹掛神社は、1337年の金ヶ崎の戦いの際に自刃した新田義顕以下321人が祀られている。 |
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同じく自刃した尊良親王の墓所見込地を示す碑も建っている。江戸時代の安政年間、この地から経塚が発見され、明治に入ってから尊良親王の墓地であると推定された。 |
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金ヶ崎城址は敦賀湾に面した高台にあり、絶景が広がる。ただ、この日は残念ながら雨模様だった。 |
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◆気比の松原 | |||
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敦賀といえば気比の松原が有名である。静岡県清水の三保の松原、佐賀県唐津の虹の松原と共に日本三大松原としても知られる。敦賀の中心から少し西に行ったところにあるこの松原。40万平方キロメートルの広さの中に1万7000本もの松が並んでいる。 |
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まだ時期が早かったが、もうすぐここも海水浴客でにぎわうのだろう。 |
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俳人の高浜虚子は1957(昭和32)年に気比の松原を訪ね、 松原の続くかぎりの秋の晴 という句を詠んだ。その句碑が建っている。 |
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明治天皇(1852〜1912)も1878(明治11)年、この地を訪れている。その後、1891(明治24)年に勝海舟(1823〜99)が明治天皇が訪れた当時を回想して次の漢詩を詠んだ。 會経駐輦處 黎首憶甘棠 松嶺如奏曲 海涛和洋々 辛卯仲秋 |
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◆晴明神社 | |||
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敦賀は陰陽師・安部晴明(921〜1005)とも関連が深いらしい。安部晴明は正暦年間(990〜94)に敦賀で過ごし、天文学・地文学を学んだそうである。 拝殿には陰陽道の研究に使ったとされる六角形の祈念石が安置されているらしいが、残念ながら入口は閉まっていた。 |
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再び、敦賀の町に戻り昼食を摂ることにした。 福井といええばソースカツ丼。有名な「ヨーロッパ軒」に行こうと思ったが、第2・3火曜日が定休日。そこで、別の店に行った。 福井ではソースカツ丼のことを「カツ丼」と言い、東京でいうところの卵とじのカツ丼を「和風カツ丼」と言うそうである。 生ビールも白山伏流水仕立てであった。 |
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次の目的地は奈良。北陸はたった1日で、再び関西へと帰ることになる。効率がわるいかも知れないが、実は数日後に関西で用事がある。まあ仕方がない。 電車が雨のため1時間半も遅れ、待てど暮らせどやってこない。しかたがないのでマス寿司を買った。 徐行運転でさらに時間がかかったが、ようやくのことで奈良へ到着した。 |
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まほろば〜奈良県〜 | |||
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