日本一周第1回「いい日旅立ち」 

9日目「哀しみ本線日本海〜秋田県〜」
 

2006年7月4日(火)

 
 


 今日の目的地は、男鹿半島。男鹿半島を観光する場合、観光バスが一番便利とのことである。ところが、事前に調べたところ、観光バスはこの時期は走っていないとのこと。ならば、普通のバスで行くしかない。ところが、男鹿半島はバスの本数がとても少なく、交通の便が悪い。まあいい、なるようになるだろう。そう思ってともかく男鹿半島へ向かうことにした。
      

 
 


7:56 秋田 →(男鹿線)→ 男鹿 9:05
 

 
 


〈男鹿半島〉

 
 
 男鹿駅について、とりあえず入道崎に向かうバスに乗った。入道崎とあと1ヶ所ぐらい回れればいいや、そう思っていた。
 たまたま同じバスに乗っていた婦人が、やはり男鹿半島の観光で来ていた。「交通の便が悪いんですね〜」なんて話をしていたところ、バスの運転手が「それならタクシーをチャーターして行ったらどうですか?」と言って、次のバス停でタクシーを呼んで交渉までしてくれたのである。
 3時間で7800円。それで男鹿半島の名所を回ってくれることになった。こうして、初対面のご婦人と二人での男鹿観光になった。
    
 
  ◆男鹿真山伝承館・なまはげ館HP)  
 



男鹿真山伝承館
  

 
 
 タクシーの運ちゃんはなかなか親切な人だった。2時間の間に名所を一通り案内してくれた。
 まずは「男鹿真山伝承館」へ。ここではなまはげの実演を見ることができた。

  

 
 



なまはげ実演
 

 
 
 2人のなまはげが入ってくる。そのなまはげにご馳走を出して帰ってもらう。
 それにしても、なまはげは恐い。子供なんて逆にトラウマになってしまうんじゃあないだろうか?
  
 
 



なまはげ実演
 

 
 
 また、「なまはげ館」ではなまはげに関する展示もあった。
   
 
 
 



なまはげ館の前で
 

 
 
 男鹿半島各地のなまはげも展示されている。これらを見ると、微妙に形が違っているので面白い。
  
 
 


 

 
 



各地のなまはげ
 

 
  ◆八望台  
 



 

 
 
 次いで八望台へ。ここは日本海を望むことができる絶景の地。

  

 
 



八望台から望む日本海
 

 
 
 手前に見える湖が二ノ目潟と呼ばれるマール。マールとは、火山活動の際の水蒸気やガス爆発によってできた火山湖で、世界でも珍しいものだとのことである。男鹿半島には、他にも一ノ目潟、三ノ目潟と合計3つのマールがあるそうだ。
  
 
 



八望台の展望台

 

 
  ◆入道崎  
 



入道崎
 

 
 
 続いてタクシーは男鹿半島北の外れの入道崎へやってきた。
 青い草原に、日本海の荒波というコントラストが絶妙な、絶景の地である。
    
 
 



海岸も絶景
 

 
 
 ここ入道崎は北緯40度線のちょうど上にあり、そのことを示すモニュメントも建っている。
 
 
 



北緯40度のモニュメントと共に
 

 
 



北緯40度線に沿って石像が並ぶ
 

 
 
 ところで、入道崎はUFO目撃スポットとしても有名らしい。実際、「UFO出現」という看板が片隅に立っている。「ご希望の方にはビデオをお見せ致します」という文字がとても気になったが、時間の関係で残念ながら観せてもらうのはやめにした。
    
 
 


おもしろい看板を発見

 

 
 
 入道崎にはおみやげ物屋が数件ならんでいたが、ここにもなまはげがいた。案外なまはげというのは宇宙人だったのかもしれない。
  
 
   


こんなところにもなまはげが
 

 
 
 ここでお土産にと銘菓「もろこし」を購入した。
  
 
  ◆赤神神社五社堂HP  
 



赤神神社・宝筐印塔
 

 
 
 国の重要文化財に指定されているのが、赤神神社五社堂である。五社堂へは粗い石段を登らなければならない。この石段、なまはげが作ったとかで、全部で999段あるそうだ。上りながら数えようかと思ったのだが、きちんとした階段になっているわけではなく、石をただ積んだだけのようなもので、歩く場所で段数自体が変わってしまうような感じ。やめておいた。
  
 
 



石段を登る
 

 
 
 階段の途中には、御手洗の池や、姿見の井戸といったものがあり、なかなか雰囲気がある。
  
 
   








御手洗の池
 



姿見の井戸
  

 
 
 そうしているうちに五社堂が見えてきた。その名前の通り、五つの社が建っている。左から「十禅師堂」「八王子堂」「中堂」「客人権現堂」「三の宮堂」である。
 赤神神社は、860(貞観2)年に慈覚大師円仁(794〜864)が赤神山日積寺永禅院を創建したのが起源だという。なんと円仁、松島の瑞巌寺や平泉の毛越寺ばかりか、こんなところにまで来て寺社を築いていたのか。その後1216(建保4)年、比叡山の山王七社を勧請したが、うち2社が廃れて現在のように五社となったそうである。
 ちなみに、赤神神社に祀られている“赤神”とは漢の武帝(BC156〜BC87)のことだそうで、景行天皇の時代に天から降りて来たらしい。
       
 
 



赤神神社五社堂
 

 
 
 現存する五社堂は、1710(宝永7)年に建てられたものである。
  
 
 



中堂の前で記念撮影
 

 
 
 気づくと、2時間が過ぎようとしていた。タクシーは、最後にゴジラ岩の近くを通ってくれた。ゴジラ岩とは、岩の形が怪獣ゴジラのシルエットに似ているから名づけられたものだそうである。
 確かに窓からそれらしいものが見えた。しかし、あとで写真を見ても、どれがそのゴジラ岩なのかがよくわからない。あるいはうまく写せなかったのかもしれない…。
   
 
 



ゴジラ岩がこの中のどこかに
 

 
 
 思いがけない二人旅となった、男鹿半島めぐり。ご婦人の息子さんは画家の卵だということで、その後しばらくして展覧会に招待され、東京で再会することができた。
    
 
 


12:30 男鹿 →(男鹿線)→ 秋田 13:31
 

 
 
〈秋田〉
 
  ◆久保田城(秋田城)  
 
 再び秋田へ戻ってきた。昨日は宿泊だけだったので、少しだけ秋田を観光することにした。

   

 
 



久保田城表門
 

 
 
 秋田駅からも比較的近い久保田城址を訪ねた。
 久保田城(または秋田城)は、久保田藩(秋田藩)初代藩主・佐竹義宣(右京太夫/1570〜1633)によって、1603(慶長8)年に築かれた。しかしながら、現在残っている建物は少なく、建築当時のものは御物頭番所のみである。
 久保田藩は戊辰戦争において、当初旧幕府側の奥羽越列藩同盟に加わったもののすぐに脱退し、明治新政府側についている。言ってみれば裏切り者であるわけなのだが、そのおかげで久保田城 も破壊を免れた。しかし、残念ながら、1880(明治13)年の大火で、ほとんどの建物が焼けてしまった。
  
 
 



現存唯一の久保田城御物頭番所
 

 
 
 唯一の現存建物である御物頭番所の他には、本丸表門と、新兵具隅櫓(御隅櫓)が復元されている。
  
 
 



新兵具隅櫓(御隅櫓)
 

 
 
 久保田城址は現在は千秋公園となっている。城跡のほかには、佐竹史料館などがある。
  
 
 



佐竹史料館

 

 
 
 また、歴代秋田藩主を祀る八幡秋田神社もある。いや、あったと言ったらいいのだろうか。
 神社自体は1867(明治11)年の創建だが、本殿は1832(天保3)年に建造され秋田県の文化財にも指定されていた。だが、2005(平成17)年1月9日、放火によって全焼してしまったのだそうだ。賽銭泥棒による犯行だった。
 2008年現在、神社は再建中とのことだが、僕が訪ねた2006年7月当時は、焼け跡も生々しかった。170年もの歴史をたった1夜にて灰にするとは、何とも罪作りなことで、とうてい許せることではない。
  
 
 



八幡秋田神社
 

 
 

  
 久保田城址に建つ銅像は、久保田藩最後の藩主・12代佐竹義尭(1825〜84)のもの。戊辰戦争終結から50年経った1915(大正4)年に建てられた。太平洋戦争の際には金属回収のため取り除かれてしまったが、1989(平成元)年に復元された。
  

 
 



佐竹義尭像
 

 
 


15:58 秋田 →(こまち)→ 角館 16:41
 

 
 


〈角館〉

 
 
 秋田県内を南下し、角館へやって来た。今日はここに泊まる。
   
 
 



かくのだて温泉
 

 
 
 今回の旅では、未だに温泉にめぐり合えていなかったが、やっと角館で会えた。
 ホテルにチェックインしたら、すぐさま旅の汗を流しに温泉へと向かった。
  
 
 



かくのだて温泉
 

 
 
 風呂上りには、日本酒“秀よし”を比内地鶏で味わう。ああ、日本人でよかった。
  
 
 



比内地鶏
 

 
     
 

夢の吹く頃〜北海道・秋田県

恋する城下町〜秋田県・山形県〜  

                              
戻る